第848話 彼女は『リリ』の眼を借りる
第848話 彼女は『リリ』の眼を借りる
彼女はルミリを呼び、非番の一期生薬師組と二期生に声をかけてリリアルの傷薬を「交流戦」を行っている衛士たちに差し入れするように伝える。
「顔見世ですわね」
「そうね。下働きで婚約披露の日に入るリリアル生の顔も知っておいてもらえる方が好ましいでしょう」
「承知しましたわぁ」
とととと小走りに去っていくルミリ。全員の衛士・臨時衛士が顔を覚えていなかったとしても、衛士長やその他幹部だけでも覚えて貰えれば、当日、何かあった時の報告が通りやすい。でないと、ただの使用人が騒いでいると現場で判断され、話しが伝わらない可能性もある。
騎士団の若い者たちの中には、リリアルと接触していない者も多い。当初の騎士団員の彼女に対する姿勢を考えると、いちいち「わからせる」事は面倒である。近衛に属する「衛士」たちは、近衛騎士団とリリアル副伯の関係性をよく理解しているので、粗末に扱われることはないだろうが、規模を拡充中の騎士団においては、むしろ問題が起こりそうなのだ。
騎士ならば、リリアル学院生の力を目にし、あるいは耳にしているだろうが、駈出し騎士団員たちにとっては「お芝居の中の創作」だと思い込んでいる者もいるだろう。そうしたものが勘違いをしてイザという時に邪魔立てしないとも限らない。当日、公女殿下の周りから離れることができそうにもない彼女にとって、余計な問題が起こる前に事前に潰しておきたいのである。
「ポーションを差し入れるんじゃないんですか」
いつもは学院常駐の黒目黒髪も、今回は交代で王都城塞に滞在している。主に、事務方の取りまとめ、王都の商会に依頼している資材の搬入の対応などを務めている。傷薬の在庫管理も仕事のうち。
「ポーションが必要なほどの怪我かどうかは衛士長の判断になるでしょう」
多少の怪我であれば『鍛錬の一環』として、傷の手当ても自身なり仲間内で対応することが求められる。ポーションは高価であり、打ち身や捻挫程度では使用されることはない。とくに、戦闘中でどうしても戦力を回復させたいような緊急性が無いのであろうから当然でもある。
対して、『傷薬』は手当の鍛錬でも消費されるであろうし、自家製のものや薬師ギルドなどで安価で手に入るものを騎士団員なら当然持っているし、日々使用している。なので、リリアル製の薬効効果の高い傷薬ならば効果はさらに高くなる。薬草の持つ魔力量が多く、下手なポーション並みに回復を高めることもある。
「なるほど」
「あまり当てにされても困るでしょうし、今後、リリアル商会の商品にしていく予定もあるのよ」
「多少高価でも、確かな効能があるなら騎士や冒険者に人気がでそうです」
薬草畑の収穫量も増え、さらに領都の敷地内にある薬草畑でも栽培を行おうと考えている。せっせと薬師組を中心に魔力の必要のない『傷薬』作りを三期生も手伝えれば、平時の重要な役割となるだろう。そういえば、彼女も駆け出しのころは傷薬を薬師ギルドに納めていたこともある。
『こんにちはですわぁ』
『ルミリの嬢ちゃんと……リリアルの皆さん。どのようなご用件でしょう』
彼女は今、ルミリの視覚と聴覚を同期させて話を見聞きしている。『同期同調』と呼ぶ風の精霊魔術の一種であり、小鳥などと契約してその目を借りることが一般なのだが、彼女はピクシーにそれを依頼している。
初めて衛士長たちに合う薬師組が自己紹介をし、暫く使用人の中に混ざり警護を務めることを衛士長たちに伝えそれぞれ顔を覚えて貰っている。
『これ、リリアル製の傷薬です。皆さん、日々の訓練で怪我をされる事もあるでしょうから、是非お使い下さいと院長先生からの差し入れです!!』『ポーションほどではありませんが、打ち身や捻挫、裂傷程度ならこれを塗って布で押さえて貰えば、一日で治ると思います』『とても良く効く傷薬ですわぁ』
『『『おおお!!』』』
ルミリが目に見えて色の変わっている腕に内出血の激しい若い衛士に傷薬を手に取り、その打ち身に塗り込んでいく。
『こ、これは。痛みが和らいでいくな』
『学院の薬草畑で魔力水を注いで育てた薬草を材料にしているのですわ』
『それで、薬効が高いのだな』
青黒い傷の色が徐々に薄まっているように見て取れる。薬を塗ったから色が分かりにくくなったわけではない!!
