第810話 彼女は対価を要求する
第810話 彼女は対価を要求する
「叔父上がイカルデ大公となる。魔装馬車を一台用意したい」
王太子宮に赴いた開口一番、彼女が聞かされた言葉である。
「……日がありません」
「案ずるな。既に馬車自体の用意は終わっている。車台だけ魔装馬車に改造してもらいたいのだ」
魔装馬車、四輪の箱馬車タイプは車軸と車台に魔銀鍍金を施し、さらに、客室の全周を『魔装布』あるいは『魔装網』で覆い、簡易結界として機能するように施されている。
「叔父上の周囲には、魔力量の少ない者が多い」
「なるほど」
魔装馬車、箱馬車タイプは走行と防御に両方魔力を消費する為、馭者あるいは同乗者から多くの魔力を抜き取ることになる。片方だけなら消費量も半分程度で済む。また、襲撃されることに対する防御より乗り心地・走行性能にだけ配慮するという事なのだろう。
魔装鍍金だけなら然程手間も時間もかからないので要望を引き受けることもできそうである。
「では、架台だけをリリアルに配送してください」
「承知した。騎士団経由で数日以内に送り届ける」
まずは、簡単な願いごとだけ済ませることができた。
「叔父上は『イカルデ大公』となり、ミアン近くに城館を構えてもらう事になる」
彼女達リリアル勢にとっては思い入れもひとしおのミアン。そのミアンを流れる川を下ると、『アベル』市がある。ここはいまでこそさほどではないが、カ・レが栄える以前においては、白亜島へ向かう玄関港として繁栄していた街である。
アベルとミアンの中間にある『オクール』にある城塞を起点とし大公家の城館を建設するという。オークルには元々ミアン周辺の領主の城館があり、その後、ミアン司教管理下の城館とされていた。
百年戦争期には幾度か争奪戦が行われ、今でも城塞として機能する能力を残しているのだとか。リリアル学院が王家の狩猟用城館から始まっているのとは少々異なるが、今回の迎賓館建設に活躍した職人集団が次に向かう現場は、この大公館なのだという。
迎賓館に準じた今風の城館になるのであろうか。
公爵の中でも王家に属し、王位継承権を残す当主がいる家を『大公家』としている。また、独立した権威を有するサボア・レンヌも『大公』とされる。ギュイエ公家は王位継承権が未だ残っているので『大公』だが、王妹が何代か前に嫁いだことで王家に連なる今の『ブルグント公』は、女系に王位継承権が無いため大公家ではない。
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王太子の婚約披露と皇太子妃となるレーヌ大公女の公式のお披露目。そして、今後王太子の義弟となる次期レーヌ大公とその母である摂政殿下の顔見世も行われる。
ついでだが、『イカルデ大公』となる王弟殿下の紹介もなされる。
迎賓館初のイベントは、各国大使及び王族や高官を招いて大々的に行われる。既に招待状は送付されており、神国・帝国・法国諸国・連合王国の貴賓、教皇庁からは恐らく幾人かの枢機卿、そして、サラセンからも特使が
訪れることになっている。
穏健な御神子教徒の国であると『公称』している王国としては、異教徒とはいえ、外交関係のあるサラセン皇帝の代理人が祝賀を述べに来ることに否はない。が、否を言いたい教皇庁や神国の原理主義者や原神子派に強い否定的感情を持つ者がどういう行動に出るかわからない。
「今回のお披露目にはオラン公も出席する予定だ」
オラン公はギュイエや山国で支援者を募っている。古くから連合王国と繋がりの深いギュイエ公領は、商業取引を通じリンデやネデルの原神子信徒と交流が深く、原神子信徒が都市住民に占める割合も年々増加している
という。
オラン公をねじ込んできたのは、その辺りの勢力に対するギュイエ大公の配慮であるが……
「公式の参列でしょうか」
「いや、流石にそれは不味い。神国と全面戦争になりかねぬ。あくまで、ギュイエ公の同行者として密かに訪問してもらう。それと……」
オラン公女マリアは現在、リリアル学院に滞在中。実際は、魔力の扱いと薬師として学びつつ三期生の面倒を同行したアンネ=マリアと担っている。
「極秘訪問といったところでしょうか」
「ああ。お披露目の前に、学院をオラン公が訪問したいと、ギュイエ大公からの打診だ」
「承知しました」
公女マリアも父であるオラン公や兄弟のことを心配しているだろう。時折、叔父である『エンリ』が会いに来るが、心細さはさほど変わらないよう思える。叔父とは言っても、『兄』と言える程度の年齢差に過ぎない若者なのだから。
