第846話 彼女は一先ず何事もなかったかのように振舞う。
第846話 彼女は一先ず何事もなかったかのように振舞う。
「うひょー」
「「「うわぁ」」」
地面から足が離れるほどの打撃を受け、そのまま後ろに倒れるゴーシュ。顎の骨が砕けたかもしれない。
「勝負あり!! リリアル、ドリスの勝利!! ドリスやりすぎです!! 先生!!」
灰目藍髪が焦ったような声を出し彼女を呼ぶ。急ぎ近付くと、顎が割れ血が喉の奥に向けてガフガフと流れ込んでいる。
「これは」
「まずいです」
彼女は魔法袋からとっておきのポーションを取り出す。苦くて不味いが効果が高い、ハイ・ポーションとでも呼べばいいだろうか。たくさん飲むとノイン・テーターになりかねない魔物の素材を利用している。
「これを飲ませるわ」
「うっ、臭いがきついですね」
なーに、かえって気付代わりになるわよぉ~と踊る草もおすすめの逸品。のはず。
意識を失っているゴーシュの口に無理やりポーションを近づけ、半ば強引に流し込む。臭いの凄さで意識が覚醒し、その刺激的な味で混乱に陥る。
「ゴーシュ、貴方はいま顎下から蹴りを喰らって倒れて負けました。顎の骨が砕けたのか、危険な状態です。大人しく、この刺激物を飲み込んでください」
「……失礼な言い回しね」
「事実です」
ふがふがと言いながらゴーシュは涙を流しつつ、その刺激物を飲み下していく。骨の位置が戻り、やがて血が止まる。
激しくせき込みつつ、ガバリと起き上がったゴーシュから二人は慌てて距離を取る。
「はいはい、お水ですよ!!」
木製の盃に入った水を一気に飲み干し、再び激しくむせるゴーシュ。
「なにやってんの!!」
「一先ず、解散にしましょう先生!!」
「休憩ですよ。あと、お昼を食べましょう!!」
薬師組の四人が仕切り始める。既に食堂には昼食の準備ができているようだ。とはいえ、全員同時に昼食はとれない。
「彼らを先にしてあげてちょうだい」
「はい!! お腹が膨れればちょっとは落ち着きますから!!」
赤毛娘が臨時組の元に走って行き、昼食を先に取るように声を掛ける。ゴーシュが一瞬で蹴り飛ばされたのは見えなかったようだが、その後の口から血をガボガボ吐きながら死にかけている姿を見て動転していた少年たちは、その後、ポーションを飲んで落ち着いたであろう親分の姿を見て動揺が収まりつつあった。
「飯」
「これだけが楽しみ」
「中等孤児院より旨いかな」
と、ショックから立ち直り、食堂に向け走りだす。砂埃が舞うので、昼食前には好ましくないのであるが、少年の食欲には抵抗できないようだ。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
彼女は三期生魔力無組の模擬戦の結果に少々驚いていた。軽業師のように動き、自らの肉体を武器として相手に対峙する。その上で、意表を突くなり、相手を油断させる伏線を張ったうえで一撃で倒すまでの流れ。
「何やら冒険者ではなく、暗殺者そのものね」
『身についた性はそうそう変わらねぇ。冒険者としても騎士団員としてもやりようはあるだろ』
『騎士団』といっても、全員が騎士なわけではない。外部から冒険者や猟師などを雇って斥候や道案内をさせる『臨時団員』『非正規団員』も存在する。歩兵などはいわゆる「傭兵」を使う事もある。
そういう意味で三期生の魔力無組もリリアルのメンバーとして収まるべき役割りがあるだろう。
暗殺自体を行わないにしても、そこに至る手段・工夫を利用することはできる。また、暗殺者の手段を推定するにも役立つ。王都と王家と王国を守る手段として有用ではないか。
彼女は散文的な発想に気が付き少々嫌な気持ちになる。学院で決まった日々の仕事をしながら、年相応に思える楽しげな表情を浮かべ、時には子供らしく意地を張り、駄々をこねていた姿を見て微笑ましくも感じていたのだが、三期生達はその性根の部分に『暗殺者』としての在り方を焼き印のように押されている。
『見極め』を済ませていた年長組は特にしっかりと。
『こまけぇことは気にすんな。お前だって、同じようなもんだ』
少々感情を高ぶらせている彼女に、『魔剣』がそう囁く。物心つく前から『子爵家の次女』として教育され、『かくあれ』と言われずとも自身でそう務めてきた。
