第854話 彼女は海からの使節を垣間見る
第854話 彼女は海からの使節を垣間見る
王都迎賓館に『半魚人』が現れた。とするならば討伐するのみ。
だが、今日の彼女と伯姪の仕事は王太子妃ルネの護衛。
「こんなこともあろうかと使用人に紛れ込ませていた甲斐があったわね」
「自分が向かいたいのでしょうけれど、今日はご遠慮願いたいわ」
「半魚人だけなら、一期生が二人もいれば問題ないわね」
今日は侍女である二人。うずうずしていても思うがままに行動してはいけません。
『アリー☆ リリが見てくるよぉ』
彼女の髪の中に潜んでいたフェアリーのリリが園庭先の池に向かってしゅーんと飛んでいく。リリの視界を彼女は共有できる。
リリの視界の片隅に、執事の格好をした茶目栗毛と、ドレスの裾をたくし上げ疾駆する赤毛娘が見て取れる。その二人を抜き去り、池の前まで行くと、長柄を突き付けられつつ半円に包囲されている『半魚人』が見えてくる。
しかしながら、『賢者学院』においてクラーケンと共に襲撃してきた半魚人とは様子が異なる。雰囲気は友好的であり、表情も柔和に見てとれる。
「少し、海豹人に似ているかしら」
海豹の皮を被った妖精。見た目は異なるが、理知的に見える。
そこに到着した赤毛娘。長柄の囲いを飛び越え、殴りかかろうとするところを茶目栗毛に取り押さえられる。良くやった茶目栗毛、赤毛娘なにやってんのぉ!!
連合王国に同行した茶目栗毛は、彼女と同じことを感じたのか、周りに自分がリリアルの騎士であることを伝え、話しかける許可を衛兵たちに貰う。
「リリアル卿。何かわかったか」
王太子に話しかけられ、一瞬戸惑うも彼女はリリの視点を実況し始める。
「リリアルの騎士が半魚人と対話を試みています」
「……討伐ではないのか」
「はい。魔物に近い『海の小鬼』と呼ばれる種とは違うように感じているようです。相手も襲い掛かるようなそぶりは一切見せておりません」
海豹人なら背中を開けて人の姿を現すようだが、半魚人はそうはしないので、また別の種族なのだろうか。
「アリー。どのような姿ですか? 姿形を教えてください」
「……はい……」
王太子妃から声を掛けられ、彼女は見えている姿を言葉で説明する。
人と同じくらいの背丈、脚はやや短く鰭のような足がついている。背びれがあり、腕にも魚の鰭のようなものがつき、頭は頭巾のような形をしている。まるでキノコかクラゲのように見える……と。
「もしかして……電国王家の知人かもしれません」
「「「はぁ!!」」」
王太子も彼女も伯姪も三人揃って間抜けな声を上げた。
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電国は公女ルネの母である摂政殿下の出身地である。元は電国王女であったが、父国王が死去した為、娘を連れて親族である帝妹を頼りネデルへ帰国したのだという。
王家としての縁は切れたとはいえそれは国と国との話。人の縁はそう簡単に切れることはない。電国国王であった公女ルネの祖父は『海人』あるいはその外見が聖職者に見えることから『海教父』と呼ばれる妖精の一団と友誼を結んでいたとのこと。
海運国である電国は、海の精霊・妖精と仲良くすることで、自国の船の航海の安全を願っていたからだそうだ。
「母に足を運んでもらいましょう。母は幼いころ、かの方達と直接お会いしてご挨拶したことがあるそうですから」
ここで見た目が変わっている等と言ってはいけない。幼女であろうが、老婆であろうが、その人の持つ魔力の『匂』は変わらない。人それぞれ『体臭』があるように、魔力にも『匂』がある。
忘れていた記憶でも、匂いをきっかけに思い出すことがある。記憶は目だけでなく、音や味、そして匂いにおいても残るのだ。
「ニアス卿。摂政殿下を守護してもらえるか」
「お願いねメイ」
「畏まりました」
摂政殿下の元に向かう伯姪。侍女は引き連れているが、万が一の時護れる腕があると信用できるほどではない。我身に変えてもという気持ちで護るであろうが、式典が台無しになりかねないので、できれば何事もなく終わってもらいたいのだ。
リリの視点で、摂政殿下とその供回り、そして伯姪が園庭池に到着するのが見えている。お互いに大いに驚き合う摂政殿下と『海教父』。そして一体が歩み寄ると摂政殿下と抱擁を交わす。
リリが見ているものは彼女も見えるのだが、声を含めた音はわからない。会話の内容はあとで伯姪から聞くしかなさそうだ。
