第852話 彼女は王妃と式次第を聞く
第852話 彼女は王妃と式次第を聞く
婚約披露は正午:六時課に始まり、その後、九時課(午後三時相当)まで王の回廊にて参賀を受けることになるのだという。
王宮の謁見の間よりは開放的ではあるが、主塔の正面を背にして設えた謁見の場で国王夫妻、王太子夫妻がそれぞれ挨拶を順に受けることになる。先王の趣味全開で作られた『王の回廊』で参列者たち同士も社交を行い、あるいは晩餐に招かれなかった者たちの交流が行われることになる。
回廊は開放式の扉が備わっており、中庭に降りて軽い飲食をする空間が設けられている。長々座り込んで話すことは訝しがられるだろうが、祝賀に訪れた者たちへの心配りとして王太子夫妻が場を設けることを願い出たとか。
「ルネは本当に気配りの素晴らしい姫なのよー」
「真にその通りでございます」
彼女の言葉に同席している伯姪も頷く。赤毛娘もレーヌ行きには同行しており、レーヌ公家の母子は一様に善人であると感じているようで、言葉にできないことがもどかしいようで、顔が大変な賛意で満たされている。王国の騎士に叙せられているのだから、言葉を発しても恐らく不敬にはならないのだろうが、黙っているのは正解だ。
「ふふ、ルネは王太子の足らぬところを良く補う事でしょう」
王妃の言葉に一瞬どうかと思うが、計算高く、親切気でありながらどこか演技っぽさを感じさせる王太子の空気を公女ルネならば馴染ませてくれるのではないかと思わないではない。
「足りていないところには思い至りませんが、ルネ殿下は王太子殿下と
大変お似合いの方と存じます」
「ええ、ええ。娘がもう一人で来たと思えば、とても幸せな事よね」
「はい」
数年後にはレンヌ公太子妃として嫁ぐであろう王女。一人の娘を送り出し、今一人の娘を迎える。やがて孫姫を抱くこともあるだろう。それはそれで、先の楽しみが勝るというもの。王妃は明日の義娘の披露を前にして、常より気分が高揚しているように見て取れる。
「摂政殿下、レーヌ公殿下にはすでにお会いになられたのでしょうか」
「昨晩は王宮で晩餐を共にして、家族三人で同じ寝室で寝ていただいたのよ。広い寝室が用意できて良かったわー」
幼くして先代レーヌ公を失った若きレーヌ公からすれば、支えてくれていた姉が王国の王太子妃としてこの地に留まることは心寂しい事だろう。しかし、姉が王太子妃、未来の王妃となり、その子が次期国王となる事でレーヌ公国は王家と真に血の繋がる公家となる。帝国との係争の地であるレーヌにとって領地を安定させるには将来を考えれば一時の感傷などに囚われるわけにもいかない。
とはいえ、母と娘、姉と弟という家族が離れ離れになる前に、一時の時間を過ごす機会を設けられたのは、王国側の配慮と言っても良いだろう。恐らく、今日、レーヌ公家一家は寝不足のはずだ。
「警備の状況も改善されていると聞いています。アリーの眼から見てどうですか」
何も無ければよいのだが、何かあってから後悔するのは宜しくない。騎士団も近衛も臨時に衛士を派遣し、手数目の数を増やしている。が、見習と現役を引退したものが多数を占める為、戦力としては数が揃っているとは言い難い。それを率直に言うことは彼女には憚られる。
「数は力と申しますので、安心感は増していると思います」
「ふふ、本当にそう思っているわけではないのよねー」
言い辛い事を聞いてくる王妃。顔は若干にやけているのだが、これはいつものことである。
「竜でも出なければ問題ありません」
「竜が出たならばどうするのですか」
「その時は、この主塔に王族の方は立て籠もっていただき、私たちが盾となって魔物を討伐します」
大型の魔物討伐の経験のない騎士や魔術師、あるいは衛兵に対応できるはずがない。その時は、リリアル勢が前面に立ち討伐することになる。また、その準備も進めてきた。新式魔装銃もその一つだ。
「そう。齧り付きでその窓から拝見させてもらおうかしら」
「お望みとあれば」
王妃は続いて晩餐のメニューや用意されたお酒などについて確認し始める。
各国の大使や王家の代理人をもてなす為に、各国の選りすぐりの酒を用意させているという。商業の中心は今やネデルに移っているとはいうものの、あくまでもそれは仲買所としての役割り。勿論、富裕な商人・貴族も多いのだが、大国である王国にはその買い手としての伝手・コネ・積み重ねた歴史もある。
「カトラリーは用意できているのですね」
「はい。銀器で揃えております」
