第862話 彼女は軽騎兵に付いて多少考える
第862話 彼女は軽騎兵に付いて多少考える
「儂は……子育てを間違えたのかもしれんな」
恐らく、長男以下、若い頃の子供は相応に貴族らしく育ったのだろう。軍務で家を空けがちであったモラン公と、父の背中を見て育った貴族の責務を理解した子息たち。年齢的に長男は彼女の父親と同世代かやや若い程度だ。モラン公もその当時は、王国の元帥としてあるいは総司令官として王国の防衛に粉骨砕身していたものと思われる。
先代国王の晩年は、長く続く体調不良と意欲の低下から、いつまでも帝国相手の船倉が続いており、当時は帝国領であったネデルから発せられる帝国軍に、王国の北部は幾度となく侵略された。それに追随して連合王国も北岸を荒らしまわり、それに対応していたのがモラン公なのだ。
父親の手助けがしたいと子供心に思い、その結果が優秀な王家の代官としての手腕育成へと繋がったのだろう。
対して、一息つき第一線を離れてから生まれたヴォルフは家にいて寛いでいる姿しか見ていないのだろう。席の温まる間もなく戦場と王都を往復する父親を知る年長の兄弟なら「漸く平和になり、父の重責も下ろすことができたか」とホッとし喜ぶだろうが、家でくつろぐ姿しか知らない末息子は、家にいて寛いでいるのが当たり前故に、わざわざ堅苦しい挨拶をすることなく、幼児の頃のまま当主の執務室や来客中の応接室に断りも無く入り込む。
兄たち同様、モラン公の苦労を知る来客は、苦労知らずの幼い子息を見て微笑ましく思ったのであろう。モラン公も苦労された甲斐があったと。決してヴォルフの行動を肯定したわけではなく、その環境を手に入れたモラン公の姿を喜んだのである。
が、幼くして自分自身の行動が肯定されていると理解したヴォルフは父親に対して遠慮せず、来客に対してもぞんざいに振舞うことに成功体験を得てしまい、勘違いしたまま大人になるというわけだ。
『このままいけば、蛙王子ならぬ蛙貴公子になるなこいつ』
『魔剣』辛辣であるが、ほぼその通りである。王弟殿下もそういう存在であるから同じ答えが出る。そして、三十路になって気が付いて現在、相当苦労している。ヴォルフを甘やかした反省から、王弟殿下の顧問としてのモラン公は言葉は優しいが課題は厳しいと聞いている。
ミアン周辺で帝国軍と戦った経験のあるモラン公にとって、その地を現在大公領として賜っている王弟殿下にとって、公の所見は大いに学ばねばならない事ばかりなので仕方がない。
「いえ、まだ諦める時間ではありません公爵閣下」
「……そうか。そうだな。今回の遠征では精々こき使って、心を改めさせるとしよう」
「……マジか……」
本気と書いてマジと読む。マジ。
近衛連隊はそれだけで自立した部隊だが、軽騎兵中隊はその中でも独自に運用されることを前提とした運用をされる。それを前提に、司令官付き部隊として様々にこき使う……有効に運用するということになろう。
「そこで副伯に相談なのだが」
「……はい」
軽騎兵中隊をリリアル騎士団と組ませたいというのがモラン公の相談であった。
「これは、近衛連隊の戦力改善の試案として王太子殿下が希望されていることなのだ」
リリアル騎士団とは、リリアル生の中で騎士爵位を賜った者、もしくは、騎士学校を卒業したものが所属していることになっている架空の騎士団である。活動はしているが、騎士団なのかと問われればどこまでがそうなのか甚だ疑問でもある。騎士団に所属するには、騎士の誓約を騎士団に対して行う必要があるのだが、そんなものはリリアルには無い。
馬に乗って活動すれば騎士団。徒歩か馬車で移動するなら冒険者と言った程度の認識である。
