第72話 彼女は猪の肉を皆と分かち合う
第72話 彼女は猪の肉を皆と分かち合う
リリアル学院、孤児院出身の魔力保有者を、魔術師もしくは薬師として育成する傍ら、冒険者として育て王家を陰から支えることを目的として創建された学院。その使用人も孤児院出身者であり、貴族の家の使用人や大手商会での商会員として働くことを前提とした高度な教育を施す事でも知られている。
その育成費用の多くは、王妃様の私財と管理を委ねられている未来の男爵家により賄われているのであるが……
「さあ、今日は肉曜日よ! みんな!!」
「「「おー!!!」」」
近隣の害獣駆除で入手した肉を有効に活用して院生の食事を賄うなど、自給自足を視野に入れた育成が為されているのである。嘘です、やっぱ、育ち盛りは肉食べないとじゃないですか!
一頭の猪の肉は、全体重の四割ほど。内臓の可食部分が他に一割ほどあると言われているのだが、今回は処分してしまっているので純然たる肉の部分だけである。
幸い、歩人の肉の下処理が上手くいっていたため、肉の熟成自体は上手く行ったようだ。今日は終日、三頭分の肉の加工を行い、最後は肉食べ放題祭りが決行される! 既に、朝から子供たちはお祭り気分である。
何故なら、孤児院では肉が提供されるのはお祝いの日だけ、それも塩漬けの豚肉がほとんどであり、美味しいものではない。貴族や富裕な商人は肉も魚も野菜も果物もバランスよくふんだんに使用した食事を楽しんでいるものの、大半の庶民の食事は小麦を中心とする穀物が八割を占める。
故に、病気にもなりやすく、貴族と平民では体格にも差があるのは栄養事情にも影響されているのである。
学院では、その辺りを考慮して食事内容には気を遣うのだが、肉の確保は中々難しい課題であった。が、今回の「冒険者ギルド経由で駆除依頼を受ける」という方向から冒険者としての実績と肉の素材確保を両立させる方向で、学院として運営していくことになる。
「まあほら、自給自足って大事じゃない?」
『まあ、歩人の里みたいなもんだな』
『兵士も自給自足することはままあります。いい訓練になりますから』
今日の肉の加工は、豚肉の塩漬けを行うところから始まる。その後、数日置いてから塩を落として燻製にすればベーコンに、さらにスライスして天日干しするなら干し肉となる。
「干し肉……顎が疲れるな」
「兵隊さんは、行軍しながら口に入れて長い時間噛むんだってさ」
『いい暇つぶしになりますし、空腹も紛れるので一石二鳥ですね』
『猫』が呟く。彼女はこんど、猫に干し肉をあげてみようと思うのである。この世界で、貴族の魔力が高いものが生まれるのは、遺伝に加え生活環境も影響しているだろう。生きるのに精一杯の内容では、魔力に回す分は勿論、魔力を増やす方向に成長は回らないのではないだろうか。
『それはあるな。庶民で魔力量が多い奴ってのは、分かった時点で保護されるから、実際、成長期には豊かな生活をしていることが多いな』
『騎士であれば、食事に関してはかなり恵まれますので、同様でしょう』
孤児院で成人まで過ごした子たちの中に、魔力のある者がいたとしても、成長の過程で弱くなったり、消えるのものいるのだろうと彼女は思うのである。
さて、三日前に仕留めた猪の肉を川から引き上げる。そして……解体する。両足を木の間に渡した横木に吊るし、脚に刃物を入れて皮を剥いでいく。猪は皮下脂肪が多いので、ゆっくり丁寧に剥がさねばならないのだが……
「身体強化、役に立つわね」
狩りに参加しなかった女子たちが進んで解体に加わる。どうやら、自分たちも狩りに参加したいのだそうだ。
「冒険者……なりたいです……」
「薬師や魔術師もいいけど、その先に冒険者になって、魔物退治とか山賊
退治も……したいから……」
冒険者……大半のものが志半ばで引退する。とはいえ、魔力持ちは珍しく、この学院の生徒中心のパーティーなら余程の事がない限り、悲惨な結末はないだろう。それに、冒険者として潜入するのは「あり」なのだ。
「数えで十二歳になったら、皆、登録しましょう。せっかくだから」
「良いわね! みんなで冒険するわよ!」
「……冒険って肉を採りに行くとかじゃねえぞ……でございますお嬢様」
冒険者……孤児の成功の中で、比較的ポピュラーな道ではある。実際は、無理をしてケガをしたり死んでしまう事も多い職業なのだが、アドベンチャラードリームとでもいうのだろうか、後ろ盾のない存在が自分の力だけで富と名声を手に入れることができる唯一の道に思えるのだ。
「いままで、それしか選べなかったのよね……」
「この学院で学ぶことが増えれば、そんなものも変わるさ」
「……はい……」
