第860話 彼女はモラン公の城館を訊ねる
第860話 彼女はモラン公の城館を訊ねる
「リリアルを二手に分ける……ですか」
「はい。詳細は殿下からの書状にてご確認ください」
王太子宮からの使者から手渡された書面。先日行われた婚約式の後、いよいよヌーベ公討伐・ヌーベ領への遠征が行われるのだが、どうやら王太子は王都方面から侵攻する軍を二手に分け、それぞれにリリアルを配置したいという事のようだ。
ヌーベを四方から囲むにしても、西はギュイエ公領軍、東はブルグント公領軍、これはあくまでも包囲する為の戦力であり、領境を護り逃亡する戦力を逃さない為の抑えの兵に過ぎない。
南側は王太子領軍と王国騎士団が配置されるのだが、王国騎士団は兎も角、王太子領の戦力は所謂郷土兵であり、戦力としては補助的な存在。王国騎士団は編成から間もなく、王都の騎士団や近衛連隊のような経験にも乏しい。とはいえ、誰にでも最初はあるものであり、これを機会に、経験を積ませていくつもりが王太子にはある。
「王太子殿下はどちらにつくのかしら」
「ギュイス家が参加する部隊だそうよ」
「なら、私がそっちに行くわ。ギュイスもニース家の縁者に無茶は言えないでしょうし、元帥と副元帥が同じ進撃路を通る必要も無いでしょう?」
ギュイス家は王国と帝国に挟まれた領域で『傭兵貴族』として成上ったレーヌ公家の分家筋に当たる。聖都大司教を一族から出し、それが枢機卿となるほど教皇庁との交流が深い。その分、連合王国や原神子信徒とは敵対的でもある。
教皇庁と近しいといえば聖エゼル海軍を有するニース家も同様だと言える。
「おじい様もお忍びで参加するつもりだから、丁度いいわ」
法国戦争で活躍したことをいまだに盛んに口にする当主『フラン』は姉が北王国に嫁ぎ王女を生んでいる。その王女は女王となり……今は亡命している。女王の叔父ということでまるで自分が王族であるような尊大な口ぶりがみられる。
因みに、息子の『エンリ』はサラセンとの戦いにも密かに参加しており、自らの武勇に自身がある王太子世代の若者であり、『小王子』などと揶揄されるが相応の力の持ち主。王太子が抑えねばならない厄介な親子であるといえるだろう。
「あなたはモラン公が同行することになるわね」
「悪い人ではないのだけれど、元帥閣下を副元帥の私が指揮するわけにはいかないじゃない?」
「面倒事は年長者に任せて、あなたはいつも通りでいいんじゃない?」
脳内の姉が『いつもの猪突猛進だ!!』等とイラっとする副音声で相槌をいれそうな状況。いつも通りとは解せぬ。
「モラン公は王国軍の重鎮よね」
『あの一家は尊厳王の時代から付き従う軍人一家だな』
『魔剣』がそうつぶやく。彼女の家はさらに二百年は遡る管理人の家なので、家系の古さではマウントがとれてしまう。そういう意味では、文官と武官の違いはあるとはいえ、長らく王家に仕える一族の末裔同士という意味で反りが合うと思われる。
「一度コチラカラご挨拶しておいた方が良いかもしれないわね」
「ああ、モランの街は王都から近いでしょうから、その方が良いかもしれないわね」
王都の北10㎞ほどにある戦略的要衝とされる場所を所領とする男爵家の当主である将軍が、法国戦争・バルディア戦役での戦果を賞され『公爵』となった家の当主がモラン公アラン。
法国戦争で活躍したジジマッチョと同世代。マッチョでないことを祈る。
モラン公嫡男もギュイエ公現当主はフラン、そして次男と嫡子は『エンリ』と丸被りとなる。その為、爵位や徒名、役職名で呼ぶことが多いのだが。
「お手紙を書きましょう」
「私は必要ないわよね」
「必要なら、王都のニース邸に赴いてもいいのではないかしら」
伯姪は必要ないと言いながら手を横に振る。王都で社交にいそしむ妻にあちこち連れ回され内心疲れているジジマッチョからすれば、伯姪の訪問を心待ちにしているのだろうが、祖母の姉に当たる夫人に「あら、あなたも社交に同行すればいいじゃない?」と善意で言われかねない。
――― 言われれば断りがたいのだ!!
