第875話 彼女は『盗賊村』跡に難民を受け入れる
第875話 彼女は『盗賊村』跡に難民を受け入れる
リリアル領・領都ブレリアには、既に立派な水路と街壁・街路が形成されていた。歩人の血と涙の成果物である。
「随分と集めたものね」
「王太子殿下の率いる部隊の分もここに集積しているからでしょうね」
王太子の率いる軍はシャンパー方面からワスティンの森の東側を通ってヌーベ領の北東側に向かい、幾つかの街を攻略し公都ヌーベに向かう。この遠征、リリアルは二手に分かれた。
伯姪と茶目栗毛、青目蒼髪が長を務める『隼鷹隊』と赤目蒼髪が長を務める『水瓶隊』の十二名は王太子殿下と共に行動している。
彼女は黒目黒髪を除く『灰被隊』と赤目銀髪が長を務める『馳鴉隊』に三期生年長組を加えた……つまり先日のゴブリン・キング討伐時にいたメンバーたちが主となる十四名。
黒目黒髪と三期生年少組はいわゆる「お留守番」である。リリアル単独の遠征であれば年少組も同行するつもりであったが、近衛連隊や騎士団との協同であると、幼児に見える年少組は内実は兎も角見た目で余計なトラブルに巻き込まれかねない。なので、残念ながら今回は出番なしと言う事になる。三期生年長組も「彼女の小姓」という位置づけで連れていくので、実際に前に出て戦う前提ではない。
彼女と灰目藍髪はそれぞれ『羅馬』と『水魔馬』に乗り、集積された資材を視察している。土地は彼女の貸し出しだが、資材は王国軍の管理となる。因みに、『水魔馬』はポニーサイズになっており、『羅馬』寄りの大きさとなっている。
「リリアル卿は羅馬で出陣なさるのかな?」
声をかけてきたのは既知の騎士団長。今回は近衛第一連隊と騎士団が協同でロアレ川にあるヌーベの外港であるコーヌを攻める。リリアル領の南端ヴィルモア廃修道院からわずか2㎞であり、攻略本部はこの廃修道院に置かれることになる。
領都ブレリアからヴィルモアまでは既に街道が整備されており、移動も物資の輸送も問題なく行える。コーヌ攻略後は集積地を前進させ、いまブレリアにある物資をロアレ川沿いに遡行させコーヌが前進拠点となる予定だ。
つまり、コーヌ攻略がヌーベ制圧の一番の勘所ということになる。王太子軍の目的は、コーヌ制圧完了後、各小都市を包囲し戦わずして開城させることにある。コーヌが落とせなければ、次につながらない。
「この羅馬は『レーヌ』の名伯楽と言われるシルゲン氏が育てたのです」
シルゲン夫妻が引退後の生活をリリアル領で過ごされる事。リリアル領では今までの経験を生かして『羅馬』を育て、その育成をリリアル領民に教えていただけること。また、リリアル領では今後、馬産地として『羅馬』を供給し王都や王国中南部に売り込みたいこと、馬市を開く街を考えている事などを話す。
「荷駄を運ぶなら、馬よりも羅馬の方が良いかもしれませんな」
「兎馬は人を乗せて走ることは体系的に難しいですが、羅馬なら非武装の一人乗りなら十分騎乗できます。病気や餌にも気を遣わずに済みますし、何より……」
羅馬は子が生まれにくい。父親の兎馬と母親の馬から育てるしかない。勝手に増やせるわけではないので、常に供給する必要がある。
「小型の馬車なら、羅馬でも十分ですしね」
「街道が整備されれば大型の馬が何頭も必要な荷馬車も減る事でしょう」
「それで、リリアル領は街道の整備に力を入れているわけですな」
道が良ければ非力で小型の羅馬車でも問題なく物資が輸送できる。また、安く病気にならず餌も少なくて済む……コスパの良い羅馬ならば馬より選ばれる経済性もある。
「領主自らが羅馬に乗り、その良さを示すという意味もあるのですな」
「我々は軽装ですから。大きな軍馬は必要ありませんから」
一瞬の加速が必要となる騎乗突撃であれば、馬格が大きく速度も上がる大型馬が必要になるだろうが、リリアルには必要がない。少ない餌やケガや病気に強く育てやすい小型の羅馬の方が扱いやすいのだ。
「羅馬や小型の馬を見て『安い馬』と馬鹿にされる方もいるでしょうけれど」
「いや、戦場に出るのは貴族の義務ではなく、職業軍人・傭兵ですから。百年戦争の頃や馬上槍試合ならともかく、戦場なら賢く落ち着きのある馬なら問題ありませんよ。なぁ」
騎士団長の背後に続く数人の騎士が頷く。騎士団長や正騎士の見回り用なら押し出しも大事だろうが、騎士団の構成員の多くは従騎士や騎乗兵士になる。彼らの戦力を維持するコストは絶対数の少ない騎士よりも大きい。正騎士が重騎兵なら、従騎士や騎乗兵士は軽騎兵の扱いになる。連絡や物資の輸送などの後方業務は『羅馬』でも良いかもしれない。
「王都の近くに馬産地が増えるのは大歓迎です」
「何年か先の話になるでしょうが、その時はよろしくお願いします」
