第804話 彼女はメリッサの身分を考える
第804話 彼女はメリッサの身分を考える
メリッサとヌーベ公領内のデルタ民を会わせることが難しくない。王国との交流がない・鎖国中だと言っても、壁で塞がれているわけではない。メリッサは隠密行動も得意であり、魔熊とセットであれば、密かに忍び込む事も可能だろう。
問題は、メリッサを仲介にリリアル・王国とどう折衝させるかである。
「メリッサは帝国人だし、王国のために仕事をするのは難しいわよね」
「難しい」
メリッサは傭兵であり冒険者でもある。ならば。
「いいえ。メリッサ、王都の冒険者ギルドで登録してもらえるかしら。そうしたならリリアル副伯から指名依頼をするわ」
「それなら可能ね」
「簡単」
難しそうな話も視点を変えれば簡単となる。王国に生活の居を移すのなら、いや、リリアルに生活の居を移すのであれば、相応の身分が必要だろう。今は帝国出身の流民扱いである。
「依頼の報酬は、此方で決めてもいいかしら」
「いまは居候の身。只でも引き受ける」
「ふふ、そうじゃないわ。お金よりもここで生活するのに必要なものよ」
彼女の中で、リリアル副伯第一の騎士はメリッサにしようと考える。彼女を含め、今いるリリアルの騎士は国王陛下の騎士であり、王国の騎士である。
しかしながら、王国では伯爵以上であれば騎士身分を与えることができる。彼女が子爵ではなく『副伯』であるのは、将来の伯爵位を前提とするものであり、伯爵並の権限を有しているとされるものだ。騎士叙任の権利も有している。
その昔、騎士であれば騎士を任ずることができた時代もあったようだが、騎士として身を立てるだけの資産を与えられない小身の者が叙任しても騎士の体面を維持できない。故に、王国においては伯爵以上と限り、また、爵位により叙任できる騎士の数も凡そ制限がある。
単身にて敵地に潜入し、敵国の民を寝返らせ戦力を大いにに削る戦功は、騎士に叙するのに十分と見做されるであろう。
「いいわね、リリアルの騎士」
「カッコいい」
メリッサの言葉に短い尻尾を振る魔熊。どうやら喜んで同意しているようだ。
「では早々に、ギルドで手続しましょう」
彼女はメリッサと魔熊を伴い、王都へと向かうのである。
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冒険者ギルドに現れた子熊を連れた美女。一瞬、そこにいた冒険者がざわついたが、その横に立つ彼女の姿を確認すると、森の中で人喰鬼と出くわしたかのように一斉に気配を消し目を逸らした。息も止めている。
「いらっしゃいま……せ。あの、その……」
「この子の冒険者登録と従魔登録をお願いするわ。その後の話は、奥でお願いします」
「か、かっしこまりました!!」
受付嬢は倍速で動き始め、あっという間に冒険者登録が完了。元々帝国での冒険者ランクは星三であったことから、薄赤の冒険者での登録が可能であった。赤等級でなければ指名依頼ができないことから、そうでないと困るのだが。
「えーと、従魔は」
「魔熊」
「……魔熊……」
「そう。いまは小さくなってるだけ」
「そ、そのままで大丈夫です」
「いつでも大きくできる。遠慮しないで」
「いえ、必要ありません」
「残念」
この場で本来の大きさになれば、下手をすると床が抜ける。受付嬢の危険察知能力は流石であった。彼女の同行者ということともあり、警戒心は最大となっているので当然でもあるのだが。
「では、アリーさん、メリッサさん、こちらにどうぞ。あ、従魔も一緒で大丈夫です。というか、絶対連れて行ってください」
ギルドの奥のギルマス室へと消える姿を確認すると、ギルド内は誰ともなく安堵のため息で覆われるのである。
「これは閣下。本日はどのようなご用件で」
「ふふ、今まで通りで構いませんよ」
「そうか助かる。挨拶以上の敬語は難しいからな」
代官村でのゴブリン討伐の頃から、ギルマスは変わっていない。祖母より少し若いくらいの年齢だと思われるが、この老人もジジマッチョ並みに老いてなお健在という風体である。夜に出会った子供なら、確実に泣くレベル。昼間でも気の小さい子供なら泣きわめくだろう。
