第819話 彼女は兎を愛する
第819話 彼女は兎を愛する
「兎は良いわね」
「そうね。可愛いし美味しいし暖かいし」
「……そうね」
どうやら伯姪は、可愛いよりも肉と毛皮に関心が傾いているようだ。彼女は心の中で兎に会うたびに名前を付けないように頑張っているのである。愛着が湧いたら負けなのが家禽である。
「どうやら、子供が出来ているメス兎もいるみたいね。そのうち生まれるみたいだから楽しみね」
だがしかし、最初の二週間くらいは……もろ鼠に似ている不細工なのである。兎の親は可愛いが、子供はある程度大きくなるまで……可愛くない。
「巣箱はあれで大丈夫なのかしら」
「初めてだから、駄目そうなら藁の山でも作ってあげるとか、工夫しましょうよ」
その辺りも、三期生に委ねるつもりである。それは、彼女も自分自身で納得していることなのだ。兎飼育所は三期生が責任を持って管理する。その在り方は三期生で話し合って進めていく。彼女や伯姪、あるいは先輩学院生に関しても特に口を差しはさまない。ということで、各所には伝えてある。
汚れた寝藁は細かく砕いて薬草畑や森の中に漉き込むように処理をするし、その仕事も含めて三期生の役割としている。代わりに、肉や毛皮の処理とその成果物は三期生の物としている。今のことろ全額学院に納めているのだが、彼女は記録を残しており、学院を巣立つ時には十二等分した金額を返すつもりで別に用意することにした。親代わりなら当然であるし、副伯の予算からすれば学院の維持費は以前よりさらに負担を感じなくなっている。
学院生の騎士? 兵士と同等の給与を渡し、残りはリリアルでプールしている。騎士と兵士の違いは「自弁で装備・馬を飼うかどうか」というところにある。兵士は装備一式貸与であり、騎士は馬や武具だけでなく、従者も自分の収入で養わねばならない。リリアルの騎士にはそのような必要がないので、騎士とはいえ、差分を学院に納めさせているのである。ズルじゃないよ!! 搾取でもないよ!!
兎の肉は鶏肉に似ているので、料理方法も似ている。羽毛のない鶏と毛皮のない兎は……似ている。肉としての外見が。香草焼きなどが定番だろうか。鶏より脂がのっていて子どもたちには人気の兎の丸焼き……
「兎は、畑を荒らす害獣ですから。鹿狩りを禁じている領地でも、兎は狩って良いということになってますし、兎狩りは猟犬を育てるのに良い練習相手みたいですから」
茶目栗毛がそんな話をする。連合王国の猟師ギルドで聞いた話なのだろうか。狐も同様に家禽を襲うので、狼のいなくなっている白亜島では積極的に駆除対象となっているようだ。熊? 古帝国時代に絶滅しておりますが何か?
最近の彼女の日課は、朝の兎の餌やりに立ち会い、執務のち昼食。そして、午後の執務を速やかに片付け、自由時間に再び兎の餌やりに立ち会う……つまり、理由を付けて兎飼育所(城塞内)に入り浸っているのである。
三期生の年長組はやりにくそうだが、年少組は今までよりぐっと距離の縮んだ院長先生と仲良くなっているのである。それはそれでよい事だろう。
しかしながら、彼女が朝晩訪れる事で、飼育所の床の土はいつもフカフカであり、当初みられた兎の脚の怪我は生じなくなっていた。大変良い事だ。
そこに、珍しい人物が現れた。
「よ、よぉ」
「「「あ、セバスおじさん!!!」」」
「おじさんじゃねぇ!!!」
子供におじさん呼びされ、全力で言い返す歩人。いや、おじさんだから。
「どうしたのかしら。私に急用でも?」
「いや、ほら、まえにちらっと、土魔術で耕さしてほしいって言われてたんだけどぉ、ぜっんぜん言われないから、どうなってんのかと思ってよぉ……でございますお嬢様」
そういえば、兎飼育所の土の入れ替えは、最初は彼女自身が行い、今後は歩人に頼むよう三期生には伝えてあった。がしかし、今のところ朝晩彼女が顔を出し、土を弄っているので必要とされていないのだ。つまり。
「あなたは必要とされていないわね」
「言い方!! 言い方に気を付けろよぉ!! でございますお嬢様!!」
おじさんは必要とされないとひどく傷つくのである。
「セバスさん、院長先生が不在の時にお願いすると思います」
「お、そっか。そうだよな。じゃ、今日は……兎モフって帰るわ」
歩人の里でも兎は良く食卓に上る獣肉であったようで、歩人も里にいる頃は括り罠や巣穴を犬に襲わせて狩りをしていたのだという。とはいえ、可愛い動物であることには変わりはない。
「お、何で逃げんだよぉ」
歩人が歩くと、その前からさささと勢いよく兎たちが逃げていく。追い詰めようと動いていくのだが、擦り抜けるように逃げ去ってしまうのである。
「こいつは……身体強化を使ってぇ……」
