第790話 彼女はレーヌの吸血鬼と対峙する
第790話 彼女はレーヌの吸血鬼と対峙する
二の腕から斬りおとされた吸血鬼にして元騎士団長のカリエ卿。
「な、な、な」
「おおお!! カリエ様ぁ!!」
驚愕の声や呻き声が響き渡る。駆け寄ろうとする者たちを護衛侍女が止める。彼女は吸血鬼から視線を外すことなく、事実を参列者に告げる。
「かなり太い血管を切断。心臓に近い場所ですから血が吹き出なければなりません。ですが、どうでしょう?」
腕を斬り劣れたのにも関わらず、カリエ卿はうずくまったまま、残った右腕で胸を押さえるばかりである。痛みに強い? そんなはずがない。
「馬鹿な」
「血が……ほとんど出ていない。何故」
「まさか、本当に」
口々にその先に出るべき言葉を噤んだまま、目で見えた事実を口の中で反芻する。
「吸血鬼は既に死んでいます。血は巡ってはいますが、それは仮初のもの。心臓もあまり動いていませんので、人間であれば死亡間違いなしの大怪我を負ってもこの通り、出血はほとんどしません」
傷口から血が吹き出ることがなく、雫のようにポタポタと落ちるのみ。
「先生。縛ります」
「お願い」
赤目蒼髪が取り出したのは、『魔装鎖』である。元々は魔装縄を使用していたのだが、魔導船へ使用することを優先したため、その代替用として作られた装備だ。
金属の輪を重ねた鎖に魔鉛と魔銀の鍍金を重ねて施したものである。また、その鎖の重ね方は『ロープ・チェイン』と呼ばれ、一つの鎖の輪を二つ重ねるように掛けていく仕上げを用いる。一の鎖を二と三に掛け、二の鎖を三と四に掛けるといった形で、重なるように鎖を掛けていくことで、強度を増しているのである。
魔装であるので、鎖単体の強度は勿論のこと、身体強化で引きちぎろうとした場合、鎖にも魔力が流れ、鎖の強度を上げることになってしまうので、魔力持ちを拘束することに適した道具であると言える。
十重二十重とグルグル巻きにされたカリエ卿。今は一人が退魔の鈴を鳴らしている状態だが、既にかなりの消耗をしているようで、ぐったりとしている。
摂政殿下がカリエ卿に近付き、吸血鬼であるかどうかの確認を始める。そのまま、会場を見渡し、話しを始める。
「まずは、このような吸血鬼がレーヌ公国に潜んでいたことを大変残念に思います」
「「「「……」」」」
尊敬されていた元騎士団長にして英雄。それが吸血鬼であった事。参加者の中でも、武官と思わしき者たちの表情は悲壮さが漂っている。昨日まで、いや、先ほどまでは尊敬していた先達・元上長あるいは偶像。それが、裏切り者の吸血鬼であったという事に深く傷ついていると言えばいいだろうか。
摂政殿下が重々しく話を続ける。
「近い将来、公女ルネは王国の王妃となり、レーヌは王国と共に未来を歩むようになるでしょう。帝国の軛と決別する必要があります。これまでの関係を維持するもよし、清算するもよし。しかし、カリエ卿のように『取り込まれる』ことは絶対に避けねばなりません」
幾人かは摂政殿下の言葉に深く頷き、また何人かは時代の変化に首をふり力なく項垂れるように見える。
「リリアル副伯。かの『退魔の鈴』、一つお譲りいただけまいか」
レーヌには必要かと考え、彼女は用意していると伝える。退魔の鈴は、外側こそ魔銀鍍金であるが、本体は魔鉛と銅の合金製で、様々な試作の結果、吸血鬼に最も効果がある組合せだと老土夫と癖毛が判断した。勿論実験台は、射撃練習場の吸血鬼。かなり壊れた模様。故の処分。
「私が暫くあちらこちらで使いましょう。それが最も効率が良い吸血鬼捜索の手順でしょう」
今後、吸血鬼化した者が公宮に近付くとしても摂政殿下に近付くことは難しくなる。また、そう宣言することで公宮に近付かなくなった人物を中心に吸血鬼探しができるようになる。
吸血鬼か否かを確認するには、日光に当てる、聖水に触れさせるといった判別方法もある。吸血鬼は不意打ちさえ受けなければ、魔力で身体強化した騎士・兵士で十分に対応できる。あとは精々『魅了』に注意することくらいだろうか。
「殿下、カリエ卿はこちらでお預かりしてもよろしいでしょうか」
ざわりと会場が騒めく。恐らく、レーヌ側で捜査を進める上での情報源としたい思惑があるからだろう。
「それは、何故でしょう」
