第791話 彼女は『ド・レミ村』に到着する
第791話 彼女は『ド・レミ村』に到着する
小径を進む事十分ほど。その先には、一階を堅牢そうな石壁で作られた二階建ての家屋が見えてきた。教会とも異なり城館でもない。貴族の狩猟用の館といった趣の建物に見て取れる。
「大きな屋敷?」
「そうね、立派なつくりに見えるわ。もしかすると、貴族の古い館を手に入れて改装しているのかもしれないわね」
近づいて気が付いたのは、館の前庭の部分に大きなテーブルのような板敷が並べられ、その上に薬草らしきものが天日干しされていること。どうやら、錬金術なり薬師なりの素材を並べているのであろうと思われる。
「一先ず、薬師はいそう」
「人違いの可能性もあるのだけれど、訪問先を尋ねることもできるでしょう。扉の前で声を掛けてみましょう」
『……ん。あ、ここはどこなの……あ……』
海を渡っている間にすっかり彼女の髪の間で眠り込んでしまったピクシーの『リリ』が随分と久しぶりに目を覚ました。人の家を訪ねる前に起きるとはいささかタイミングが悪いのだが、訪問中に目覚められるよりはマシかもしれない。
「リリ、これから初めて会う方にご挨拶するの。大人しくしていてもらえるかしら」
『リリおとなしくしているー』
不安ではあるが仕方がない。彼女は館の扉を叩き、中に向かって訪問の理由を伝える。
「ごめんください。この館は錬金術師の『タニア』様のお宅でしょうか」
彼女は自らの名を名乗り、老土夫の紹介で事前に訪問することを伝えたことを口にする。しばらくすると、扉の奥から人の気配がし、おもむろに扉が開かれる。中から出てきたのは五歳ほどの子供。男か女かは判別がつかない。
「誰」
「アリーと申します。タニア様にお会いしたいのですが」
少しの間があり、何か思い出したかのような顔をすると、子どもは二人に中に入るように促した。
「タニア、あうといった」
「……お会いしてくださるのね。中に入ってもいいかしら」
子供は黙って頷くと、扉から離れ館の中に向かって走り去っていった。
「……」
「追いかける?」
「そうね。案内は望めなさそうですもの。行きましょう」
四人は周囲を警戒しつつ、館の奥へと歩を進める。整理整頓は行き届いているものの、様々な素材、装具が所狭しと並べられており、薬師や錬金術師の庵というよりは、王都の裏路地にひっそりと営業している謎の魔導具屋といった雰囲気を感じる。窓は少なく、明かりを中に入れないように塞いでいるのは、陽の光による素材の劣化を防ぐためかもしれない。
とはいえ、廃屋のように床に埃が溜まるわけでもなく、異臭が漂っているわけでもないのは、家主が手入れを怠っていないからだろうか。
棚と積み重ねられた櫃のお陰で狭くなった通路を進むと、奥への扉が見てとれる。どうやらこの奥が家主の居住スペースか作業場であるようだ。
「見た目は館なのに、中は倉庫みたいだよね」
「し、失礼なこと言っちゃだめだよ!!」
「事実を指摘するのは失礼ではない」
いや、真実は人を傷つけるということもある。その辺りは兼ね合いというものだろう赤目銀髪よ。
「ごめん下さい。タニアさんはこちらでしょうか」
扉の前に立ち彼女は中へと声を掛ける。
「はい、どうぞお入りください」
声の感じからすると二十代後半ほどであろうか、柔らかく軽やかな声がする。彼女の祖母程の年齢を想定していたのであるが……思ったより若いのか、あるいは年齢不詳なのだろうか。
中に入り、四人は挨拶をする。そこにいたのは先ほどの子供と、麻の貫頭衣らしき粗末なローブを身につけた目鼻立ちの整った美女であった。目はやや細く切れ長であり、広く額を見せ前髪は左右に流れ、その髪の色は黒に近い褐色に見て取れる。
「さあどうぞお座りになって。椅子はそこにあるから」
作業台を兼ねているであろうか、大きな木製のテーブルに数客の椅子が配されている。
「はじめまして、タニアです。ド・レミ村では長く薬師として仕事をしています。この子はイリア。ご挨拶なさいイリア」
『イリア』と呼ばれた子供は黙ってぺこりと頭を下げる。
「よろしくねイリア」
「よろしく」
「い、イリアちゃんよろしくね!!」
黒目黒髪は緊張しているのはいつものことなのだが、日頃より一層の緊張をしているからなのは、イリアの容貌が異様であるからということもある。