彼女は見ているものを再び王太子夫妻に伝え、抱擁し合っていることを伝えると二人はやや安心した。
「詳しい事はあとで聞くとして、我々もこのまま予期せぬ客人に挨拶にむかおう」
「はい」
王太子夫妻は近衛騎士と彼女を連れ、園庭の先の池へと向かう。その後をぞろぞろと付き従う興味本位の招待客の一団。
王太子夫妻が池の畔に到着すると、摂政殿下が道を開けるように声をかけ『海教父』達の前に夫妻が進む。
『アリー、リリがんばった!!』
「ありがとうねリリ」
彼女の肩の上に乗る小さな妖精を目にした周囲の来賓が一瞬ざわつくが『リリアルだから』と一呼吸おいて落ち着きを取り戻す。
『母君そっくりでおじゃる』
『『『まことに』』』
『海教父』達は並んだ母と娘を見比べしきりに頷き合っている。その中の一体が彼女に目を向けると、遠間から話しかけてきた。
『アリックス卿? アイネ殿の妹君でおじゃるか?』
彼女と周囲に詰めているリリアル勢に「ああ」とどこか腑に落ちた雰囲気が醸し出される。『海教父』は彼女に手紙を差し出した。若干湿っているようだが、防水紙で保護されているようで滲んではいなかった。王太子に許可を取り、その場で手紙の内容を確認する。
『親愛なる妹ちゃん、愛しのお姉ちゃんは今、電国にいます』
から始まる手紙の中で、どうやら姉が『海教父』らに、レーヌ公女と王太子の婚約の話を伝えたのだという。その昔、摂政殿下の父君であった電国国王と『海教父』らは友人関係を結んでいたのだそうだ。
商人同盟ギルドが東外海で大きな力を持ち、電国船団と争っていた時期がある。連合王国の祖父王時代に商人同盟ギルドは海戦で勝利し、首都リンデのど真ん中に治外法権の商館をせしめ、免税特権を得たのだが、それ以前において敵対していたのは電国であり、電国は敗れ東外海の利権を大いに損ねた。
そこで、電国沿岸に棲んでいる『海教父』らと友誼を結び、商人同盟ギルドに対抗することになったのだそうだ。
ところが、商人同盟ギルドと車の両輪の関係にあった聖騎士団領が大原国との戦いに敗れた結果、東外海周辺の貿易独占が崩れ、商人同盟ギルドは衰退し始めた。摂政殿下とその母である前王妃を追い出した勢力は、『海教父』との友誼を放棄し、今では疎遠になっていたのだそうだ。
『そんなわけで、ニース商会は彼らとお友だちになりました。王太子殿下とレーヌ公妃・公女殿下へのちょっとしたサプライズを提案したところ、「いいね!!」と言われたので、ニース商会の船で王都まで送りました。おじい様も協力者です。お姉ちゃんの真心をつたえてもらっていいかな!!』
「……」
園庭の奥にジジマッチョを見つけ、視線を送るとすごい勢いでサムズアップしている。両手で。
「殿下、ニース商会が手配したようです」
「……であるか。婚姻式には卿の姉夫妻も呼ぶことにする。伝えてもらえるか」
婚姻式は各国の要人と限られた国内有力者を招いたものであり、ニース家からジジマッチョ夫妻が出席しているので、姉夫妻には声が掛からなかった。その意趣返しだと王太子は捕らえたのであろう……間違いない。
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サプライズな飛び入りゲストがあったことで、国王夫妻も挨拶に現れ、「今後は良しなに」と伝えると、『海教父』らはレンヌのある半島周辺に一族の中で希望者を住まわせようかと提案する。レンヌは半独立の領地の為、王家の直轄領であるロマンデ西部にある半島ならばと了承することになった。
今は小さな港しかないが、『海教父』が居ついてくれることで良い影響が現れると考えると、開発するのも良いだろうか。海軍が貧弱な王国としては、専用の軍港を持ちたいと考えられている。直轄領ロマンデにある半島で今は錆びれた半島を護る城塞があるだけだが、開発する余地は十分にある。
とはいえ、連合王国も海軍の維持には苦慮しており、平時は商船兼私掠船として女王陛下の元保護し、戦時には協力させるという方法をとっている。海外に領土を有する神国やそれに協力するゼノビア、あるいは東内海の貿易を独占する海都国のような国でなければおいそれと船を揃えるわけにもいかない。
船を揃える前に人を育てねばならないということもある。陸軍以上に海軍は金が掛かるのだ。今の王国からすれば先の話としか思えないのだが。
『電国』が断った縁を王国が受け入れるメリットは長い目で見て相応にあるだろう。