「閣下、リリアルが用いる乗馬は『羅馬』になる予定ですが問題ありませんか?」
「「羅馬」」
モラン公もヴォルトも彼女の言葉が意外過ぎて言葉が出ないようだ。軽騎兵とはいえ、本来の全身鎧を身につけた重騎兵と比較しての『軽』であり、板金半鎧と腕鎧を身につけており、馬格こそ重騎兵のそれより小柄であるが、持久力と速度のバランスから、サラセン騎兵などが担う本来の機動戦力としての任務は、軽騎兵が担っていると言える。
『羅馬』は馬格としては『ポニー』と呼ばれる小型馬に近く、戦場で乗るようなものではない。聖職者や非武装の文官、あるいは女性などが乗馬としてもちいるのが本来の存在なのだ。
「何故、羅馬を用いるのだ」
「リリアル領で馬産地として活動するに際し、小型馬に相当し病気に強く餌も馬ほど気を遣わずに済む駄獣として適切だと考えました」
平地を爆走するには体格に優れた馬が良いだろうが、荷駄を引き、あるいは人を乗せて林間を移動するような場合、大きな馬はあまり向いているとは言えない。馬房や秣にも気を使わねばならない。乗用できる兎馬として、リリアルは羅馬を用いたいと考えている。
「今のリリアルでは兎馬車が基本ですので」
「あの、農民が乗る粗末な車か」
「……リリアル領はワスティンの森を開拓していく必要があります。貴族の乗る見栄えを重視した乗り物は不要なのです」
モラン公は今日、二輪羅馬車で訪れた彼女の行為に得心が言ったように頷く。公式に使用する箱馬車は有しているが、日ごろ使うことはない。魔装荷馬車のほうが活躍しているまである。
「常在戦場の心意気、為政者としての振舞、確かにリリアル副伯は、領主としての心が定まっているようだ。ヴォルフ、家名を誇らず、功績に奢らず、周りに流されずに生きるという事は、かくあるというもののだ。判れよ」
「……」
興味本位でいつもの如く父親の執務室に顔を出したのだが、思わぬところで背中から撃たれたような気持になるヴォルフ。被害者ムーブも甚だしい。日頃から思うところのあったモラン公は、王弟殿下の面倒を見ながら自身の不肖の末子の姿を重ね、どげんかせんといかんと日々思いが募っていた。
息子よりさらに年若い少女が彼の時代の自信のような重責を負っていることを目の当たりにして、不甲斐ない息子に言いたくなる気持ちも理解できなくもない彼女なのだが。
『お前の婆も、こうならないように心配した結果の老婆心なんだろうぜ』
理解はできるが納得のいかない彼女である。祖母の当たりの強さの何割かは、姉が逃げ回っていることに起因していると彼女は思っているのである。
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コーヌの攻略。川に面している西側を除き、三方を街壁で囲んだ作りとなっている。壁自体は百年戦争期以前のそれと同様、現代の攻城砲の攻撃に対応したものではなく、人除け、魔物除けといった要素が強い古い形式のものだ。
街の大きさからして住人は千人程度、その多くは外港を利用する商人とその使用人と言ったところであり、衛兵の他、防御を担う戦力は恐らく帝国傭兵が何個中隊か入り込んでいると今の段階で王宮と近衛連隊では把握しているという。
「コーヌを攻略するのはさほど問題あるまい」
モラン公は軽量野砲を攻城兵器として用いようと考えてる。三面を近衛連隊とロマンデ郷土連隊で包囲し、水上は川船を鎖でつないで封鎖する作戦を近衛連隊幹部から提案されている。
「野戦はないと」
「ないだろうな。ほどほどに戦い時間稼ぎをする。その後、降伏し傭兵団は退去するといったところだろう」
