第835話 彼女は王太子の腹積もりを聞く
第835話 彼女は王太子の腹積もりを聞く
小会議室に集まった面子は、彼女と伯姪、王太子、騎士団長、王立騎士団長、モラン公の六名。近衛騎士団関係者や王宮の文官他は参加していない。当然、ギュイス公親子も。
「さて、本当の会議を始めるとしよう」
「私がいてもよろしいのか」
「モラン公には、叔父上とギュイス公双方の監視と、ネデル総督府と神国軍の抑えもお願いするのだから当然だ」
ネデルの神国軍は隙あらば法国戦争終結の際に線引きされ失った王国北東部の諸都市を手に入れるとともに、ランドルから王都圏を伺う可能性がある。
とはいえ、百年戦争の時代とは状況が異なる。王国の重税=騎士が戦ごっこをするための資金確保のために、王国領となったランドル諸都市と揉め、帝国や連合王国に付け入られる契機となったのだが、状況は逆転していると言える。
神国領となり、神国が内海や新大陸で戦争する為の資金をネデルが捻出してることに加え、ネデルから逃げだした原神子信徒の商人・職人は王国北部や連合王国に逃亡している。王国はそれを受け入れ、長期的には国力を高めていくつもりなのだ。
そこにネデルから神国軍が攻め入れば、ミアンなどの商工業により豊かな諸都市が占領されてしまう。その為、態々王弟殿下を『イカルデ大公』として配置し、その後見を軍事的経験豊かなモラン公に委ねることになるのだ。ついでに、使えない近衛騎士はイカルデ騎士団として分離し近衛の質を高めつつ、前線に近いイカルデにおいて有事の際には人柱となってもらうつもりなのである。使い捨てだが、貴族の血が流れたならば対神国として王国内もまとまりやすい。
「殿下はどの程度の確率でネデル総督府は攻め入るとお考えか」
騎士団長が問う。王太子は「二割から三割」と答える。
「今の状況ならその程度であろう。何しろ、金がない」
「なるほど。傭兵に支払う金が無ければ、動かしようはないでしょうな」
「法都の悲劇の二の舞ということはありませんか」
『法都の悲劇』とは、帝国皇帝が法国へ遠征を行った際、傭兵に対し支払いが行われなかった結果、切り取り自由とばかりに教皇庁のある法都が略奪の被害にあい、多くの都民も殺され財産を根こそぎ奪われ焼き払われるという出来事を差している。凡そ五十年ほど前のことであろうか。
王国北部を好きに蹂躙できる空手形を出すだけなら、総督府の財布は痛まない。
「ヌーベ征伐に時間を取られるならばその可能性はある。が、遠征軍を仕立てるには相応の時間が必要だ。こちらは短期でヌーベ領を攻略する。精々、二か月。近衛連隊は戦後処理に関わらせず、王国騎士団ら南部王太子領の戦力で行わせる」
「その間、薄氷を踏む気持ちでイカルデ大公殿下を御守しましょう」
「頼む。近衛騎士らは、戦功次第で男爵・子爵に叙すると叔父上には伝える。領地無しの法衣貴族だが、今後は、領地を持たず年金のみの爵位持ちも増やしていかざるを得ない。官吏と軍人の俸給も能力に見合った爵位とセットとなる」
爵位と年金・俸給がセットとなり、一代限りの爵位持ちが男爵子爵では増えるという事であろう。とはいえ、爵位持ちの男児は孫の代まで「騎士」となるし、女児も「男爵」「子爵」の娘として嫁ぎ先を探す事が出来る。何もなければ「貴族の息子の騎士」でしかないのであるから、悪いことではないのだ。
ヌーベ公領には領都ヌーベの他、百年戦争期に城塞化された小規模の街が幾つか領都周辺に点在するほか、小さな村ばかりであると報告されている。これは、『猫』の話と一致し、そこにはデルタ人の農民が農奴同然に真面な道具も与えられず住まわされているのだと思われる。
「コーヌを落とし、ヌーベ周辺の城塞を陥落させ、領都を包囲することになるだろうが……」
「まともな人間相手ならともかく、吸血鬼や不死者の軍勢……他にも何か考えられるか」
彼女の頭の中には、ネデル遠征で何体か討伐した『魔鰐』が浮かぶ。使い魔である『魔鰐』は討伐したが、肝心の『魔鰐使い』は討伐できていない。全部の使い魔を討伐したとは思えないので、残っているならネデルからの「応援」としていてもおかしくはない。
それに加え、吸血鬼もネデルから逃げ出した者が含まれているように思える。何故なら、ノルド公領で吸血鬼を討伐したオリヴィが手がかりをつかみ、ネデルに潜んでいる吸血鬼を襲撃しているであろうからだ。
オリヴィにみすみす討伐されるくらいなら、配下と共に王国へ、ヌーベへと『傭兵団』として逃げ込んでくる可能性が高い。
彼女は『魔鰐』と『吸血鬼の傭兵団』について、考えていることを口にして聞かせることにした。
