第850話 彼女は『魔熊使い』の報告を聞く
第850話 彼女は『魔熊使い』の報告を聞く
「せいやぁ!!」
「「「「せいやぁ!!」」」」
リリアルの騎士二人に叩きのめされ、あるいはヴォージェの用い方を青髪ペアに教えられ、臨時組は中庭で操練に熱がこもる。交代前の時間、体をしゃっきりさせる為にも、小一時間ほどの鍛錬が良いようだ。
伯姪の顔見世立ち合いは、ドロワのカウンターを小楯のクロスカウンターで撃破と言う結果であった。盾で跳ね上げたまま懐に飛び込んでボディ一発でKOしたのである。
ヴォージェは『巡回担当』の者が持って回ることになった。伝令筒よろしく、城塞の監視中、巡回する二人はヴォージェを受け取り、次の順番の者にそのヴォージェを受け渡す。門衛などはヴォージェやベク・ド・コルバンを装備しているので、それも悪い事ではない。
突き刺し、叩き、引っ掛けるのであれば、ベク・ド・コルバンの方が有用なのであろうが、市内の警邏に全身甲冑の対応を必要とすることはまずない。あんなものは、装備して三十分も動き回れば体力も魔力も無くなってしまう。
「領兵の鍛錬に関しても、検討しなければね」
「そうね。ニース騎士団の教練内容を元にすればいいんじゃない?」
彼女は無言をもって答える。それはやり過ぎではないかと。ジジマッチョが検討した「マッスル・オブ・パワー」なカリキュラムである。領兵にはそれほど筋肉を求めているわけではない。
「領兵、領城や領都の警備にはあの子たちを採用しても良いかもしれないわね」
「ええ。中等孤児院に定期的に王都城塞の非常勤警備の依頼を出して、訓練と試用の両方で見るように提案しようかと思うの」
騎士団も近衛連隊も、あるいは他の貴族家に仕える私兵に加えるにしても、主な採用は実績のある冒険者や傭兵であるか、あるいは『縁故』である。前者は高くつくものであり、後者は実力的に不透明となる。
望ましいのは、経験ある冒険者に指揮官を委ね、その下に安価な若い兵士をつけることだろう。とはいえ、領地にいる若者は生産力・経済力の源泉であり、兵士になる者が多ければその分低下しかねない。孤児や仕事の無い若者をゼロから鍛えることも難しい。冒険者や傭兵に兵を育てる経験は乏しいからだ。
冒険者は『実力主義』と言えば聞こえがいいが、生き残った者が強いというだけの話であり、駈出しの者のうち少なくない数が怪我を負い引退する、あるいはそれが元で死ぬこともある。良い装備には金が掛かり、それを惜しめば命を失う。
また、傭兵の幹部は騎士・貴族の子弟であり、相応の教育を受けているが、その配下の兵士の多くは必要な時に応募した元見習職人や小作人であり、中には子供や女性、あるいは老人も含まれている。戦えるか否かより、依頼主が指定する人数と武具の数が重要であり、戦力は二の次だと考える傭兵団長・隊長も少なくないのだ。
どちらも、兵を養う・育成するということは得意ではない。中等孤児院の兵士希望者には、簡単な読み書き計算ができ、兵士としての教育も施されていることから、傭兵であれば下士官程度の能力が持てるよう教育されている。
読み書き計算ができるということでるから、商人の専属護衛のような仕事に就くこともできるだろう。
中等孤児院生は、王都の孤児の中でも『選ばれし者』であるのだ。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
彼女が王都城塞の執務室で書類仕事をしていると、黒目黒髪と入れ替わりで学院から茶目栗毛が王都城塞に到着したと知らせが来た。
「先生、ただいま到着しました」
「婚約披露までこちらに詰めてもらう事になるでしょう。当日は侍従として会場での警備をお願いすることになるから、その辺り心掛けてちょうだい」
「承知しました。それと……」
茶目栗毛は『メリッサ』がヌーベ領から戻ったことを伝え、城塞に報告のため同行してもらったと報告する。
「そう。では、場所を変えましょう」
王都城塞の執務室は狭く、面談する場所がない。故に、応接室へと場所を移すことにした。
「あなたも一緒に聞いてほしいのだけれど」
「勿論よ。私、気になります……だからね」
遠征を楽しみにしている伯姪は、メリッサの報告に興味津々のようだ。
「お帰りなさい」
「……ただいま」
