第801話 彼女は『育種家』と出会う
第801話 彼女は『育種家』と出会う
『醜鬼』と称された先住民『デルタ人』は身体強化の魔力操作に優れ、狩猟採取民として優秀であった。しかしながら、多くの人間が集まり暮らすには「農業」が必要であり、その技術を持たないが故に大きな集団を形成することが出来なかったとされる。
故に、優れた狩人・戦士と言えども、その数倍数十倍の人数で攻めて来る尚且つ、人間相手の殺し合いに長けた集団と対峙して負け、棲家を追われ、またその過程で少なくない数のデルタ人が死亡し大いに数を減らしたという。
「食べるものさえ作れれば、大きな集落も作れたはず」
「その前に、古帝国の軍隊やガロ人の戦士団に攻められて負けたんだよね」
幾度か戦ったことのある彼女からすれば腑に落ちないこともある。数十、数百の『醜鬼』と対峙した経験があるからだ。タニア曰く、囲って戦力化し生活の場を与えている勢力があるのだろうという。
魔力に劣る身体強化と狩猟に優れた戦士である『醜鬼』の小集団は、山岳地帯や森林地帯での攪乱戦闘などにとても向いている。半ば、傭兵部隊のようにどこかの勢力に囲われているのではないかという。
「心当たりがあるわね」
『魔熊使いと同じだな』
ジプシャの集落を囲っていたのは東方大公領のどこかの山村。加えて、その周辺には吸血鬼の『真祖』あるいは『貴種』の休眠している城塞もあると思われる。
「あの子もそれをずっと探っているの」
タニアの言う「あの子」とはオリヴィのことだろう。
「帝国は広く、小領邦も多いの。潜む場所には事欠かないのでしょうね」
実際、帝国と境を接するこの地にも吸血鬼やら魔物使いが潜んでいたのだから、帝国内ならさらに多くの怪しげなものが潜んでいてもおかしくはない。
そして、彼女の心当たりは今一つ。「ヌーベ領」。リリアル領都南に境を接する、王国内にある独立勢力とも言える公爵領。元は、旧ブルグント公家の分家筋。聖征の時代までさかのぼる。
「大きくなったら、リリアルに一度遊びに来ると良いでしょう。その時は皆で歓迎するわ。その証に」
彼女はリリアルの紋章入りの『サクス』を手渡す。その昔、リリアルの薬師組に渡したもの。今はスティレットやバゼラードを紋章入りとして与えているが、タニアの手伝いをするのであれば、あるいは冒険者として身につけておくのならサクスの方がふさわしいだろう。
たんなる口約束ではなく、それを証明する品を与えられたことで、イリアは納得したようだ。それをみてタニアの顔にも笑顔が戻る。
「ありがとうね」
「いいえ。こちらこそ、大変お世話になりました」
彼女とリリアル一行は、タニアに謝辞と再びの来訪を約束し、その庵を離れることにした。
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リリアル一行はナシスへと戻る前に、タルの騎士団駐屯地へと足を向けることにした。三箇所目の賊討伐の報告と、吸血鬼を取り逃がした事に対する注意喚起を伝える為にである。
吸血鬼が賊の首領であった事は大変驚かれ、また、取り逃がしたことは大変残念がられた。とはいうものの、この界隈で問題となっていた傭兵団崩れの盗賊の拠点はあらかたリリアルにより排除され、騎士団としては感謝こそすれ文句を言う様子は微塵もなかった。
恐らく、言えば王太子経由で騎士団が叱責されることになるだろう。彼女が黙っていたとしても、レーヌ公女殿下がそれを伝えてしまうに違いない。
「本日、レーヌ公女ルネ様がタルをご訪問されます」
レーヌ公国防衛の拠点となる魔導騎士団駐屯地を表敬訪問し、また、今後のレーヌ公国への助力を願うといった趣旨らしい。また、騎士団に軍馬を供給する育成家が本日は滞在しており、公女殿下とか旧知の中であるのだそうだ。その再会も考慮しての訪問であるとのこと。
「軍馬の育成家がいるのですね」
「はい。レーヌは馬上槍試合の開催で有名な地ですし、レーヌは馬産地としても中々のものですから。とはいえ、我々は魔導騎士ですのであまり馬には乗りませんが」
騎士団だからと言って馬に乗るわけではない!! 魔導騎士が馬に乗ると馬は動けなくなるだろう。重たいのだ。
彼女が隊長室で話をしていると、公女殿下の来訪を告げる先触れの使者が部屋にやってきた。リリアル一行もお出迎えしようという事になり、中隊長ら騎士団幹部とともに、駐屯地の正面玄関で公女殿下を迎えることにした。
馬車から降りた公女殿下は、彼女達の姿を目にすると大いに驚いた表情をされた。
「アリー、ド・レミ村での所用は無事すんだのですか」
「はい。この後、レーヌ公宮に戻る予定です」
「それはなによりです。折角なので、この慰問に同行しては貰えませんか?」