「『魔鰐』か」
「オラン公の弟君が指揮した部隊が、大打撃を受け指揮官であったアゾル卿が戦死しています」
「まずいではないか」
「四本足のタラスクスが数体現れると考えていただければよろしいかと」
王太子を筆頭に渋い顔となる。タラスクス討伐の指揮を直接取った王太子は無論のこと、南都から王都にいたるまで討伐したタラスクスを見せて回ったのだから、この会議に参加している者は伯姪を除き目にしている。
「ねぇ、タラスクスとか魔鰐ってそれほど恐ろしいの」
「……あの亀の甲羅を持つ竜ほどではないわ」
「なら、どうにかなるわよ。川から上がってくるのだから、警戒して見つけ次第リリアルで討伐しましょう」
伯姪の言葉に、途端に元気になる他の参加者達。
「そうだな」
「であるな」
「頼みにしているぞ副元帥」
「……勿論です殿下」
王太子の言葉に彼女は黙って頷くしかないのである。
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今回の件、最終的にヌーベに司教区を置くことは考えているが、それはあくまで王国内での差配であり、教皇庁には事後承認させるだけのつもりである。
ヌーベ公領が王国から半独立状態となり、領境を閉ざして以降、新たな司教を始め聖職者は領内で選任されているものと考えられる。聖征が始まる前の時代において、教会は領主の私的教会あるいは私財を投じた修道院が主であり、その人事は領主による選任とされた時代がある。
聖俗が明確に分けられたのは、聖征の時代からであり、完全に分かれたのはその更に後である。とはいえ、王国は教皇庁から任ぜられる大司教・司教を唯々諾々と受け入れるのではなく、王国内の教区に関しては王国内で選任した聖職者を教皇庁が承認するという形で現在は任じられている。
百年戦争を戦い抜き、王国は王家が統治する地であると聖俗に認めさせた結果なのだが。そこには、救国の聖女の存在も欠かせない。王家が王国を治めることを神が認められたと、王国に住む住民が貴賤を問わず受け入れた結果とも言える。
故に、今回のヌーベ征伐に、教皇庁が口を差しはさむ余地を与えるつもりは毛頭ないのだ。でなければ、王国内に、教皇庁が公に介入する余地を与えてしまう。王家の力を弱めることで利を得ることができるギュイス家、その背後には神国と教皇庁の存在がある。
「ギュイスの力を弱めることも中々難しい」
「叔父上に力を振るっていただかねばな」
「藪蛇にならねば良いのですが。ギュイスには娘もおります」
「……かなり若いが。王位継承権二位の叔父上なら、それでも許されるか。副元帥どう思う」
結婚話……縁遠い彼女にニヤリと笑って話を振る王太子。許すまじ!!
「女王陛下は王弟殿下を気に入っておられます。大公となられた今では王配にする事は少々難しくなりましたが、年齢的にも性格的にもお似合いのお二人ではあります。一公爵家の公女では分が悪いかと思われます」
「そうか。我が妻となるルネも一公女なのだが。まあ、よい」
なにやら婚約者持ちから言いがかりを付けられたが彼女は無視をする。
「短期間で遠征を終了させるには、相手の戦力を事前に削っておくことが一つ。移動・滞陣する時間を短縮することが一つ。これは、糧秣の移動時間を短縮することで可能となる。そして、いま一つ、あまりやりたくはないがヌーベ側が勝利を急ぐような仕掛けを行う」
「それは一体どのようなものですか殿下」
王立騎士団長が王太子に先を促す。
「簡単だ。今回の遠征、実体は王立騎士団と近衛連隊の戦力がどの程度のものか試す意味がある。そこで、私が総司令官として戦場に出ていると事前に情報を流す。これでも王家の血を引く男、魔力量も高い。魂を手に入れたいと思う吸血鬼が蝟集してくるだろう。そこで主戦力を削り倒す」
「「「……」」」
伯姪が小声で「あなたと同じようなこと考えるのね」と彼女に伝える。大変心外だ。そもそも、リリアルの遠征では十人足らずで行われるのであり、最大戦力である彼女が正面を受け持つのは当然のこと。王太子とは立場も役割も異なる。
「ご本人が前に出る必要はないと思います。噂を流し、殿下の装備を身につけた背格好の似た者を名代とすればよいのではありませんか」
モラン公が至極当然の提案をする。が、本人はそのつもりはないようだ。
「初めてではない。タラスクス討伐の際も陣頭指揮を執った。あの時は、南都市街にタラスクスを近寄らせないために、リリアルに釣りだしてもらい、郊外のコロッセオの跡で待ち伏せて削って倒したのであったな」