彼女はギルマスにメリッサを紹介し、帝国出身の凄腕の魔熊使いである事を伝える。
「その可愛い熊がか?」
「今は小さくなっているだけ。なんなら……」
「嫌だいじょうぶだ。疑っているわけではない」
「そう。いつでも証明する」
「冒険者の等級で分かっている。帝国で星三は一流の評価だ。それに、並の冒険者と副伯閣下が付き合うとも思えんしな」
魔熊は竜には劣るが、大抵の魔物、例えば吸血鬼や人喰鬼より強力な魔物である。吸血鬼は魔熊より大抵弱いし、物理的な攻撃力も劣る。魔術も物理的ダメージを与えるものであれば大抵耐えてしまう。倒しきるには難儀な魔物なのだ。
また、魔力による身体強化、夜間視、回復力も高く持久力もある。奇襲なども見抜ける能力を有している。なので、一体でも高位冒険者パーティー並みの戦力だと考えておかしくはない。メリッサを雇うという事は、星三・薄赤の数人パーティー並みの戦力を雇うことに等しい。
ギルマスも、その辺り察しているのだろう。
「メリッサへの指名依頼。リリアル副伯から出したいのです」
「構わん。ギルドが仲介に入る必要があるのか?」
ギルドを仲介に入れれば少なくない手数料を取られることになる。知り合いであれば、直接依頼すればよいとギルマスは考えたのだろう。
「メリッサへの報酬が金銭だけではないからです」
「なるほど。依頼の褒賞を冒険者ギルドの依頼を通して公的なものにしたいというわけか」
「はい」
帝国傭兵であったメリッサをリリアルの騎士として叙任した場合、どこからか横やりがないとも限らない。ギルド経由で依頼をし、その褒賞が適切であると証明されれば、叙任自体に文句を言われる筋合いは無くなる。
騎士を叙任する権利を持つ彼女が、依頼達成の褒賞として相応しいと考えたのだから、例え国王と言えども貴族の権利を損なうことは容易ではない。メリッサが陪臣とはいえ王国に仕えてくれるのは、王国にとっても意味がある。その辺り理解できないのか、理解しないふりをして足を引っ張りたいのかわからないが、証明できた方が良いと彼女は考えたのだ。
「では、依頼内容はこれで。期限は?」
「特に定めの無いものとします」
「いいの?」
傭兵としてあるいは冒険者として、依頼や雇用期間に起源が設けられ無いことは珍しい。メリッサもそれが気になったのだろう。
「騎士になるのに期限はないでしょう」
「それはそう。私はいつかリリアルの騎士になる!!」
「なるはやでな。そうでないと、ギルドの依頼達成確認が忘れられるぞ」
ギルドとしては早く達成してもらいたいのは理解できるのである。
お茶を出され、三人は一息入れる。どうやらギルマスから彼女に話があるのだろう。居住まいを正すと、ギルマスは彼女に話し始めた。
「リリアル副伯領の領都に冒険者ギルドの支部は設けるつもりはあるのか」
「勿論です。最初は出張所兼宿屋のような冒険者向けの施設と兼用で運用をはじめようかと思っています。領都の区割りが終わって、主な公的施設が建つ段階で、手配を進めようかと思っています」
「そうか」
ギルマスの視線はせわしなく動いている。何か言いだしたそうにしている。
「ギルマスから何かお話があるのでしょう。遠慮なさらずにどうぞ」
「そ、そうか。いや、アリーの領都に冒険者ギルドができるなら、儂が……」
「結構です」
「いや、そこは、お願いしますだろ?」
ギルマスもそろそろ隠居したいようで、できれば長閑で仕事も少なそうな駆け出し冒険者の多い出張所で嘱託として働きたいらしい。
「住み込みでも構わんのだが」
「……食堂併設なのですけれども」
「儂の奥さんができるぞ。まあ、営業時間は終日とはいかんがな」
ワンオペの出張所で長時間営業なんて無理なのは当然だろう。明るくなってから暗くなるまでで十分であるし、宿泊施設も兼ねるので、夜の従業員は追加で雇う必要もあるだろうが、基本夫婦二人で営んでもらうつもりなのだが。
「リリアル領は敬老施設ではないので、その辺り弁えてくださるのなら一考させていただきます」
「おお、給料は最低で構わんから、楽しくストレスのない職場で過ごしたいんだ!!」