公女殿下の想定されていたお願いに、彼女は『諾』と答え、付き従うことにした。
公女殿下は『魔導騎士』が実際に稼働している状態を目にし、また、その騎士が活動する様を大変興味深く見学された。
「王都には魔導騎士は配備されているのですか」
「はい。王宮近くと、王太子宮近くに各一個中隊十二凱が配備されております。平時においては王都の警備の一翼を担っておりますが、戦時においては戦略予備として防衛任務に投入されることになっております」
敵の主攻正面に増援として加えられるという事なのだろう。動員に時間のかかる徴兵軍が到着する前に、近衛連隊と魔導騎士がいち早く救援に駈けつける戦力となるという事なのだろう。
近衛連隊は四個連隊一万六千が常備の軍として王都周辺に配置されている。一先ず、この戦力と各地の魔導騎士で防衛戦を行うということだ。
駐屯地内を案内し、最後に訪れたのは馬場。そこには壮年の夫婦が公女殿下を待っていた。
「公女殿下におかれましては、ご機嫌麗しく存じます」
「久しぶりですねペテロ。アデラも元気そうで何よりです」
公女とは旧知の中であるようで、にこやかに親し気な挨拶を交わした。
「紹介しますね。今回、レーヌに戻る際に警護を務めてくれました、リリアル副伯アリックス殿です」
「これはこれは。私、レーヌ馬の調教師と牧場主を営んでおりますペテロ・シルゲンと申します。これは妻のアデラ。今日は、王国騎士団に納めさせていただきました馬たちの様子を見に来たのです。リリアル副伯閣下、どうぞお見知りおきを」
「シルゲン卿、どうぞアリーとお呼びください」
「では、私のこともペテロとお呼びくださいアリー様」
以前、レーヌ馬の名伯楽としてペテロ・シルゲン卿の名前は彼女も耳にしていた。レーヌ馬はブルグント馬とデンヌ馬を交配させた馬種であるとされる。
ブルグント馬はアルマン人が帝国北部から持ち込んだ馬種であるとされ、また、デンヌ馬は古帝国末に重騎兵用の馬として育成された種の生き残りであるとされ、ネデルから聖征に向かった騎士達が愛馬として用いた騎士用の歴史ある馬であるとされる。
ネデルが戦乱状態であり、デンヌ馬の供給はそちらが主となっている為レーヌ馬の需要も増大している。
「ペテロが育てた馬たちのお陰で、今日のレーヌの騎士達は騎士としての務めを果たせているのです。そういえば、子息にあとを継がせて引退すると聞きました。真ですか」
「はい。牧場は息子世代に譲り、私たち夫婦は隠居するつもりです」
まだ五十手前ではないだろうか。その『育種家』としての手腕とレーヌへの貢献を踏まえて騎士に叙任されたぺテロである。未だその調教師・『育種家』としての力は周囲の追随を許さないと聞く。
「私たちがいつまでも上にいるようでは、息子たちが育ちませんので」
「それに、レーヌは少々寒いのですわ。暖かい王都近郊にでも引っ越して、悠々自適な老後を夫と過ごすつもりなんです」
「まあ、それは心強いわ。王都の近くにペテロとアデラが住んでくれるのであれば、偶には遠乗りでも一緒にしましょう」
シルゲン夫妻は「勿論でございます」と笑顔で答える。どうやら、ルネ公女に乗馬を教えたのはこの夫妻であるらしい。シルゲン牧場に預けてある公女の馬もいるということもあり、時折牧場を訪れ、夫妻と共に馬を駆ることもよくあったことなのだそうだ。
彼女はふと思いつくことがあった。
「もしよろしければ、王都から少し離れますが、リリアル領に来られませんか」
「は……リリアル領でございますか」
「今は、ワスティンの森と呼んだ方が分かりやすいかもしれません」
未だ未開拓の森林と丘陵を抱える王都近郊の疎放地。だが、彼女の中では幾つかの産業育成のプランがある。その一つが「羅馬」の育成である。
「リリアル領では今後、『羅馬』の育成を領政策として考えているのです。とはいえ、新しい領地ですので馬を育てる経験豊かな人材などおりません。隠居するとはいえ、未だ壮健であるとお見受けします。どうでしょう、後進の育成か、それも馬ではなく羅馬の育成を手掛けてみるおつもりはありませんでしょうか」
経験豊かな牧場主の夫妻をリリアルに招き入れ、孤児の中でそうした仕事に携わりたいと考える者を選んで徒弟としてつけることができるのであれば、一気に計画が進むのではないかと彼女は考えた。
「……それは大変光栄ではありますが」
「ふふ、後進に道を譲るとはいえ、ペテロもアデラもまだ暖炉の前で丸くなる
年ではないでしょう。それに、リリアルは親の無い子どもを積極的に王都から引き取って人材として育てていると聞きます。馬を育てるだけではなく、人を育てる経験も豊かなあなた達には、とても相応しい仕事になるのではないかしら」