姉と比べて「可愛げがない」と言われて傷ついたこともある。とはいえ、姉のそれは彼女以上に『かくあれ』を意識したものでしかなく、本質的に姉は彼女以上に散文的な思考をする。貴族家の当主とは、『かくあるべし』の集合体のようなものだ。
そうでなければ、家が、領地が、国が亡ぶ。
三期生の子たちは本来の「リリアル生」とは異質であり、それが良い効果を将来生むであろうとは思う。子供らしく生きられるのは、周囲に守られているからであり、『守られていると感じている』からだ。
そういう意味で、日々の学院生活でのぞかせる三期生の「子供らしさ」は彼女にとって「迎えて良かったのだ」と自分を納得させる大きな理由となっている。
「さて、私たちもお昼を食べましょうか」
「はいはいはい!!」
大きな声を出し続けている無駄に元気な赤毛娘。いつも相手をしてくれる黒目黒髪がいないのと、三期生の面倒を見なければという「お姉さんぶりたい」意欲でテンションが大いに高まっている。
反面、二期生は所在無さげな王都組と、「さあさあ下働きに行きますよー」と先の中等孤児院臨時組の食事の後片付けを手伝い、リリアル生の食事の準備を手伝う為に、厨房へと向かうサボア組が対照的でもある。
「黒パンに野菜のスープです」
「ありがとう」
兵士同様、リリアルは三食出る。体を使うことに加え、魔力体力を増やすために食事量は必要だからだ。一説には三食より、同じ量を六食に分けて食べる方が良いという考え方もあるのだとか。それでは課題や仕事に差し支えるので、リリアルでは朝食と昼食の間、昼食と夕食の間に休憩の際、ちょっとしたものを口にする。
最近流行りなのは『ガレット』である。リリアル領で小麦の裏作、あるいは小麦が育ちにくい場所で蕎麦を育てようと考えているからだ。とはいえ、小麦の畑で蕎麦を裏作すると、取り切れなかった蕎麦のタネが畑に残り混作状態になるとも聞いているので、開拓村で試しつつ領の農業政策を定めようと考えている。
蕎麦は聖征の時代東方から持ち帰られた王国では比較的新しい作物。小麦の育ちにくい寒冷な場所で育つという事で、レンヌや大山脈に近い山村などで育てられているとか。
「姉さんが執心しているからなのでしょうけれど」
『そうだな。ノーブル領は大山脈西端にあるから、小麦より蕎麦の生産が向いている。お前の領地で試行錯誤させて、自分が陞爵するときにでも教わるつもりなんだろうな』
彼女は、一見親切や世話焼きに思える姉の行動が、実は自分の利益の為に行動していることをよく理解している。それが、あからさまに断れる提案でない事も同様だ。
自領にとって必要な政策であれば、後で姉の領地でそれが応用されても別に損をするわけではない。むしろ、領地間の交流が盛んになるかもしれない。ヌーベが王領となれば、ノーブル伯領とリリアル副伯領は今よりも近くなるだろう。そう考えると……
「領主になっても、ちょくちょく顔を出しそうね」
『だよな。あいつ、お前のこと好きすぎるだろ』
『魔剣』に姉に弄られる様を論れ、彼女は不機嫌な顔をするのだが、それも子供の頃からのことである。もう慣れた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
昼食を終え自室に戻る前に、彼女は中庭で食休み中の臨時組に話しかけることにする。特に、模擬戦に出た五人の様子が問題ないか確認するためである。
「閣下、お昼大変おいしかったです!!」
「味が濃いって、幸せなんだよな」
体を使う仕事に就くものは、塩気の強いものを好む。汗をかき、体から失われる塩分を求めるからだと言われる。塩気が少ないと、頭の働きや体の疲れの回復も悪くなる。
リリアルの食事は、塩気も多くや体力を回復する効能のある薬味・薬草なども加えて調理しており、孤児院の料理より味が濃い。それだけでおいしく感じるのだろう。
「兵士になれば、住むところに着るもの食事も支給で給料も出るんだろ?」
「孤児院出て暮らすなら、やっぱ兵隊だよな。お腹一杯食えるんだってさ」
「俺は弟が孤児院にいるから、王都の衛兵になりてぇ。兵隊は駐屯地からでれねぇんだろ? それも王都から離れた場所で」
「いや、それはそれで金が溜まるって話だ」
