第851話 彼女は王妃と迎賓館で会う
第851話 彼女は王妃と迎賓館で会う
彼女は報告書を茶目栗毛に渡し、王太子宮へと向かわせた。
「お疲れ様。一度学院に戻って待機してちょうだい」
「わかった。ゆっくりしておく」
「ええ。また足を運んでもらう事になるのだから、体調を整えていて」
メリッサは学院へと戻っていく。見た目は淑女に仕上げることは難しく無いのだが、中身は山野に暮らす野生児メリッサ。今回の婚約披露においてメリッサと魔熊の出番は……多分ない。振りじゃないからね!!
学院に残っている二期生と三期生には、薬草採取と傷薬の作成を言づける。ポーションを作れるメンバーのうち学院に残っているのは黒目黒髪とあと歩人。黒目黒髪は「事務仕事から解放された、私は自由だぁ!!」と心を解き放っている可能性もあるが、終日ポーション作成が言い渡された。彼女に次いで魔力量の多い黒目黒髪なので、魔力切れの心配もない。
薬草畑に撒く魔力水の量は、踊る草のお陰もあり以前ほどリリアル生の魔力水を撒く必要もなくなっているので、朝から晩まで、その魔力の尽きるまでポーション作りに専念してもらおう。
暫くして戻ってきた茶目栗毛は王太子からの返答を口頭で受けていた。
「改めて書面にするそうですが、食料の用意は数日中にしておくので王太子宮に取りに来るようにとのことです」
「そう、ありがとう」
王太子宮には王都内の治安維持と王族を護るため、近衛連隊に属する一個中隊四百人が駐屯している。その為、糧秣を確保する倉庫や非常時に使用する集積所のスペースも確保されている。そこに、小麦20tを用意しておくと言う事だ。
「樽換算で……」
「200個強かしらね」
小麦一樽が凡そ100kg相当。それより若干少ないだろうか。中型の商船なら一隻分ほど。リリアルの二番艦 18m級魔導ホイス船『聖フローチェ』号なら余裕をもって積載できるだろうか。二頭の引く大型荷馬車なら二十台分ほどか。大型四輪荷馬車は近衛連隊と取引のある商会から貸し出しが可能であるとのことだが。
「入るわね」
「入るのね」
魔導外輪船が収まるほどの容量のある彼女の魔法袋にならば、二百樽は問題なく収まる。小型の魔法袋に出先で分けたとしても、荷馬車一台分程度は収納できるので、わざわざ時間も手間もかかり、尚且つ目立つ荷馬車を用いる必要はない。リリアル生の冒険者組に魔法袋を持たせ輸送させる方が良いということになる。
ド・レミ村で新たに魔法袋を手に入れることができたので、このようなことも可能となる。魔法袋自体、『秘宝』扱いであり、今回分かったように、『得夫』の精霊魔術=魔法により作られるものであったのだから、魔力持ちが誰でも持つことができるというわけではない。
また、魔力を常に持ち主から吸収し続けることでその能力を発揮する
魔導具であることから、戦闘時に魔力を大量に消費する前提の魔騎士や
魔術師にとって扱い難い道具だと見なされている。
魔力量が多ければ、優秀な騎士・魔術師となれるため、魔法袋の管理人のような役割を好んで務める者はいない。貴族家の当主のように、魔力量に恵まれるものの、騎士・魔術師のような魔力の行使をしない場合においては、家宝や自身に武具、あるいは戦時において糧秣の一部を入れ補給のために活用する者もいるが、大容量には見合った魔力消費が必要となるので、許容できる範囲となれば、精々百人分を数日程度となるだろう。馬の秣や大量に飲む水の確保など、騎士の乗馬は兵士以上に大量の糧秣が必要となるのだから。
『趣味が魔力を増やすことの意味があったな』
「元手が掛からない趣味なのだから、とやかく言われる謂れは無いわ」
そういう『魔剣』も、生身の人間の頃は同じ趣味の持ち主であったのだから、何をか言わんやである。
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明日の婚約披露を前にして、リリアル勢のうち式に参加する者は迎賓館に足を踏み入れていた。
薬師組、二期生サボア組は使用人として裏に回り、彼女と伯姪、冒険者組は表で侍従・侍女として式の場に立ち会う事になる。その為、事前に王太子経由で話を通しているのであるが、前日の準備の段階から、使用人も侍従・侍女役も仕事に就くことになるのである。
「何かあれば、リリを呼んで頂戴。リリを通して、報告できるようになっているのだから」
『まかせてー』
風の妖精『リリ』と視覚聴覚同調のできる彼女であるが、一方的な報告だけなら受け取ることができる。また、リリを介しての簡単な指示を行う事も可能となる。問題は、リリが細かなことを自分の言葉として伝えることができるかどうかということ。妖精には人間の言葉難しいね。リリの知能は三四歳の幼児並みだからだ。