祖母はこの数日で、この学院がそれなりに気に入ってくれたようなのだ。女子が多いことや真面目で才能のある子供が多いこともその一助になっているだろう。祖母は貴族の跡取り娘として生まれ、高貴な方の傍に仕え、子爵家を継いだ。その中で貧しいもの、育ちの良くないものと接する機会は少なかっただろう。彼女自身もそうなのだから当然だ。
祖母はベーコン作りをすることはなかっただろう。貴族の令嬢や夫人が自ら料理をする、それも肉を燻製にするなど経験があろうはずもない。あるとすれば、狩猟を趣味とする男性が、自分の仕留めた獲物を自分で加工したいという欲求からだろう。
「こうやって、みんなで作業するのも楽しいじゃないか」
孫と同じ世代に混ざり、一緒に初めての経験をするということは中々得られぬ機会だろう。それは、子爵家を出て一人暮らしていた祖母にとって、毎日が彩られるように感じる事なのだろう。彼女は、子爵家において祖母に最も近かったと自負しているが、それでも二月に一度、数時間程度会うのが精々だった。
それ以外の長い時間、祖母が一人どのようにして過ごしていたのか、想像したこともない。今の祖母の少々はにかむような表情を見ると、この学院に来てもらって本当に良かったのだと感じているのである。
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豚の塩漬け作りも一段落した。ここからは……焼肉祭りスタートとなる。三頭分の肉をすべて焼くのは二十人からいる学院の関係者だけでは食べきることができないので、騎士団の駐屯所にお裾分けをしている。
「これ……どうぞ……」
「学院生が討伐した猪の肉です。皆さんでどうぞ!」
「おう、ありがとな嬢ちゃんたち。先生によろしく伝えてくれ」
という感じで、騎士団との関係も多少は改善……されていると思われる。騎士団長は何も思っていないのだが、立ち合いで負けた騎士団員もいたり、小娘が活躍するのを面白く思わない人もいるからだ。
そういう関係者は王都の中枢部にいるので、現場の騎士たちは同業者に近い印象、もしくは気にかけてくれる対象でもある。そんな気持ちに、多少は応えることができたのかもしれない。
食堂で焼くには少々手狭という事で、庭の片隅に焼肉スペースを急遽設置。レンガを組んだ炉の上に鉄板を乗せただけの簡易なものだが……
「あんた、野菜も食べなさい。野菜大事だから!」
「いやいや、俺を肉から遠ざけようとしても無駄でございますお嬢様」
伯姪と歩人の争いも展開中。そして、無言で肉を焼き続ける黒目黒髪と赤目銀髪。
「なんかいいねこんな感じ……」
「……孤児院の子たちにも食べさせてあげたいな……」
最近、自分たちのいた孤児院のことをふと思い出すことがあるメンバー。恵まれた環境に、元の孤児院の仲間を思い出すこともあるようなのだ。
「猪の肉……差し入れてもいいわね」
「たくさん作ってベーコンとかも持ち込めればいいね!」
猪は春に出産し、秋口にある程度の大きさまで成長する。この辺りの若い猪が肉としては美味しいらしい。
「冒険者登録できる者たちみな登録して、秋には猪狩りを大々的にしましょうか。そして、保存できない部位をどんどん孤児院に配るのもいいわね」
二千人の孤児の口にのぼるのにどれだけ猪を狩らねばならないのか……
かなり不安なのだが、何か他人の役に目に見えて立つというのは、長く学院で学び続ける事になるだろう、魔術師志望の子供たちにとって良い意味があると思われる。成果は目に見えないと頑張れないという事もある。
使用人頭をはじめ、生徒以外の者も参加中。その中には、祖母も含まれる。祖母の横には……なぜか癖毛がいる。へそ曲がり同士、仲が良いとか……思っておりませんわお婆様。
「ばあちゃん、これ、柔らかい場所だから」
「……いいんだよ。年寄りはそんなに食べなくても」
「長生きするのには肉食べる方が良いらしいから。ほら、たくさんあるから、食べなよ。俺も一緒に食べてぇし……」
「じゃ、遠慮なく。あんたもどんどん食べなさい」
口の悪いもの同士、喧嘩になるかと思いきや……最近、伸び悩んでいる癖毛に関心を持ってくれているのは誰よりも祖母なのである。正直、年の離れたものの方が、癖毛は素直に接する。孤児院でも、院長先生のような年配のシスターには素直であったと聞く。
「ああ、あいつは両親早く無くして、お婆さんに育ててもらってたんだけど……」
お婆さんがなくなって孤児になったのだそうだ。そのお婆さんが実の祖母であったかどうかは分からないが、お婆さんには優しい子なのだと初めてそこで気が付いたのだという。
「厳しいお婆様にも、あんな面があるんだわ」
