第811話 彼女は迎賓館を内覧する
第811話 彼女は迎賓館を内覧する
王太子との懇談の後、彼女は王太子から手紙を渡された。
「……母からだ」
「この場で確認してもよろしいでしょうか」
黙って頷く王太子。蝋封に施された印章は王妃殿下の紋章であるから、間違えようがない。
どうやらお迎えが来るらしい。そこで、事前に迎賓館を王妃が案内した後に、泊るように手配されているとある。断れるものなら断りたいが、おそらく、連合王国を訪問した際の旅の話や、新領都の開発の話など最近会っていないこともあり聞きたいのであろうと推察する。
案内してからの夕食。その後はサロンに場を移し、話し相手を務める……といったことだろうか。正直、この後のことを考えると伯姪に同行させた自分を褒めてやりたいと思う。他のリリアル生では王妃と対話するには荷が重すぎるし、そもそも渡海したメンバーの中では伯姪か灰目藍髪あたりが丁度良いのだが、灰目藍髪は騎士の庶子で尚且つ孤児になった境遇。一通りの騎士としての振舞は身につけているものの、生まれついてのものが不足していることは否めない。
伯姪はニース育ちで騎士かぶれ令嬢であるが、祖母は王都の華と称された姉妹であり、淑女教育に抜かりはない。言い換えれば、騎士の真似事をするのであれば、それ以前に令嬢としての振る舞いで文句を言わせないレベルでなければ許可がでない。
そういう意味では、彼女の方が怪しいくらいであり、その辺り姉との差を感じていることもある。貴族令嬢としての在り方に自身がないと言えばいいか。
重要な確認事は終わり、王太子と雑談に興じていると王妃からの迎えが来たと連絡が入る。
「君たちには申し訳ないが、母の相手を頼む」
「心得ております」
「太平光栄に存じますわ」
「それと……」
どうやら、公女ルネも同席するのだという。恐らく、レーヌ訪問の件も話題にしたいのだろう。王妃と王太子妃の間を取り持たせるという役割もどうやら期待されているようである。
王妃殿下は押し出しが強く、楚々とした姫君である公女ルネにとっては少々気後れすると思われる。しっかり者の姉と称されるものの、大国の王妃として王都の社交界を取り仕切り、王の治世を陰乍ら支える存在として立場を確立している王妃の存在は、外から見ても中から見ても中々に怖ろしい。彼女自身も王太子の腹黒さの半分は王妃譲りだと思っている。残り半分は……生まれつき!!
迎えの馬車に乗り市場に連れていかれる子牛の気分でドナドナしていると、あっという間に迎賓館へと到着する。
「こっち側から入るのは初めてね」
「そうね。リリアル城塞は裏手に当たるもの」
リリアル城塞のある側は使用人用の中庭と称される裏庭を挟んで対面にある。リリアル城塞同様、水堀を敷地の周辺に巡らせ、容易に外部から侵入できないようにしつつ視界を妨げないように工夫されている。
安全面を考えれば塀を巡らせたいのであろうが、敢えて堀を巡らせるだけとしている。元々は王都の下町地区に掛かる敷地であるが、この一帯に関しては召し上げ、新しく門外に開発される街区へ移転させたと聞いている。冒険者ギルドや薬師ギルドも今は門外へ移転している。
「変わったアプローチね」
堀を渡る橋を越えると、迎賓館の正面のロータリーへと到着する。そこには馬蹄形の階段が配され、高い位置に正面玄関がある。
「どうやら、先王陛下のやらかしみたいね」
「……不敬ではないかしら」
迎賓館……と今は称しているが、元は先王時代に新たな王宮を王都内に建設するということで計画された建物だと彼女は聞いている。何しろ、法国から有名な建築家や工房ギルドの職人を招聘し、あるいは王都の職人をわざわざ華都や法都に派遣し、法国の宮殿建築の技法を学ばせたと聞く。
戦争大好き、馬上槍試合大好き、城館建築大好きな国王であった事から、連合王国の女王陛下の親父殿同様、非常に凝った国王の宮殿を計画していたのである。大国の王に相応しいとかなんとか……
ところが、計画半ばで先王は死去。
宙に浮いた新王宮をどうするか宮廷ではかなり揉めたのだという。
曰く、新国王は今のままの王宮に住みたい。引っ越しが面倒だと。
曰く、王妃は王都郊外の別邸で過ごすので必要ないと。
曰く、戦争と建築道楽で王国の財政は厳しく、かといって建築の為に集められた資材や人員をそのまま放置する、あるいは契約解除するにしても費用が掛かる。
結果として、無駄に豪華な城館は、国王の為の宮殿ではなく、王国の国威を示す迎賓館として活用しようという結論に達した。
「確かに、法国風という感じがするわ」
「そうね。リンデもこういう建物を建てたいという流れになっていたわね」
