第792話 彼女は『魔術師』の魔王討伐に向かう
第792話 彼女は『魔術師』の魔王討伐に向かう
今回、囮を務めるのは黒目黒髪。そして、赤目銀髪は斥候役として離れて行動する。久しぶりに弓がメイン装備なので嬉しそうに……表情は変わらない。
「これは、兎馬車ね」
「はい。魔装の兎馬車になります」
「それは何かしら?」
リリアルと老土夫で囲い込んでいるため、一般的に『魔装馬車』は出回っていないので、タニアが知らないのは当然である。彼女は、馭者が魔力を持ち、自らの魔力を馬車に纏わせることで、馬車の重量が軽減され実質、裸馬の状態並の負荷で馬が移動できる魔道具であることを伝える。
荷馬車を引く、あるいは人を乗せる分、馬は疲労するわけで、それを無視できるとなれば一日の移動距離も数倍に伸びることになる。兎馬は特にタフであることから、馬以上に距離が稼げる。
「とても便利そうね」
タニアは自分の兎馬を彼女に貸す事になり、魔装兎馬車に興味を持ったようだ。
「この討伐が終わったなら、この兎馬車で宜しければお譲りします」
「そう……なら、魔法袋も奮発しなきゃね。ふふ、楽しみになってきたわ」
どうやら、愛兎馬が歳をとってきて最近、馬車を曳くのも辛そうで気になっていたのだという。魔装兎馬車なら実質馬車を曳かないのであるから、今までよりもずっと疲労が軽減される。兎馬にとっては有難い事だろう。長生きするに違いない。
自称『魔王』の存在は三体。いや、三人か。『ナンス』のあるレーヌ公領の中心である南を除く三箇所。北の伯爵領領都バルデに向かう途上に『魔術師』、西の山中には『魔物使い』、東のベダンに向かう街道から少し離れた森の中に『魔剣使い』がそれぞれ潜んでいる。
「北に向かいましょう」
彼女が最初の討伐に選択したのは北の魔王。レーヌから聖都・ミアンに向かう主街道であり、川と並行していない為、行き来する『人』『物』も多い。また、魔術師の配下が最も多く、被害もまた多いのだという。
「や、やっぱり私が馭者なんですよね」
「頼んだよ☆」
「うえぇぇ、わかりましたぁぁぁ」
赤目蒼髪に念を押され観念する黒目黒髪。赤目銀髪は兎馬車に先行して街道沿いに待ち構えているであろう『山賊』を捜索する。そして、彼女と赤目蒼髪は冒険者姿で兎馬車の幌の中で潜んでいる。必然、馭者役は黒目黒髪しかいない。後衛・防御担当なのであるから至極当然。
濃灰色の貫頭衣に魔装ビスチェを上から重ね、首回りは明るい花柄の布で飾りつけしている。ザ・農民の娘といった風情である。
演出でもなんでもなく、周囲をきょろきょろと落ち着かない様子で見まわしつつ兎馬車を進める様子は、いかにも山賊がでないかと恐れている様子に見え、観察している山賊の斥候の嗜虐心をそそっている事だろう。
そして、見た目も可愛い黒目黒髪。小動物系でもある。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
「せ、先生」
「分かっているわ。かなり多いわね」
自身でも魔力捜査を行っている黒目黒髪は、十数人の賊が街道の左右に伏せている事に気が付いた。木立が増え、やや街道が曲がっており遠くから見通せない、木陰で一瞬暗くなるような場所に待ち構えている。
古帝国時代の軍団が待ち伏せされたのも、このような森の中であろうか。
「馬車の後ろから降ります」
「打合せ通り右から旋回するように背後から襲撃してちょうだい」
赤目蒼髪は頷くと兎馬車を遮蔽物にして背後から下車すると、街道脇の茂みへと音もなく飛び込んだ。
襲撃予想地点までの距離は二百メートルほど。十秒もあれば到達するだろう。
「魔力壁を左右に直角になるように二枚展開して」
「は、はいぃ……」
恐らくはこの曲線の先に馬車か木材でも放置し通過できないようにしてあるのだろう。その上で、矢を放って足を止めさせる。馬車は簡単に方向を変えられないので、逆走は容易ではない。
道を塞ぐように荷馬車が置かれ、飛来音がする。
PANN!! PASHINN!!
