第880話 彼女は右往左往する
第880話 彼女は右往左往する
『猫』が至急の用事であるとばかりに飛び込んできたので、彼女は大いに驚いた。
「至急とは、どういった事態なのかしら」
『猫』は二つの用件を伝えてきた。
一つは、デルタの民の一部が『ヌーベ攻めに参加したい』とメリッサに伝えており、彼女に話をしたいと言っているという。
今一つ、王太子の率いる部隊が攻略している街の一つ「ブリノン」に「魔物」が出ているという。
「近衛が二個連隊も出ていて対応できないのかしら」
『新造の連隊で、基幹の騎士以外はミアンを経験しておりませんので。それに』
『猫』は相手はノイン・テーターに率いられた狂戦士が中隊規模で展開しているのだという。小規模の城塞、100m以内であれば狂戦士化させる事が出来るノイン・テーターにとって、少数で大軍を迎えるに適していると言える。
リリアルの冒険者組を向かわせたとはいえ、彼女の代わりを務めるであろう伯姪・茶目栗毛は魔力量が少なく、蒼髪ペアは正面押し以外は苦手な構成員。
王太子の周囲を護るだけであれば十分な力を持っているが、城塞の中に入り込んで魔物を討伐するには潜入し、少数で討伐するだけの魔力・能力が不足している。彼女と赤目銀髪が入れば状況は相当変わるだろう。
「それで呼ばれているわけね」
『はい。コーヌの制圧が順調であれば、モラン公に指揮を委ね、ブリノンの攻略を手伝うようにと』
彼女は魔法袋から紙と筆を取り出し、コーヌ攻略はほぼ完了しているのでモラン公に掃討を委ね、速やかに王太子軍に合流すると記すと猫にそれを渡す。
「デルタの戦士と話をしてから向かうことになるので、今日中に到着すると伝えてもらえるかしら」
『承知しました』
『猫』は踵を返し、元来た道を走っていった。
モラン公の元に向かい、王太子軍の状況を説明する。
「不死者に率いられた狂戦士の軍隊か。厄介そうであるな」
「相当の被害を覚悟すれば陥せるとは思われますが、魔物退治なら私たちに任せたいようです」
既にコーヌ市街に騎士団戦闘部隊を中心に進入が進んでおり、住民の大半は包囲前に川を下り旧都方面、あるいはギュイエ領へ逃げているという。一部、傭兵隊と契約した飯炊き要員が居残っているようだが、そもそも傭兵の人数は当初の想定の四分の一以下であったという。一個中隊以下でしかないらしい。
「大半は武装解除して投降した。帝国内で募兵した食い詰め農民や職人見習が多いようだ。コーヌの後片付けの労働をさせるつもりだ」
崩れた街壁の片づけなど、戦争捕虜の有効な使い道は少なくない。
「騎士団と第一近衛のことは任せておきなさい。戦力を再編……するほどの損害は受けていないが、弾薬・食料をブレリアから移送して前線拠点になるようしておこう。公都への進軍計画がはっきりするまでは、コーヌの防衛と街の整理を進める」
「お願いします」
モラン公にコーヌと軍の統制を委ね、彼女は開拓村へと向かうのだが。
「わ、私たち、魔装銃兵は拠点の警備に専念しようと思いますぅ」
こんな時だけ積極的な碧目金髪ぅ。城壁で護られている古典的な城塞に多数の狂戦士と不死者が潜んでいるところに、銃兵が向かうのは確かに微妙ではある。ヴィルモア(旧修道騎士団支部)はコーヌ制圧後は本営では無くなるものの、リリアル領南端所防衛拠点であることは間違いない。銃兵が活躍できる堅牢な望楼や礼拝堂・領主館(事務所兼宿兼食事所)も備えている。……ようは、動きたくないのだ。
「では、貴女が魔装銃兵の指揮官として残留しなさい。ルミリもね」
「はいですぅ!! 畏まりましたぁ!!」
「かしこまりですわぁ」
『なのだわぁ』
正直、動き回るのに魔力量の少ない者は連れていけない。今回はさほど騎馬をもってきていないので、移動は彼女と赤目銀髪、赤毛娘、灰目藍髪の四人だけとする。
「四人ならこれで十分」
「これ、腰かけみたいなのあればいいのに」
「参りますよ」
『水魔馬』に牽かせるのは魔装二輪馬車。彼女と馭者役の灰目藍髪が座席に座り、後ろの御立荷台には赤毛娘と赤目銀髪が従者よろしく並ぶ。