マリアが例えば王弟殿下に嫁ぐといったことも考えられないではない。だが、今のところはそれはなさそうである。一つは、母親が「王族じゃ無きゃダメ」と主張している事。マザコン気味のおっさんである王弟殿下はその話を無下にできない。
今一つは、神国・ネデル総督府との関係性である。オラン公側に着いたと判断されれば、今の時点でわざわざ王弟殿下を国境近くに爵位を与え配置する理由がない。
「オラン公とギュイエ大公の間で、なにやら考えがあるようだな」
カトリナの兄である次期ギュイエ大公は婚約者を最近亡くしていると聞く。元々原神子派・親オラン公の多いギュイエの貴族たちにとっても、次期大公妃がオラン公の娘と言うのは好意的に受け止められる。特に、ネデル出身の商人の中で、今はランドルや帝国北部、あるいはリンデに逃げ出した有力商人をボルドゥやその他、ギュイエ公領の都市に誘致できる可能性が高まる。
ギュイエも西の大山脈を挟んで神国本領と対峙しているのだが、山脈越えの侵攻は難しいだろう。また、神国もネデルでの戦争の他に戦場を増やすことは今のところ避けたいだろう。
「それに、サラセンも皇帝が代替わりしてそうそうに権力を掌握したという」
「……素早いですね」
「先代皇帝は名君と呼ばれたがその後継も相応に優秀なようだ」
先帝ソロモンは、ロドス島から聖母騎士団を排除し、父帝が征服した東内海沿岸を安定させ、その矛先を西へと向けた。治世四十五年に及び、大沼国の大半を征服。その後、マレス島遠征や帝都ウィンを攻囲するも、疫病が蔓延し退却している。
あとを継いだゼリヒ帝は既に四十代を迎えており、統治も軍の指揮も優秀であるとされている。しかしながら、ソロモン帝と比較され『凡愚』との評価もありその辺りを覆すため、積極的な西進策を進めているとも聞く。
ゼリヒは『親衛隊』からの支持で帝位に就いており、その辺りも西進策に傾倒する理由であるとされる。
「教皇庁も帝国も、王国がサラセン対応に協力しないのは困ると考えている」
「ですが、王国は先代以前から、サラセンの友邦として帝国と対峙してきたではないのでしょうか」
「敵の敵は味方という奴だな。だが、海都国もサラセンから排撃され、東方の領地・港湾も奪取されている。共存という路線は、相手が許してくれそうにない」
だが、表立って対立するということはできるだけ避けたい。
故に、王国の代理としてニースとリリアルの『海軍』を参戦させたいというところが、王宮の希望だという。
「……ニース海軍はともかく、私たちが……ですか」
「連合王国の大艦を拿捕するほどなのだろう。先日は、連合王国で巨大な海棲魔物とも戦い無事討伐に成功したと聞いているぞ」
「魔物を討伐するのと、海戦を行うのは大いに異なります。それに、これは大艦隊同士の戦闘を想定しているのではありませんか」
三十年程前に行われた『イオニア海』海戦において、聖母騎士団海軍と海都国・教皇庁・ゼノビア海軍の同盟艦隊の数は約百六十隻。対して、サラセン海軍も百二十隻余を参加させた。
船には兵士が乗り込んでおり、少なくとも数万人規模の戦いであったと報告されていた。彼女が書庫で眼にした子爵家の記録(おそらくは祖母の日誌)にはそう記載されていた。
この時はサラセン艦隊が勝利し、ドロス島失陥後何とか維持してきた勢力圏を法国近海迄失うことになった海戦である。
恐らく、その時の再現を防ぎたいと、早々に戦力の集約を教皇庁側は始めているのであろう。
「サラセン本国では、艦隊建造が進んでいるという情報だ。それに対抗して、海都国も神国も艦隊を増やしている」
「神国は幾らお金があっても足りなさそうですね」
「金で済む話ならいいのだが、君の船の優秀さは神国にも伝わっているようでね。何とか頼むというのが、表に出せない交渉なのだよ」
「はぁ」
王太子曰く、神国には和平のチャンネルとして王国が直接参戦しない代わりに金銭的支援を行い、ニース海軍を名代として参戦させると伝えたのだという。ニースは聖エゼル騎士団海軍が主力であり、教皇庁の要請があれば当然出兵するのだから代わりにはならないという。
金銭の支援は有難いが、『リリアル艦隊』の派兵を要求するということなのだという。
「殿下、艦隊と言っても現在一隻の中型船と、輸送船として運用できそうな中型船一隻を改装中なだけなのですが」
「二隻でも世界に冠たる『魔装軍船』なのだろう? 魔力を用いた外輪で風の力も櫂を用いる事もなく、自在に機動できるのではなかったか」
それはそうなんですが。王弟殿下の座乗船になった、王家の船はださないのだろうかと気になるが、表向き『中立』を装い、あくまでもニース家の親族として彼女が義勇兵を率いて参加するという建前らしい。