ルミリに治療されている衛士は、傷は薄くなったが、顔は真っ赤になっている。
お年頃である。
『良い傷薬ですな』
『後日、リリアルの商会から一般販売いたしますわぁ』
『その時は、是非、衛士隊や騎士団でも購入できるようにしてもらおう』
『『『おおお!!』』』
どうやら、試供品の提供は功を奏しそうである。ニース商会はこの手のやり方で『蒸留酒』や『香水』の販売を拡大している。リリアルの『傷薬』も騎士団や衛士隊にまとめて購入してもらえると先々助かるだろう。
「先生、どうですか?」
「おおむね高評価ね。騎士団・衛士隊……それと近衛連隊からも大量の購入希望があるかもしれないわ」
「……が、頑張って生産します!!」
薬師組が管理する薬草畑だが、外部との折衝は黒目黒髪か茶目栗毛の仕事となる。どの程度作れるか、日産・月産の目途を立てていかなければ、自分も含めて『傷薬』の内職に没頭しなければならなくなる。
「留学組の子たちがいて良かったわね」
「はい!! あの子たちも言葉は多少不自由ですけど物覚えは良い子たちばかりなので、戦力になってます」
内職には三期生年少組と留学組も相当戦力になる。魔力や力の不要な『傷薬』作成には十分役目を果たせる。
「傷薬の増産、学院に伝えて進めさせてもらえるかしら」
「あー 容器の手配が先です。二倍三倍作れても、それを入れるものが不足しそうです」
安価な焼き物や木製の物では長期あるいは野営が続く状態では安定した状態で保存することは難しい。金属の容器に油紙で蓋をするような形が良いだろう。金属の器を数揃えるのは時間が掛かる。
「容器を回収してその分、新しいものを提供する価格から差分を値引きするとかどうでしょうか」
「容器はリリアル製であると分かるように紋章を刻む対応をすれば良いかもしれないわね」
姉が手掛けようとしている『錫製容器』なら鋳造で比較的早く数が揃うだろう。鍛造なら銀食器のような雰囲気のものが作れるが、そこまでこだわる必要もない。
「商会頭夫人に打診しましょうか」
「そうね。ニース騎士団や聖エゼル海軍の需要もあるでしょうから、その分交渉して値切りましょう」
錫は銀ほどではないが高価な金属だ。レンヌで多少取れるようだが今は余り採掘されていない。連合王国や内海からの輸入素材となる分高価になるだろう。
「一先ず、鉄製でもいいんじゃないですか?」
「そうね。それなら、早く手配できそうね」
「工房でも作れるんじゃないですか?」
錫は融点が低く、鉄は高いのでその分、素材は安いが工賃は高くつく。
「安価な普及品は鉄、貴族や富裕層・高位の騎士には錫製と容器違いで二種作ればいいかもしれないわね」
「なるほど。それはいいかもしれませんね」
容器は手のひらに乗る程度の大きさにして、量はさほど入らなくても良いだろう。深皿型の5㎝程度の直径の容器をたのんでみようか。大きさに関しては携帯して重くならない程度の大きさで試作品をまず作ってもらおう。
「工房に依頼をだしてもらえるかしら」
「はい。ではその案で頼みます」
見習のいる老土夫の工房に依頼する。なんなら、魔銀鍍金製でもかまわないのだが。何でも魔銀はよろしくないかもしれない。
『アリー、戻るねー』
リリの視覚を借りて見ている限り、差し入れた傷薬をそれぞれ試している衛士たちの反応が概ね良好。この先も優良顧客になってくれるだろう。衛士が傷だらけというのは外聞が宜しくない。王宮・迎賓館を守備する衛士には見た目の良さも要求されるからである。
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「……早いわね」
「用意してあったみたいです」
黒目黒髪が『傷薬容器』を老土夫に依頼したところ、「あるよ」とばかりに試作品が送られてきた。これでもかと。
「沢山あるわね」
「……予想以上です」
恐らく、見習たちがそれぞれ『ぼくのかんがえた最高のきずぐすりようき』を作ってみたのだろう。浅い皿型から壷型まで大きさ違いで色々並んでいる。
「簡単にたくさん作れて安価なものが良いわね」
「……どれなんでしょう……」
鋳造は鋳型に鉄を流し込んで作るので厚く重いものになる。皿型では大きく重くなり鉄も多く使う事になるかも知れない。
「これなんて、バックラーみたいです」
「こっちはハンドルボスに近いわ」
つまり、皿形は大きく鋳造で傷薬容器を作るのは今一のようだ。壷型を選ぶ方が良いだろう。
「これ、いいですね」
壷の持ち手が左右に付いており、紐が通せるようになっている。