直線距離で言えばヴィルモアと旧盗賊村・避難所はワスティンの森の中を通った方が近いのだが、街道整備さていることを考えると、ブレリアから第一開拓村を経由して移動した方が馬車ならば早い。
そもそも、副元帥が徒歩で登場するのは……カッコ悪い。王太子に弄られる未来しかない。戦場となっているワスティンの森東部に近寄るのも面倒事に巻き込まれそうであまり宜しくないだろう。
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彼女達が魔装二輪馬車で旧盗賊村に到着すると、そこには壮年のデルタの民たちが気勢を上げているところであった。
「アリー ごめん」
馬車の前には、申し訳なさそうな顔のメリッサがいた。
「いいのよ。勢いがついてしまっているようね。どういう流れなのかしら」
メリッサ曰く、開拓村に受け入れる話を聞いた男たちが、残った者へとワスティンの森でどうなっているのかを伝えに元の村に戻って伝えたことが始まりらしい。
仮に、何らかの罠であれば、残った者が武装して奪還に来る手はずであったようだ。
「それで、本格的にリリアルで生活できるようだとわかったし、王国が大軍を連れてきたってことで……」
「自分たちもヌーベ討伐に参加したいと言い出したわけね」
「……うん……」
メリッサの眉毛がさらにハノ字になる。リリアルの領兵として王太子軍なりの戦陣の端っこを間借りすることは難しくない。むしろ、たった二十六人しか連れてきていない事の方が後々問題になりかねない。副伯なら、二百ないし四百程度の兵士を引き連れていてもおかしくないのだ。領民無しの領地ということで今回は大目に見られているのだが。
「問題は」
「顔ね」
「顔が悪い」
「不細工」
「……個性の範囲だと思うわ」
デルタの民は『醜鬼』と呼ばれる魔物扱いされている。先住民なのだが、古の帝国時代から『魔物』として討伐されていた。言葉も不自由だし、外見も明らかに王国や帝国人とは異なる。
「兵士なら、顔を兜で隠せば問題ない」
赤目銀髪の呟き。全身鎧の騎士なら、面貌で顔を覆うことはある。が、一般の兵士は頭部や首を護る程度の兜であり、顔を隠すことはまずない。
「あー 庇の大きな兜で、鼻から上を隠すように被ればなんとかなりそうです。顔は……鼻から下を布で覆ってしまってもいいんじゃないですか?」
兜を被り、布で口元を覆うのであれば、顔はほぼ分からなくなるだろう。あちこちで討伐した山賊や魔物の装備も彼女の魔法袋にはそれなりに溜め込んである。百人程度なら、武装は用意できるだろう。
「話をしに行きましょう。メリッサ、案内してもらえるかしら」
「わかった」
メリッサに案内され、彼女は騒動の中心へと向かう。そこには、気勢を上げる壮年のあるいは若い男たちがおり、年配のあるいは中年の女性が抑えようと諭しているようであった。
『ココデぬーべノ奴ニ一矢報ワナケレバ!!』
『死ニニ行クヨウナモンサネ』
『不死ノ魔物ニ殺サレルダケジャ』
『素手デドウスル』
『気合ダ!!』
らあらあ声を上げている男たちは、老人や女が諫める声が耳に届いていないようだ。
彼女は魔力を込めた声で威圧する。
『『黙りなさい』』
魔力の波に驚き、周囲の森から鳥が飛び立っていく。気勢を上げていた男たちは硬直したようになり、不意を突かれた女子供は崩れ落ちるように地面にしゃがみ込む。
「この地を王国から預かる、リリアル副伯アリックスです。メリッサから皆さんの中でヌーベ攻めに参加したいと考えている方がいると聞き足を向けています」
自身の立場、何故ここにいるのかを簡単に説明した後、こう付け加える。
「皆さんが王国軍の戦列に加わるのは、今のままでは大変困難です」
『俺達ハ戦エル!!』
彼女の威圧からいち早く回復したであろう若い男が声を上げると、その声は徐々に広がっていく。彼女はその声を一通り聞くと反論した。
「そうではありません。戦えるか否かではなく、王国軍からみれば皆さんは『魔物』であると認識される可能性が高いのです」