彼女も憧れるスローライフとやらだろうか。偉くなると、スローライフなど夢のまた夢なのは当然だろう。そうしたいのなら、後継者を育ててぶん投げるしかない。ギルマスは後任の目途が立っているのだろう。うらやまけしからんと彼女は内心忸怩たる思いである。
「それでは、出張所兼宿泊施設の素案を作成していただきましょう。それが良ければ、採用し初代出張所所長として打診させていただきます」
「おおまかせろ!! 冒険者生活四十年のノウハウを全力で込めてやる!!」
ハッピーリタイアメントに向け、ギルマスはがぜんやる気になっていた。
「アリー、お腹すいた」
関係ない話に飽き飽きしていたメリッサがそう言い放つ。彼女はギルマスと要件が済んだとばかりに、互いに握手をしてその場を後にするのである。
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「メリーの冒険者登録済んだのよね?」
「メリー……」
「メリッサは長いからメリー。ね、いいでしょ!!」
学院に戻ってそうそう、伯姪がそんなことを言い始めていた。どうやら、赤目ペアとそんな話をしていたらしい。
「アリーとメリー」
「良いと思うんですよ先生!」
赤目銀髪と赤目藍髪が強い口調で断言する。いや、それも紛らわしくないだろうか。
「アリーとメリー……いい。すごく」
「……そう。なら、そう呼びましょう」
と、メリッサは『メリー』と呼ばれることになった。わたしメリーさん、今、魔熊が後ろにいるの。
彼女から無事冒険者登録と指名依頼を行えたことを報告され、昨夜、ヌーベ領に向かった『猫』の帰還後に改めてメリッサが向かう事になると皆に説明する。
「野営の準備も整えないといけないわね」
「追加のポーションや食料なども用意しておきましょう」
彼女はメリッサに魔法袋の用意はあるかと確認すると、残念ながらメリッサは魔法袋を持っていないという。
「なら、この魔法袋を付けたビスチェを装備してもらいましょう」
「いいの?」
「必要ですもの。それに、単独で潜入するのに大荷物では困るでしょう」
「困る」
魔熊に包まって寝る野宿がデフォなメリッサは、多少の荷物や食料だけ背負い袋にでも入れてヌーベへ向かうつもりだったようだ。容量が『小』であったとしても、ワイン樽で二つ分くらいの容量はある。それなりに運べるはずなのである。
「古着なんかも用意した方が良さそうね」
農奴扱いされているのであれば、衣服もかなり質の悪いものを身につけているはずだ。そして、ヌーベの辺りも冬はそれなりに寒い。食料不足に薄着であれば体調を崩して死ぬ者も少なくないだろう。
「狼の毛皮でも集める?」
「ついででいいわ。今は簡単に用意できないでしょうし」
王都周辺では、小鬼同様狼の数もかなり減っている。簡単に狩り集め毛皮を取ることも出来ない。毛織物など農奴が着ていれば怪しまれるので、与えるわけにもいかない。
「それより、メリーはその剣で戦うのよね」
「そう。たまに」
「……不思議な剣ですね」
「長短刀」
帝国では『長短刀』と呼ばれるもので、剣ではなくダガー・ナイフの類なのだ。とはいえ、彼女や伯姪の剣と変わらない刃渡りをしている。
「長い短刀。不思議な名前」
「それって確か、法令の網を潜り抜けるための方便でしたよね」
「ふふ、懐かしいわ。メインツやコロニアでもそんな検査されたわね」
冒険者が『鉈剣』のような装備を好むのは、剣が高価で騎士・貴族の身分を示すものであるからというだけではない。帯剣して都市に入る事が禁止されている場合、『鉈』『短刀』といった片刃の重ねの薄い刃を持つものであれば「道具」として持ち歩くことができるという抜け道を生かした装備なのである。
そもそも、武器を扱う刀剣職人のギルドと、生活用の刃物を扱う刃物職人ギルドは別扱いであり、刀剣職人は鉈や短刀を作る事がギルドの住み分けからできないのだという。剣の用途に使えるが、あくまで刃物職人が作った生活道具だということで、持ち込めるのがこの『長短刀』なのである。
名前も見た目も紛らわしい。
「それで、どの程度扱えるのか、ちょっと試してみてもいいかしら」
「手合わせ?」
「そうね」
「勿論」
そういうと、メリッサと伯姪は二人で中庭へと向かうのであった。