メリッサは相棒の魔熊をリリアルに置き、単身王都にやってきた。子熊サイズに変化できるのであるが、騎乗で王都を訪問するには少々勝手が悪いと考えたからだろうか。
当たり前のような挨拶だが、メリッサには少々感慨深かったように見てとれる。
「それで、村はどうだったのかしら」
「ん」
メリッサが村を訪問すると、畏敬の念を持って迎えられささやかではあるが歓迎の宴が催されたのだという。その場には、訪問する村以外のヌーベ領南部にある村の代表・代理人たちが顔を見せていたのだという。
『様子を見に来たってことだな』
『魔剣』の推測に内心彼女も同意する。『猫』が訪問した時点で、同胞の苦境を知っている村のデルタ人たちが、使いを出し知らせたのだろう。そして、現れたのがメリッサであったことで信用度が増したようである。『猫』だけであれば、『使い魔』と見做され信用されるほどではなかったかもしれない。
「同じような村が五倍くらいある」
「十五カ村ね」
推定三千人ほど入るのは予想通り。その全員を今の村で保護することは事実上不可能。故に、ワスティンの森の中にある開拓村の予定地などに一時避難してもらう予定であることを伝える。
「森の中で野宿」
「いいえ。仮設の建物は作るつもり。土魔術で床と壁を作って、屋根は簡単なものを葺いてもらおうと思うの」
イメージは屋根なしの修練場の建物。屋根は自分たちで葺いてもらおうと彼女は考えている。
「戦場になりかねないし、ヌーベ領の戦力に動員されても困るのよ。だから、リリアル領で保護したいの」
「……村を捨てさせるのは難しいと思う」
「それは……そうね」
同席している伯姪や茶目栗毛、赤毛娘もその点には異論を挟めない。碌な農具もなく、人力で開墾し代々農地を広げてきた民たちにとって、村を捨てることは自死を選ぶことに等しい。飢えて死ぬか、村を捨て野垂れ死ぬかどちらか選べと言われれば、生まれ育った村で死にたいと思うのは自然であろう。
そして、村で発言権を有するのは老人・古老たちであり、若者や子供にとっての未来と老人のそれでは意味が全く異なる。かといって、若者や子供たちだけリリアル領に引っ越すということは難しい。親や祖父母を捨て新天地へと言うわけにはいかない。のちのち厄介な葛藤を生む事になるだろう。
「話をして欲しい」
「私が直接ね」
「ん」
新領主となる彼女が、デルタの民の前で公に約束するということは、メリッサが代理で訪問するのとは与える印象が大きく異なる。
「先生」
茶目栗毛が口を開く。
「碌な農具も与えずに開墾や耕作をさせていたのですよね? ならば、こちらから訪問する際に、農具や生活用具となる鉄製の斧などいくつか見本として、あるいは土産としてお渡しするのはどうでしょう」
「それはいいわね。約束が嘘ではないことを示せるじゃない」
「斧は鈍器」
伯姪が同意し、赤毛娘は……思ったことを口にしただけか。ドンキスキーにはこまったもんである。
「手斧は幾らか用意しているの。生活道具と武器にもなるでしょう?」
「良いと思う。開墾にも斧は必要」
木を切り倒し、根を断つのに斧は必要である。あるいは、屋根を葺くのにも斧は使われるだろう。そうした具体的に新生活の提案と、それを実現できる道具を前渡しすることで信用を得る。百の言葉より一つの事実が必要なのだ。
「今回の婚約披露の後、私が向かう事で良いかしら」
「ん。食料とポーションも五倍必要」
「……手配しましょう」
ポーションに関しては現在の備蓄をデルタの民に与え、遠征までに新たに作り込めば問題なく提供できるだろう。反対に、三千人分の小麦を用意することはリリアルにとって難しい。領地も無く、必要な分だけ購入しているだけであり、リリアル生の必要な分はせいぜい五十人分である。回す余地はない。
「王家に備蓄を譲ってもらえるように働きかければいいんじゃない?」
「王太子殿下に御相談ね。軍用の糧秣の手配が進んでいるでしょうから、そこから三千人分の小麦を譲ってもらう必要がありそうね」
一日一人の小麦の使用量を250gとしても、三十日分で20tを越える。魔法袋に入れるとしても、相当の容量が必要となるだろう。彼女の魔法袋に入れ、出先で小分けにして、村ごとに配る必要があるかも知れない。
彼女はメリッサに、ヌーベ領内の状況についてさらに詳しく聞くことにする。
「街の状況は目にする事が出来たかしら」
「中に入ることはできなかった」