『『『……』』』
一部の老人が深く頷き理解を示す。そして、ヌーベの外に出た経験のない女子供、若い男たちは驚きの顔をする。そして、悔しそうにする壮年の男達。彼らは恐らく、「傭兵」として『醜鬼』の振りをし任務を遂行した経験があるのだろう。
「ですが、具足を身につけ、兜を目深にかぶり口元を隠せば……兵士に成りすますことは可能です。そのかわり、私たち以外の兵士がいる場所では無言で過ごしていただくことになります」
姿形を隠し、声を発さなければ周囲の部隊に『醜鬼』扱いされることは少ないだろう。それに、『醜鬼』の装備は角付き兜に鎖帷子、両手斧、あるいは金属補強された丸盾であり、今時の王国兵士とは相当に異なる。五百年前の入江の民の襲撃者に近い装備であると言える。
布の服に革の手袋、金属の胸当に金属の兜、口元は布で覆い首回りに廻して防具のように使う。ロングスピアかヴォージェ、あるいはグレイブを装備して、腰には短剣・バゼラードを履く。普通の領兵あるいは下級の傭兵程度には見えるだろう。
彼女は自身の魔法袋から説明した装備を取り出し、気勢を上げていた若い男の一人を手招きし、一通りの装備を身に着けさせる。
「どうかしら」
「ま、なんとかなる」
『ぐ、グルジィ』
サイズ的には小さめのようだが、髪を短くしたりすればなんとかなるだろう。だめなら胸鎧と背鎧のつなぎ目を外して革紐で繋いでそれなりに見えるようにするとか、兜の後ろ側をカットして鉢金のように前頭部と頭頂部だけを護るようにしてもよい。
赤目銀髪と赤毛娘が魔力を込めたダガーで、ザクザクと会わない兜・鎧を切り裂き調整していく。
「希望者全員は無理よ。百人、傭兵? 経験のある希望者優先でお願いするわ」
『ナッ、俺モ……』
モデルにされた若い男だけは連れていくが、それ以外の未経験者は今回留守を守るように伝える。粗末ではあるが、金属の短剣・撒くほどある中古バゼラード(王都の武器屋で纏めて定期購入)を渡し説得する。
それまで、武器は勿論、金属刃の農具すら持ったことのないデルタの若者達は、それだけでキラキラした目で自身のバゼラードを見ている。時と場合によっては、包丁にも鉈にもスコップにもなる便利な道具だから仕方がない。
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「ダガー一本で調略されるとはチョロすぎる」
赤目銀髪の辛辣な評価ではあるが、彼らからすれば『宝物』扱いである。叛乱で農民が武器にするのは、包丁や鎌、あるいは二股叉など。金属製の農具を与えられていないデルタの民の農業水準は古帝国以前のレベルであり、木製あるいは石の斧や鍬で地面を耕し収穫していたのだから、この反応はある意味当然だろう。
『女神様ハ気前ガイイ!!』
『俺、コノ戦争カラモドッタラ、コノ森全部畑ニスルンダ』
などと、なんだか不穏なことを言っている。女神って何? 戦争から云々は止めて貰ってよろしいでしょうか。
えり抜きの百人の『デルタ兵』は、その中の一人、最もベテランとされる男は赤毛娘から『リリアル旗』を託される。
「これ、獲られたら負けになる旗だから。絶対死守だから」
『我ラノ命ニ賭ケテ!!』
『『『オウ!!』』』
ロングスピアの上端に水色の地に白の百合を形どった図相が描かれた『リリアル旗』。王国旗と色違いなのだが。
「広げてあると行軍が大変。巻いておく」
『……ソウカ』
旗手の男は赤目銀髪に指摘され、ションボリと旗を巻いていく。この後、ワスティンの森を抜け、王太子軍の後方に現れるには森の中の道なき道を行くことになる。故に、木の枝に旗が獲られないよう、巻いておくのだ。
全員が装備を身につけ、リリアル生が装具の問題がないかどうかの最終確認をする。百人が東の街門の前に整列し、彼女の掛け声を待つ。
「デルタ兵前進!!」
魔装馬車を仕舞い、徒歩で森の中を進んでいく彼女とデルタ兵。その背後では、見送る難民村のデルタ民から声が掛かり、手を振られていく。デルタ兵は誰一人背後を振り返ることなく、森の中へと進んでいった。