第855話 彼女は迎賓館の不寝番を務める
第855話 彼女は迎賓館の不寝番を務める
晩餐会の食事は、試食会で出された料理の中で、季節柄の良い食材が揃えられた品で構成されていた。食器やカトラリーは今回は銀器を使用している。正式な晩餐に錫製は相応しくないから当然かもしれない。
王太子妃の横で食事をする彼女は、王太子夫妻から話を振られれば「はい」「ええ」といった返答で会話を受け流す。祖母曰く、余計なことを言わず参加者を観察するのが社交の基本。
神国の大使や教皇使節らを重点的に観察する。潜在敵であるから当然だろう。
「アリックス卿。この生クリームの添えられた料理はなんであったか」
「……子羊の背肉ローストではないでしょうか殿下」
「だそうです、陛下」
「ふむ、香ばしく焼けた肉と酸味の効いたクリームが合うな。これは、ロマンデ風だな」
黙って食事をしている彼女に、ワザと話を振り国王陛下を引き合いに出しちょっかいをかける王太子。潜在敵の高位高官ばかり相手に会話をしていることからか、疲れて少々イラついているようだ。彼女に話を振ったのもちょっとした八つ当たりなのだろう。
「とても美味しいですわ」
「ええ。本当に」
素直に賛美する公女ルネと、王太子の振舞に意味真に微笑む王妃殿下。王太子の行為に気が付かない前者と、気が付き「やれやれ」とほほ笑む後者。ルネ殿下はそのままの心でいてもらいたいと彼女は願う。
先代国王は自分が新しい愛人を作ったので、年増の古い愛人を王太子であった今の国王陛下に押し付けようとしたことがあった。その配偶者である現王太后は何も言わず国王の所業を咎めもしなかったが、王太子妃になる予定であった王妃殿下が王家所有の古城に押し込める様手配したらしい。
先代国王が崩御し、現在の国王が戴冠した後、古い愛人と新しい愛人を共に修道院送りにしたのも王妃殿下である。何の役にも立たない王太后も王都に近い離宮扱いの城に住むように手配をしている。
『王都は空気も水もよろしくありません。王都を離れてのんびりとお過ごしください』
等と言い、王宮を追い出したのだという。
戦争大好き女好きで王国に多額の負債を残した先代国王を反面教師に王太子は頑張っているらしい。腹黒だが。まっくろくろすけなのだが。
晩餐が終わり、賓客らは各自の部屋へと引き上げていく。これが宵っ張りの女王陛下であれば「てっぺんまわってからがスタート!!」等と言い、相手の都合も考えず付き合わせるのだろうが、国王夫妻も王太子夫妻も規則正しい生活を送っている。公太子は年少であり、既にお眠の時間でもある。昨晩は母と姉と弟の時間を過ごしたこともあり、いつも以上に眠たげなのだ。頭がグラングランするくらい。
「ではなアリー」
「おやすみなさいアリー」
「お休みなさいませ陛下、王妃殿下」
国王夫妻は王室塔のそれぞれの寝室に向かう。これは、元からあった城塞に備わっていた主寝室をそのまま利用しており、一階に近衛の詰所。そこを通らなければ上階の国王夫妻の寝室にはたどり着けない独立した構造の建物であり、大食堂から最も近い場所にある。正直羨ましい。
「私たちも引き上げましょう」
「畏まりました、閣下」
彼女が声を掛けると、悪戯っぽい言い回しで応じる伯姪。二人は宛がわれた部屋に戻り、早々着替えをしなければならない。
「おかしな雰囲気はしないわね」
「何もないと良いのだけれど」
各国の大使・国王代理・教皇使節が宿泊する迎賓館。誰が騒動を起こすというのか。王国を害する意図を持つ国はあれども、関係者が宿泊している。もろともということは……ないこともないかもしれない。
「先に休んでいいかしら」
「立ちっぱなしで疲れたでしょう? お先にどうぞ」
「ありがとう」
部屋に入ると伯姪はさっさと侍女服を脱ぎ、鎧下に着替え魔装のビスチェを身につけてベッドにダイブする。
「一瞬で寝落ちする自信があるわぁー」
「おやすみなさい」
「おやすぴぃー」
伯姪が即寝落ちした横で、彼女は魔装の手袋や頭巾、面貌など二人分の装備を整理し並べていく。預かっていた曲剣に半長靴。魔法袋にはワインにチーズやハムなども収納されている。晩餐を食べられなかった伯姪は夜中にお腹がすくだろうと思い、その準備もしておく。空腹は集中力を削ぐので、多少お腹に入れておく方が良い。食べ過ぎれば眠くなるので、当然程度はあるのだが。
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真夜中の鐘。魔物除けの効果のある音が響き渡る。
「……スッキリしたわ」
「もう少し横になっていていいわよ」
「このまま朝までぐっすり寝そうだから……起きるわよ」
伯姪はズバッと起き上がる。胴衣とビスチェは身につけているので、あとは半長靴を履き、手袋と頭巾を身につける。
「お茶を淹れるわね」
「ありがとう。一緒に飲んだら寝てちょうだい」
「ふふ、そうね。もう少ししたらね」
伯姪が身につけたものを彼女は脱ぎ、二人分のお茶を用意する。お茶請けはいつもの『壊れフィナンシェ』。夜中に食べても大丈夫!!体重は気合で抑える!!