使用人の衣服を身に纏うものの、その袖や腕にはリリアルの紋章が施され、どこに属する者か、何のために配置されているのかは責任者には周知されている。全員に知らせることで情報漏洩の危険への対応なのだが、言い換えるなら新人メイドや新人侍女だと思って、いじめやいじりが為される可能性がないではない。
侍従・侍女のリリアル生はほぼ王国の『騎士』に任ぜられている者なのでその辺り、どうとでもなるだろうが、使用人枠で入っている者たちはそれなりに当たりがきついかもしれない。等と彼女が考えていると……
「大丈夫ですよ院長先生。サボアの館でもそういうのありましたけど、出身地が同じ人が揃っていれば、簡単にいじめられたりしないんです。派閥というか徒党がある場合、護られていると自他ともに認識するので安全なんです」
サボアの洗濯娘であった『茶目灰髪』ことターニャが説明する。横で野菜洗いであった灰目黒髪『セイ』も同意するように頷く。
リリアルの紋章入りの服を着た七人が同時に配置されるという事は、経験の長いものにとっては説明せずとも理解でき、また、理解できないものに釘をさす程度のことは配慮するという事なのだろう。
「ま、いざとなったら、ガツンとやってやりますよ」
「怪我させたらだめよ。その手前までなら、痛い目合わせてあげてもいいわ」
ポーションあるから問題ないという武闘派伯姪の言葉に、背後で赤毛娘が「なんかあったらすぐ呼んで!! 飛んでく!!」と胡乱なことを宣っている。抑え役の黒目黒髪が不在のため、気持ち良く吹かしているのである。
使用人、侍女侍従組と別れ、彼女と伯姪は客室に通されている。これは、明日の婚約披露・晩餐会の後に泊る部屋でもある。
「いい部屋です!!」
「……私たちはそこの従卒の部屋ですわぁ」
「わっかってるぅ」
赤毛娘とルミリは彼女たちの小間使役なので同道している。二人は未だ十二歳、明らかに子供に見えるため、侍女侍従には見えないからだ。侍女見習といった立場になるだろうか。
副伯と紋章騎士が二人一部屋というのはおかしなことに思えるが、領主と護衛騎士と考えればそうおかしくもない。
「取りあえず、中を一通り見回ってくるわ。使用人通路の場所なんかも、今でないと確認できないからね」
「あ、お供します!!」
綺麗な部屋見学にも飽きた赤毛娘を連れ、伯姪は部屋を出ていく。
「お茶を淹れますね」
「ありがとう。貴女も一緒に飲みましょう」
こののち、明日の式進行を宮中伯の配下の官吏から説明を受けることになっている。それまでの間、伯姪は内見に、彼女はお茶を飲んで寛ぐことにしたのである。
「王都城塞は預けて大丈夫なのか、心配ではありませんの?」
ルミリの言葉に彼女は「心配ないわ」と答える。王都城塞は跳ね橋を
上げてしまい、出入りを婚約披露の翌日まで止めてしまっている。その上で、
三期生年長組と、二期生の居残り組には今まで通り三交代で臨時組と
周辺警戒を継続するように命じてある。
侵入されなければどうということもなく、また、主力が迎賓館にいる時点で中で何か起こったとしても封じ込めてくれていれば良いのである。なので、あとは当番のリリアル生の判断で対応するよう言い含めてきた。戦力を迎賓館以外に振り向ける理由がないのだから、思案するだけ無駄でもある。
迎賓館本館は古い王都の城塞を元にしており、主塔の部分は王族の居室に割り当てられているので、襲撃に対しても十分対応できるだろう。
彼女の感心は既に婚約披露ではなく、デルタの民=未来の領民の救済と取り込みに移行している。小麦樽とポーション、鉄の農具で横っ面をひっぱたきリリアル領の民にするのである。開拓村にやってくる代官村の移民が百人ほどであり、それ以外にはリリアル生だけが領民の現在の状況から、一気に三千人領民が増える。
「林檎ってどのくらい成長すれば実が獲れるのかしらね」
「シードル作りたいのですわねぇ」
「羅馬牧場も建設して……」
「農耕になら牛ですわ。乳も取れますし」
「バターにチーズね」
兎や鶏も育てて増やさねばならない。鉄製の農具を与え、生産性が向上すれば養鶏や牧畜にも手が回る。夢は広がるのだ。先ずは領民の数を揃えねばならない。
他領から人を募れば問題があるし、孤児ばかりでは農村を回すノウハウがない。同世代ばかりでは経験値が足らない。デルタの民が村ごと移住してくれれば、その問題は解決する。
王太子領の一部となれば、デルタの民の扱いに困るのは目に見えている。王家の代官たちでは、税をとり適切な裁判を行う事は出来たとしても、異民族と接する権限は与えられていないだろう。古い時代の辺境伯の持つ王権の大きな部分の一部委譲が必要となる。