婚約披露を取り仕切る王宮の官吏が答える。王家の紋章を施したカトラリー一式をこの晩餐の為に新たに注文したのだとか。国王夫妻から王太子夫妻への贈り物となっているのだという。
王太子主催の晩餐会あるいは、王太子妃主催の晩餐会において整えられたカトラリーが今後用いられ、会の格が高まる事だろう。
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思い出したかのように王太子は不意に現れ、彼女は足を止めて話を聞くことになる。どうやら、来賓に関しての注意事項があるのだという。そういうことは、まとめて書面でお願いしたいのだが、書面ではまずいこともある。
参列者は各国の王国駐在大使。神国と連合王国からは特使が来る予定だ。また、教皇庁の場合、駐在大使は『教皇使節』と称する高位の聖職者。王国出身ではなく当然法国の貴族出身の司教クラス。そして、恐らくは枢機卿が教皇代理として来ることになるだろう。
これは祝いを述べるという建前での訪問だが、実際は異なる。神国はネデルで原神子信徒と内戦中であり、帝国においては現在、原神子信徒の諸侯が教皇庁から離れ、また潜在的に皇帝と対立している。
当然だが、連合王国は教皇庁から離れて久しく、また山国は原神子信徒の中で異端視されるカルビ派・厳信徒が多く、帝国のルテル派と異なり教皇庁と対立していると言える。
その中で、王国内にも厳信徒は増えており、世界の半分を失った教皇庁としては王国を繋ぎ止め神国と共に藩屏としたいのである。
反面、長い時間をかけて王国は国内の教会は国王を戴き、教皇はあくまで象徴という形をとってきている。帝国皇帝は、アルマン王として教皇に叙されることが前提だが、王国はそのような縛りはない。また、神国のように神の尖兵であるとも考えていない。
「ほどほどに相手をして貰いたい」
「はぁ」
王太子から言い含められたのは、彼女に教皇庁の関係者が接触して来る可能性を考え、教皇庁側に絡めとられることのないよう釘をさしてきたのだ。
「女性は修道女にならなければ教皇庁との関わりはありませんが」
「そうだ。女性は修道女にはなれても司祭・司教といった高位の聖職者にはなれない。だが、リリアルを聖騎士団として教皇が公式に認めれば話は変わる」
聖征の時代において、聖騎士団は教皇からその存在を認められると修道院と同様に扱われる。すなわち、その地を治める俗人領主から干渉されなくなるのだ。独自の租税を掛けられたり、動員など受けることがなくなる。
各領地が小さく独立している時代で、自給自足しているのであればそれで問題がなかった。森の中に村や町が点在し、その中で教会を中心に生活が営まれていた時代。修道院は独自に小作人や職人を有しており、独立した領地として自給自足していたこともある。騎士を中心に支部を各地に構え武装修道院として活動していたのが本来の聖騎士団と言えるだろう。
「リリアル領は独自に活動できるほどの経済力はありません」
人もまばらなワスティンを開拓するのには一世代では収まらないだろう。二世代三世代はかかるだろう。その間、彼女が出資者となり開拓村を育てていかねばならない。聖騎士団などにされたら、それもおぼつかなくなる。そもそも、寄進や寄付を募れる聖征の時代ではないのだ。
加えて、聖騎士団は教皇以外、従う者を持たない。国王や高位貴族とも対等に騎士団総長は振舞うことができる。王都と王家と王国のために活動することを是とする彼女と、その精神を受けて育まれているリリアル生からすれば、聖騎士の在り方は許容できるものではない。
教会の孤児院に育てて貰った恩はあるが、その教会は王都民の寄付や王家の篤志で維持されたものであり、教皇は直接的には関係ないのだ。
「副伯らはルネ付きとして終始、付き従ってもらうから接点はないだろうが、もしかすると、リリアル領に直接あらわれるやもしれぬ。その時は……」
王太子の心配は無用である。
「大体、領城にはおりません。いたとしても居留守を使います」
「であるか」
分厚い派手な衣装をまとった偉ぶった聖職者など、彼女は会うつもりもなければ時間を取る気もない。神は信じているが、聖職者を信じているほどめでたくはないのだ。原神子信徒の気持ちは理解できるが、それを態度にだすほど、王家も彼女も愚かではない。
王国内には、教皇庁の後ろ盾を持ち、また、教皇庁に従う事で権威を高めようとしている高位貴族や対外勢力と結びついた存在も少なくない。
恐らく、オラン公との繋がりや連合王国女王との関わりで揚げ足を取ろうとする者もいるだろう。
「上手くやります」
