第836話 彼女はデルタの民の行く先を話し合う
第836話 彼女はデルタの民の行く先を話し合う
デルタの民の懐柔あるいは、ヌーベ領からの離脱。受け入れ先が定まらないと、彼女も働きかけができないというもの。
「私もいいかしら」
「勿論だニアス卿。君も参加者だからな」
王太子は鷹揚に頷く。伯姪が提案したのは、ヌーベ領北部・ワスティンの森に接する農村の一部をリリアル領に編入し、そこにデルタ人の避難民を一時纏めることである。
「精々数箇村といったところだろう。三十もの村の住民を集めることはできないのでは?」
空き家や小屋のようなものを設置したとしても倍も住まわせることはできないだろう。伯姪はそうではないという。
「少なくとも煮炊きできる施設があり、炊き出しをするには十分です。そこでニ三日過ごしてもらい、女子供老人は、ワスティンの森にある盗賊村の跡地と、開拓村の予定地に避難させ体力を回復してもらいましょう。今まで虐げられて来た人達ですから」
伯姪の一件、慈愛溢れる提案を王太子が引き取って話を続ける。
「つまり、デルタ人の戦士を家族から引き離し難民として人質に取る。その上で、リリアルは『傭兵』としてヌーベ攻略に利用しようと考えているわけだな」
「「「……」」」
「そうとも言います」
「なるほど。良い提案だ」
王太子の解釈に両騎士団長とモラン公が沈黙し、伯姪が同意する。デルタ人の戦士推計六百が味方に付くのは、ヌーベ側からすれば大いなる誤算となるだろう。引き取るならば、征伐が始まる前の方が良い。会議が終了次第、盗賊村跡の再建を歩人と癖毛に依頼しなければならないだろう。村ごとの大部屋で構わないとはいえ、数が必要となる。
「リリアル領の領民もこれで多少マシになるな」
「……そうですね。数年は持ち出しなのは変わりませんが」
「ヌーべから回収できる資金があれば援助も出来るだろうさ」
締め上げられてきたヌーベ公に資金が残っているかは疑問であるのだが。とはいえ、書画骨董といったものを王都で売れば多少の金にはなる。その辺り期待しても良いかもしれない。
ヌーベ公領征伐は早々に終わらせなければ、ネデル総督府や教皇庁の干渉を招きかねない。法国戦争でたびたびあった事だ。王国東部のレーヌ公国と帝国の境でも再び戦争となる可能性もある。
故に、速やかに終わらせる。糧秣の輸送は王弟・大公殿下の御座船とニース商会(姉の無駄にデカい魔法袋と魔導馬車)で兵站基地となりブレリアまで短時間で運び込む。
その際、ニース商会の護衛として聖エゼル海軍・ニース騎士団関係者の参戦を密かに実行する。
リリアルはヌーベ公領内のデルタ人の避難と『傭兵化』を行い戦力とする。
魔物・吸血鬼の襲撃、戦場においては王太子を囮としておびき出し、リリアルがその主要な戦力を討伐する。
まず、ロアレ川下流の港湾街『コーヌ』を攻め落とし補給源とする。その後、各ヌーベ領内の街と領都を制圧しヌーベ公とその配下の貴族達を捕縛する。
「ヌーベ公領の戦力の見積もりはどの程度だ」
騎士団長が「騎士が百、兵が三千ほどかと」と答える。加えて、帝国から入り込んでいる傭兵が千から三千。これは、実態が把握できていないので幅が出てしまう。ヌーベ公の戦力は百年戦争と地の動員数を元に推計しているというが、武具などの更新、特にマスケット銃や小型野砲などはヌーベ公領内では生産できるはずもなく、購入するには巨額の資金が必要となる。人攫いや密輸の仲介程度では数を揃えられないと考えられる。
大国である神国でさえ、十万の戦力をネデルで確保するのに国の予算の大半を消費するのだ。傭兵とその軍が持つ銃や大砲の整備は一公爵領、実際は伯爵領程度の規模では十分に行えるとも思えない。
「正直、攻めて見なければわからない。とはいえ、増援は無いのだから焦らず正攻法で攻めるのが良いでしょう」
「臨機応変か。とはいえ、北と南では連携も取れない。主攻正面は北から。南の王国騎士団と王太子領軍はゆっくりと攻め上れば良い。補給はギュイエ・ブルグント公領経由でも行う。魔導船を使う北側より補給に時間が掛かる分、じっくり圧を掛けられれば良い」
