第802話 彼女はいつもの姉と遭遇する
第802話 彼女はいつもの姉と遭遇する
リュネの城塞ではレーヌ公家ご一家と再会し、数日共にこの街で過ごす事になった。とはいえ、彼女達はレーヌ公家となにかするというわけでもなく、この街の周囲を散策するなど、レーヌ公国から出発する日まで時間を過ごす事にした。
今回の同行は、未だ帝国に戻ろうと画策する公家に対抗する勢力への威嚇であり、『王国王家はレーヌ公家に十分な敬意と関心を払っている』と示す為のリリアル同行であったのであるから、この程度で十分だと王太子夫妻も考えている。
むしろ、これ以上ナシスの街中を彼女たちが徘徊するのは、やりすぎだと思われかねない。レーヌ公国における武の重鎮である騎士が吸血鬼であった事だけでも十分に動揺しているのだから。
『リュネ』の街は、さほど大きくはない。元は、司教領の関税事務所のあった場所に城塞が築かれ、やがてその周囲に集落が広まり街となったのである。ネデルにも存在したが、都市の周辺にはその都市に付随するように、郊外の街が生まれたりする。都市の中に入ることや滞在するのは割高だと考える
者たちが、手前の小さな村や町に泊ることで、発達するからだ。
この街は、そのような要素もある上に城塞もあるのでより発展したと言えるだろう。
「……先生……」
「なにかしら」
黒目黒髪が彼女に珍しく話しかけてくる。そして、何やら見覚えのある二輪馬車に向け指をさしている。
「……あれは……」
「良くないものね」
見覚えのある女性の二人組。彼女の姉と、不死者の使用人『アンヌ』のペアが、魔装二輪馬車で現れた。
「何してる」
赤目銀髪はいつもの調子で姉に話しかける。相方の赤目蒼髪が失礼さに慌てる。今は侍女役なのである。
「あ、こら。商会頭夫人ご無沙汰しています!!」
「あー ここにいたんだー。お姉ちゃん結構探したんだよみんなのこと!!」
どうやら、姉は彼女達一行がレーヌに滞在していることを知り、顔を見に来たようなのである。正直、ド・レミ村に滞在して正解☆
「こんにちは姉さん。商談かしら?」
「あ、妹ちゃん、リンデ振り? いやー 王太子殿下からのお願い。レーヌにも商会の支店を置いてほしいんだってさ。こっちとしても、『リジェ』と繋がる支店網を考えていたんだよね」
姉曰く、この近辺で大きな都市は『トラスブル』なのだそうだが、帝国自由都市として自立度が高い街であることに加え、最近、王国から原神子派の商人がこぞって市街に店を構えているという事もあり、あまり良い支店の物件がないという。
「最終的にはトラスブルも王国の保護下に置くつもりみたいなんだけど、あんまりうちみたいな御用商会が支店を置くのは露骨すぎるから避けようと思ってね」
ニース商会はニース辺境伯領の諜報組織を兼ねていることは暗に知られている。言い換えれば、レーヌやリジェのように帝国に対抗する意思のある街からすれば、王国とのつながりを考え支店を置いてもらいたいと考えてもおかしくはない。
「それなら公都ナシスに店を持つべきではないかしら」
「それはそうなんだけど、あの街も物件的には少ないんだよ。タルにしようかと思ったんだけど、あそこはしっかりと軍都になりつつあるし、商人としてはちょっと避けたいんだよね」
ナシスにもタルにも近く、比較的物件を手に入れやすいリュネに支店を設置するのが良いと姉は判断したようだ。
「ま、ぶっちゃけ、この街はナシスやタルが栄えれば衰退するでしょ? ある意味疎開地みたいな場所だからさ。城塞以外の守りも弱いし」
「支店は大丈夫だと考えているのね」
「そうそう。商会員の多くはニース騎士団の退役した騎士や兵士たちだからね。支店幹部は自分の身を守るくらいどうとでもなるんだよ」
聞くところによると、ニース辺境伯騎士団と聖エゼル海軍の騎士・兵士は、必ずしもニース出身者であるとは限らないらしい。法国や帝国、あるいは山国やネデル出身の魔力持ちの元傭兵などを戦地でスカウトしジジマッチョらが連れて戻るのだという。戦友あるいは敵対し捕虜とした者の中から魔力持ちを中心に海軍の水主として引き抜くのだ。
どこぞの孤児院回りと似ているかもしれない。
先王時代、法国や帝国での戦争に幾度となく参加したジジマッチョたちニースの騎士団は、そうした出会いの機会が多く、言い換えればその世代で一線を退く者が今増えている故に、商会員の人材は潤沢らしい。そういえば、リンデ駐在員も大人気の再就職先であった。
「老いて尚血気盛んな方達ね」
「ベッドの上で死ぬつもりはない(キリっ)みたいな感じだよね。帝国との