「承知しました」
騎士団団長もいつの間に身分を弁えた言い方に変わっていた。男爵までならともかく、領地を持つ帯剣貴族・副伯となれば相手が気を使う。実質は法衣伯爵と帯剣男爵で同程度の格などと言われる。領地を持つか否かは意味がある。現状、領民=学院生でったとしてもだ。
そして、コーヌ攻略後は彼女も王太子軍に合流し速やかにヌーベ周辺の街や村を解放しなければならない。ヌーベ公は、帝国傭兵をいくらか雇っているようだが、その主力は公都に集結しており、その他の小都市は住民による市民兵・領兵が守っている。近衛連隊の兵士で討伐することは難しくないだろうが、問題はその中に吸血鬼あるいは喰死鬼が含まれていた場合、味方が減った分、そのまま敵が増える可能性がある。
伯姪らが王太子の側に帯同されているのは、そうした魔物に対する警護の面もある。
加えて、交渉半ばのデルタの民と彼女は直接接触する機会が必要となったこともある。
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彼女達がゴブリン・キングの群れを『盗賊村』の廃村で討伐した直後、彼女の元に『猫』が現れた。
『我主、急ぎお伝えしたいことがあります』
「……そう。メリッサはどうしているのかしら」
『それも含めてご説明いたします』
『猫』曰く、メリッサはリリアル領に移住するデルタ民と共に、ワスティンの森に向かう集団を率いてこちらに向かっているという。但し、その数は当初よりかなり少なく、若者と子供が中心であるという。
「確か、三千ほど全体ではいるのよね」
『今回こちらに向かっているのは千を少し下回る程度になると思われます』
老人と子の親世代は現地に残っているということなのだろう。彼女がその理由を確認すると、「監視があるので、全員で一斉に移住するのは難しい」
ということであった。
「監視する人員がいるという事かしら」
『使い魔だと思われます』
吸血鬼は蝙蝠や鼠、あるいは狼を使役すると言われる。あるいは、自身をその姿に変えることもある。一斉に人が消えれば、それも全ての村においてであれば追撃を受け、離脱することも難しくなると考えたのだろう。
「一先ず、『盗賊村』の跡地に避難場所を設置するわ。建物は土魔術で作った躯体になるけれど」
『メリッサ殿にそう伝えます。一先ず、ここへ皆さんをお連れします。では』
彼女に断りを入れ、『猫』は元来た道を戻っていく。
伯姪が様子を伺っていたが、早々に話しかけてきた。
「来るのね」
「ええ。受け入れ準備は不十分なのだけれども」
「何とかなるわよ。ここで採取できるものだってあるのだし」
流石に千人の胃を満たすだけの食材を毎日手に入れるのは難しいだろう。王都周辺で手配し、小麦などは持ち込まねばならない。幸い、ヌーベ遠征の為に食料を集積しているはずなので、その中から幾らか融通してもらう事も可能だろう。元はヌーベの住民、それが避難してきたのであるから。
歩人と癖毛がいないので、仕方なく、彼女が『土』魔術で建物の壁と床を作っていくことになる。地面を均し、周りを土壁で囲う。屋根は木を切り出してもらい、草葺でもしてもらうことになるだろう。
井戸はルミリと『フローチェ』の手を借りる。ワスティンの森の中であれば、水の大精霊にして泉の女神である『ブレリア』の影響もあり水は出る。『廃村』の中の瓦礫や廃材木などは綺麗に魔法袋にいったん収納し、開拓村に似たレイアウトで地面を均していく。千人が仮に住むとして、井戸は数箇所無ければならないだろう。飲み水は井戸を使うとして、洗濯用の水場も確保しなければならない。
『養殖池みたいなのを作るのだわぁ』
「そうね。泉のようなものを街の外に作りましょうか。街壁の中にこれ以上余計な物を作れそうにもないのですもの」
領都ブレリアは川の側にあり、川から引いた水を水路の中に流している。開拓村は『ガルギエ湖』から用水路を造設し水を引き込んでいる。『盗賊村』にはそうした施設はない。廃村化する前もさほど多い人口ではなかったのだろう。あるいは、案外水場が遠いことから人が居つかなかったのかもしれない。毎日の事であるから、水が容易に確保できるかどうかは大切な事だ。
「千人分ですか!!」
『寝床用の干藁だって千人分だよね?」
「うーん、リリアルには無いよねー」
二期生達がわちゃわちゃしているが、彼女と違って他人事。マジ他人事。食材だけでなく、生活用品例えば毛布のようなものも用意しなければならないだろう。
こうした避難民に対しては教会が炊き出しや毛布の差し入れなど行う事が少なくないが、リリアルには未だ教区がない。つまり、教会の協力は得られない。十人、二十人ならどうとでもなるが、千人は彼女の今の立場ではどうにもならない。つまり……