彼女には腹案がある。リリアル領においてデルタの民は『原神子信徒』ということにして、独自の教会・礼拝を認めることにするのだ。既に王都においては、豪商やギルド幹部を務めるような職人らを中心に原神子信徒が増えており、独自の教会も許容している。大多数は教皇庁・司教区に属する教会に属しているのだが、それは御神子教徒の教会である。
正直、聖典が読めない階層に「聖典」だけに基づく信仰心を持たせるのは不可能なのだから、下層民や農民に広まるわけはない。帝国では酒場などで文字の読めるものが聖典から抜粋した内容を説教師が解説した『ビラ』を文字が読めるものが読み上げ、盛んに話をするのだそうだが、教皇庁や教会組織に対する敵愾心を扶植することを望む者の策謀の一つなのではないかと思わないではない。要は反教皇庁の勢力に踊らされているのだ。
王国内ではやんわりとその辺り、牽制しており、信仰するのは自由だが、それを根拠に他者を攻撃したり教皇庁や教会組織を攻撃する者は『反逆者』として武力を持って討伐することを宣言している。
王家と騎士団・近衛連隊が健在である限り、容易に原神子信徒による暴動や破壊行為を容認させることはないのだ。この状況を逆手にとってデルタの民を実質保護するのだ。
王領では徹底できなくともリリアル領でならば彼女の裁量でどうとでもなる。まして、先住民三千人であれば、後から来る開拓移民に対して強く抵抗することもできるだろう。鉄製の農具は禁じていないし、彼らの身体強化能力は大きい。『屯田兵』として有事の際は、数百人の『義勇領兵』として参戦してくれるだろう。
王国の農民に魔力持ちはほぼいない。いれば、村には残らず貴族の家に仕えるか冒険者になる。そういった者が基盤の『領軍』の兵士を前提とするならば、『デルタ民兵』は第二のリリアル学院と言っても良いだろう。
力のある者が領内にいるという事は、当然治安も良くなる。シャンパーやブルグント、あるいは王領やギュイエ領よりもである。質の良い人が集まれば人口に比して経済力も改善される。周辺の領を繋ぐ要衝の一つにもなれば、様々な産品を四方に送り、また受け入れることもできるだろう。魔導舟を用いた物流産業も運河の開通で王都と旧都が水運で直接つながり、大いに商機を得ることになる。運河はリリアル領の領境を通っているのである。
さっさと婚約披露を終わらせ、ヌーベへと向かいたいのだ。
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「王妃様がお呼びでございます」
王妃の侍女が彼女の部屋を訪れたのは予定では官吏から明日の式次第の説明を受ける時間。どうやら、王妃殿下と共に明日の式次第の説明を受けることに急遽変更されたようだ。
「王妃様は既にこちらに御滞在なのでしょうか」
「はい。王家の塔にてお待ちです」
王家の塔とは、迎賓館の元になっている城塞の主塔の名称であり、国王の一角、王妃の一角、が設けられている。他の王族は増築された城館の一角に居室が誂えられているのだが、『主塔』は現在の王宮が整えられる以前の国王の住まいであった場所である。
とはいえ、それは『尊厳王』の時代の城塞が元であり、建物自体は手入れされているものの作りは古い。
彼女は城塞の中にどのように居室を整えているのかと興味を覚える。ブレリアの領都城塞内の居室づくりの参考になればと考えたからだ。
二階の彼女の客室から一度一階へと降りる。王妃の部屋は主塔の二階だが、増築された客室棟と主塔は隔離されている。外から見れば一つの城塞に見えるのだが、主塔は独立した要塞なのだ。
一階の騎士の詰所を通り二階へと階段で上がる。この城塞は、独立した食糧庫・台所・風呂トイレ付の城塞であり、水源も確保されていることから、入口を閉鎖しても一カ月程度籠城することが可能であると聞く。
「こちらでございます」
扉で区切られることはないが、壁で仕切られた空間が王妃の居室であるようだ。その奥には見えない位置に入口があり寝室へと繋がる。
「ようこそ王妃の部屋へ。歓迎します」
「王妃様、明日の婚約披露、誠におめでとうございます」
彼女の声に倣って伯姪と二人の侍女が頭を下げる。既に女王陛下との対面の経験があるルミリは多少緊張が隠せていないが、赤毛娘は彼女の祖母と接する程度の感じがする。赤毛娘、肝が据わっとる。
「お客様のお出迎えの準備は順調かしらー」
「はい。リリアルの戦力は、迎賓館の警備と王都城塞に配置しております。竜が襲ってきたとしても討伐してご覧に入れます」
「あら、そういうの、フラグが立つというのではないかしらー」
王妃は不敵に微笑むと、「明日は楽しみね」と彼女に告げるのである。