領境を閉ざしていることから、人の移動・交流も無いに等しい。街の出入りも制限されており、住民が街壁外の農地などに足を向ける以外の出入りは見られていないのだという。
また、デルタ人曰く、街の住民はある事情で生かされているだけなのだそうだ。
「生かされている事情……まさか……」
「吸血鬼の餌。それを生むための親」
吸血鬼の支配が推測されていたヌーベ領だが、住民の中に潜んでいるのではなく、領主あるいはその配下の騎士貴族層が吸血鬼で構成されており、それらの『餌』として住民が生かされているというのだろう。
「それだけじゃない。街の守備兵は……アンデッド」
「えええっ!!」
「夜でも安心」
「まあ、寝ないからね」
赤毛娘が派手に驚き、赤目銀髪と伯姪が思いついたことを口にする。
「ミイラ兵」
内海東岸で作られていたとされる『ミイラ』に似た不死の魔物であり、『屍鬼兵』と称するのだという。
「結構強いし、人間の武器をそのまま使える」
「素材が人間ですから」
灰目藍髪がなるほどと頷く。メリッサも軽く仕掛けて見たようなのだ。その動きは不死者としては生身の人間に近い動きであり、ミアンに大量に現れたスケルトンの軍勢の中において存在したアンデット・ソルジャーに近い能力に彼女は思えた。
「死霊が憑りついて動かしている。魔法生物の一種」
吸血鬼の魔術師が使役しているようであり、喰死鬼と比べ生身の人間に対する攻撃性が抑えられており、その分、命令に従順なのだそうだ。また、喰死鬼は太陽の元での活動が不得手だが、屍鬼兵は問題なく活動できる。
「二十四時間戦える」
「不眠不休で戦え、従順で食事も不要。並の兵士より強力なら、守備兵としては籠城に最適ね」
籠城側の問題は、長期になれば食糧や水が不足すること。また、絶えず攻撃される事で精神も肉体も疲労する結果、力尽きてしまう。その問題を屍鬼兵はクリアしてしまっているのだ。王国軍の攻城部隊にとって、大いに問題となるだろう。
「数はどの程度か調べられているの?」
「千二百くらい。百人隊が十二」
メリッサの知見とデルタの民の情報を擦り合わせると、街壁のある都市の守備隊に百人隊の屍鬼兵が充てられ、ヌーベ公都には中隊規模・四百の戦力が置かれているのだという。
「移動しないので、街ごとに始末すれば問題ない」
「……始末するのが問題じゃないの」
「そうとも言う」
百人の守備隊とはいえ、交代不要、治療不要、食料水不要と兵士の戦力を削る要素が全くない部隊であるから、数倍の戦力に相当するだろう。立て籠もられればかなりの戦力を投入しなければ落とせないことは明白だ。
「まず、王太子殿下と遠征軍司令部に報告ね」
「吸血鬼の数はわかりそう?」
「不明。けど、領主一族は吸血鬼化していて、その取巻きも吸血鬼」
貴族の領主一族が皆吸血鬼であり、側近もそうであるとするなら、百体程度は吸血鬼が存在するのかもしれない。領民が数万人いるとするのであれば、その程度の数は養えるのだろう。
若い頃に子供をどんどん生ませ、魔力持ちの子供は吸血鬼の餌。そして、ある程度壮年に差し掛かった男は、『屍鬼兵』の素材として使われる。女性の場合、出産の中で一定数産褥で亡くなるので、黙っていても老婆の数は減る。子供や妊婦の世話をする程度は生かされるのではないか。
「領民にとってもこの世の地獄ですね」
灰目藍髪の言葉にその場にいる全員が黙って頷く。吸血鬼一族が生きるために最適化された場所。それ以外の人間にとっては、家畜のように使役されているに過ぎない。
「ま、教会は有るけど教皇庁との交流が途絶している時点で怪しいのよね」
「それだと、連合王国もそうなるんじゃないですか!!」
「控えめに言って異端」
教皇庁と女王陛下は父王時代のイザコザを改善しようと考えているようだが、女王の動きをその周囲の支援者たちは快く思っておらず、その意向を踏まえなければ、女王の身の安全も危ぶまれる。故に、控えめに言って連合王国の宮廷は『異端』扱いされているのだ。
「ヌーベ領内の概要をまとめていきましょう」
「まるっと、王太子殿下に投げるわけね」
「我々の手には余りますから」
彼女は聞き取った内容を整理し始める。その横で、メリッサの体験したデルタの民の村の話を熱心に聞く赤目銀髪と赤毛娘。恐らく、彼女のヌーベ行に同行するつもりなのだろうと、周りのリリアル生は思うのである。