第853話 彼女は黙って付き従う
第853話 彼女は黙って付き従う
馬車の入ってくる音、そして人々の声が次第に大きくなっていく。正午まであと少し。式の準備は順調のようだ。
王太子夫妻とその侍女役である彼女と伯姪は礼拝堂と対になる翼のホールの一室で待機をしている。もっとも奥まった場所にある部屋であり、その他の部屋には教皇庁・神国・帝国・連合王国・北王国といった大国の大使や国王代理とされる高位高官が案内されている。
それ以外の、招待された国内の貴族、教会関係者などは既に教会堂の中で待機している。婚姻式は王都の大聖堂で行われる予定であるが、準備の期間もありさらに大規模なものとなるだろう。
とはいえ、婚約式は「もう決まりですよ」と周辺各国に知らしめるための行為であり、神国の王女や帝国の選帝侯の子女、あるは法国の君主の子女・教皇の姪といった王国王太子妃になり得る女性と、王太子妃の席を狙っている者たちに「もう遅い!!」と理解させる式典でもある。
特に、教皇庁からは「是非」と教皇関係者の子女を押付けられそうになるのだが、その結果、帝国のように宗派騒動に巻き込まれるのは絶対に避けたい。神国と競わせて「やれ聖征だ!!」とはじめられても困る。
そもそも、聖征をするには内海の制海権をサラセンから取り戻さねば何もできない。ドロス島陥落から半世紀、いまでは海都国の東方領土である各港もサラセン海軍の攻撃を受けて失っているとか。
王国はサラセン皇帝と一定の友好関係を持っており、帝国への牽制となっているのだが、教皇庁に絡めとられ内海の戦いに参加することは困難だと言えるだろう。
神国はゼノビアと結び、内海西部を自国の領海のように支配している。ゼノビアに対抗する海軍を建設するには資金も人材も王国には不足している。ニースを優遇し「公爵」待遇で扱っているのも、小規模とはいえ王国の海軍勢力と言える存在を内海に確保できるからだ。
「お時間になりました殿下」
式が始まる。王太子の背後を王太子付きの近衛騎士が、そして、その横に王太子妃ルネとその侍女がついて部屋を出る。ホールの長い廊下の突当りには礼拝堂があり、その扉が開かれ中には婚約式に呼ばれた各国大使ら招待客と国内貴族・教会関係者が並んでいるのが見て取れる。
廊下の両側には使用人たちが並び、二人の入場を礼を持って見守っている。扉が閉まり式が始まれば、使用人たちは急いで次の準備へと移動するのだが。
礼拝堂の前まで進み一度立ち止まる。扉を開ける役割の侍従が中へと合図をすると、大きな声で二人の入場を伝える発声が為される。
「王太子殿下・王太子妃殿下ご入来」
扉がゆっくりと開けられ、参列者が起立する中、王太子夫妻はゆっくりと前に進んでいく。その背後を彼女と伯姪もすまし顔で進んでいく。
『お前の式はいつになるんだろうな』
「さあね。それこそ神のみぞ知るではないかしら」
内心「やかましい」と思いつつ、『魔剣』の嫌味を右から左へと華麗に……あくまでも華麗に聞き流す。イラっとなんてしてないんだからね!! それに、伯姪だって独身仲間だ!! まだ焦るような時間ではない……はず……
とはいえ「実年齢より若く見られるからぁ」と自分を慰めるような女にはなりたくない。なにより、姉が甥姪を連れて煽りに来そうなので避けたい。絶対に避けたい!! 真剣に避けたい。
「リリアル領が安定したらね」
『……何十年後だよ』
「……」
そう。仕事が一段落したらなどと考えると永遠に結婚などできないのだ。周りに決めてもらう方が余程楽であり、見合い上等、いやむしろ最高まである。マッチングしてくれるのだから、手間いらずなのだ。
『魔剣』と脳内会議を行っていると、いつの間にか婚約式は終わっており、王太子妃殿下は一度先ほどの部屋に戻り、衣装替えを行うことになる。
「こうやって、あっという間に歳をとるのよね」
「……何怖ろしいこと言っているのよ」
彼女の独り言に思わず伯姪も言葉を添えるのである。
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着替えを専属侍女の皆様にお願いし、彼女と伯姪はこの後の歓談会?『王の回廊』での懇親会に備える。謁見のような公的な会談ではなく、多くの人間と立ち話のように歓談することで、来賓全員とそれなりに会話する時間を確保するという、社交に重点を置いた式となる。
その分、来客との距離も近く、また、周囲に対する警戒も十分必要となる。魔装ビスチェや手袋など、王太子夫妻は目立たない形で防具に相当する装備を身につけて貰っているのだが、それでも不意を突かれれば何が起こるかわからない。
故に彼女と伯姪が侍女として王太子妃を護ることになる。