「承知しました」
「すまんな、手柄を独り占めして」
「なんの。王国騎士団は実戦経験が乏しい者ばかり。今回の遠征はその仕上げとしての鍛錬の場と心得ている。主役は王太子殿下と近衛連隊、王都の騎士団と……隣領のリリアル副伯だ」
はははと笑う王国騎士団長閣下。主役に組み込まれた彼女は内心、林檎や羅馬牧場のことを先に進めたい気持ちで一杯なのだが、ヌーベがすっきりするなら、それに越したことはないと考える。掃除をするのは気持ちの良いものであるからだ。
それよりも……
「王太子殿下自らが囮となるという案ですが」
「リリアル副元帥とその一党を信じている。それは陛下も妃殿下も同様だ。加えて言うなら我が妃ルネと王女もだ。吸血鬼にノイン・テーター、魔鰐と他に、魔狼にゴブリンキング率いる群れもまだ存在しているだろうか。スケルトンの軍勢含め、キミがこれまで対峙してきた魔物討伐の経験をこの征伐で存分に生かしてもらいたい」
「……」
つまり、囮となる王太子は彼女に対策を丸投げしたのである。上司の仕事は部下に仕事を割る事だが、割り振り過ぎである。
「では、この流れで両騎士団は南北それぞれの軍の行動計画を作成。モラン公は叔父上に『遠征の重要な仕事を与えられた。殿下にしかできない大切な役割です』と伝え、同時に、ギュイス公にネデル総督府軍の監視を十分に行わせてくれ。それと、レーヌ方面の騎士団には帝国の動向に注意し、動員が為された場合、速やかに王都に報告、判断を得るようにと」
「「「はっ!!」」」
「頼んだよ副元帥、ニアス卿」
「「……承知シマシタ……」」
王太子はそう結論づけると、さっさと会議室を退出していった。
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魔物討伐はリリアルの得意とするところであるが、これまでにない数の魔物討伐を引き受けなければならないことを考えると、彼女は憂鬱となる。
「ま、なんとかなるわよ」
「そうかしら……そうね。安全面を考えるなら、魔導船を川に浮かべ、王太子殿下はそこで就寝してもらってもいいのだし」
「そうね。丁度拿捕した聖フローチェ号が仕上がるでしょうし、公試を兼ねて一度、王太子殿下を招いても良いかもしれないわ」
王太子殿下、船上においては陸に上がったオンディーヌも同様である。リリアル生は、水馬や魔力壁で自在に動けるのですが何か?
そんなことを話していると、モラン公が彼女と伯姪に話しかけてきた。
「副元帥」
「……アリーとお呼びくださいモラン公閣下」
「では私のこともジャンと呼んでもらいたいアリー。それと……」
「メイです」
法国戦争では轡を並べたこともある先代辺境伯。その従妹姪であるから、多少の親近感もあるようだ。
「メイと呼ばせてもらおうか」
「はい、ジャンおじ様」
「……ジャンおじ様と私も呼ばせてもらってもよろしいでしょうか」
彼女は顔がほころぶのを懸命に抑えつつモラン公にお願いする。「勿論」と答えられ、彼女の顔はプルプルと震えるのである。
「ジャンおじ様……」
「む、いや好きに呼べばよい、こんな爺のことなどな」
「で、では……」
心の中で「ダーリン」「旦那様」「あなた」など意味不明な呼びかけをしつつ、冷静にならねばと自分を窘める。
『おいおい、枯専もここに極まれりだな。落ち着け、キャラブレしてるぞ』
彼女は「確かに」と思い、懸命に取り繕う事にした。
「それでだ、魔導船というものは耳にしたことはあるのだが実際に乗ったことが私には無い。水車の力で櫂や帆が無くとも進めるというが、実際乗ってみたいのだ」
「ああ。そうですね。王弟殿下の御座船にジャンおじ様が勝手に乗り込む分けには参りませんもの」
「なら、リリアルの船に乗ってもらえばいいんじゃない? あの小さいのなら貴女持っているでしょう?」
最初の小型魔導舟『リ・アトリエ』号ならば、魔法袋に入っている。あれならばこの三人で乗っても全く問題がない。何なら、ミアンくらいまで送りたいくらいなのだが……時間がない!!