摂政殿下はレーヌ公太子を『海教父』に紹介し、姉姫共々よろしくと伝え、『海教父』らもそれに応える。レーヌ公国はメイン川の支流を更に遡った山の中にある。王都と海はさほど離れていないが、レーヌは……遡れないわけではないがなかなか足を運ぶのは難しいだろう。いつかレーヌ公国がランドルかネデルの港を手に入れれば縁も深まるかも知れない。その前に神国と大戦争必須。
『あまり長居するのも……』
「いえ、できればこのまま」
『干上がってしまう故、ここで失礼するでおじゃる』
『『『またあおうぞ!!』』』
ざぶんざぶんと池に入り、そのまま姿を消していく『海教父』達。
「ねえ、おじい様からの伝言があるのよ」
見送る彼女の背後から小声で伯姪が話しかけてきた。何事かと耳を傾ける。
「……このまま失礼して、王都のニース邸で彼らの接待をするみたい。ほら、ニース海軍も仲良くなると良いことあるって考えているみたい」
「……なるほど。そっちが本命ね」
内海では見かけたという話はあまり聞かないが、神国北部の海岸線沿い、『西の大巡礼路』沿いの歴史ある港町では、彼らに似た精霊・妖精の目撃談が聞かれる。とはいえ異端審問の本場である神国で、今時、仲良くすることは難しいのだろう。横からニースが友好関係を結び、神国周辺で協力してもらおうということなのだと思われる。
とはいえ、帆走では内海を西に向かい神国沿岸をぐるりと回り風や潮をみて移動をする。なので、今の航海技術では内陸水運と荷駄を使って輸送する方が効率がいい。神国軍も内海を東に進みゼノビアからミランを経由し大山脈を越えてメイン川を下りネデルに兵や兵糧を輸送している。外海は波も高く、天候が荒れた時に避難する港も限られている。『海教父』と仲良くして神国海軍や連合王国の私掠船に対抗しようというのは一つの試みになるだろうか。
昼の婚約式と懇談が終わり、晩餐に参加する予定の大使・使節らは一度宿泊のためにあてがわれた迎賓館の部屋へと戻っている。
因みに、彼女は晩餐に『王国副元帥』として席を与えられており、逃げられない。侍女服から着替え公女ルネの隣に座り晩餐を供されることになっている。晩餐の参加者は限られており会場も奥まった城塞仕立ての一角にある『大食堂』で供される。
この場は椅子とテーブルを撤去し広間として使う事で、舞踏会の会場にすることも考慮されている豪華な天井と壁画を有する場所になっている。
「一度、リリアル城塞に戻りましょう」
「そうね。迎賓館の客間だと気が休まらないものね」
伯姪の言葉も間違いではないが、彼女としては王都城塞に配置されているリリアル生に声をかけておきたいというものもある。
晩餐にはリリアル一期生で昼間参加したメンバーのうち、赤毛娘、茶目栗毛、赤目蒼髪、灰目藍髪の四名を残し、城塞詰めに戻すことにしている。
「私たちも今夜は不寝番ね」
「……交代で寝ましょう。二人で起きている必要無いわよ」
晩餐会が終わった後、来賓が宛がわれた部屋に戻ってからが本番。深夜の襲撃ドンと来いである。王都では『退魔の鐘』の音が大聖堂を始めいくつかの鐘楼で鳴らされており、夜中に活動する不死者の類を排除することができているだろう。
王都に密かに魔物を引き入れることも考えられるが、王都の各区画は夜間移動を禁止しており、街区から街区へ移動することはできない。王都の外部から魔物を引き入れようとしても、中心区画にある王宮や迎賓館まで接近するのは容易な事ではない。
『海教父』の一団が不意にやってきたということで、危惧が無いわけではないが、昼間ニースの船に密かに乗せてやってくるのとはわけが違う。と信じたい。
「先生!! あたし、このまま迎賓館で賄い食べてますね!!」
王都城塞に向かう彼女と伯姪に赤毛娘が話しかけてくる。王宮料理人の賄いは大変興味深いのだが、彼女は晩餐で食べることができる。
「あなた達はごちそうになっておいて。交代でね」
「はい。警戒は欠かしません」
灰目藍髪が答え、彼女は頷く。
「あーあ。私だけ食べられないのかぁ」
「ふふ、リリアルの王都城塞の夕食があるじゃない」
「まあね。食べなれた料理の方が私は良いわ」
リリアルのメニュー。味は悪くない。食材も新鮮、そして量が多い。好きなだけ食べられる。が、侍女服が入らなくなると困るので、伯姪は今日の所は腹三分目くらいにしておかなければならない。
「夜中空腹で眼が覚めそうね」
「ちょうどいいのではないかしら。見張の途中で眠くならないわ」
伯姪は「何なら変わるわよ」と彼女に伝えるが、彼女は丁重に遠慮した。