「リリアルは過去、吸血鬼を幾度か討伐し情報源として活用してきた実績があります。また、オリヴィ=ラウス殿とは旧知の中であり、吸血鬼に関する共闘をしております」
「「「おおお!!」」」
吸血鬼狩りの冒険者として長らく帝国で有名な『灰色乙女』オリヴィ=ラウスの協力を得られるとなれば、レーヌの吸血鬼対策は容易になるかもしれない。
「あの冒険者と知り合いなのですね」
「幾度か、吸血鬼討伐にご一緒したことがあります」
「でしたら……」
摂政殿下は「オリヴィ=ラウスにレーヌの吸血鬼狩りを依頼したい」と彼女に伝える。恐らく、二つ返事で受けるだろう。
「承知しました。オリヴィ=ラウスは現在連合王国での依頼を遂行中のようす。王国の冒険者ギルドに指名依頼を出しておきますので、暫くお時間を頂きたいと思います」
「……帝国ではないのですか」
最近オリヴィは王都に滞在していることが多い。理由は吸血鬼がおらず治安が良い、そしてご飯が美味しい。そんな理由である。
「知りませんでした」
摂政殿下をはじめ、レーヌの高官たちが「いかにも」とばかりに頷く。
こうして、一先ず吸血鬼騒ぎは終了した。そして、目の前で魔法袋の中に収納される吸血鬼『カエリ』を見て参席者は納得した。魔法袋には生物を収容することはできない。入れられるのは「死人」だけなのだと。
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些か吸血鬼騒ぎで場は乱れ、また開始は遅れたもののその後の晩餐はつつがなく終了した。
彼女と摂政殿下、公太子殿下の会話に参加者は耳をそばだて、公女ルネと彼女が親しく会話をするのを見て、ホッとして胸をなでおろす者も多かった。王国においてルネ殿下は受け入れられ歓迎されているとレーヌの貴族には伝わったようである。
腹黒王太子殿下の『計画通り』とでも言いたげなどや顔が目に浮かび、彼女は腹立たしい気持ちになるが、表向き和やかに会は進んだ。
吸血鬼の浸透に関して晩餐後、摂政と公太子に加えレーヌ公国の重鎮を集めて彼女が簡単な説明を行った。
既に既知のことも存在するだろうがと断ったうえで、吸血鬼の能力と弱点に加え、対処方法について確認する。
太陽は弱点ではあるが、吸血鬼に対処方法が無いわけではない。大抵の貴族は昼日中街歩きなどしないであろうし、屋外で会う事も少ない。今回のように『晩餐』や『夜会』であれば、陽の光を気にする必要はない。また、女性であれば未亡人などが修道女のように全身を覆う衣装を身につけベールを被り手袋をすれば日中でも活動できる。
「何事にも抜け穴があります。それに、高位の吸血鬼に関しては、陽の光にも相応の耐性があるようです」
「……それは……」
彼女から高位の吸血鬼にとって陽の光は必ずしも弱点ではないと聞き、動揺する重鎮たち。この辺り、オリヴィと『伯爵』からの受け売りなのだが。
とはいえ、貴種階級の吸血鬼は相当の少数であり、普通の人間として生活している可能性が高い。隷属種や従属種と呼ばれる下位の吸血鬼が圧倒的な多数派だと言える。
「先ほど捕らえた吸血鬼はどの程度の能力なのでしょうか」
一人の重鎮と思われる老紳士からの質問。先ほどの晩餐ではカリエ卿の隣に座っていたことを彼女は思い出す。
「隷属種の上位だと思われます。従属種は貴種の侍従のような役割を果たす少数の存在で、十数年程度潜伏していたのであれば、隷属種からの成上り途上で、戦場で魔力持ちの魂を得て従属種になる心算だったのではないでしょうか」
隷属種は十の魂、従属種は百の魂を得る必要がある。一度の戦いで個人が九十の魔力持ちを屠ることは難しいだろう。ドサクサに紛れて行動できる傭兵なら魔力持ちを狙って狩り続ける事は可能だろうが、著名な騎士であるカリエ卿にはできない芸当だ。
「レーヌが次に戦争となった際は、戦場で消息不明になるつもりであったのかもしれません。あるいは、遺品だけを残し自身は姿を消して死んだことにするつもりであったという可能性もあります」
その後、吸血鬼は「首を刎ねれば死ぬ」「食人鬼程度の膂力であり、魔力持ちの騎士・兵士数人がかりで対応すれば討伐は可能」「治癒能力は高いものの即座に回復するわけではないので、手傷を増やして回復に割く魔力の消耗を狙うのも一つの手段」など、確認していく。