魔力壁に阻まれた長弓の矢が地面へと弾き落とされる。ワラワラと街道を塞ぐように十人ほどの賊が左右から現れる。
「兎馬車止めろ!! 殺しはしねぇ。無駄な抵抗しねぇ方が良いぞ!!」
背後でその言葉に同意するように下卑た笑い声を上げる山賊たち。
「私が後ろから降りたなら、馬車全体を三面の魔力壁で防御。合図があるまで守りに専念しなさい」
黒目黒髪にそういい含めると、彼女は兎馬車の後ろから降り、愛用の魔銀剣を構えて兎馬車の前に出る。
「こんにちは。良い捕り物日和ですね」
「……なんだてめぇ……」
「通りすがりの冒険者ですよ。さて、討伐されてもらいましょう」
「「「!!!」」」
半数は片刃曲剣を抜き、幾人かは矛槍をスピアのように構えて彼女を半包囲するように街道を塞ぐ。残り数人は、恐らく長弓か弓銃を持ち潜んでいるのだろう。
「高く売れそうな女だが仕方ねぇか。多少傷つけても構わねぇ。やっちまえ!!」
「「「「おう!!」」」」
『高く売れそう』といわれちょっと嬉しい彼女である。
抜いた剣で、目の前にいる山賊の一人、高く売れそうと言っていた男の首をちょこんと刎ねる。そう、音もなく、魔力を通した片刃の剣でスッパリ首を切裂いた。
斬り落とした断面から派手に血を噴き出し、首のない体がゆっくりと崩れ落ちてゆく。落ちた首はゴロゴロと転がり、兎馬車の前の魔力壁に当たり街道脇へと消えていく。
「ひ、ひやあぁぁ!!!」
叫んだのは黒目黒髪!! その悲鳴で我に返る山賊たちだが。
「ぐぎゃあぁぁ!!」
「お、おい、何か潜んでいる……があぁぁ!!」
背後に隠れていた山賊たちの断末魔が路上に響く。一瞬、街道上に立ちふさがる山賊たちが周囲へと目を向けた瞬間、一気に加速した彼女の剣が一人の山賊の腹を引き裂き、いつの間にか左手に持っていたスティレットに魔力を纏わせ、もう今一人の山賊の首を薙ぎ、血を噴出させる。
「か、囲め!!」
「ひやあぁぁ、だ、駄目だ!! 逃げろぉ!!」
「ふざけんな、戦え!!」
指揮を執っていた者が早々に殺され、見えない敵に囲まれたかもしれないと思い込んだ山賊たちの士気は一気に崩壊。兎馬車から遠い者から、敗走し始める。武器を投げだし、一目散に逃げ去っていく。
「雷の精霊タラニスよ我が働きかけに応え、我の欲する雷の姿に変えよ……『雷刃剣』
逃げ去る山賊の背後から雷を纏った魔力の刃が無数に放たれる。
「うぎゃああ!!!」
「ぎぃひゃあぁぁぁ!!!」
「いぎぃぃぃぃ!!!」
街道を逃げていく五人の山賊の背中に、雷の刃が一つ、二つと命中し、叫び声を上げた男たちは体を硬直させ糸の切れた操り人形のように地面へと倒れ落ちる。
路上には十人の山賊の死体が転がる。首を刎ねられた賊は当然死んでいるのだが、雷刃の命中した山賊も恐らくそのまま死に絶えることになるだろう。呼吸が止まっているものだと思われる。
「せ、先生……もう、大丈夫でしょうか……」
黒目黒髪は顔を硬直させたまま、恐る恐る彼女に話しかけた。すると、ガサリと街道脇の茂みから何かが姿を現す。
「ひゃあぁぁ!!」
「わたしわたし!! 先生、右の斜面の賊は全て討伐しました」
「お疲れ様。あとは……」
赤目銀髪には止めを刺さずに軽傷の賊をわざと逃がすように指示してある。矢の攻撃で致命傷にならないように傷つけた賊が、襲撃失敗とみて、そのまま仲間の所へ逃げるのを追跡させる為である。
「では、少し片づけましょう」
「……はい……」
「承知しました」
街道脇に『土牢』を形成し、そこに山賊の死体を放り込んでいく。傭兵崩れというより、兼業なのであろうかブルグントに向かう最中に襲ってきた浮浪者のような山賊と比べ装備が整っている。また、身なりも比較的良いのは、懐の温かい山賊稼業であったのだろう。
「こいつら、神国総督府辺りから幾らかもらっているのかもしれませんね」
「そうね。オラン公との戦争が一段落して、一時的に解雇されている傭兵団なのでしょうね」
ネデル総督府は十万を超える軍を維持しているが、戦時はさらに多くの兵士を抱えていた。新参の帝国傭兵は一時解雇され、ネデル・帝国周辺で副業に精を出しているといったところだろう。騎士団の駐屯地があるベダン周辺や聖都に向かう街道を避け、保護領や小さな王領地が混在するこの辺りに潜んでいるのは、討伐されにくく山賊業でもそれなりに稼げると判断したからだろう。