「社交をすれば、次はお見合いになるわ」
「……」
彼女は深く深く沈黙する。そう、彼女の姉はとっくに婚約どころか結婚していた年齢にいつの間にか彼女も到達していた。現実逃避している場合ではないのだが、男爵ならともかく、伯爵に陞爵前提の副伯家の当主というのは中々婚姻相手が見つからない。嫁に行くのではなく婿取り。どこかの一族のように婚姻でのし上がるつもりの家も無いわけではない。
法衣貴族は論外。王宮の政争にリリアルが利用されるに違いないからだ。彼女を利用しようとする者は、王家と王国以外、本人も実家も赦すつもりはないからだ。
なので、王家の藩屏である武門の家から配偶者を得て、協力者として
招きたい。
「確か、モラン公の息子か孫に王太子殿下と同じ人がいたと思うのよね」
五男・末弟ヴォルト・ド・モランは近衛連隊で軽騎兵中隊の隊長を務める男で、優秀な若手武官として騎士学校でも話題に上がっていた記憶がある。当時はまだ隊長ではなかったが、手本となる身近な先達として教官から名前が上がっていた。
彼女と伯姪は「モラン家への追従乙」と内心思っていたが、その後のミアン防衛戦で活躍し中隊長へ昇格するきっかけとなったことを想えば、間接的にリリアルの恩人に当たるのかもしれない。ミアンにとって彼女を始めとするリリアル生は恩人なのだが。
「近衛連隊若手No.1ヴォルト・ド・モランね」
「平凡が一番よ。プライド高そうでしょう?」
「貴族だから当然よ。プライドの無い貴族なんて貴族ではないわ!!」
誇りと見栄。貴族にとってはわかりやすく自分を際立たせてなんぼである。名声は無形の力であり、その力を積み上げてこそ貴族として成り立っている。武の名家モランにとって、若手No.1であって当然くらいのものなのだ。
でなければ、戦場で部下を引きることはできない。軽騎は陽動や偵察に追撃あるいは荷駄の護衛など戦争の全期間において便利に使われる……あらゆる局面で様々に運用される兵種であると言える。多種多様な任務を適切に熟し、部下の騎兵を十全に生かすことはなかなか難しいと言える。優秀であるがゆえに、困難な役割を担わされる証左と言えるだろうか。
「モラン公の意思もあると思うわよ」
「経験を積ませる為にでしょう? 五男とはいえ、有用さを証明する為に酷使されているわね」
王都の管理人である子爵家の次女であった彼女もその立場は似たようなもの。今は一貴族家を立ち上げ、自ら領地を運営しなければならない立場に陥っているが、本来は五男坊と同じような立場であった。
「まあ、出世して軍で連隊長くらいになれば、伯爵位相当の役職を手に入れられて、老後も安泰なのでしょうね」
「何年後の話よ。伯爵目前のあなたが言うと嫌味だわ」
領地無し伯爵並あるいは法衣伯爵であれば、気楽な年金暮らしで王都に城館を構えるだけで良いのだから余程彼女好みなのだ。封土を得てこそホンモノの貴族といった風ちょは未だ根強く、リリアル副伯は性別や年齢を度外視すれば、法衣貴族やそれを目指す若い貴族子弟にとっては立志伝中の人扱いである。不本意ながら。
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そして、いま彼女はお供に茶目栗毛と灰目藍髪を連れ二輪馬車でモラン公の城館に向かっている。リリアルとは王都を挟んで反対側の位置にある『モランス』近郊にある公の城館。
王都近郊では唯一の城塞都市であった『モラン』は、百年戦争中に王国側に立ち続けたこともあり、連合王国に幾度となく攻撃を受け城塞は一つの円塔を除いて激しく破壊されてしまった。
『モランス』の街は、王都近郊で唯一城塞化されており、周囲90mほどの丘の上に小規模であるが四つの要塞化された門を持つ堅城であった。
古の帝国時代から先住民が呼んでいた『岡山』といったいみの「モンス」を語源とする街と城塞になる。
その後、当時のモラン男爵は街の外に新しく城館を建て、法国戦争に従軍し陞爵し『公爵』となった今代になって、一層立派なものに仕上げていると聞く。
「あれがモランの街ですね」
「小さいわね」
モランス自体は自然の岩盤を生かした『モット&ベイリー』に端を発する城塞と街。小さいとはいえ『城塞都市』である。機会があれば滞在し、領都ブレリアの参考になるかも知れないと彼女は考える。
城壁で囲まれた街は発展性に乏しいが、王都近郊である程度自給自足できる小都市を目指しているブレリアにとっては良い手本になるだろうか。
丘の上にある城塞都市は風を受け回転する二台の風車が備わっている。丘の周辺には葡萄が植えられており、低い場所は小麦畑とみられる。こうした周辺の畑作りも参考になるかも知れない。
モランス公の城館は、現在、街から少し離れた場所にその功績と地位に相応しいものを構えている。
一時修道騎士団の支部を城内に有していたこともある。モラン家はこの地を納める有力な貴族の一族であり、六人の王国総司令官、十二人の元帥、四人の提督を歴代において輩出している。また、『王国第一の男爵』とも呼ばれる家柄。男爵は王の戦士長というほどの意味の爵位であり、直臣を意味する。王国を代表する由緒正しい武門の家柄故に、王都の北側を護る要衝を拝領しているといって良い。