「そうね、持ち運びするのによいかもしれないわ」
「文鎮にもなりますし、紐を持って振り回せば投擲武器にもなりそうです」
二個繋げれば「ボーラ」にもなるかもしれない。捕縛用の投擲武器の一種だ。
「こっちはどうでしょう」
「……これは錫の鍍金かしら」
鋳造の鉄器の場合、錆びの問題がある。全錫製は傷薬の保存に良いのだが高価になる。その問題を解決するのが『鋳造鉄製壷錫鍍金仕上』なのだろう。
耳付壷を錫鍍金仕上げに加工する。これなら見た目も良く丈夫で安価に仕上げられるだろう。
「これをまず作りましょう。売れなければ開拓村に配布すればいいもの」
「そうですね。開拓村なら傷薬も必要ですし、投げ縄も需要があります」
武器にも薬入れにもなる……まずは百個作ってもらおうか。評価が良ければ遠征軍の物資としても活用できるかもしれない。
王都城塞の薬草畑(小)の薬草を用いて、傷薬の増産を行っている。どうやら、先日差し入れした物の評判が良く、折角だからと城塞の薬草畑のものも利用して作っている。何しろ、人は沢山いるからだ。
しかしながら、どうやら品質は差し入れした物ほどには仕上がらないようだ。原因に心当たりはある。
「王都城塞にはあれがいないからね」
「踊る草」
「アリエンヌがいないから」
「ありえぬ」
薬師組たちがワイワイと検証中。とはいえ、彼女が卸していた『傷薬』とさほど差はなく、日頃、見習騎士達が自費で購入しているものと同程度かそれより良いくらいだろう。
『アリー リリはお散歩してくるー』
「暗くなる前に戻って来なさい」
『わかったー』
王都に長居する機会があまりない彼女であるが、常に彼女に侍るピクシーの『リリ』にとってもそれは同じこと。居心地が良いのは学院やワスティンの森の中なのだが、好奇心を刺激されるのは王都のような場所。見たこともないほどの人間の多さに興味津々なのだ。
連合王国の帰り道ではリンデ市街に足を踏み入れる事もなく、船と馬車の旅であり、遠目で見る王都に希望と期待が膨らみ切っていたのであるから、あちらこちら徘徊したいのは理解できる。
彼女も「何か不審な事や魔物がいたら教えてちょうだい」と伝えてあるので、広い意味で王都の警戒を行っているといって良いだろう。迎賓館には未だ各国の要人が訪問するに至っていない。徐々に到着しているものの、各国の大使館に当たる王都内の居館に滞在し始めている。同行してきた使用人たちも多く、迎賓館に訪れるのはそのうち主客とその警護の人間だけであるから、大使館に止め置かれるのは当然だろうか。彼女達もリンデではそのように対応していた。
その人物の中に王都で事件を企てる者がいないとも限らない。あるいは、引き込み役を担う者が含まれているかもしれない。
とはいえ、呪いを掛けられ地下墳墓に長らく囚われていた『リリ』に、人間を観察し異常を見つけることを彼女は求めているわけではない。
『態の良い厄介払いか』
「王都を自分で見て興味を持つことも大切ではないかしら」
『で、厄介払いした』
何か起こるとするならば婚約披露の当日、それも滞在客が就寝する夜の可能性が高い。当日は晩餐の後、王と王妃、王太子夫妻に別れサロンで歓談することになるだろう。
どこぞの女王陛下のように夜中まで歓談し、寝るのは明け方ということはないのだが、食事の後、酒をたしなみながらゆったりしつつ歓談するのは社交として必要なのだ。親交を深めたふりをする工夫の一つである。
『婚約披露を囮に、王太子はなに考えてるんだろうな』
「さあ。神国や教皇庁に釘をさすつもりではないかしら」
『それがレーヌ公国への干渉を防ぐと良いがな』
レーヌ公国の血筋は古く、カルマン大王の系譜に連なるとされる。旧王家の血筋を自らの家系に取り込む事で、自身の勢力下にある貴族に対して威を高めたいという欲求は、血筋で繋がる王国より、選帝侯により選ばれる帝国皇帝にとって喉から手が出るほど欲しい存在であった。
公女ルネも帝国皇帝の子弟ではないが、帝国南部の公爵家から婚姻の打診があったとされる。その家系は、皇帝に対して敵対する可能性の高い家であった事もあり、「敵の敵は味方」とばかりに王国皇太子との婚姻に横槍を入れなかったようだ。
レーヌ公国と隣接する帝国南部の公爵にルネが輿入れすれば、敵の力を増す結果となりかねない。
「政略結婚とは面倒なものね」
『お前が言うか。ま、いまさらお前が政略結婚する必要性は無い気もするけどよ』
政略結婚であれば、自分自身は何もしなくともまわりが御膳立てしてくれる。結婚も簡単だったのにと彼女は思うのである。