王太子は近衛騎士の責任でどうとでもしてもらいたい。実際、王太子は魔装騎士として十分な能力を持っている。また、身につけている剣は豪華で華奢に見えるが魔銀製のそれであり、王太子の魔力量ならば竜でも斬れる(倒せるとは言っていない)ほどの力を有している。
彼女と伯姪の仕事はルネの警護、あるいは問題発生時の対応である。魔力壁を十全に使用できる彼女がルネの身体を守り、伯姪が撃退役を担う分担になる。
その周囲には、使用人に扮したリリアル一期生の騎士組が警戒しており、数十人に囲まれても守り切ることは十分可能だろう。
礼拝堂から二人が退出し着替えの最中、来賓各位は王の回廊へと移動し王太子夫妻を迎える準備をしている。王の回廊に面した庭園にはテーブルと簡単な食事と酒が用意されており、王太子夫妻との歓談が終わったものは三々五々に庭園で飲食をする事ができる。
鯨飲するほど飲ませるのが王家としての振舞なのだが、古臭いと王太子が一蹴。参列者同士が歓談できる場をと考えこの形をとった。
さりげなく食器にはどこぞの商会が扱う、錫製のゴブレットやカトラリーが使われ、また、蒸留酒も提供されるのだろう。副音声で「ニース商会、ニース商会をよろしくお願いします☆」と姉が騒いでいるように彼女には思える。ニース家から王太子夫妻への祝いの一部として提供されている。
合理主義者の王太子殿下からすれば、磨く手間の省ける錫製カトラリーは良い品と判断している。王太子が使えば、王国の貴族・富裕な商人・教会関係者もこぞって利用することになる。王太子御用達のカトラリーと認知されるなら、今回の進物はやすいものなのだろう。
辺境伯三男に過ぎない姉夫妻は来賓ではない。ニース家からはジジマッチョ夫妻が代理として出席している。元々王都在住なのでその方が問題も少ない。ジジマッチョなら護衛の数に入れられるという計算もある。来賓だが。それに、先代聖エゼル海軍提督であるジジマッチョは、神国や教皇庁関係者にたいしても顔が利く。
王太子夫妻が『王の回廊』に姿を見せると、来賓から歓声が上がった。応じるように二人は手を振り左右に視線を向ける。
「王太子殿下、ご婚約おめでとうございます。教皇猊下の代理として……」
教皇使節である枢機卿が最初に挨拶をする。地上における神の代理人である教皇の代理人である枢機卿……名前は知らないが挨拶を受け十人受けする笑顔を向ける王太子。お互いに内心は見せない好意的な関係と周囲に知らしめるための挨拶である。
王国は教皇に対し敬意を捧げ、教会を尊重する。但し、王国内の事は教会に関しても国王に専権がある。だから口を出すな、嫁はいらんと。王太子は目で伝えている。
大変器用な御仁である。
それに続き、神国大使が挨拶をする。神国は国王代理を派遣していない。これは、仲が悪いからというわけではなく、帝国から皇帝代理を派遣しないことに歩を合わせたという建前である。
当たり障りのない挨拶を互いに交わし「レーヌ公女殿下は噂にたがわぬ賢姫とお見受けします」などと公女ルネを品定めする。容姿を褒めないというのは「見た目が不細工だから中身はその分素晴らしいんだろ?」などということではない。神国国王の大叔母と叔母のネデルの宮廷で公女の母親であるレーヌ公妃は育てられている。才色兼備の姫ともっぱらの評判であり、その母に似て公女ルネも多くの帝国大貴族から公妃へと婚姻の打診があった。
今は落ち着きを取り戻したとはいえ宗派騒乱は予断を許さない状況であり、まして王国の王太子妃と帝国の選帝侯の妻では比べるべくもない。レーヌ周辺の皇帝領・司教領が王国側に割譲されていることを考えても、王国と結ぶことに大きなメリットがある。王国と帝国・ネデルの結節点として商業的にも軍事的にも重要な場所がレーヌなのだ。
長身の優男。先日彼女と伯姪が滞在した連合王国からは、女王の名代としてその寵臣とされる『レイア伯』ロブ・リドルが王太子夫妻の前に立つ。
「両殿下にお会いできましたこと、真に……」
などと、良く回る舌で捲し立てている。女王陛下の幼馴染にして投獄仲間。気のある素振りをみせつつ、王配になれば身の危険があると察しさっさと結婚し女王を袖にしたものの、病弱設定の妻を領地に置き去りにし、自分は王宮で寵臣然と振舞う。
行き遅れ三十路女からすれば、そんな男でも側にいれば心強いのか悪い気はしないのか「おきに」として扱う。連合王国の王は直卒の兵を傭兵で賄い、あくまで貴族の率いる軍を統率するという態をとる。女王が親征するわけにもいかないので、その名代としてレイア伯が軍を率いることが少なくない。ランドルやネデルにも若い頃から何度か遠征に参加しており、王国相手に戦争した経験もあるのだ。だが女王陛下の名代だ。