本気で追いすがろうと魔力を纏い始める歩人。だがしかし、止めが入る。
「セバスさん、お世話もしないでいきなり抱こうとすれば、相手は逃げますよ。警戒されているんですから。それに、身体強化で魔力なんて纏えば魔物と間違われて兎が気絶したり狂騒状態になりますから、絶対やめてください!!」
「「「「ください、セバスおじん!!!!」」」」
「おじん言うな!!」
汚人……ものすごく貶められている気がする歩人セバス。おじさんだって、綺麗好きな人は沢山いるんだから、偏見は良くありません。
結局、その日は抱かせてもらえず、歩人は翌日の朝から世話をすることになる。歩人を働かせるなんて……モフ兎……恐ろしい子。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
迎賓館での婚約披露まであとわずか。王太子宮から再びの呼び出し。彼女は一先ず、赤目のルミリを連れ王都へと向かう事にした。伯姪はお留守番というか、領都関連の仕事をお願いしておく。移住者募集の件でも王都周辺の子爵家が代官を務める村に訪問しなければならないので、別行動はこの先ますます増えるだろう。
「今日も馭者を務めさせていただきますわぁ」
「商人目指すなら、馬車の馭者も慣れておく方が良いでしょう」
それ以外に、彼女はルミリを連れて行く理由がある。王太子宮に入る前に、王都城塞の『家付精霊』と確認をしておきたかったのである。
王都城塞を訪問すると、堀の周りを確認し中に入る。
『こっちには……痕跡あるのだわ』
どうやら、『赤帽子』とその御仲間は王都城塞の周辺も探っていったようで、『金蛙』がそうつぶやく。
「あ、先生。今日は何かあったのでしょうか」
城塞番の学院生が声を掛けてくるが、彼女は「リリスに会いにね」と言い、『リリス』のいそうな調理場へと足を向ける。家事手伝いの得意な家精霊であり、明るい昼間は特に日の当たらない場所にいやすいのである。
日が落ちれば、夜警のように城塞内の各所を巡回している。故に、城塞当番のリリアル生も感謝し、良く思っているのだ。
「でも、あの手の子は、動物が怯えるからここで兎は飼えないわね」
「……飼わないですわぁ……」
院長が兎にドはまりしているのはすでに周知であり、ルミリも「はいはい」とばかりに聞き流している。領都の城塞内では飼う気満々だろう。
「リリス、会いに来たわ。出ていらっしゃい」
『ここにいるよ』
炊事場の一角、やや影のできる場所から、十歳ほどの黒っぽいワンピースを着たメイド風の少女が現れる。
「少々聞きたいことがあるのだけれど」
『なに』
家精霊は、家人を害する者に対し警告を与え、また、排除しようと試みることがある。バンシーであった『リリス』も相応の力を持って行うはずなのだ。
「この城塞の周りに、『赤帽子』が現れなかったかしら」
『……来た。けど、何もしないで帰ったから……』
「ええ、貴女の言いたいことはわかっているわ。相手が侵入もせず、住人に危害を加えるわけでもない。建物を破壊しようとしたわけでもない。だから、ただ監視していた……そうね」
『そう。赤帽子。数は六匹。他にも、案内? 「海豹」の人』
『海豹人』は、ディズファン島でも相対した人間に悪意を持つ妖精。あるいは魔物。
その姿は「海豹」の姿をしているが、海から陸に上がる際に、身に纏う毛皮を脱ぐと人に似た姿を取る『妖精』の一種。
「それが先導してきたのね」
『多分。縄で引っ張ってきたのかも』
最低限の足跡なのは、堀から上がる際に、足を着いたからからだろう。余り残っていなかった理由がこれで説明がつく。
「また来たなら、ここの子たちに知らせてちょうだい。何もしていなくても、知らせて監視して欲しいのよ」
『うん。わかった』
『赤帽子』の危険性と、迎賓館襲撃の可能性、そしてその延長線上にこの城塞に危機が迫ると『リリス』に説明したのである。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
王太子宮を訪問すると、早々に王太子の執務室へと通される。
「やあ、先日の報告は助かった。防御の宛にしている堀から侵入とはね。早急に入口に鉄格子を施し、堀の中にも会の直前に防柵を設置する。これで、ある程度問題は解消される」
「殿下、お耳に入れたいことが」
先ほど王都城塞で『バンシー』に確認した情報を王太子に説明する。
「魔物に誘導係の妖精か」
「はい。ですが、対処可能な程度ではあります」
「それは信用しているさ。だが、『陽動』の可能性もある」