王国で仕事を終えた職人集団は、次に目指すのは戦争がなく城館を建てる需要のある連合王国。女王陛下は普請道楽ではないが、その配下の宮廷貴族たちは女王の歓心を得ようとリンデ周辺に新たな城館を建設し、女王を招待し滞在してもらう事で己が権威を高めようと腐心している。そこで、法国かぶれの女王陛下の心に刺さるのが、法国の建築家たちということである。
そのうち幾分かは、王弟殿下の城館建築にも携わるのだろう。
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馬車を降りると、王妃付きの見知った顔の侍女頭が迎えてくれる。
「ご無沙汰しておりますリリアル閣下。ニース卿もご一緒戴いて、王妃殿下もお喜びかと存じます」
「こちらこそ、こうして迎賓館にお招きいただき、大変光栄に思います」
侍女頭は伯爵夫人であり、母の世代では力を持つ女性であったと記憶している。王妃はこうして社交界の中で力を持つ者を味方にして今の立場を努力して築いたのだろう。
馬蹄形の階段を上り正面玄関から中に入ると、どうやら王妃殿下自ら向かえてくれるようである。
「久しぶりね~二人ともぉ~」
にこやかに手を振る王妃。その横で気真面目に挨拶をする公女ルネ。キャラ被りしていなくて何よりである。
「本日は急な招待にも関わらず承知していただき有難く思います」
「こちらこそ、王妃殿下、公女殿下にご招待いただき光栄の極みです」
「本当に。私まで図々しくも同行いたしまして」
王妃は手を大きく振り「問題ない」とばかりに伯姪の言葉をやんわりと否定する。
「ふふ、今日は久しぶりにゆっくり二人とお話したくってね。ルネちゃんも呼んでこの無駄に豪華な迎賓館で女子会でもしようと思ったのよぉ」
「来客を想定した使用人の教育も未だ半ばだそうです。身内が宿泊することで、その辺りも確認しておきたいと殿下はお考えです」
「女主人としての役割りね。ルネちゃんも今後、国賓を迎える時には、わたくしの代わりを務める事もあるでしょうから、良く確認しておいてちょうだいね~」
「は、はい。勿論ですわ、妃殿下」
「堅いわぁ~ お義母様でいいわよぉ~」
「はいお義母様……」
「「……」」
公女ルネ頑張れ!! 習うより慣れろだと二人は思うのである。
折角だからと、玄関フロア右手にある『聖三一礼拝堂』へと二人は案内される。この礼拝堂は『聖三一修道会』のそれを模したものだ。数ある修道会の中でも、異教徒に攫われた御神子教徒を帰国させる事業を担う修道会が『聖三一修道会』であり、血生臭い異教徒との戦いの裏で、サラセン海賊などに拉致された法国・王国・神国人の帰国のために内海南岸のサラセン領に足を運びつれ戻しているのだそうだ。
「シンプルで品のいい内装ですね」
「ああ、これはお義父様の仕様を止めさせたのよぉ。城館の内装同様、法国風の派手なフレスコ画を沢山描かせるとか聞いていたわ」
「「……」」
法国の礼拝堂には、それまでステンドグラスで表現されていたような聖典の場面を絵筆を用いて再現するような仕様に変わっている。生きた人間をそのまま描いたような筆致で色鮮やかに描かれたその絵は、王侯貴族をはじめ多くの人の心を掴んで離さない。
壁一面に絵を描くには、沢山の絵師を抱えた工房に依頼しなければならない。また、そうした大きな絵を描け、優れた作品を作れる画家は限られている。また、膨大な絵の具の素材も必要となり、その顔料を手配する為にも多額の資金が必要となる。
「先王陛下の回廊に予算を注ぎ込んだので、ここは修道教会らしく簡素に仕上げてもらったのよ~。ルネちゃんが王妃になる頃には予算があれば、貴方たちの好みでしあげるといいわよぉ~」
「「「……」」」
どうやら、玄関ホールの先にある巨大な回廊は先王陛下の趣味で仕上げた豪華な場所に仕上げているらしい。
「お披露目の時の婚約式は、ここで行うわ。成婚の際は、王都を上げて大規模にするつもりみたいね」
「……はい」
王太子の成婚となれば王都だけでなく国を挙げてのお祭り騒ぎとなる。王都では年間百日ほど何らかの祝祭が行われているというが、王家の婚姻のようなイベントは別格である。
王太子夫妻を一目見ようと、王国中から人が集まり、数日、数十日は盛上る。そこには商機があり、人もカネも集まる。金を回す事も王家の重要な役割であり、戦争嫌いな今上の国王陛下に関してはこうしたイベントで金を回さないといけないのだろう。戦争は金がかかるが、その結果経済が回るという側面も無いではない。
結果、先王時代は景気は良かったが王家と王国は貧乏になった。借りた金で豪遊するのは楽しいか!!