「母親は男の子には優しいものよ。うちも兄と私では母の優しさが全然違うから。貴族の娘として恥ずかしくないようにって気持ちはわかるけどね」
女性が幸せになるには、見た目の良さも当然だが、妻として貴族としての振る舞いがとても大切になる。男の世界は分からないが、女の世界をよく知る祖母だから、姉妹には厳しかったのだろう。父には優しい母親であったと聞いているので、伯姪の話もなるほどと思わないでもない。
「あの子も、何とかしてあげたいけど、魔力が大きいのがね……」
「贅沢な悩みなのだけれど、流れの速い川みたいなもので、どうしたらいいのか正直分からないわ」
とはいえ、可能であれば、鍛冶師としての手ほどきをドワーフに受けてもらい、魔力の多さを生かせる職人という事もありだと思うのだ。その過程で、魔力のコントロールが上手くなれば、道も開ける。
「鍛冶師の話、進められるといいわね」
「ええ、必要な方で高度な腕を持つ人がそうそういらっしゃるとも思えないのは確かですもの。宮中伯様も、ご理解いただけると思うわ」
学院の傍に欲しい施設、鍛冶、施療院、雑貨屋に宿屋兼食堂、肉の解体場もあると良いかもしれない。
「猪の毛皮だって、きれいにすれば孤児院に寄贈できるでしょ?」
「……あの、いい考えだと思います。冬は、本当に寒いんです。薪も買えない事もあるし。食べる物だけじゃないんです……」
今日は色んな子と話をしているので、いつもは余り話さない碧目栗毛娘とも焼き肉の話をしつつ、談笑している。彼女は魔力は小さいし体も小柄なので、冒険者系統は今のところ考えられない。薬師寄りの魔術師として施療院や教会で活動してくれることを期待している子だ。
「冬はみんなで一か所に固まって夜は寒さをしのいだりするんです」
「それ、庶民の家でも同じなんだよね。子爵家の使用人がそんなこと話しているの聞いたしね」
貴族の屋敷は壁も厚く暖炉なども備わっているので、寒い王都でも室内は暖かい。木造の壁一枚しかない孤児院は、外と変わらない温度になるのだという。部屋の中でも息は白くなるし、呼気で壁に氷ができることもあるのだという。
「温かい食事も朝だけ……とかです。お湯だって沸かすのは大変なので、
当たり前ですが、冬は1か月くらい体を洗いませんから……汚いです」
もともと着る物も同じものを着続けているのだから、さらに体も室内も汚れるだろう。孤児院に限らず、貧しいという事はそういう生活が当たり前なのだ。
「だから、ここは本当に……素敵な場所です。頑張って、早く一人前に
なりたいんです……」
えへへと照れ臭そうに笑う碧目栗毛娘なのだが、その気持ちは強いものだと彼女は感じていた。
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焼肉祭りも終了。肉のうち、二割がベーコン、四割が干し肉、残りが焼き肉や煮込み用に回される。全体で100キロ近い肉があったので、そのうち、20キロはベーコン、40キロは干し肉となる。40キロのうち、10キロほど騎士団に寄贈し、のこりの30キロを……何日かに分けて食べたわけである。一人1キロは食べた勘定だろう。
「うん、しばらく肉は良いかな」
「心臓とかも美味しいんだよね」
「肉は何でもうまいな。うまい」
パンとほとんど肉のない薄い野菜スープだけでほぼ生きてきた孤児院のメンバーは、生まれて初めておなか一杯肉を食べたことになるのだろう。肉を食べると元気になる……なぜか。
彼女と歩人、伯姪と茶目栗毛が次の猪狩りについて話をしているのだが、参加していない伯姪から一つの疑問が持ち上がる。
「あのさ、なんでわざわざ廃砦に猪は集まっていたんだろうね。だって、大きな群れの主がいるんでしょ?」
自分たちを基準に考えると、確かにその通りなのである。安全であれば、森の中でそれぞれが縄張りというか、自分のテリトリーを分け合って生活した方がより多くの餌を得ることができるだろう。
「確かにそうですね。前回は猪のことで頭が一杯でしたので、そこまで考える余地がありませんでした」
「猪が身を守らなきゃならない何かが森にいるってことか。ありえるな」
「猪は狼程度では太刀打ちできないのよね」
猪狩りをするための犬というのも存在する。猟犬が複数頭で囲い込んで追いまわし、疲労した猪を弓や槍、最近ではマスケットなどで仕留めるというものだ。
「帝国だと、専用のロングソードもあるみたいね。サシュワーターという、剣先がスピアのように膨らんでいるのね」
それは貴族の狩猟の為の剣であり、ゲームの道具だ。猪たちが城塞に住む理由を考えると、次に森に入る前に、依頼のあった村で情報を収集するべきかと彼女は思うのであった。