「ふふ、この子は森で見つけた迷い子なのよ。多分、半醜鬼なのだと思うわ」
『半醜鬼』という言葉に彼女を始め四人はびくりとする。これまで醜鬼とは幾度か戦ったことがあり、魔物として討伐してきたからだ。『半』ということは、醜鬼と人間の合の子ということなのだろうか。
「誤解しているかもしれないけれど、醜鬼というのは魔物ではなく……魔物扱いされている先住民の集団のことなのよ。見た目は私たちとはかなり違うし、武装して集落や商人の一行を襲撃したりするけれど、それは『入江の民』と同じでしょう? 言葉も交わせる者もいるのよ。だから、この子は普通の村人とそれほど変わらない……変わってるけど、許容範囲なのよ」
イリアは恐らくこの村の近くで母親に捨てられたのだろうと推測される。赤子の頃であれば「ちょっと不細工」という程度の際だったであろうが、三歳、五歳と年を重ねれば半醜鬼としての堅牢な体格、言葉の発達の遅さなど差異が明らかになってくる。
かといって、堕胎や子殺しするほどの気持ちにはなれず、森に子供を捨てたといったところなのだろう。
幼児を森に一人放置すれば、野垂れ死にするか狼や熊などに食い殺されることが容易に想像できる。捨て子とは緩慢な殺人なのだが、恐らく凌辱され身ごもった女からすれば、それは許されるべき罪と考えたのだろう。
とはいえ、半『醜鬼』は体力があり、生存能力が高かった。木の実や茸、果実を拾い、川の水を飲み木の洞に潜んで夜を凌いだ。やがて、薬草採取に来たタニアに見つけられ、この館に居場所を得たということなのだ。
「さて、何の用件か聞きましょう」
挨拶と自己紹介を終えたタニアは、彼女にそう問い質す。彼女は、老土夫の手紙を渡し、先日問い合わせた『魔法袋』の追加作成について、直接お願いに来たという事を伝えた。
「ああ、あの件ね。そうね……あれはそうそう数を出すつもりはないの」
タニアは錬金術師として高い技術を持ち、『魔法袋』を作ることのできる現状ほぼ唯一の存在なのだという。世の中に出回っている魔法袋の多くは過去の時代から連綿とその主を変えて受け継がれている『お宝』であり、魔導具というよりも『神具』『精霊の贈り物』に近い存在なのだそうだ。
「素材の問題もあるけど、あれは、精霊の力を借りた奇蹟の産物なのよ。極まれにしか現れないからこその『奇蹟』でしょ? 小さいからといって、簡単に……」
ふとタニアの視線が彼女の頭上に移動する。そこには、髪の間から顔をのぞかせた『リリ』がいる。どうやら、目線があったようである。
「……あなた、ピクシーを使役しているのかしら?」
「いえ、とある場所で呪いにより『インプ』にされていた子たちを助け出したのですが、その際、この子だけは私について来たいと望んだので、名を与え供にした次第です」
「そう……その子の名前は何というのかしら」
彼女は『リリ』であると伝える。
「リリ、聞こえてますか」
『聞こえてないよー』
「「……」」
『聞こえてるじゃねぇか』
『魔剣』のボヤキが伝わったのか、彼女の髪の間から姿を現した『リリ』はタニアの前でカーテシーをすると、フラフラと天井近くへと飛び上がった。その姿を見て、イリアは大興奮!! 蝶や蜻蛉を追いかけるように手を伸ばして掴まえようと飛び跳ねる。
「これ、やめなさいイリア。あー 折角クッキーを出そうと思っていたのに。これでは出せないわね」
『クッキー』という単語にピクリと反応するイリア。そして、自分用のやや高い丸椅子に座ると、テーブルを両手でバンバンと叩いた。
「ふふ、皆さんもお茶にしましょう。良いわよね?」
彼女達は喜んでお茶に招かれることにした。
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『おい、わかってるか。タニアってやつはおそらく『高得夫』だぞ』
『魔剣』の呟きに彼女は内心同意を示す。得夫といえば金髪碧眼アーモンドアイに尖り耳を特徴とするとされるが、タニアはブルネットに褐色の眼であり、その特徴には該当しない。
「はい、用意できました。森のクッキー召し上がれ」
世話焼オーラを発しながら、森の木の実を混ぜて作ったであろうクッキーが出される。ハーブ茶のお茶請けである。
お腹がすいていたのか、イリアは両手に一枚づつ取ってムシャムシャバリバリと食べ始めた。
