第814話 彼女は不穏な気配を感じ取る
第814話 彼女は不穏な気配を感じ取る
晩餐にはその後も、様々な料理が饗された。
『サルシフィのロマンデドソース和え』
『ガチョウのクリーム煮』
『ロマンデ風マトロート』
『スズキのエスカロープ 粉焼き シードルソース和え』
どれも美味しいが、これでもかとバターを使っている。スズキはさっぱりして良い仕上げだが、これもシードルソースである。
「王宮の料理らしい味付ね」
「ふふ、枢機卿や諸侯が太るのも納得ね」
美味しいものは栄養価が高く……太りやすい。
加えて、それぞれに合わせた王国各地のワインや蒸留酒が饗される。『サボア』『王太子領オクタ』のワイン、『ブルグンド』『シャンパー』『ボルドゥ』に『レンヌ』『ロマンデ』の林檎蒸留酒まで。
水に恵まれない帝国では、麦を材料とするエールが主に飲まれるが、気候に恵まれた聖征の時代においては白亜島や帝国のかなり北部までワインが栽培されたていた。
とはいえ、古の帝国時代から栽培されてる内海地域と比べれば味も然程良くない為、身分の高いものは羊毛や鉄鉱石、麦や木材や毛皮を売り、
ワインを手に入れるのである。
国内でワインを多数産出する王国は、それだけで富貴な国と言える。シャンパー大市の時代、ワインを求めて北方から数多くの商人が王国を訪れ、交易が行われた。その利益に目を付けたのが『商人同盟ギルド』であり、その勢力が拡大するとともにシャンパー大市は下火となったと言われる。
「栄枯盛衰を感じるわ」
「けれど、ワインは王国の手に残っているのよ。その辺、ニース商会があの勢力に止めを刺す為に利権を買いあさっているのでしょうね」
余剰が出れば値崩れする。ワインの余剰が蒸留酒となり長期保存も可能となるのであれば、王国からこぼれ出る利益を減らさずに済む。それは、今やロマンデやレンヌの林檎を素材とするシードルにまで広がりつつある。何でも蒸留酒時代到来である。
その旗振り役が彼女の姉とニース商会というわけだ。
ワインのアルコールは決して少なくない。蒸留酒と比べれば数分の一だが、料理に合わせて様々なワインを試飲するだけで酔う。座っている時には気が付かないが、立ち上がれば目が回りそうだなと彼女は感じる。
「お泊り前提で良かったわね」
「皆さんはお帰りのようね」
高官とはいえ、明日も仕事はある。一度深夜でも自邸にもどり、身だしなみと体調を整え明日は出仕するのだろう。国王陛下はともかく、王妃と王太子は厳しいのだ。
「ルネ様はかなり眠そうね」
「飲まされ過ぎではないかしら」
王妃殿下はかなり飲めるし、酔っても変わらないのだ。それに付き合わされたのだから、酔いも回るだろう。因みに、王女殿下は体質的に王妃に似て強い。反面、王太子はさほど強くなく、好きでもないので、口を付け味を確認する以上は飲んでいない。一口だけで済ませている。
「今日は皆、大儀であった。今回の晩餐での意見を参考に、婚約披露の晩餐は良いものとなるだろう」
国王陛下から〆の挨拶があり、王太子殿下も何やら語っているが、酔いの回っている彼女が既に何を話しているか内容は耳に入らない状態であった。
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「すっかり酔ってしまったわ」
『あー ババアの説教確定だなお前』
恐らく今頃、国王陛下は正座中だろう。その後に来ることはないだろうが、祖母は偶に学院に顔を出すので、その際にでも今日のことは咎められる可能性は高い。いや、試飲とはいえ、一杯分のまなければ味は解らないだろう。王太子のように一口では飲んだとは言えまい。
「それにしても、貴女は思う以上に強いのね」
「ニースの血ね。大いに食べ大いに飲む。鯨飲には慣れているわ」
「……淑女としては問題ね」
「問題ないわ。法国の貴族女性はふくよかで大食の美女も沢山いるのよ」
そう言えば、王国も南部と北部では違う国と言うほどの違いがある。美女の基準も。姉の様な肉感的な美女が持て囃される傾向が強い。スッキリ体型の彼女は、美女の範疇に入らない。「デブじゃないよ!!」と姉が声高にするが、ニース嫁となってから、その肉感的美貌は増している。多分そういう事なのである。
