第817話 彼女は兎を飼う許可を与える
第817話 彼女は兎を飼う許可を与える
水路からの侵入に対する警戒。これは、リリアルに一任するとの王太子の判断が下された。近衛はもちろん、その配下の衛兵隊には魔物の対応は手に余ると考えたからだ。
その代わり、水路の障害物設置は当日昼間に行うということが決まっており、また、不審な船が王都に現れる可能性を考え、騎士団は王都の河岸の警備を水路の取り入れ口を中心に監視することにしたとのこと。
「魔物が川底を歩いて侵入とか、やめてもらいたいわね」
「ええ。鉄格子で封鎖することも今後は検討しなければならなさそうね」
リリアルの領都は水路を巡らせている。ミアンなどもそうだが、夜間の水路は鎖などを降ろし船の航行を行えないようにしている。魔物の水中からの侵入を妨げる防御柵は必要かもしれない。
「ヌーベが制圧できれば、一先ず安心できるのかしら」
「さあね。神国はしつこく王国を削りに来るでしょうし、魔物を利用することにも抵抗が無さそうだから、これからは更に警戒が必要ね」
「小鬼狩りしていたころが懐かしいわ。山賊程度ならちょちょいのちょいなのにね」
リリアルの活動と騎士団の拡充で、王都圏は随分と平穏である。また、南都を中心に王国南部の王領・王太子領も野盗や魔物の類は積極的に新設の王国騎士団が討伐を進めており、同様に落ち着きつつある。
伯姪と彼女が執務室で仕事をしていると、執務室に訪問者が現れる。それは珍しい人物だった。
「失礼します」
「何かしら。困り事でも」
「いえ。お願いがあります」
現れたのは二人。三期生年長組の魔力持ちの男女である。男の子は『カル』女の子は『アグネス』という。
「できることなら叶えてあげたいわ。まずは要望を聞かせてちょうだい」
「「迎賓館の警備に、私たちを使って下さい」」
「「……」」
手斧を渡した時点で、既にかなり高まっていた気持ちが、三期生の中で表面化し抑えきれなくなったというところだろうか。
「今回、あなた達を配する場所がないわ」
「水路の警備、手伝います」
「私たち夜目が利きます。それに、相手の魔物は小鬼くらいなんですよね?そのくらいなら……」
「近づいて手斧でやり合うつもりなら諦めなさい。あなた達を死なせるつもりで
ここに置いているわけではないのだから」
「でも」
「今回は諦めなさい。もう少しわかりやすい相手の時にしましょう。それに、来るとは限らないのと……」
「あなた達が赤帽子と見間違えられかねないわ」
「「……ああ……」」
同じような背格好に同じような武器。昼間ならともかく、夜は見分けがつきにくい。
衛兵も騎士や来賓も同じように感じるだろう。間違って殺されても文句は言えない。
「あなた達が戦力になることはわかっているわ。もし、役に立ちたいと考えているなら、そうね……」
彼女は考える。癖毛が補修に出る領都の仮小屋と騎士団支部跡の防御塔構築に何人か同行させ、野営や狩りの練習をさせるのも良いだろう。癖毛や狼人も、雑用をになう者がいれば助かるはずだ。
彼女はそう考え、同行者となることを提案する。
「年長組の同行なら許可します」
「……わかりました……それと、これは提案なんですけど」
『アグネス』曰く、養成所の周辺には『兎』がそれなりに住んでいて、罠を仕掛けて掴まえたり、掴まえた兎を飼育して繁殖させ、毛皮や肉をとることもあったのだと言う。
「領都や修練場の施設で兎を増やせたらいいかなって」
「簡単なの?」
「はい。直ぐに生まれますし、半年くらいで成獣になるので。一年くらいで〆て皮と肉をとっていました」
「兎の毛皮はそれなりに需要があるものね」
「リリアルの子たちの防寒具に使えたらいいんじゃない?」
それはさすがに分不相応ではないでしょうか。
「敷物とかに良いわね」
「確かに」
彼女の中では「夢が広がるわね」といつもの調子となり、試しに学院の城塞の一角を使い飼育することを許可する。恐らく、三期生年少組がその世話係となるだろう。
「でも、兎をどうやって捕まえるの?」
「括り罠か、あとは、兎の巣穴を見つけて犬を嗾けたりします」
「……子熊じゃダメかしらね」
「それは、メリッサに相談してからでしょう」
魔熊使いが良いと言えば『子魔熊』による、兎狩りもありになるだろう。
「では、そういうことで、少しずつ新しい試みを進めましょう。迎賓館の警備には二期生もほぼ参加しないの。だから、気持ちだけ受け取っておくわ」
「「はい。ありがとうございます」」