『いけ好かねぇ男だな』
「妃殿下に色目を使うとかありえないことね」
顔でも身分でも君主としての資質でもレイア伯は王太子に何一つ敵わない。そして、年齢は王弟殿下と同世代。完全なオッサンだ。幼馴染補正がなければ、女王陛下も相手にしていない程度の才しかない。と思う。
「では、伯。晩餐会でまた」
「……失礼いたします殿下」
いい年したおっさんが、最近の法国の流行はーと延々話し始めたので王太子は不機嫌さを隠さず話を切り上げた。田舎の女王陛下の宮廷では法国の商人が出入りし、型落ちの流行商品を売りさばくので数年遅れの流行が流れる。
王国では王妃殿下を中心に王都で王国の流行を作る流れとなっており、王都の商会もそれに倣い商品を作っている。絹なら南都周辺の元法国から避難した商人・職人が新しい王国風の品を作っている。
黒がお洒落という風潮が神国と法国で流行らされているが、明るい発色の絹織物を王国では広めようとしている。汚れが目立つので頻繁に買い替える必要があり、どんどん新しい物を着て、古いものは使用人に下げ渡したり、あるいは王都内の古着屋に流していくのだ。
とはいえ、王族の着用した品をそのままというわけにはいかないので、側近の侍女や官吏の妻子などに給与の一部として現物支給するなどを実施している。
リリアルにも王妃殿下から多くの下げ渡し品が来るのだが、正直、冒険者の着る服以外需要がない。王妃殿下のドレスはそのままお蔵入りになっている。そのうち、リリアル領が整備されれば領城で着られるかもしれない。姉が狙っているという話も聞くのだが。
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帝国大使、神国の東端にある『ナバロン王国』の国王代理らとその後挨拶する。帝国大使は暗に「公女殿下は帝国貴族とぉ」等と今さらのことを言っていたので聞き流していたのだが、ナバロン王国の国王代理は若い男性で王子であるという。
「王国は宗派争いは表立ってなさそうですねぇ」
などと、微妙な話をし始める。どうやら、ナバロン王国は元はイエス会の創設者が出る程度に教皇庁寄りの貴族が多かったようなのだが、神国内で弾圧された原神子信徒の商工業者の一部が移り住み、最近、国内で無視できない勢力になりつつあるのだという。
神国を逃げ出した原神子信徒は、ナバロン王国だけでなく、ギュイエ公領の港湾都市、レンヌ公領、ルーン、連合王国、北部ネデルに辿り着き、活動を行っているという。
「小さな国だが、ナバロンも彼らの声を無視できなくなってきてますよ」
むしろ、小さな国であるから数少ない都市に入り込んだ有力な商人が原神子信徒に染まれば、融和的に関わらなければ都市の経済が死んでしまいかねない。
「私も宗旨替えしなければならないかもしれません」
「……なるほど。あまりこうした場所で話さない方が宜しいのでは?」
「これでも一国の王子ですから、大使や国王代理程度は気にしませんよ」
とカラカラと笑って見せる。背後の神国大使や教皇庁の関係者からは剣呑な波動を感じるが、本当に気にしていないのだろう。全く動じた様子はない。
「そういえば、オラン公にもお会いしました。聡明な方です。確か……」
「それはこの場では御内密に」
「はは、失礼しました」
オラン公の公女マリアと末弟エンリは王国に滞在している。マリアはリリアル学院に、エンリは騎士学校を出て今は近衛連隊で小隊長をしているはずだ。恐らく、兄がネデルに戻る際、エンリは同行する為に近衛を辞めるか、近衛騎士としてオラン公の元に向かうのだろう。
腹に一物ある各国の大使や国王代理との会話の中で、ナバロンの王子との会話は駆け引きも無く気楽に話せた。ナバロン王国の南側では神国が越境攻撃をしてくることもあり、先代国王の治世の後半において神国は法国だけでなくランドル、ギュイエ南西部と三方面で王国と戦争をしていた。ナバロンは緩衝地帯として残されている小王国なのだ。が、神国にも王国にも与せず、独自の路線を歩まねばならないことから、原神子信徒の商人を利用し国力を高める判断を下したのだろう。
一通りあいさつが終わり、王太子夫妻が園庭に出ようとしていたところ、俄かに園庭の奥が騒がしくなる。衛兵隊長が数人の部下を連れこちらに向かって早足で近付いてくる。
王太子は衛兵隊長と視線を躱すと、そのまま園庭から王の回廊の先にある『王室塔』一階にある騎士詰所に足を向ける。歩きながら「恐れながら」と衛兵隊長が王太子に告げる。
「園庭前の池に半魚人数体が現れました」
賢者学院でクラーケンと共に相対した『半魚人』が王都に現れたとは……漏れ聴いた彼女と伯姪は使用人に紛れたリリアル生に目配せをした。