野戦であれば、偶発的な損害を受けることもあり得るが、包囲する・包囲されるという場合、時間稼ぎあるいは糧秣の消耗を狙う意図がある。ヌーベ公の雇う事が出来た傭兵団は全体で連隊規模、四千人程度と推察されており、帝国では二線級の傭兵隊長の指揮する連隊だという。強力な傭兵隊長は帝国内の皇帝・貴族と契約を結ぶか、神国領ネデルで活動しており、ヌーベ公が雇用できる傭兵隊長は臨時に軍を編成される際に追加で呼ばれるような戦力だという。
傭兵隊長はその幕僚・側近の騎士などが常雇いの人員であり、没落した貴族の城館などを買上げるか借上げ拠点とし、その下の中隊長たちは同様に自分と側近で吊るんで活動している。
雇用主と傭兵隊長の間で、戦力・雇用期間・活動内容・対価などを定めた雇用契約が結ばれると傭兵隊が編成される。傭兵隊長は、関わりのある中隊長たちにオファーをし、それを受けた者が募兵し、期日までに定められた集合場所に戦力を集めることになる。
何度も同じ中隊長の仕事を受けている者は、「ベテラン」となり下士官として兵士の取りまとめを行い、兵士を代表して中隊長に意見を述べたり中隊長からの命令を兵士に徹底させる役割をもつ。
良い傭兵隊は、経験豊富な中隊長と下士官となるベテラン兵を有し、臨時雇いの傭兵達を育て戦力にする。
ところが、街を護るような任務の場合、野戦と異なり逃げ場も無く、只管目の前の敵を倒すように仕向けるだけでよいので、そこまでの練度が求められない。募兵から間もないとされるため、城門を破壊し中に入り込めれば、コーヌを落とすことは大して問題ないと考えているのが近衛連隊と王太子を始め軍関係者の判断のようだ。
街を包囲するような戦争行為を経験することが初めての彼女にとっては何も特にいうことはない。法国戦争では、大軍で街を囲み開城させるか包囲し救援の敵軍を野戦におびき出し闘い勝敗を決める事の繰り返しで何年も戦っていたと聞いている。モラン公はそうした攻囲・野戦の経験が豊富であり、実際の指揮はモラン公一家に任せるべきだと彼女も理解している。
――― 人間対人間の戦いであれば……だ。
彼女はモラン公に提案する。
「川のある西側はリリアルの魔導船を配置し警戒しましょう」
「……川船のような小さなものでは大して役に立つまい。乗り込む人数もたかが知れている。何日もそこにいることは出来まい」
最初の魔導舟であれば五六人で荷馬車を荷室代わりにおいて使うしかないのだが、リリアルの魔導船は彼女の魔法袋に収まっている。 一番艦 30m級魔導キャラベル船『聖ブレリア』号は喫水の問題などでロアレ川の上流で使うには問題があるものの、
二番艦 18m級魔導ホイス船『聖フローチェ』号であれば、喫水は1.5mほどであり、。大きな河川・運河での運用も可能な船型だ。積載量は60tと船倉がないことからすくないのだが、今回の監視・封鎖任務においては問題がない。帆柱の上からコーヌの中を監視できることは有利であろう。また、距離さえあやまたなければ、マスケット銃などでの反撃も気にする必要はない。
「船が魔法袋に入っているとか、本気で魔力が多いんだな」
「二隻入っているわよ」
「……そうか。そりゃすげぇ」
一番艦二番艦とともに、試作船にあたる10m級魔装クナール船『リ・アトリエ』(仮称)も入っているのだが、10m級と18m級が今回は使用されることになるだろう。
「連絡はどうやって取るのだ?」
モラン公の問いに彼女は考え込む。船の上と包囲軍との連絡方法。
「何か連絡を必要とする際は、船に向け包囲している部隊が旗を振ると言うのは如何でしょうか。定時の連絡で特に伝える用件がなければ白、必要なときは赤といった色で連絡の必要の有無を知らせ、急遽必要な場合は適時赤い旗を振るという事にしていただけばよいかと思います」