二人は一礼すると、執務室を後にした。
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早朝から三期生は盛り上がっていた。朝食の前に、既に周辺の森に括り罠を仕掛けに向かっていたのだという。
「兎、飼うんですって?」
伯姪は既に三期生達と会い、昨夜の件を耳にしたようだ。彼女は肯定する。
「ええ。肉質は鶏に似て、毛皮が獲れるので良いのではということになったのよ」
「そうね。兎肉は淡白で食べやすいものね。臭みもないし」
兎丸ごと食べても肉の量はあまり多くはない。小骨も多く食べにくいところもあるとか。それでも、兎肉は庶民も口にできる肉としては貴重な部類ではある。豚の他、野生の鹿や猪など狩るのはなかなか難しい。数が減っている事もあり王宮では禁猟とする事も検討されている。あくまで庶民が勝手に狩ることを禁じる方向なようだが。
「肉の種類が増えるのは良い事よ。それに」
「多くの人が口にできる肉を増やすのは良い事よ。林檎と羅馬だけではなく、兎も検討するべきかしらね」
彼女は再び「夢が広がるわね」と口にする。
昼過ぎ、彼女は再び三期生と面談することになった。実際、城塞の空きフロアを飼育所にするとなると、問題があるのだという。
「土を入れても構わないわよ」
「いえ。あの城塞だと、兎を狙う鴉が簡単に入り込めてしまうんです。狐や狼は近寄れませんが、鴉は飛んできて開口部から中に入れますから」
城塞とはいえ、王都のそれとは異なり、訓練施設を兼ねているので躯体だけなのである。つまり、木製や鉄製の窓はついておらず、大昔の城塞のように開口部だけがある。必要となれば取り付ける予定だが、今はないのだ。
「窓を入れると、空気の入れ替えや日の入りも悪くなりますし。どうしようかなって」
「鴉が入れないだけで良いなら、鉄格子を嵌めましょう。そのフロアだけ。出入口も今は扉を付けていないのだから、飼育部屋には付けてしまいましょう」
入口に扉が無ければ兎は逃げ出すかもしれないし、他の階から入り込んだ鴉や害獣が兎を殺すかもしれない。鼬なら、城塞の壁くらい登れる可能性もある。
「窓が開きっぱなしだと、兎が飛び降りるかもしれませんし」
「そうね。空から兎が降ってきたら、皆驚くでしょうね」
部屋に笑いが広がる。
彼女は老土夫の工房に遣いを出した。今では少々大きな工房になり、弟子とは言いにくいが、一般の鍛冶を担う職人も何人かいる。領都の開発が進めば、何人かはお抱え鍛冶師として移り住んでもらう事になるだろう。
城塞の開口部を覆う鉄格子と、出入り口用の扉は、建具職人に依頼する必要があるようだが、簡単な物なら丁番さえあれば問題ないだろう。扉は当座、適当でもかまわない。全金属製というのは、重さからして年少組の出入りする場所に相応しくないだろう。
そうしていると、工房から癖毛がやってきた。
「どうしたの。貴方がお遣いなんて珍しいわね」
最近では老土夫の一番弟子(仮)扱いで、些細な用事は職人たちかその下働きが担っているのだ。
「いや、城塞の件で一寸した提案なんだけどよ」
癖毛曰く、鴉や兎が出入りできないだけで良いなら、鎖をすだれ状に吊り下げてはどうかというのである。
「縦は鎖で、横は麻紐で括るんだよ。鎖を垂らしただけじゃ微妙だけど、縄でつないでしまえば、日も入るし風も抜けるうえに、取り外すのも難しく無いと思ってさ」
鎖のカーテンということだろうか。悪くはない。鎖と鉄格子なら鉄格子の方が手間がかからなさそうなのだが、鎖を作る練習をさせたいので都合がいいという。跳ね上げ橋用など、鎖の需要は少なくない。新しい領都建設の際も、相当数必要だと老土夫は考えているようだ。
「なら、それでお願いするわ」
「あんま重くない鎖にしておく。入られなきゃいいんだしな」
「あなたに、任せるわ」
「お、おう。なるはやでしあげるからよ。ガキンチョ達待たせるわけにはいかねぇ」
照れくさそうに言い残すと、癖毛はそそくさと彼女の前を後にする。彼女と癖毛の間は、一期生としては距離がある。冒険者に向かない、かといって薬師をするには魔力が多すぎて制御もできない。結果、これ幸いと老土夫に押し付けてしまった。
おそらく、癖毛は認めてもらいたかったのだろう。誰からでもなく「誰か」から。そういう意味では職人の徒弟のような扱いは良かったのだろう。老土夫も、孫の相手をするようなつもりで接してくれたのだろうか、最初こそ苦労していたようだが、コツをつかんだ後は、みるみる魔導・魔装鍛冶師としての腕を上げて行った。