「吸血鬼が怖ろしいのは、誰が吸血鬼なのか見分けがつかないということにあります。今後は、昼の園遊会などを定期的に催し、常に欠席する者は要注意とし、吸血鬼の可能性を前提に面会也退魔の鈴を利用しその正体を確認するなど対策が可能かと思います」
「私も夜会は苦手です。明るい時間に陽の下で顔合わせする機会を増やす
ことは嬉しいです」
未だ年少である公太子からすれば、大人に付き合って夜更かしするのは眠く退屈であることは理解できる。赤毛娘などは、暗く成れば眠くなり、夕食を食べれば気絶しそうになるのである。子供の夜更かしはいけません。脳の発達・魔力の増加に悪い影響があります。
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吸血鬼の対応は、レーヌ各所の衛兵隊、騎士団、街村の幹部に対して広く伝えられることになる。特に、昼間姿を見せないものは、騎士団による巡回隊による吸血鬼の確認に曝されることになるだろう。
少なくとも、異端審問よりは遥かにまともな捜査となるだろう。吸血鬼のレーヌ浸透は阻止せねばならない。
『吸血鬼対応かよ。帝国もレーヌを取り込みたいと考えれば、吸血鬼を使って内部から味方を作るってのはアリだな』
「そうね。王国でも対策が必要かもしれないわね」
『特に、王弟領になる地域は必須だな。元から吸血鬼に入り込まれた実績がある』
神国領ネデル・帝国と接する地域は、吸血鬼が入り込み工作する可能性が高い。討伐はともかく、日頃からの警邏は……教会の聖騎士団に退魔の鈴を貸与してあるいはお買い上げいただき対応する必要があるかも知れない。
退魔の鈴は魔鉛・魔銀をそれなりに使う為、数を揃えるには素材の提供を教会也王国に求める必要がある。効果はレーヌで証明されたのであるから、王太子経由で王国と教会には素材の提供を依頼できるだろう。
翌日、彼女らリリアル一行は一旦、所用を済ませることにした。王国の代官地である『ド・レミ』村に住む老土夫の知人の錬金術師の工房を訪問し、ご挨拶と魔装ビスチェに必要な小型の魔法袋の製作を依頼するという仕事である。
「魔装荷馬車で向かうんですね」
「そうよ。冒険者と行商人一行という態でね」
「わ、私は行商人役ですよね先生」
「む、適役。異論はない」
黒目黒髪は若い女行商人兼馭者役に自薦。赤目銀髪が同意。彼女もそれでよいかと判断する。流石に四人で兎馬車というのは狭いので仕方なし。
「兎馬では無理ですけど、羅馬の二頭立てなら荷馬車も問題なく牽けそうです」
「夢が広がるわね」
羅馬の飼育はリリアル領で盛んにしたい仕事の一つ。常備の軍が拡張していくとするならば、騎乗する馬だけでなく、大砲を牽引したりあるいは荷駄を運ぶ家畜も必要となる。馬よりも少食・堅牢な足を持つ羅馬は馬よりも軍での運用が容易であるとされる。
彼女自身は騎馬としても使うつもりなのだが。
付け加えるのであれば、馬肉同様羅馬肉という消費の仕方もある。とはいえ、二十年程度生きる事もある動物であるからどの辺りで潰して肉にするかは議論の分かれる所でもある。寿命ギリギリでは美味しくない事は間違いない。
ナシスから半日ほどの距離。魔装馬車は空馬と同じ条件なので、疲労もなく散歩感覚で『ド・レミ』村まで順調に到着した。山がちな場所にある『マオス川』の流れに近い場所にある村。
村を守る柵などは見当たらず、一旦急の場合、近隣の大きな街か山中にでも潜む前提なのだろうか。
「いい雰囲気の村ですね」
「平和そう」
「けど、警戒はしておかないとね」
彼女は三人の言葉に頷く。冒険者組は外回りの仕事も多く、こうして様々な視点で観察する機会も少なくない。加えて、彼女と伯姪が留守の間、リリアル生の面倒を見る側に回った経験も、一期生を成長させる切っ掛けとなったのであろうか。
「その、錬金術師様の庵はどの辺りなんですか先生」
「村の入口近くの森の中と聞いているのだけれど」
錬金術師は村の住民ではなくあくまでも協力者として関わっているのだと老土夫から聞いている。リリアルとニース商会のような関係なのかもしれない。互いに協力し利用し合うような互恵関係。
村の外れにある小径を見つけ、一旦馬車をその手前に止める。
「先に様子を見て来るわ。二人はここで待機していてもらえるかしら」
彼女は赤目銀髪を伴い、小径の奥へと進むのである。