前線に近いここも恐らく凄い倍率だと思うよ!!」
皆死にたがりなのかと彼女は思わないでもない。
彼女はこの地で知り合った数少ない知人の話をする。先般の会話の中で、姉が新領主になる予定の『ノーブル領』と縁があると耳にしていたからだ。ノーブルはレーヌに似て山がちな地勢で馬産地としても有名である。
「姉さん」
「何かな妹ちゃん」
「この地で調教師・馬の『育種家』で有名な方と先日、公女ルネ様の紹介で知り合ったのだけれど」
彼女はシルゲン夫妻について姉に話す事にした。恐らく、知り合って互いに損はないだろうと思ったからだ。
「ペテロ・シルゲン氏ね。レーヌの有名人じゃない。そういえば、レーヌの馬はノーブルとデンヌの馬の交配種なんだっけ」
「そうなのね。実は、羅馬の育成をする牧場の建設先をリリアル領で探してもらおうと思って依頼しているのよ。ご夫妻は隠居されて王都に向かうのですって」
「よし、わかった!!」
姉は大きな瞳をわざとらしくグリグリと回すと、彼女に応える。
「王都の社交界には公女殿下のご友人と言う事で、お姉ちゃんが紹介して顔を繋げばいいね。それで、ニースにもそのうちご招待。商会の顧問にでもなってもらえば、レーヌの名士たちとのコネクションも作れるでしょうし。あ、お母さんにも協力してもらおう☆ あっちの商会の販路もレーヌに広げて、うちが総代理店になれば……ウィンウィンなきがしてきたよ!!」
どちらかと言えば、姉の一方的勝利ではないかと彼女は思う。とはいえ、王都の社交界は姉とジジマッチョ妻である前辺境伯夫人が強い影響力を持っていると言える。言い換えれば、彼女にとっては畑違い。なので、ここでは姉の力を借りて夫妻をリリアル側に巻き込むのが良いと判断した。
彼女は領地や学院で手一杯なのだ。姉はそれ以上だろうが、知った事ではない。得手不得手を考えれば、大変でも得意な事なら然程負担にもなるまい。
「じゃあ、早速この後尋ねてみるよ」
「先触れは出してちょうだい」
「善処しましょう」
「……」
姉はどうやら、この地の物件の取引先にシルゲン氏への先触れを頼むようだ。
「お姉ちゃんも羅馬には興味があるんだよ」
「そうでしょうね」
兎馬車では駈出し行商人感が拭えない。馬では維持管理コストが高くつく。初期費用は馬とさほど変わらないが、堅牢・少食・小回りが利く羅馬の方が馬よりニース商会の用途に合うということもあるだろう。四輪馬車も羅馬なら引けなくはない。駄馬と呼ばれる馬格の小さな馬と羅馬はさほど体格が変わらない。病気になりにくく、餌もえり好みの少ない羅馬の方が行商には向いていると言える。
「輸送部隊は羅馬の需要も高いしね」
「馬では、秣の確保が大変ですもの」
馬は移動距離が延びるほど、自前で運ぶ秣の量が増え、運べる荷物が減る傾向にある。未だ水運が主で、馬車による輸送が限られた範囲、言い換えるなら河川港から目的地の間だけというのは、その辺りの理由がある。街道の整備が不十分であることがさらに拍車をかける。
「これからの時代は羅馬車だよね」
「そうなるかもしれないわね」
魔装兎馬車から魔装羅馬車へとリリアル界隈は変わるかも知れない。
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姉と別れ城館へと戻り、公女殿下らの警護の傍らレーヌでの時間を過ごした。いよいよ王都への帰還である。
リュネの城塞に摂政殿下・公子殿下はまだしばらく滞在するということで、公女殿下とリリアル一行は出立の見送りをいただいている。
リリアル学院の生徒たちと同世代と言う事もあり、公子殿下は学院にとても興味を持ち、リリアル生とも幾度か会話をし身分差を越えた関係を築けたようである。とはいえ、全員王国騎士なのでギリセーフ。
「リリアル卿。またいらしてください!!」
「是非とも。それに、ルネ殿下と王太子殿下のご成婚の際は、摂政殿下と公子殿下も王都にこられますでしょう」
「そうね。アリックス卿とは娘共々これからもよろしくお願いしますね」
「はい」
公女と母弟殿下は短くない抱擁をそれぞれ交わし、深い想いを伝え会う時間をかけた。永遠ではないが、それぞれの居場所でレーヌ公家と王国を盛り立てねばならない。帝国の影響、潜む吸血鬼の排除、王国との関係を強めこの地を守り豊かにせねばならない。三人三様に、心に秘めるものがあるだろう。
全員が馬車に乗り込み、公女ルネは、母と弟の姿が見えなくなるまで、身を馬車から乗り出さんばかりに手を振り、目に涙を浮かべていた。