国王陛下の治世、これまでは父親の借りた金を返す為に無駄な金を使わない時代であった。王太子の成婚、王弟の大公就任、レンヌへの王女殿下、サボアへの大公女入嫁と慶事が続くことになる。
こっそろそこにリリアル副伯領の創設や運河の開削も加わり、経済は回り始めることになる。レーヌ公国との関係も商機になるだろう。姉のように先を見るに敏な商人たちは、すでに動き始めている。
姉の場合、商機が無くても動き回っている多動なのだが。
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『国王の回廊』は、幅6m、長さ50mほどもあり、回廊そのものと言うより、回廊の形をした式典会場として利用されることを想定している。
回廊に屋根をかけ壁と開放部を交互に設ける。壁の部分には法国から招いた工芸職人と絵師による装飾と絵画が施されている。これが、王妃殿下が嘆いた金食い虫の成果なのであろう。
「素晴らしい作品です」
「ええ、ええ。本当に。なので、王宮として使うよりも、多くの来賓に見ていただく方が良いというのが陛下の御考えなのよ~」
公女ルネはその母がネデルの王宮で育ったこともあり、審美眼を相応に身につける教育を施されている。レーヌの公宮は豪華ではないものの細かな装飾や掛けられた絵画に趣があり、落ち着いた中にも華やかさがある品の良い内装であった。
それに慣れ親しんだ公女からすれば、ド迫力の彫刻とフレスコ画の双璧からなる巨大な回廊は、ただただ唖然とする空間である。彼女と伯姪は『おお、金持ってるアピールが激しいな』と思うだけであり、仕事が欲しかった城館職人団を王家で丸ごと抱えて仕事をさせた結果なのだから相応な空間なのだろうと納得した程度の反応である。
「婚約式の後は、ここで歓談することになっているわ~」
回廊を歩きながら、来賓に挨拶しまた祝いの言葉を述べられることになるのだろう。時間をかけてゆっくり移動し、奥の間へと移動するのだという。
この空間は高い天井を有しているのだが、床下には使用人用の通路が設けられている。上の正面玄関から入るのは貴人、下の通路を使用するのは使用人と言うことなのだろう。
「ほら、中庭には噴水もあるの。水は川ではなく地下水を汲み上げているのね」
「素晴らしいです」
噴水には法国の巨匠が彫刻した伝説の英雄の石像が配されている。恐らく、華都国にある大公宮にも作品を献上したと聞く作者である。その辺りは、ニース人の伯姪が詳しい。
「確か、帝国傭兵の騒乱の際に、反大公暴動がおこって、宮殿の像は腕を圧し折られたらしいわ」
「……なにやってるのかしらね」
金融業から成上った華都国の大公一族に対する不満は少なくないのであろう。血筋ではなく富の力で上に立つというのは、富を失った時にはどうなるか火を見るより明らかだ。お金は大事です。
「まあ、絵は素晴らしいわ。古の伝説のシーンを描いた物が多いわね。ちょっと戦争物が多いのは……あの方の趣味だと思うわぁ」
「あの彫像は」
「ご本人様ね。おちゃめさんだと思うわ、どうかしら?」
自身の像を高いところに配置し、まるで大木の横枝に腰掛けるかのように配されている。
「ふふ、あと、ご自身の紋章の『火竜』やイニシャルをこれでもかって感じで彫刻しているのよ。まあ、王国のそれと同じなので恐らくは『俺のじゃないから』とでも言いたいのでしょうね」
「「「……」」」
巨人王と称された先王陛下は自己愛は強く、相応に優秀な人であったという。多くの女性と城館、狩りと戦争を愛した男である。因みに息子はあんまり愛されていなかったらしい。
戦争で捕虜になった挙句、身代金を払うまでの間、国王陛下は王太子時代に帝国、後に神国に人質として囚われていた。どうやら王太子として相応しい境遇を与えられていなかったようで、帰国後は相当彼女の祖母が先の王太后の依頼で心を砕いたという。
そのとばっちりで、彼女の父も神国に王太子の侍従として滞在し、辛酸を共にしたと聞く。父は「あれは酷い扱いだった。王都は最高だぜ!!」と反対に帰国後子爵家の仕事を猛烈に覚え出したらしい。怪我の功名だと彼女の祖母は口にしたことがある。
よろしくお願いします!