リリアルのちびっ子たちで囲んで、今は無き南都騎士団のへなちょこ騎士に見せ場を与えつつ、最後は観客席に配置したバリスタ迄使って討伐したのである。ラ・マンの悪竜の時と比べれば、相当苦戦した印象がある。
「副元帥、今回もうまく釣り出してもらえないだろうか」
「……元帥閣下の御命令とあれば」
「ああ、そうだ。よろしく頼む」
こうして、今回も前面に出てリリアルが囮となる事が確定した。実際、どこから飛び出してくるかわからない吸血鬼の率いる部隊を警戒し戦うくらいなら、王太子に向かってまっしぐらに吸血鬼が突撃してくれる方が事後の戦いはやり易くなる。
緒戦において、王太子の本陣を意図的に前に出し撒餌とし、その本陣に突撃してくる吸血鬼を……何とか討伐したのち、本隊が残りの戦力と戦うということになるだろうか。
彼女たちが集まっていることも、吸血鬼を呼び寄せる餌となるだろう。戦場に魔力持ちの若い娘がいる事自体、滅多にない事なのだから。
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補給物資の集積の時間を短縮するために、彼女は一つの提案をすることにした。
「王弟殿下の御座船である魔導船を用いて、旧都から領都ブレリア近くの仮設港まで運んでもらい、そこから魔装荷馬車で集積所まで運ぶというのはどうでしょうか。魔導船ならば川を遡ることも容易ですし、コーヌ制圧後は、コーヌを集積地として活用することで、レンヌ、ギュイエとも魔導船で移送する事が出来ると思われます」
「なるほど。だが、それならば……」
「王弟殿下の出番もあった方が宜しいでしょう。王太子殿下だけが活躍したとなれば、王弟殿下が相対的に評価を下げかねません」
彼女の指摘に領騎士団長が頷く。そしてモラン公からもひと言。
「なるほど。魔導船での参戦であれば、戦局を左右することもなく、また、王弟殿下の顔も立つ。それに、魔導船の輸送能力はネデルへの牽制にもなる。良い案ではありませんか」
「で、ですわ」
「……誰なのあなた」
イケジジに褒められ、一瞬自分を忘れる彼女である。
彼女の提案は今一つ。ニース商会を酒保商人として契約する事である。
「身内びいきと言う事ではないのだな」
「はい。今回、王国内とはいえニース騎士団、聖エゼル海軍の戦力を動員することは、教皇庁の影響力を考えるとできないと考えます」
そこで、ニース騎士団の別動隊である『ニース商会』に糧秣の手配と輸送の依頼を掛ける。商会の輸送体の護衛はニース騎士団とその外郭組織であるジジマッチョ団が請け負う。
「なるほど」
「かの方達は、聖騎士としての力をお持ちですので、王太子殿下の本陣近くに糧秣の集積所があれば……」
「それを護るために、参戦するか」
「はい。あくまで、商会の護衛が戦闘に巻きこまれただけに過ぎません」
物は言いようである。ニース騎士団・聖エゼル海軍がヌーベ討伐に関われば、教皇庁から「聖征でしょ?」と言われかねない。口も手も出されては本末転倒となる。
「なにより、おじい様が後で何かいいかねないものね」
「ええ。何もせずとも姉さんは現れるでしょうから、最初から仕事を与えておいたほうが良いと思うのよ」
彼女と伯姪は全然別のことを考えていたが、いつものことである。姉のアイネは必ず現れるのだ。
騎士団長が戦力を削る手段に関して、デルタ人をどうするかと話題にする。彼女の中ではすでに『領民』扱いなのだが。
王太子に視線が集まる。
「そうだな。事前にワスティンの森に移動させ、その者たちの一部を『傭兵』としてリリアルが雇用するのはどうだろうか」
王太子に言われる迄も無いのだが、それをこの征伐のさなかに行うというのは想定外である。
「敵の戦力が寝返ってくれるのであれば効果は倍増する。ヌーベ側に与える心理的な打撃も大きいものとなるだろう」
「それは……そうなのですが……」
領都は兵站基地として使われているので、六千人もの人々を仮住まいにしても住まわせる余地がない。単純計算で千五百戸の四人住める建物を建てねばならないのだ。テントを作るにしても無理がある。
「六千人を収容する場所がありません殿下」
「……王家の使っていない城塞が、ロアレ川沿いに多数ある。が、仮住まいできる建物が無いのだ」
閲兵式を行えるような広場を備えた城塞が多数あるのだが、そこで老若男女が暮らせる施設があるわけではない。明らかに外見に特徴のあるデルタの民を一般的な都市や街で受け入れるわけにもいかない。
「さて、どうするか」
王太子は何やら考え始めるのである。
よろしくお願いします!