中等孤児院では、様々な王都内の孤児が集まり情報交換もされている。一つの孤児院だけでは知ることのできない「外の世界」についても、玉石混交ではあるが情報が入ってくる。
「皆、体の調子は本復したかしら」
「「「閣下!!」」」
彼女がそこにいたことにようやく気が付いたようで、付け焼刃の礼をする臨時組。まだまだ見様見真似感が拭えない。
「あ、ポーションありがとうございました」
「苦不味いけど、滅茶苦茶効きました!!」
「ゴーシュとか、あのままだとフガフガおじさんに一直線だったよな」
「う、うるせぇ!!」
小さな女の子にノされたゴーシュは、日頃自身の強さを誇っていたのだろう、回りは良いように弄ってゲラゲラ笑われているのに抵抗できずに不貞腐れている。
「あんな子供は滅多にいないでしょうし、兵士は数を頼んで戦う者。個人の力より足並みをそろえて戦えれば十分よ」
「「「はい!!」」」
「……滅多にいないってことは、いるんだよな……」
ゴーシュだけは違う事に関心が強かったようだ。
「今日から早速、二交代を始めます。一班はこの後から哨戒についてもらうわ。二班は暗くなったら眠って、早朝一班と交代にしてちょうだい」
明るくても眠れる王都城塞。兵士用の寝室は人造岩石製の外壁の中にあり、窓を板戸で塞げば光はほぼ入らなくなる。なので、昼間でもぐっすり眠れる……はず。
「短い期間の任務なので、休日は挟まず、夜間と昼間のシフトの交代も無し。その代わり、食事は好きなだけ食べても構わないわ」
「「「おう!!」」」
全員が「寝だめ食いだめしよう」と考えているようだ。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
リリアル城塞に備え付けの金属兜を身につける臨時組。冒険者ならば移動中も着用することを考え革の兜を好むのだが、限られた場所を警邏する監視兵や警備ならば金属の兜の安全性が勝る。
とはいえ、騎士の完全鎧の兜のように面貌や耳を覆う形式ではなく、頭部を護るドングリのような形に鍔がついた形式のものである。それに、耳の部分を護る耳当てを加えたものもある。これならば、外の音が聞き取れる。
自分の世界に入り込んでも問題ない完全鎧の騎士、集団で行動するため周囲の状況を把握するため音が聞き取れる様に耳を出さねばならぬ兵士。兜ではなく、鉄鉢の入った革帽子を被る者も増えつつあるという。
とはいえ、金属兜を被った『監視兵』がここにはいると外からわからせることで警戒させる意味もある。
無駄にふらついているように見せてはいるが、監視の目があると知らしめることは、襲撃者を警戒させ、周囲の者たちに安心感を与える。警邏の衛兵や自警団の夜間巡回も同様なものだと言えるだろう。
「皆真面目に務めているようね」
「順番に夕食を食べているんですけど……」
「食べ過ぎですわぁ」
今日襲撃があるとは思えないので、お試しに満腹になるまで食べさせて見たというところだろう。
腹が膨れれば眠くなる。人も獣も同じこと。
「明日以降は、休憩の際に軽食を出すようにして、満腹にならないようにする事を伝えるわ」
「同じ量なら、半分ずつ二回に分けた方が幸せだって伝えておきますぅ」
「ですわぁ」
空腹で集中できなくなることは想像できるが、満腹でも同様におこること。軽食は腹持ちも良く、作り置きも出来る『ガレット』にして、眠くならない程度にワインを付けても良いかもしれない。冷たいスープよりはマシだろう。
「リリアルの四時間交代も今日から始めているわね」
「はい。ちょっと時間間隔が狂いそうですけどぉ」
「交代で見張りをするのは野営では当然です。昼間に移動するわけではなく、必要なら寝室で休息できるのですから問題ありません」
「いや、お肌に問題があるよぉ」
真面目に返す灰目藍髪に、碧目金髪がまぜっかえす。十二時間連続の臨時組からすれば、四時間出て八時間休憩は羨ましいことだろう。
「厨房はいそがしそうですね」
「非常時の訓練だと思って、交代で頑張ってもらいましょう」
一度の食事の人数は今日ほどになることはなくなる。が、四時間交代のリリアル生と、十二時間交代の臨時組は朝昼を分けて各二回の計四回に、寝る前の一回、それを昼夜二交代で提供することになる。作り置きガレットの食事の時間があるとは言うものの、厨房こそ一番の戦場になりそうだなと彼女は考えていた。