彼女の提案に、公女殿下も賛意を示す。老いさらばえて引退したわけではない。自分がいるせいで、息子世代が気兼ねして自分自身の考えで仕事ができないのではないかと危惧したからである。
故に、生まれ育ったレーヌを離れ、子供世代とは距離を置くことを選んだ次第である。
「好きにさせてもらえるのでしょうか」
「そうですね。馬も羅馬も育てた経験はありませんので、専門家に委ねるつもりではあります。人を育てるのには馬を育てる以上に時間が掛かるのではないですか。十年二十年と掛けて育ててもらえればよいと考えています」
「……なるほど」
「とても良いお話ですね。私は……あなたにまだ楽隠居してもらいたいと思っていませんのよ」
「そうか。そうだな。孫を育てるつもりで、ゼロから牧場を作るのも良いかもしれません。それに『羅馬』ですか。リリアル閣下は中々にお目が高いです」
レーヌ馬はやや馬格が小さく、ズングリむっくりしている馬であるという。その理由は、山がちなレーヌにおいて大平原を疾駆するような馬ではなく、長い起伏の多い山道において、荷駄を背負って堅実に移動することができる品種を育てることにしたのだという。
レーヌ馬は重装騎兵を乗せる馬としては貧弱であり不向きであるが、質実剛健な軍馬として有名であり、重量物である大砲を牽引する輓馬として優秀であるとされる。
「羅馬は馬の賢さ従順さ体格の良さと、兎馬の堅牢さ粗食に耐え病気に強い体質を兼ね備えていると聞きます。レーヌ馬の性質に近いかもしれません」
「リリアルでは軍馬として羅馬を活用したいと考えています。私たちは女性の騎士も多く、また、金属の鎧は最低限しか用いません。ですので、巨大な軍馬は必要ないのです」
リリアルの騎士は金属の全身鎧を身につけないという話は耳にしたことがあるとペテロ・シルゲンは思い出す。そもそも、騎兵として活動した話は余り聞かないということもあるのだが。
「少し、考えさせていただけますか閣下」
「勿論です」
「ペテロ、良い返事を期待します」
公女殿下の笑顔の後押し。恐らく、レーヌでの始末をつけたならば、リリアルを訪ねてくれることだろう。羅馬の育成家としてシルゲン夫妻がリリアルに力を貸してくれることを彼女は祈るのである。
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彼女はその後、公女と共にナシスに戻ることになったのだが、どうやらそこからさらに離れたリュネの城塞へと移動することになった。その理由は、吸血鬼の影響を受けた人間がナシスから排除されるまで、元々ナシスの詰めの城として維持されてきたリュネの城塞に移動し、レーヌ公家の安全を図る為なのだという。
元はメス司教領時代の税関の設置された場所に開けた街であったそうなのだが、百年戦争期に当時のレーヌ公が城塞を構築。その後放棄されていたのだというが、レーヌの帝国離脱・王国への公女の輿入れという時勢の変化により、再度、王国の支援で城塞として再整備された。
規模は小さいが、十分な防御力を有する城塞であると言える。それでも、王都のリリアル城塞よりは二回りは大きいのだが。
『あの伯楽夫妻、リリアルに来ると思うか?』
与えられた居室に戻り、彼女は今日の出会いについて考えていると、『魔剣』はそれを察したのか、話し掛けてきた。
「考えがあるわ」
彼女の思案したのは、「リリアル領内に軍馬・軍羅馬の肥育に適した牧場を建設するのに適した場所を探してほしい」とペテロに頼む事だ。これには、公女の添え状と王都への招待状を重ねてもらう事を考えている。
『なるほどな。お前らしいというか』
「姉さんが考えそうな策でしょう」
恐らく、公女の誘いがあれば王都に来ることは間違いなく、その上、リリアル学院や副伯領に足を延ばす事も十分考えられる。公女殿下も「視察」と称して学院やブレリアを共に訪問するかもしれない。
「実際に現地を見て、適した場所を探す。そして、リリアルの子たちを見て実際に馬や羅馬を育てる将来を具体的に考える。そうするなら、その先を自分自身の手で完成させたい、育てたいと思うのではないかしら」
『だよな』
新天地で第二の人生。そして、若い頃にはできなかったことが今ならできる事も沢山ある。家業は息子たちに譲り、これからは、自分の趣味・嗜好でゼロから始めることができる。強くてニューゲーム。
あと二十年、いや三十年生きることを考えるのであれば、楽隠居して何もしない日々はすぐに飽きることに気が付く。そうなれば……彼女の誘いは『渡りに船』と思う事は間違いないだろう。
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