「王太子殿下に相談しましょう」
「そうね。これもヌーベ遠征の一環だものね」
そう。彼女は総責任者ではない。面倒なことは上司に丸投げすれば良いのだと割り切ることにする。
結果として、古い毛布や衣類は騎士団や近衛連隊の予備から供出してもらえることになった。この遠征を機に宿営の備品を新しくしたり、衣類も古いものを破棄する前に仕えそうなものをリリアルで引き取ることにした。また、王都の宿屋や古着屋で不要なものを引き取ることにもした。リユース・リサイクル魂全開である。
そもそも、デルタの民は『ホームスパン』つまり、自分で糸を紡ぎその糸で布を手織りし衣類を作っている。まとめて衣類が手に入るような環境で生活していないことを考えれば、古毛布・古着でも十分だと思ってもらえる可能性は高い。まあ、寒く無ければいいのだ。
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『猫』が連絡に来てから三日後、千人のデルタの民たちは出身村ごとに分かれ、順次到着した。離村の際に、十分に準備できたようで着の身着のままということもなく、また、飢えと渇きに苦しんでいる様子もない。
その一団から大きな熊を引き連れた金髪美女が彼女の元へとやってきた。
「お疲れ様でしたメリッサ」
「疲れた」
かなり薄汚れてしまった魔熊使い『メリッサ』は、口ではそう言いながらも「やってやりましたよ!」とばかりに笑顔を彼女に返してきた。
「代表の方と話をしたいのだけれど」
「それはそう。村ごとに代表がいる。呼んでくる」
メリッサはデルタの民の所へといったん戻ると、五人の男を連れて戻ってきた。
「アリー、よろしく」
「始めまして皆さん。このワスティンの森一帯を王国から預かっているリリアル副伯アリックスと申します。アリーと呼んでいただければ幸いです」
『ア、アリー。う、よろしく』
『よろしくたのむぅ』
少々片言ではあるが、王国の言葉が通じているようで何よりだ。
「皆さんには一先ず、この避難所でヌーベでの戦争が終わるまで過ごしていただくことになります。その上で、戦争終了後『戻れるのか?』……」
彼女の言葉にかぶせるように言葉が返ってくる。やはり故郷に戻りたい気持ちはあるのだろう。
「そうですね。可能かもしれません。ですが、私たちとしては、皆さんにリリアル領民となっていただき、このワスティンの森の開拓村を作り移り住む事を提案したいと考えています」
『『『……』』』
ワスティンの森はそれなりに広い。王都に近い北部や領都周辺はともかく、ヌーベ領に近い地域は、旧ヌーベに住んでいたデルタの民に開拓民として移住してもらいたいと思っている。全員ではなく、今来ている中で、故郷では土地が持てないあるいは一家が構えられない人だけでも良いのだ。第一次開拓村はそうした王都近郊の村の若者が開拓民として入植する。
『今すぐは答えられない』
『移りたい奴もいる』
『俺はここで所帯、持ってもいい』
新規の開拓村には、免税は勿論のこと開拓した畑の所有する権利や開拓に必要な駄獣や荷車、あるいは道具類、一年分の小麦の支給など補助が付く。飲まず食わずで開拓は出来ないのだから当然だと言える。ヌーベ領ではどうであったかわからないが、開拓するきがあるならそうしたものは支給することになることを彼女は伝える。
『ここを開拓する?』
「いいえ。ここは羅馬市を開く街にするわ。もう少し奥の方に村にするのに良い場所を見つけて、そこにもう少し小さな村を作るつもりです」
『……なら、避難している間、良い場所探す』
「そうね。でも、勝手に村を作っては駄目よ」
『勝手、駄目』
『『『駄目』』』
どうやら、いまの村には『駄獣』や『家禽』の類はいないようだ。兎の養殖など始めるのなら、毛皮や肉、現金収入にも困らなくなるだろう。餌となる物を育てるか採取してこなければならない手間はかかるが。
『馬、手に入るか?』
「最初は羅馬か兎馬ね。あなたが乗るには小さいと思うのだけれど、馬車を引くには十分だと思うは」
『馬車……』
『『『馬車』』』
馬や馬車を手に入れることも、彼らにとっては大きな希望となったようだ。
「色々決めるのは、もう少し時間がかかると思います。それまで、不自由だと思いますが、この場所で過ごしてください」
『『『わかった』』』
彼女は念のため、ここにメリッサに残ってもらう事を伝える。メリッサは自分も馬車をもらえるかと聞き返したきたが、開拓村で所帯を持つならと答えると無言となった。どうやら、デルタの民の男衆に気に入った人はいないようだ。