わかりやすい痕跡を残し、発見させ対処させ安心したところを別の部隊が襲撃する。王家の面々、来賓も相応に身分の高いものが少なくない。各国要人だけでなく、王国内の有力者も数多く参列する。ギュイエ公、ブルグント公も参加者に含まれている。ジジマッチョも来る予定だ。
「我々と来賓、全員に相応の護衛を付けるわけにもいかぬ」
「護衛の数が大変なことになりますもの」
「だからこそ、リリアルの騎士達には相応に働いてもらわねばならない。陽動は全てリリアルで対処してもらいたい。その上で、館内での迎撃もだ」
近衛や衛兵は要人警護に専念、その上で賊の討伐は全て彼女達に任せるということだ。
「大変な重責です」
「頼んだよ、副元帥」
「……畏まりました、元帥閣下」
今回は、リリアルを上げて迎賓館に戦力を集めなければならなさそうである。三期生も含め、また、専属冒険者となりつつある四人組にも王都城塞に詰めてもらい、女僧には侍女姿で彼女達と行動を共にしてもらい、助力を依頼する必要があるだろう。戦力が欲しいのだ。
今後、専属化にあたり、『女僧』にも魔装ビスチェを貸与しても良いだろう。隠し武器ならぬ装備一式を身につけて帯同してもらいたい。盾技に優れた『女僧』ならば、警護の際も十分戦力になる。
王太子は次いで、ヌーベ討伐遠征の件に関して話を進める。既に、ブルグント、ギュイエ、王太子領には動員計画が進められており、公爵領軍は領境の封鎖を既に始めている。元々、あちらから封鎖しているのであるから、柵を巡らせ街道を閉鎖。さらに、監視兵を各所に配置し人の動きを観察させているという。
「主力は南側から王太子領の領軍と、王国騎士団だ。これは私が指揮を執る。北からは近衛連隊、騎士団、そしてリリアルだ。リリアルは遊撃と言うか……」
「懐柔している領村のデルタの民への先触れ、武装解除、安全確保といった仕事でしょうか」
「それが第一。第二に、領都の城塞への侵入。ヌーベ公とその側近たちの確保までできれば最上だな」
王太子の言い分に、彼女は随分と今回もこき使われるなと内心思う。
「卿の言わんとする事も理解できる。だが、騎士や兵であれば近衛連隊や騎士団で対応できるが、魔物相手ではどうなるかわからん。まして、吸血鬼あるいはノイン・テーター指揮する狂騒状態の兵士なら、万が一崩される可能性もある」
魔力持ちの騎士は少なくないが、それはあくまで対人戦において有効に身体強化として利用する為の訓練しかされていない。魔力持ちを捜索したり、あるいは、魔術を放つことを得意としていない。全くできないと言い換えても良い。
「索敵と主力への情報提供も頼みたい」
「……魔物あるいは魔力を有する何かに関してだけは伝令を走らせます」
「頼む」
三期生に伝令を託す可能性も考えなければならない。戦場において子供の斥候・伝令は活用されている。訓練された三期生ならば、十分役割を果たせるだろう。
「リリアル領の領都は既に、駐屯地として整備できているのか」
「凡そ整地は終了しております。堀は水を流し込んでおりませんし、街壁はまだ基礎だけですが」
「いや、天幕を張れて水が確保できていれば十分だ。最初にヌーベの外港『コーヌ』を確保し、そこから、北側の大きな街を落としていくことになる。その間に、リリアルは領村の慰撫を終わらせ、軍が領都を包囲する間に、領都内に浸透し、内部情報の収集と、ヌーベ公らの居場所を特定してもらうことになる」
「……承知しました……」
慰撫に必要な食料の確保、加えて、王国側に着いた村には王国旗を掲げさせることができるよう、大判の王国旗を数十彼女に引き渡すよう王太子に伝える。
「勿論だ。若干年季の入ったものになるが、百は学院へ渡そう。数日、時間をもらおうか」
王太子は、騎士団や近衛で使用している『お古』を回すようだ。遠目でもわかれば良いので、草臥れていても目立つほど大きければそれでよい。
王太子は遠征についての詳細は、婚約披露の後改めてと言い、言葉を終える。
「殿下、王領からリリアル領への移住希望者の募集の件も進めたいのですが」
彼女が兎の次に気になっている『移住者募集』の件について王太子に問う。すると、王太子は既に各村に希望者を募る通達を代官とその配下の役人を通し伝えてあると言い、彼女の前に特許状を示す。
「これまでの話の中で、リリアル卿が望んだ移住の条件を認める旨を記した特許状だ。夫婦、家財道具の持ち出し、水車小屋の移築、必要な家畜の購入、免税条件などしたためた。内容を確認し、不備があれば内容を改めよう」
王太子は「これで文句ないだろ」とばかりに、彼女に口元だけで笑ってみせたのである。
読者の皆様へ
この作品が、面白かった!続きが気になる!と思っていただけた方は、ブックマーク登録や、下にある☆☆☆☆☆を★★★★★へと評価して下さると励みになります。
よろしくお願いします!