伯姪は鳴りやんだ鐘楼の余韻を感じながら、窓を開け外の様子を探る。静かなものであり、警備する衛兵の姿がちらりと見える。迎賓館の衛兵は王宮から応援をもらって増員されていることから、平素の人数よりずっと多いのだ。
「ねぇ、聞いてもいい」
「何かしら」
「あの鐘楼の退魔の鐘の音って、効果あるのよね」
「不死者にはあるでしょうね。ゴブリンや魔狼のようなものにも相応に忌避する効果はあると思うの。それでも……」
彼女は頭の中で考えていることを声に出す。
「水の中はあまり効果が無いと思うの」
「水路周りは防御用の柵を設けたりして、問題ないじゃない?」
「水面を泳いでいたら効果は薄いわよ」
Guuuoooooooo……Guwooooo……
低い唸るような音が迎賓館の中庭に響く。どこからかの音が反響しているのだろう。建物の隙間を風が抜ける時に鳴るような。魔物除けの仕掛けの音にも似ている。一節には、竜の唸り声を模したものとも言われる。
「変な音がするわ」
お茶のカップをテーブルの上に戻し伯姪が様子を伺うが、二人の部屋は中庭に面しており、外側の様子を見ることはできない。一度外した装備を彼女は身につけ伯姪と共に部屋の外の廊下へと出る。
廊下の突当りには衛兵が不寝番をしており、武装した二人を見てぎょっとする。
「周囲を確認してきます」
「変な音がするのよね。見てくるわ」
「……お気をつけて」
何か鼾のようにも聞こえるが、そんな大きな鼾をかいたなら自分の鼾で目が覚めそうなものだ。それに、音は屋外から聞こえる。
「リリ、起きて」
『むぅーまだよなかだよぉー』
フェアリーは寝る。何なら、隙あらば寝る。人間より寝坊助だが、睡眠が必要と言うより、寝ることが好きなだけなのだろう。彼女の髪の中で寝ていることがよくある。
「リリアル城塞の不寝番に、何かおかしなことが無いか私が確認したいと思っていると伝えて。水路に何かいないかって」
『ついでにリリが見てくるよ!!』
「先に伝言をして、帰りに確認してきて」
『わかったー』
『猫』なら、細かなことを言わずとも万事計らってくれるのだが、リリも相応の配慮をすればお願いすることができる。視覚同調ができることもメリットだ。
「リリに見てもらうのね」
「水路に何か潜んでいないかの確認が必要ですもの」
「予期せぬ来客第二段かもよ?」
寝静まった夜中に予期せぬ来客は、ありがたくない来客であろう。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
リリの視界を借り、夜中の迎賓館を空から眺める。所々に灯火が備わっているがあくまでも警備用のもので、さほどの光量はないので警備の衛兵は立っているのが分かる程度だ。
月明かりも無く、薄曇りなのか星明かりもないので全体的に闇が濃い夜。
王都城塞の監視は青目蒼髪が立ち会っている。薬師組と二期生では非常時の対応に不安があったので、迎賓館対応から戻した冒険者組が加わっている。
水路上を確認すると、指をさしてなにかいるようだと手振りで示す。その指さす先に向かい、フェアリーは飛んでいく。真っすぐではなく左右に振れながら飛ぶので、視界を共有している彼女にとっては揺さぶられている錯覚に陥り、若干立ち眩みがする。
「大丈夫?」
「……申し訳ないわね。今、水路に向けてリリが飛んでいるの」
伯姪は興味津々なのだが、替われるものなら代わりたいものだと彼女は思う。