「アリーにはすっかりお世話になりました」
家族の姿が見えなくなった後、公女は深々と頭を下げながら彼女に
礼を言う。
「殿下、ご厚情有難く存じます。ですが、王太子妃、ひいては王妃になる方が臣下に頭を下げてはなりません」
「ふふ、これは友人としての感謝の印です。ですから、それには当たりません」
「……ありがとうございます」
「あなたは私の友人ですよ。アリックス・ド・リリアル」
公女はそういいながら、彼女の手に自らの掌を重ねる。
『王太子妃殿下の友人か。よかったな、友達増えてよ』
「……」
魔剣に言われる迄も無く、彼女には友だちが少ない。それは、この先王太子妃・王妃となる公女ルネも同様。王国の為という一点において、彼女と公女の間には友情が成り立つのだろう。王太子は除くとして。
因みに、彼女の友達は伯姪しかいない。
行きとは異なる街を経由し、王国北東部の貴族・都市の有力な商人らと顔を合わせ、王太子妃ルネと彼女は王都へと戻った。レーヌで久しぶりに母弟と再会した公女は精力的に社交を進め、その若く賢く美しい姿と、王国の護りの要とも思われるリリアル卿との親しげな様子に「これで次代の王国も一安心」と思わせるに十分な関係を見せることができた。
行きの社交とは一段上のものとなったのは言うまでもない。
そういう意味では、女王陛下と彼女の関係も友人とは言えなくとも、ある程度モノの言い合える関係として成り立っていることを考えると、白亜島で過ごした期間も無駄ではなかった。はず。
こうして、長いようで短かった公女殿下の里帰りも終わることになったのである。王国北東部、言い換えるならネデルとの国境で神国の影響を受けつつあった地域は、王弟殿下が公爵として赴く前の地ならしができたといって良いだろう。王弟殿下に全てを委ねるのは、甚だ不安であるから良かったと言えるだろう。
王太子宮に公女殿下を送り届ける。王太子殿下とは簡単な挨拶を行うだけで終わらせる。後日、改めて詳しい情報交換をするからと言われ、彼女は嫌な予感が大いに盛り上がる。いや、盛り下がる。
恐らくは、レーヌ公国と帝国・神国・吸血鬼のことに加え、ヌーベ公爵領の件もあるだろう。
王太子は王国南部の王太子領・王領に浸透していたヌーベ・神国の影響排除のために今も対処し続けていると聞く。深く広く根を張っている巨木を倒すには、事前の根切も重要なのである。その辺りをリリアルも領境を接する故に、手伝えと言われるのだろう。
領都の整備すらままならないのに、もっと言えば連合王国に足を運んでいた期間の溜まっている学院の仕事に関しても随分と残っているのだ。できないことは出来ないと断ろうと彼女は気持ちを強く持つことにした。
「ノーと言える私になるわ」
『無理だろ。お前の家系的に』
「ぐっ」
王太子も伊達や酔狂でヌーベ征討を計画しているわけではない。はっきりと口にはしていないが、王国内に潜む親神国派・教皇庁シンパの動きと、原神子派の対立を抑制するために、異分子を排除したいのだろうと推測する。
レーヌに隣接する『ギュイス公爵』領。元はレーヌ公家の分家筋である伯爵家であったが、北王国の王妃を輩出したことに加え、法国戦争で先王時代に活躍したことで公爵に陞爵。そして、北王国を通じて親神国・教皇庁の首魁となっていると言われる。
ネデル総督府の原神子信徒排除に同調し、王国内でも同様な政策を進めるべきと主張し、周囲に同調者を集めていると言われる。
王国の軍部にも影響力を持ち、北王国・ネデルを主に独自の外交力を有しているとされる。百年戦争時代末の『ブルグント公家』の劣化版になる可能性があると王家は考えている。
レーヌ公女との婚姻、王弟の公爵領、新規の魔導騎士部隊の配備などその線で考えられた政策であり、ヌーベ征討もその延長線上で考えられており、リリアル領の設立もその一環だ。当然逃げられない。
学院へと戻る馬車の中で、すっかり先のことを考え没入する彼女を見て、院長の補佐役をする黒目黒髪は戦々恐々とし始める。それに反して、赤目ペアは、現場部隊なので関係ないとばかりに雑談に興じている。この先、自分たちも人を動かす立場になっていくので、そのうちこの苦悩も他人事ではなくなる近い将来。
学院に戻ると、いつもの日常が繰り返されていてホッとする。日々の活動を確認しつつ、今日のところは日常業務の引継ぎだけにしておこうと彼女は最低限の仕事をこなし休む事にした。のであるが。
「主、ただいま戻りました」
ヌーベ領の情報収集に向かわせていた『猫』が、戻ってきたのであった。