「ああ、姉君をみならってそうしてくれ」
あの姉は、王太子殿下からもそう認識されているようだ。姉は、王都で増えつつある原神子信徒ともそれなりに上手くやっている。自身の夫は聖騎士団の海軍提督であるにもかかわらず。
何事も、本音と建て前はしっかり存在する。
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迎賓館から戻り、皆で明日の最終確認をしつつ王都城塞の食堂で夕食をとる。この場にいないのは見張当番のリリアル生だけ。主だったメンバーは揃っている。
「大変そうですぅ」
「もう帰りたいですわぁ」
「始まってしまえばあっという間よ。どうせ裏方だし、何事も無ければね」
「「「「……」」」」
碧目金髪と赤毛のルミリのボヤキに伯姪がコメントすると、周囲の人間が無言になった。
「副院長、そういうの」
「フラグって言うんだよ」
「何もない」
「わけがない」
「「「「「ねー」」」」」
一期生達を筆頭に、リリアル生が声を揃えて反論した。
「そうね。何もないと思って油断するよりは、遥かにましだと思うは」
「院長先生……やっぱり……」
「なんか起こるんですね!!」
そういうことではない。近衛騎士も衛士隊も、あるいは騎士団や近衛連隊も今回の式典に関しては十分準備をしてきている。
何かあったとしても、彼らで十分対応できるであろうし、リリアルはそもそも予備の予備のそのまた予備程度である。手数が足らないとき、王太子と王太子妃を護る為の最終ラインといった位置づけだ。
そもそも、王太子自身は相応の魔力を持ち騎士としてもかなりの実力者。ルネとレーヌ母子はその辺り不安だが、護るべき優先は王太子妃ルネが彼女と伯姪の担当である。侍女だし。
「王都城塞からしっかり周辺を監視して、何かあったら知らせるだけの簡単な仕事よ!!」
伯姪がお気楽に聞こえるように言葉にするが、フリじゃないからなとばかりに即否定される。
「絶対それだけじゃない」
「王都の中心で突然何か起こるとか想像しにくいでしょ?」
「何が起こってもおかしくないですわぁ。巨大な蛸が現れたり、賊に襲われたりするのですわぁ」
心当たりしかないリリアル一期生。遠征に行けば、何度も襲われるのは日常である。王都だから大丈夫!! とは考えにくい。
「日ごろの成果を見せればよいのよ」
「そうそう、小鬼や喰死鬼は現れないと思うわよ」
目と鼻の先の王太子宮にはアンデッドが沢山潜んでいたわけで、何の根拠もない伯姪の発言。一期生は微妙な顔、二期生三期生は「そうなんだ」
と明るい顔になる。知らないって幸せなんです!!
彼女は仮の自室で就寝の準備をする。明日の主体者は王太子夫妻であり、王宮が中心となった式である。彼女たちはあくまでも侍女兼護衛役と下働き兼荒事担当に過ぎない。
考えすぎてもろくなことはないと、自分自身を納得させ思考を打ち切るとドアがノックされた。入室の許可を与えるとは言ってきたのは伯姪であった。
「ねぇ、昼間王太子殿下に何か話されていたけど、なんだったの?」
「教皇使節に関しての注意事項よ」
彼女は伯姪に、王太子と話した内容を伝える。伯姪は呵々と笑い「ありえない」と伝える。
「あなたの家は王家と王都を護ることを存在意義にしてきたわけじゃない?教皇庁なんて何も関係ないわよね」
伯姪は、ニースが聖エゼル海軍を預かっていることから、教皇庁と相応の関係があるとはいうものの、それは非常に薄いものだから、影響は無いに等しいと伝える。
「そうなの」
「ええ。そもそも、ニースがゼノビアと対峙する為の保険のようなものよ」
聖エゼル騎士団はサボア公家出身の教皇が設立した聖騎士団であり、その為サボア公が引き取ることになったのだが、聖征の時代はすでに遠く、実質休眠状態にせざるを得なかった。海のないサボアはニースに聖騎士団の海軍拠点を設けていたのだが、聖騎士団海軍を当時のニース公家が譲り受け維持し今日に至っている。
「聖騎士団の海軍を有するニース船団を法国のゼノビアが攻撃するのは問題になるじゃない?」
ゼノビアの船団だけでなく、サラセン海賊からニース船団を護るための海軍力として聖エゼル海軍は周辺の国からも支援を受け、またマレス島聖騎士団とも協力し内海西部で制海権を維持する努力をしている。
「ニース単独で維持するより、大きな海軍力を寄付金で維持できるってわけ」
実利で聖騎士団海軍を維持するニース。リリアルには教皇庁と繋がるメリットよりデメリットが遥に勝る。何かあったら姉に丸投げしようと彼女は強く思うのである。