夜間の連絡方法は緊急呼集を『火矢』で知らせることにする。船の位置がわかるように、夜間は灯火を船に灯すことにもした。
魔物が包囲軍を攻撃するとすれば夜間が考えられる。ゴブリンなどは夜目が利くし、不死者の系統も夜の方が活動に適している。人間は夜眠る必要があるし、闇は襲撃者の姿を見えにくくする。少数での逆襲を行うのであれば夜になるだろう。
「太鼓やラッパじゃだめなんだろうか?」
戦場で旗を用いる場合もあるが、複数の伝達手段として『音』を活用することが一般的だ。五男坊も近衛の演習などで利用していることからそういう意見を出したのだろう。
「馬鹿者、水上においては川の流れの音や波の音もあり、音も響かぬ故に音での伝達は行わん。海軍の伝達手段はマストに掲げる『旗』だ。陸上の常識を当てはめるでない」
モラン公は不機嫌そうにヴォルフを一瞥する。それに恐縮する五男坊。
「……失礼した」
海軍提督を排出する家柄であるから、モラン公も艦艇の操作に関して知識は多少ある。騎士学校から近衛騎兵となったヴォルトはその辺りの理解が不足していたのだろう。長男次男なら、この辺りは「一般常識」として身につけていたであろうが、五男坊はその辺り教育が甘かったということが伝わってしまった一幕でもある。
「事前に確認できてよかったと思います」
「……いやだが、その場合、魔導船? はどうやって接岸するんだ。コーヌの港に強行突入でもするのか」
彼女達の場合、半数は魔力壁を足場に走ってコーヌ市街あるいは包囲軍に合流し、残りの半数は魔装クナールに乗り移り、接岸できる浅瀬へ移動するということになる。18m級魔導ホイス船『聖フローチェ』号は?彼女の魔法袋に収納されちゃいますがなにか?
「「……」」
彼女の説明を聞き、親子は沈黙する。その反応を放置し、彼女は話を続ける。
「魔物としては、ノインテーターの中隊長に指揮された狂戦士の突撃、あるいは、城門を破壊したところにゴブリンの上位種が指揮する群を配置し迎撃させる、それと、夜間に水上から岸に『魔鰐』を上陸させる。また、街中を制圧した場合、吸血鬼により生成された『喰死鬼』が屋内に配置され兵士が個別に安全確認をする際に襲撃される可能性があると思われます」
「「……」」
魔物討伐の経験の少ない親子には、只の包囲戦ではないと理解が及ぶことになる。
「それと、スケルトンが街の周辺に突然湧き、逆包囲される可能性もあるかと思われます」
「ミアンと同じ状態か」
「はい。ヌーベ周辺は百年戦争の際の係争地でもありましたので、ミアン周辺同様、遺骸を確保しやすい環境です」
ミアンを襲撃したスケルトンの軍勢は、おそらく百年戦争以前にコルトの戦いで市民兵に虐殺された王国貴族の率いる軍の敗残兵たちが利用されたものだとされる。旧都から対岸のギュイエに掛けて百年戦争では多くの戦いが起こり、また、小競合いや『騎行』による村落・街の住人の虐殺も多かった。スケルトンを生み出す素材に事欠くことはない。
「待ち構えているとすれば、そうした準備もなされているか」
「はい。包囲は容易でも、その軍を逆包囲する魔物の軍勢に注意が必要となるでしょう」
「ふむ。その為の周辺の索敵が、近衛連隊軽騎兵中隊の仕事となるわけだな。分かったかヴォルフ」
「……」
軽騎兵の仕事は戦場の花形ではなく、索敵・連絡・後方警戒といった補助的だが軍の機能を維持するための神経に当たる役割である。名門モラン公爵家の息子が配置されている理由は、戦場で手柄を建てさせる為ではなく、軍を動かすという事を深く理解する為の学びを得るために任命されているのだとそろそろ本人が自覚してもらいたいものだと、本人遺骸の周囲の人間は全員思っているのである。