若干の金品、状態の良い剣などを回収した以外は、全て『土牢』の中に放り込み、埋める。
片づけを手伝っている最中、黒目黒髪が街道脇の茂みの中で嘔吐しているのは見て見ないふりをすることにした。山賊とはいえ、人間を殺す場面に直面して来ていないことから、仕方ないのである。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
死体の片づけを終わらせた頃、赤目銀髪が戻ってきた。
「見つけた。けど、問題がある」
拠点は予想通り、街道から斜面を登ったところにある廃修道院。外壁はほとんど残っていないが、石造の礼拝堂や内陣はしっかり残っており、傭兵団の拠点として整えられているのだという。
そして問題というのは、傭兵団がそれなりの規模である場合、兵士だけでなく、生活の世話をする女たちも存在するという事になる。これまで討伐してきた山賊は、襲われたところを返り討ちにしたり、拠点もどちらかといえば潜伏先といった態でそこまで生活感はなかった。
どちらかといえば、暗殺者養成所のように生活の拠点としての要素が高いのだ。
「女性は、拉致されたような感じかしら」
「わからない。小綺麗にしているし、楽しそうに話しかけられたりしているから、身内もいるのだと思う」
傭兵団に入る男は、農村や都市で食い詰めた者が少なくないが、女の場合、攫われたり仕事として雇われてそのまま行き場もなく傭兵の内縁の妻になったりしていることもあるのだと聞く。
「子供の姿はどうかしら」
「見かけなかった。赤ん坊の泣き声もしない」
「それは幸いね」
山賊を返り討ちにするまでは良しとして、女子供まで手にかけるつもりは毛頭ない。人攫いの村は、村ぐるみであった事もあり、女子供も処罰の対象となっていたが、この傭兵団に関してはどうするべきか悩むところだ。
男たちを討伐した場合、女たちの行き場はどうなるかという問題もある。人攫い村の場合、処罰の期間不自由民として扱われるものの、生活環境を変える必要はなかった。しかし、この傭兵団の女たちはそうではない。リリアルが抱えるわけにもいかない。
どうしたものかと彼女は悩んでいるのだが、黒目黒髪は珍しく話かけてきた。
「先生が気にする必要はないと思います」
「はい」
「山賊は討伐する、女たちは見逃すで良いと思います。後のことは、本人が考えればいいんです。リリアル学院とは関わりありません」
黒目黒髪、意外とドラスティックである。赤目銀髪も赤目蒼髪も同意するように黙って頷く。彼女もそれはそうかと考え直す事にした。何か言われても、自分たちでどうにかしなさいと言い放つ心づもりが出来たのである。
一先ず兎馬車を収納し、兎馬だけを連れて廃修道院へと向かう事にする。既に夕方近くになっており、山賊団の増援が現れそうにもないのだが、こちらの形跡を追えないように森の奥へと足を踏み入れ姿をくらますことにした。
「相手の戦力を把握したいわね。特に、魔王とその側近の居場所と力量が知りたいところね」
「難しい」
「夜陰に乗じて襲撃しましょうか。魔力持ちなら、魔力走査で位置が特定できるから、そいつらをまず討伐するとか?」
「わ、私は……」
「あなたは兎馬とお留守番。簡易土塁を作るから、そこに潜んでいなさい」
「はい……」
兎馬の面倒を見る人も必要!! 借り物ですし!!
街道から直接向かう廃修道院への道を使わず、裾野を回り込むように歩を進める彼女達。山賊団も街道に向かう道が踏み固められて特定されないように経路を複数設け、分散して歩くようにしているが、猟師の目がある赤目銀髪からすれば、獣道同様に容易に見分けられるらしい。
街道と廃修道院の反対側迄回り込んで野営地を確定。一先ず黒目黒髪と兎馬の安全を確保する為に、土牢と土壁を用いた5m四方ほどの安全地帯を確保。周囲からも焚火の炎が見えないだろうことも確認。
黒目黒髪は狼の毛皮テントで寝てもらう事にし、三人は夕食後、廃修道院に向かう事にした。
夕食を食べると、黒目黒髪は舟をこぎ出したので、今日の討伐行は相当疲れたのであろうと彼女は理解した。とはいえ、一期生の幹部の一人であり、二期生以下を統率する必要も今後は増えるだろう。そういう意味でも、実戦の経験が不足しているのは宜しくないと彼女は考えている。
身の危険を感じる状況においても、冷静さを失わないという事は、上に立つ者が当然身につけておくべき能力であると彼女は思うのである。