公爵は現在でも王国の軍事的重鎮であり、その二人の子息も、王領の総督として王国南部に赴任している。
元帥昇進後、王国北部の防衛を委ねられており、連合王国と対峙する。また、先代国王の軍事的顧問を長く務め、法国戦争後半の軍事的指導者でもあった。
現在では半ば引退しているものの、実戦経験と影響力の大きさはいまだ健在であり、王国軍で最も頼りになる存在と目されている。王国元帥は終身身分であるので現在もその地位についている。
王太后の信頼の厚い事を考慮すると、王弟殿下の顧問として影響力を持つ存在になると考えられている。
たった一台の二輪馬車、供を含めて僅か三名での来訪に、モラン城館はちょっとしたざわつきが生じた。が、彼女は大して気にしていない。王国副元帥・副伯の身分からすれば、騎士数名と兵士の小隊程度は引き連れていてもおかしくはない。自前の兵士のいないどこぞの女王陛下でさえ、郷士家の若者百人ほどをお供の『衛士』として帯剣させ連れ回していた。王宮と首都リンデの間の往復が主な役割だが。
「本日訪問の予定をしていたリリアル副伯閣下です」
「は。先触れの方でしょうか」
「……いえ、ご本人です」
「し、失礼いたしました!!」
副元帥が一代のそれも軽装二輪馬車で現れる方が失礼なのだが、必要な人数を集めると、日常業務が止ってしまいかねない。それに、移動に不要な時間もかかる。モラン公がそうした態度で彼女を侮るような人物ではないと判断し、実利を取ったという面もある。
因みに、彼女の祖母とは文武の畑違いは有れど、相応に話の通る間柄であり、「アランの爺」などと宣うような関係だと聞いている。アラン卿は「婆」とは呼んでいないと思うが。
二輪馬車から降り、茶目栗毛と灰目藍髪を従え彼女が城館の入口に立つと、奥から現れたのは執事ではなく白く豊かな顎髭を蓄え、鍔なしの帽子のような頭巾を被った老人であった。
「ようこそモラン城館へ。儂が当主のモラン・ド・アラン。王国元帥にして公爵位を賜っておる老人だ」
「本日の訪問をお許しいただきありがとうございますモラン閣下」
「堅苦しいのは祖母譲りかな? 以前お会いした姉君……アイネ夫人と顔貌は良く似ているが……ふむ。リリアル卿の祖母の若い頃に良く
似ているな。見た目も雰囲気もだ」
少し懐かしそうな、彼女を見る目は見ているようで少し後ろに視線を傾けているように感じる。祖母と重ね合わられるのは、国王陛下で慣れている。
内心、「ああこの方も若いころ祖母と交流があったのだな」と彼女は理解を深める。つまり、あの祖母が付き合うに値すると評価した人物なのだと。
「玄関ホールは老人には寒いのでな。サロンに移動しよう」
「はい」
彼女は外套を館の使用人に預けると、先を行く老公爵の後をついて進んでいく。武門の家にありがちな、武具を飾るようなこともなく、瀟洒といっても良い城館は、恐らく先代国王の趣味で会った法国風の仕上げなのだろう。白い砂岩等を使い、内海の近い法国ほどは日差しの強くない王国北部で、彼の国を模した城館を幾つも建てていた王だ。
法国戦争に幾度も参戦し、戦場で体を傷め、治政の後半二十年を体調不良で苦しんだ先代国王は、法国風の建物、法国風の女性、法国風の武具をこよなく愛し、二度と戻らない若い日々を思い返す晩年を過ごした。
この館も、そうした法国から訪れた建築家や職人に建てさせたものだろう。因みに、一仕事終えた職人集団は海を渡り、現在は連合王国で多くの城館を建てている。その注文主の多くは、女王陛下の歓心を得たい厳信徒の都市貴族達である。女王陛下好みの城館を自腹で建て、長く滞在してもらう事で、『寵臣』となり権勢を振るいたいのだ。
建物の外観とことなり、通されたサロンは法国風のデコライズされた家具ではなく、シンプルで座り心地の良いソファであった。
「さあ、どうぞそちらに」
「失礼します」
彼女は剣を公爵家の使用人に預ける。先日の迎賓館ではドレスを着ていたが、本日は装飾の施された騎士服。副元帥としての装いである。剣がなくとも身につけた『魔装ビスチェ』『魔装手袋』『魔装髪飾』『魔装扇』でどうとでも切り抜けられる。剣はあくまでも飾りであり、剣を預けることで「あなたを信用
しています」という意思表示をしたに過ぎない。
「さて、今日の訪問はどのような目的か……言わずとも心当たりはあるが、副伯の口から説明してもらえるだろうか」
「承知しました」
今日の訪問は、遠征軍の一部隊を率いることになる彼女の『後見』を務めることになるモラン公に、事前の戦力・進撃路・補給・指揮系統といった大まかな方針を伝え、公の意見を聞くことにある。
王太子がシャンパー方面から近衛連隊を中心とする戦力で進撃するのに対し、彼女は一部の近衛連隊と王都騎士団、モラン公の私兵とその息子が差配するロマンデの郷土兵を主力とする国軍を指揮することに
なっている。
彼女の存在はお飾りであり、実際の指揮はモラン公親子がとる……
と言う役割りなのだ。
すると、応接室の外が騒がしくなり、突然、バンと扉が開かれ、若い騎士と思わしき男性が中に入ってきたのである。