とはいえ、ノーブル領は山国的な風土もあり、ニースとはかなり違うので、その辺は畜産やら林業にも力を入れることになりそうだ。シャンパー同様、聖征の時代の頃は、大市に向かう法国商人が多く訪れる経由地であった事で栄えたが、今は閑散とした街になっている。以前訪問した時はそうであったし、今も変わらないだろう。
その辺り、当主となりノーブル女伯となる姉がどうするか見ものである。領地も街も歴史は古帝国時代にまでさかのぼれるので、原野荒野同然のリリアル領よりは随分とましだろう。
翌朝、王家の皆さまと共に宿泊した彼女と伯姪は朝食を戴くことになっていた。今日は迎賓館の警備体制を確認する為に騎士風の服に着替えて朝食の席についている。
「あら、まあ。素敵な騎士様ですね」
「ええ、お二人は王国の誇る女騎士なのですわぁ」
王女殿下救出の際は確かその様な装い……かなり冒険者よりであった。レーヌへの同行した際、公女殿下の前では侍女か冒険者風の装いであったので、騎士服は初見である。
「今日は迎賓館と、こちら側からリリアル城塞の防備を確認しようと考えております」
「そうか。よろしく頼む」
王太子から簡単に承諾を得て、彼女と伯姪は王家の食卓の端で目立たぬようご相伴に預かることにする。
「大公妃になった時は、王宮ではなくこちらに泊るのですわぁ」
「そうね。レンヌの騎士が防備を固め、料理人や使用人も連れてここに泊ることになるでしょうね」
「……面倒ですわぁ」
王家の姫とはいえ、大公妃となれば身内扱いすることは難しい。大勢の供を連れ実家へ帰省することになる。王家の離宮かこの迎賓館を滞在先として戻ることになるだろう。
「あんまり使わないとそれはそれで痛むから、定期的に孫を連れて戻っていらっしゃいな」
「はい、お母さま。そういたしますわぁ」
「「「「……」」」」
彼女達と王太子夫妻は微妙な顔をする。
「あ、ルネちゃんも、お母さまをお呼びしてここに滞在してもらいなさいな。料理人は王宮から派遣しますし、侍女やメイドもいるので、最低限で済むわ。せっかく魔装馬車もあるのだから、気軽に王都を訪問してもらいたいわね」
「……ありがとうございます。お義母様」
「いいのよ。レンヌも魔導船と魔装馬車を使えば一日でイケるのだから。私たちだけが良ければよいということではないわ。うふふ」
どうやら、この母娘は王都とレンヌを魔装・魔導装備を駆使して頻繁に行き来するつもりらしい。
「良い考えだ。王妃よ、儂も……」
「陛下には王都でしっかり執務をお願いします。社交は私が責任をもって執り行いますので」
「……然様か……」
しょんぼりする国王陛下。世の父親というのは切ない者なのである。
王家との朝食の後、王家御一家はそれぞれの宮殿に戻っていった。正確には、女性陣は王妃殿下の部屋で茶会となるようだが、国王・王太子はそれぞれの執務に向かった。
「さて、衛兵指揮所にご挨拶してからはじめましょうか」
「そうね。所轄の顔は立てないとね」
リリアル副伯は王国副元帥であり、王太子殿下の元帥位と同様の指揮権を有しているが、それはあくまでも戦時・非常時のこと。平時に越権行為を平気な顔でするのは評判も悪くするし感情的なしこりも残る。
王都城塞は目と鼻の先にあり、相手もリリアルを意識しているはずなのである。ここで彼女側から歩み寄れば、良い関係が築けるだろう。この辺り卒の無いのが彼女の姉なのだが。
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「こ、これはリリアル閣下、ニース卿。警備に何やら不備でもございましたでしょうか」
衛兵長は一般の近衛騎士が務めているようで、王国の副伯、紋章騎士にして竜殺しの英雄が迎賓館の衛兵指揮所に顔を出したので、何か不味いことでもあったかと心配しているのである。
「いいえ。そうではありません衛兵長殿」
彼女は昨日からの警備に問題はなく、安心して休む事が出来たと感謝の言葉を述べ、次いで、リリアル城塞と迎賓館の警備体制を確認するため迎賓館側の敷地から色々確認するため、伯姪と二人で行動したい旨を告げる。