『うぅ~ん……なんか浮かんでるぅ』
黒く細長いものが三本、水路に浮かんでいるように彼女にも見える。が、明かりがないので水面が波だっているようにも思えるのだが。
『あー なにぃ このゴツゴツした岩みたいな……板?』
細長いごつごつした岩みたいな板が三本。
『うぅー なにこれ……見たことないものだけどぉ……目が……ある』
水面から飛び出した目玉。細長いゴツゴツした岩のような板のような『背中』。
「鰐」
「……ワニ……って……あの、ネデルで出たってヤツ!!」
ネデルで幾度か遭遇した『魔鰐』は、魔物使いらしき男が操っていたゴツイ巨大なトカゲのような魔物。大きさは数メートルはあり、背中の皮は岩のように固く、恐らく遠距離からの魔装銃の狙撃は効果がない。王都城塞の射撃はほぼ意味が無くなった。
「使用人としてこっちに残っている子たちに武装させて……」
「間に合わないわ。騒ぎになれば、自分で判断できるでしょう。私たちだけで向かう方が良いわ」
「そうね。私、初めてなんだけど……」
魔鰐は正直、伯姪の魔力量で魔銀鍍金製の装備では効果が薄い。
「これを使って」
「……全魔銀のバルディッシュ」
大型の魔物と相対する時、常に使用している彼女の装備を伯姪に差し出す。
「今のあなたなら、身体強化と魔力纏いだけなら、十分魔力が持つでしょう?」
『魔剣』をバルディッシュの形に変形させ、彼女と伯姪は二人ともバルディッシュを装備すと、
「そうね。イケると思うわ。ダブルバルディッシュって感じね」
嬉しそうに答える伯姪。魔力が少なめとはいえ、今はリリアルに参加した頃の倍以上に増えている。成長に近道はなく、伯姪は日々の積み重ねで得た成果でもある。
「これ、実際、曲剣を両手斧の柄にくっつけた感じなのね」
「そうよ。だから、両手持ちの曲剣だとおもって扱えば良いと思うわ」
「なら、問題ないわね。全部金属の両手持ちの曲剣よりはずっと軽いし」
今すぐ振り回して試したいようだが、未だ迎賓館の中。早足で階段を下り、通用門の衛兵に「出ます」と声をかけ、水路際に向け走り出す。
『アリー!! こっちこっちぃ!!!』
漆黒の夜空に見える流星のような輝き。リリが『魔鰐』のいる水路への道しるべになるべく、彼女達の前を飛んでいく。
Guuuoooooooo……Guwooooo……
空気を揺らす太鼓のような響き。胴体が振動し、音の波が二人にブチ当たる。
「これって」
「魔力を込めて威嚇しているのね」
GuwWWWWWooooo!!!!
『魔力波』とでも言えばいいのだろうか、竜の『咆哮』があるとするならば、このようなものだろう。魔力の少ない者なら強く影響を受け体がすくみ上り、魔力で身体強化している者の力を減衰させる効果があるのだろう。
彼女の馬鹿魔力には影響がないが、並の魔騎士程度である伯姪は、『魔力波』の影響を受け疾走する速度が失速する。
『あー うるさいぃぃぃ!! ねむいのにぃぃぃ!!!』
リリは眠いのかキレ気味である。
すると、水路から魔鰐が大きな顔を持ち上げ、上がろうとしている。その数三体。
『お前ひとりでやれるのかよ』
「時間稼ぎくらいやって見せるわ。リリ、みんなを呼んできてちょうだい」
『うん……いのちだいじにねアリー』
王都城塞へと飛んでいくリリの姿を視界の端に確認すると、彼女は水路から立ち上がろうとする一体の『魔鰐』の頭に向けバルディッシュを叩きつけたのである。