「あなた達も遠慮せずにどうぞ。これは、干した果実を練り込んでいるのよ。ちょっと甘酸っぱい味がするから」
野イチゴか何かを干して混ぜたのだろう。赤味がかった塊が見て取れる。砂糖は少なめで、フィナンシェに慣れているリリアル生からすると甘味が足らない気がするが、素朴で懐かしく思える。
「孤児院を思い出した」
「私も」
「そうね。すごく偶に、こういうお菓子、貰えたね」
孤児院で菓子が出る等というのは、祝祭の時極たまにである。とはいえ、王都では年に百日くらい祝祭があるのだが、孤児院に全部影響があるわけではない。貴族や富裕な市民には娯楽が沢山だが、貧しい者には関わりの無い事である。むしろ、その為に仕事が増えて忙しいまである。
「味はどうかしら」
「美味しいです。優しい味がします」
砂糖ではなく蜂蜜の甘味で味がついているのだろう。砂糖とは違う、ほんのりとした甘みだ。
いつの間にかイリアがほとんど食べてしまい、彼女達の前には空の皿だけが残っていた。
「お客様よりたくさん食べてしまって、申し訳ないわね」
「お腹がすいているのでしょう。私たちは構いません」
「ふふ、そうなのね。リリアル卿は、優しい人だこと」
「どうぞ、アリーとお呼びください」
タニアはにっこり微笑んだ後、では、と話を区切ると『魔法袋』についての要件を話はじめた。
「そうね。アリー、あなたのその『リリ』という子が協力してくれるなら、魔法袋は幾つか用意できると思うわ。それと、リリとあなたは魔力で繋がっているのであれば、あなたの協力も必要。大丈夫?」
勿論とばかりに彼女は同意する。加えて、タニアは条件を出した。
「この場所は帝国と王国の境目にある領地なの。そうすると、傭兵団崩れの山賊がいくつか拠点を作って棲み付いているいるのね。この村自体は私がいるから直接襲われることはないけれど、行き来する商人や用事で出かける村人が襲われたり攫われたり殺されたりするの。そいつらを討伐してもらえるかしら」
「構いません。おおよその場所がわかれば、この後すぐにでも参ります」
「……明日からにしましょう。今日はもう暗くなるわ」
あまりに勢いよく彼女が受けたので、タニアはやや驚く。そう、山賊討伐は彼女の好むところなのである。
夕食は庭の一角で肉を焼き、スープを作り、ナンスで買い求めた白いパン等を彼女達が提供しタニアとイリアに振舞う事にした。どうやら、タニアの館は客間らしい客間がないので、彼女達は魔装馬車での宿泊となりそうである。
白いパンが珍しいのか、イリアは両手に楕円形のパンを持ってムシャムシャバクバクと食べている。いや、味がないのではないだろうか。
「……パンだけで大丈夫なのでしょうか」
「いつもは黒パンだからね。酸っぱくないパンが珍しいんでしょうね」
ほんのりとバターの香りもしているので、それだけでも美味しく感じるかもしれない。
「ところで、あなた達は、馬車で寝られるの?」
「はい。遠征の時は、大抵この馬車にハンモックを吊って寝ていますから」
「涼しくて寝心地は良い」
「地面に寝るよりは随分マシです」
「わ、私はやっぱり、ベッドがいいけどなー」
野営慣れしていない黒目黒髪ぇ……。
野営をしつつ、盗賊・山賊を誘き寄せて討伐するのもリリアルのデフォである。
食事をしつつ、彼女は明日以降の討伐についてタニアから聞き取りをしていく。どうやら三人の『魔王』が存在するのだという。一人は『魔術師』、一人は『魔物使い』、一人は『魔剣使い』の王で『魔王』と呼ばせているのだという。
「傭兵崩れの山賊なのですよね」
「そう言われているのね。実際、遭遇して生きて戻った人はいないから、襲われている人を見かけた人の伝聞。山狩りでもすればなんとかなるかも知れないとは思うのだけど、山狩りをする人数を集める事も難しいし、数を揃えても一点突破で逃げられるのよ」
山賊団の人数はそれぞれ三十から五十人ほどだという。
「多い」
「そうね。けれども、こちらが襲撃するのであれば、なんとでもなるでしょう」
「そうですね」
「そ、そうですか?」
お留守番メインの黒目黒髪からすれば疑問に思うのも無理はない。村から北・東・西の各方向に山中の廃修道院跡を根城として山賊団が盤踞しているのだという。
「『魔王討伐』楽しみ」
赤目銀髪の率直な言葉に、タニアは驚いた顔をするのである。