「勿論問題ございません。我等としても、あの堅牢な城塞があれば、万が一の際も安心して逃げ込めると考えております。それに、リリアルの騎士が指揮官として常に一人は詰めておられるとか。竜殺しの騎士殿が間近にいるというだけで、我等も安心して警備することができます!!」
目の前の衛兵長である騎士は三十を少々超えた程だろうか。最年少の隊長である赤目銀髪は……十三四歳である。当てにしないでもらいたい。
「では、暫くお邪魔させていただきます」
「どうぞ!! ごゆっくりお過ごしください!!」
衛兵長に並んで衛兵たちも彼女達に敬礼をする。彼女と伯姪は笑顔で返礼し、迎賓館の中庭へと出るのである。
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「あの外壁で良かったわね」
「ええ。人造岩石剥き出しでは風景から浮いてしまったかもしれないわ」
迎賓館の裏手、使用人が主に使うスペースではあるが、中庭から裏手の城門楼越しに見えないわけではない。迎賓館に面する側は、テラコッタの外壁で違和感ないように化粧を施している。煉瓦と漆喰で作ることも考えたのだが、手間暇とコストを考え、人造岩石で作り表面だけ化粧することになったのだ。城塞としてもその方が堅牢であるし、迎賓館側からの攻撃が無いわけではない。その分、城塞の中庭は閉塞感のあるものになったのだが。
しばし城塞の様子を迎賓館の中庭側から観察していると、敷地の際のあたりで伯姪がふと足を止める。
「ねえ、これ」
伯姪が指さす先を彼女が確認すると、幾つかの小さな足跡が残っている。暫くすれば、日を浴び倒れた草は元に戻ってしまうだろうが、今はまだその跡が確認できる。
「小さな足跡、三人くらいかしら」
「そうね。三人。小さい……子供ではないわね。跡が深いわ」
体重の軽い子どもであれば足跡は薄くつく。リリアルの三期生年少組程の足の大きさでさらに体重が重い。あるいは。
「鎧か何か装備を着こんでいたとか」
「子供がかしら」
「……ゴブリン。使役されたゴブリンの斥候兵なら」
彼女の疑問に伯姪が仮説を述べる。知性のあるゴブリンは彼女達もそれなりに対峙したことがある。その多くは、魔力持ちの人間の脳を喰い力を得た存在だ。
「ゴブリンの魔剣士や騎士は体格も人間に近かったわ」
「なら、似て非なる魔物かも?」
二人が考えていると、不意に『魔剣』が囁く。
『赤帽子かもな』
「赤帽子」
『魔剣』曰く、小鬼に似た悪霊から生じる魔物なのだというが、より凄惨な虐殺が行われた場所から発生するのだという。その加虐性はゴブリンの比ではなく、返り血により染められた頭巾を被っている。
「赤頭巾じゃなく赤帽子」
「赤頭巾は可愛いイメージでしょ?」
若い女性の間で、二輪馬車用の頭巾が流行っているのは王妃のせいらしい。魔装二輪馬車で揃いの赤頭巾を被り走り回る王妃と王女が話題になった頃の話。
『顔はシワシワの爺、得物は片手斧。鉄製の長靴を履いている。ありゃ、重いからな』
彼女はなるほどと思う。しかし、この場所で何か赤帽子が生まれるような凄惨な闘いがあったという記憶はない。恐らく記録にもないだろう。
「また、連合王国の刺客かしら」
「女王陛下とは手打ちになったのだけれど、全員がそれに服しているかは確かに疑問ね」
王都で密かに利益を得ていた勢力は存在する。人攫いやその他、連合王国の看板で横車を通していた商人や貴族もいなかったわけではない。とはいえ、彼女達が積極的に「討伐」を進めた結果、今はすっかり鳴りを潜めている。
「迎賓館での婚約披露で何か仕掛けてくるのかもしれないわね」
「魔物を使って?」
「心当たりはあるわ」
魔物を嗾けてくる勢力―――ヌーベ公ならばあり得る。
一先ず、その『赤帽子』の襲撃が予想されると考え、当日の警備をする必要がある。
「それと、赤帽子を陽動として使う可能性もあると思うわ」
「標的は。国王夫妻と王太子夫妻。あるいは、王女殿下」
王家の主要な構成員が揃う婚約式の場、大勢の来客に対する警備と警護。王家の周囲は日頃より手薄になり、また当然近づきやすくなる。そこをねらうということだろうか。
彼女と伯姪は、二段三段の対応を迫られることになりそうなのである。