「ニースも魔導船を導入すると聞いている。仮に二隻程度であったとしても、先代辺境伯が座乗するのであれば、相当な戦力となると私は考えている。君の義兄も司令官として乗り込むのではないか」
義兄どころか、姉も恐らくは参戦するだろう。主に動力源として。
王太子は、加えて婚約披露の際の護衛についての依頼についてリリアルが協力することについて内諾を確認した上で、彼女から報酬の希望について手紙で先触れした件について確認する。
「では、此方のお願いしていた王領からリリアル領への移住の件に関してはどのように考えられておりますか」
「無論、此方は喜んで支援する。なんの対価もなしで移住を認めよう」
本来であれば農民の移動を容易に認めない。生産力の元である農民が減る事で、生産力が落ちる可能性があるからだ。とはいえ、与えられる農地も無い若者の移住なので、本来であれば、何年分かの人頭税に相当する金額を受け入れる側は送り出す側に支払う事もある。
今回、その補償金に相当する分は要求しないし、元の村落から持ち出す資材に関しても制限を設けないということなのだ。木材なども重要な資源であり、それから作られた家財なども無くなれば領地としては損失だと見做されるからだ。
「それに、荷馬車や荷駄馬なども王領から移動する際に使ったものをそのまま与えるように手配する」
「兎馬や牛にしてください。馬は管理が手間になります」
「……わかった」
素早く人が移動するには馬が良いのだが、開墾や重いものを移動させるには牛が良く、また、畑を耕すのに馬を使うと怪我や病気を心配しなければならないため、兎馬の方が扱いやすいのである。あと、餌となる燕麦なども安くはない。兎馬や牛なら、小麦の穂でも餌代わりになる。
「水車なども頂きたいですね」
伯姪がぼそりと横で声を出す。王太子は「各村で事前に募らせよう」と言質を戴く。王太子の背後にいる書記官がこの会談の内容を書面にして条件を確定させることになるのだろう。
勿論、今ある水車を取り壊して持ち運ぶのではなく、移住する者のために新しい水車の躯体一式を村の負担で製造しておくという事である。
「農具に開墾に必要な道具も持たせよう。住居はそちらに任せる」
「承知しました」
開拓村に必要な土間のある家なら、彼女達の『土』魔術で四方の壁を設け、屋根を拭いて出入口に扉を填め込めば作るのは雑作も無い。窓は木の板でパタンと塞げるようなもので良いだろうし。開墾が進めば必要な木材も手に入り、ハーフティンバーの本格的な家に作り替え、古い住居は納屋か家畜小屋にでも改修すればいいだろう。
最初から至れり尽くせりにも限度がある。
「話は変わるが」
王太子は声のトーンを硬くすると、やや声を潜めて話を始める。
「懸案のヌーベ領についてだが。周辺の領地から内諾がとれた。準備が整い次第……討伐を行う」
周辺領とはいうものの、北は王都に続く王領とその先にあるリリアル領。東にはブルグント公領、西はギュイエ大公領。そして、南は王太子領である。ヌーベは連合王国、あるいは神国とのつながりがあり、王国との交流は百年戦争終結後百年以上閉ざされているものの、一部の商人などを通し交流があるとされる。
王国内に独立した王国に敵対する勢力が存在するというのは好ましくない。これまで、南側の王太子領内に存在する反王国勢力の貴族達を通じ、密輸を行い、神国や連合王国と付き合ってきたが、王太子の親政による王太子領の立て直しの結果、そうした貴族の勢力の影響を排除することができた。
そのままであれば、ヌーベ公一党をレンヌもしくは王太子領を通じて逃がす可能性もあったが、レンヌにいたソレハ伯とその影響下の反王国勢力は壊滅し、南方は既に述べたとおりである。
「畏まりました。ですが、現在、リリアルは独自にヌーベ領内のとある勢力と連絡を取りつつあります。敵から離反させることができるならば、無駄な血を流さずに済むかもしれません」
『猫』が繋ぎを持つことができた『デルタ』の民の一族。農奴として土地に縛りつけられており、少し前には武装してワスティンの森を経由し王都圏へと攻め込ませられていた。仮に、四方から圧倒的な戦力で攻め込んだとしても、彼らの戦闘能力は『騎士』並であり、兵士相手に大きなダメージを与えることができると考えられる。
その数は女性や年寄りも含めれば千では利かない数であろう。それが死兵となって立ちはだかるとなれば、各領軍は大きな損害を出す事になりかねない。
「ならば、早急に話を進めてもらおう。こちらは、相応の覚悟で臨むつもりだ」
王太子は「不確かなら存在覚悟で蹂躙する」といいたいのであろうか。彼女はその真意を捕らえられずにいたのである。