魔力量が多い分、長い時間魔装の鍛冶ができ、長く鍛錬できるからこそ、腕を上げるのも早かった。どこかの誰かに似ていなくもない。そして、周りから認められてからは、本人も周りに気を配れる人間になった。今では、年下を思いやる余裕も持っている。一期生の中で異色だが、必要な大切な仲間の一人としてあることができた。彼女の心の中は喜び半分、安心半分といったところである。
おそらく、領都の開発に癖毛は重要な役割を担う事になるだろう。何らかの役職と、リリアルの騎士として叙任する必要があるかも知れない。本人も周囲も騎士学校に半年通う事を良しとしないのは明白だ。ならば、彼女が叙任し副伯領の立場を作らねばならないと考える。
立場が人を作ると世に言われるではないか。
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兎は一先ず数羽に止めることにした。それとは別に、『肉用』を確保することは特に問題ないとして、得た肉は三期生が好きに食べて良いし、毛皮は軽く処理してまとめて冒険者ギルドに買い取ってもらえるよう手配することにした。
「兎の毛皮って、討伐依頼証明じゃないのよね」
「素材採取依頼の中にあるのよ。毛皮を必要とする職人は少なくないし、一枚二枚では使いでがないから、安くても数がいるから、常時依頼が出ているわ」
「その辺、王都ならではね」
暖かい内海のニースでは、毛皮の需要がない。大山脈に向かうような者は、兎の毛皮ではもの足らず、狼あるいはもっと上質の毛皮を使用する。兎を好むのは貴族の女性や子供になる。男性は……可愛いと思われたくないので避けるようだ。比較的安価であり、耐久性もやや低い。
が、何でも最上級でなければならないわけではない。二級品だからこそ、大きな需要がある。精強な軍馬より羅馬や兎馬、高級毛皮より兎の毛皮。リリアルはその辺りが落ち着く。
「魔装があれば、毛皮も不要だものね」
魔装布……超一級品。魔力を纏うのであれば、鋼の鎧より硬く、絹より涼しく、毛皮より暖かく、そして丈夫で魔力を通せばある程度自己修復する優れもの。彼女達に毛皮は不要なのである。
ファッション? どこで必要なのでしょうか。
そのうち、毛皮製品を仕上げる職人もリリアル領で育てることも検討しなければ
ならないかもしれない。
それからしばらく、『兎肉』が彼女の食卓を幾度か飾った。三期生の獲物は三期生の物と彼女は考えていたが、三期生は少しずつ、リリアルの他のメンバーに「おすそ分け」をしていた。多い少ないはあったものの、自らをただ飯食いだと思っていたのか、三期生達は彼女やその他の先達に兎肉をおすそ分けし続ける。
そして……
「四人は責任をもって俺が守る。多分、必要はないだろうが」
「いえ。貴方がいれば、安心して委ねられます」
「俺は?」
「領都と防御塔の建設お願いするわ」
「ああ、しっかり仕上げて来る」
彼女は狼人と癖毛が四人の三期生年長組を引き連れ、魔装荷馬車で領都・そして『ヴィルモア』にむかう一行を見送っていた。
「俺の時とはえらい違いだぜぇ……でございますお嬢様」
胡乱なことを言い、背後から恨めし気な目で見る歩人をその場の全員が完全無視。おじさんは嫉妬深いのである。
「気を付けて行ってらっしゃい」
「はい!! 沢山、兎掴まえてきます!!」
「食べる分だけにしておきなさい!」
兎食ブームは未だ衰えず。領都の周辺や騎士団支部跡周辺で罠を仕掛けるのだろう。未だ見ぬ新たなステージへの期待に胸膨らませる三期生年長組。元暗殺者養成所出身の兎狩り職人。この場合、狩人か。
三期生年少組は、年長組に大きな声援を送りつつ、リリアルの兎飼育を任され、若干テンションが上がっている。
既に鎖のカーテンと扉は用意され飼育階は整っている。癖毛が『土』魔術で床上に土を敷き、その上に藁を敷いて兎の飼育小屋? は凡そ完成する。巣になる古びた木桶や樽も用意され、兎は数羽放たれている。
この後、三期生の当番と有志(ほぼ全員)は、朝のえさやりに向かうはずだ。
「ねぇ、兎って子供結構生むわよね」
「はい!! 一回に五六っ匹生むと思います」
「それで」
「年に三回くらい飼い兎は出産しますね。半年で成獣並みになると思います!!」
「成長はや」
「出産はや」
彼女は、兎にも負けているのではないかと、内心忸怩たる思いをするのである。いや、早ければいいという問題ではないのだが。