「王都を流れるシグナ川を遡ってみましょうか」
「頼めるかな」
「はい!喜んで!!」
彼女の反応に『魔剣』と伯姪は「喜び過ぎだ」と思うのである。
王太子宮を出て徒歩で河岸へと向かう。王都の管理人の娘である彼女は、河岸の顔役とも顔見知りである。勝手に船を浮かべれば問題となるのだが、そこは顔で何とかなる範囲。
久しぶりだと互いに挨拶をし、同行者である伯姪とモラン公を紹介する。思わずモラン公の前で跪こうとする顔役だが、「必要ない」と立たせ名を名乗り握手を交わす。
「王弟殿下にもこのくらいのことができれば、今頃奥さんに二人や三人できていたでしょうに」
「あれは、恐れ多くも王大后殿下の影響なのよ。察して差し上げなさい」
おっさんになるまで可愛がり続けた母親の影響で、世間知らずになってしまった王弟殿下。とはいえ、王都総監(見習)や親善大使の旅で自分に不足しているものを察したようであり、モラン公の貢献を元に自らの宮廷を編成し、大公として統治を為そうとしている。
能力を持ちながら王都との伝手が無くくすぶっていた有能な貴族の若者を登用し、官吏として教育を与える。あるいは、王都の大学の法律家を招き顧問として指導を受ける等。王宮の片隅で安穏としていた時代とは異なる。
恐らく、王太子殿下が成人するまでの間、王大后殿下の行動を利用し、お気楽生活をさせ爪を研がす機会を与えなかった王妃殿下辺りの思惑が絡んだ結果なのだが。相応に為政者として悪くない能力を示し始めているのだ。
王国にとっても王家にとっても悪い事ではない。オラン公が軍を再編し、ネデル北部の諸都市と連携をとって総督府軍と再び戦う事を考えると、無能で元気だけが取り柄のようなおっさんがその隣接するランドル地方を統治されていては困る。
但し、王国内の評価はいまだ「凡暗」王弟殿下であり、特に王都や王宮の貴族達からはそう思われている。自身の限界を知り、優秀な部下後見人に力を借りることができるだけで、王族としては悪くない資質なのだが。特にギュイス公には「凡愚」と思われている方が良い。
策士を気取る公爵は、恐らくネデル総督府や教皇庁・帝国との間になんらかの遣り取りを行い、王弟殿下を巻き込んで再び王国からの半独立を行えると考えているのだろう。
百年戦争の中頃、王弟の一人がブルグント公となりやがてその子孫が王国と帝国の中間にある小領地を婚姻や武力により公爵の影響下に納めて行った。結果、ブルグント公爵領は「公国」を名乗り王国からは半ば独立、その勢力を拡大しようとする最中ブルグント公は戦死した。最後のブルグント公に男子は無く、娘は帝国皇子に嫁ぎその領地の大半は帝国に帰することとなった。
王国と帝国の領土問題、法国戦争に絡む一連の王国東部の戦争は、この後始末の為発生している。
それを再び……というのだから恐れ入る。教皇庁も神国・帝国も王国が弱体化し失った領地が手に入るのであれば喜んで策謀に加わるというものだ。そこに神はいるのかと問いたい。
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川船としてはそれなりの大きさの『リ・アトリエ』号に乗り、川を遡る。馬車が進むほどの速度で魔導外輪が回転し、流れに逆らい船が進んでゆく。
「これは……なかなかのものだね」
「外輪の大きさで魔力の消費量が異なりますので、この程度であれば一般的な魔騎士などで運用できますが、御座船ほどの大きさ位になれば王宮魔術師ほどの魔力が必要となります」
「因みに私は動かせませんよジャンおじ様」
伯姪は動かせないと自身の魔力量を口にする。
「王宮魔術師並の魔力持ちが二人ないし三人いれば、交代で船を動かし続け、王都から三日と掛からず連合王国の首都リンデ迄進む事ができます」
「……普通は二週間くらいかかるのではないか。海の状態や風向きも影響するだろうが」
「そのようですね」
「破格の能力だな」
三交代、あるいは二交代で延々船を走らせ続けられることに加え、風の影響を受けないことも大きい。内海のように始終風向きが変わる故に、ガレー船を重用する海域に関しても同様であろう。魔力こそパワー。
「王弟殿下の船に魔力持ちの騎士・戦士を百人も載せれば」
「ネデルの沿岸都市のかなりの数は抑えられることになるでしょう。オラン公に協力しても同様でしょうか」
実際やるかどうかではなく、「できる」と知られる事のことが重要だ。ネデルは入り組んだ水路が多数廻らされている。小型の船でその上を行き来し、ネデル総督府軍の矛先をかわし交戦しているという。
その背後に突然、魔導船でまとまった戦力を投下し、攻撃の後速やかに海上へと逃走する。少数で多数を引きずり回す作戦が安全優位に行うことができるだろう。
「王弟殿下にはまだお知らせしない方が良いでしょう」
「……そうだな。今は自身の政治家としての基盤を築く時間だ。ネデルに介入するのなら自らの周りを十分固めてからでなければなるまい」
王国は旧ブルグント公家が手放させた地域の他、領土的野心は……ランドル全域を再び王国の領域に加える程度の野心しかない。回帰と言えばよいだろうか。
その布石として、『リジェ司教領』との同盟も成立させている。リジェ以西を王国の本来の領土として取り戻す……程度は王弟殿下の政治的目標として掲げても良いだろう。
とはいえ、神国領ネデルが政治的経済的に困窮した後、王国が手を差し伸べるというかたちが無難ではないかと思うんだが。