第787話 彼女はナンスの街を徘徊する
第787話 彼女はナンスの街を徘徊する
レーヌ滞在中、彼女は幾つかの仕事をこなす必要がある。一つは、『タル』の王都騎士団駐屯地と防塁の状況確認。今一つは、ナンスやメスといったレーヌとその周辺の都市の雰囲気を確認すること。王国に
属することを好意的に感じているかどうかということである。
また、リリアルの仕事の一環であるが、ド・レミ村の錬金術師への挨拶と『救国の聖女』の墓参りもしておきたいと考えている。
レーヌ公国の廷臣たちが王国に対してどのような態度であるかも見定める必要がある。できれば、何人か帝国の紐付きをあぶり出して、敵対する者への見せしめにしてくれると有難い……という王太子の内意もある。
自分の手を汚さないのは当然なのだが、『何か不満があるのでしょうか、ならばリリアルを呼びますよ』とでも言って脅す伏線を示すつもりなのだろうか。言葉一つで抑止できるなら安いものだと王太子は考えているだろう。こちらの風評被害も考えてもらいたい。
本日、昼餐会、午後の茶会、晩餐会と三本立てのイベントが発生。昼餐は『ナンス』の都市の有力者との会食、茶会はナンスの教会関係者との会合、そして晩餐会はレーヌ公国の貴族・有力騎士を招いたものとなる。
茶会は参加無用だが、昼餐と晩餐には出席することが摂政府からの正式な通達としてリリアル副伯に案内が届いている。
「面倒だけれど、仕方ないわね」
「先生、貴族の御当主様なんですから、もう少し気を使わないと院長代理先生から叱責されると思います!」
一期生は彼女が不在の間、彼女の祖母にすっかり薫陶を受けているようで、適当に流したい気持ちに釘をさしてくる。
「そんなことより、ナンスの街を見学に行きましょう」
ナンスの街の規模はブレリアの数倍の面積はありそうなのだが、比較的新しい街である。その理由は、元々谷あいに出来た集落と公爵の居館が集まり街となった経緯がある。
居館となった城塞の周りに街が発展し、修道院や教会も建設されていったが、聖征の時代末にレーヌ周辺の貴族が二派に別れ争った際に焼き払われ街は消失。城塞も部分的に破壊されている。
改めてレーヌ公国の公都として再建されることになったナンスは、それまで街壁の外にあった教会・修道院の敷地迄含めた拡大されたものとなり、郊外の村も吸収した大規模な街となった。
公爵宮殿と庭園、馬上槍試合会場、大聖堂を中心に、整った街並みが計画的に整備されている。街の外郭部は堡塁の建設工事も始まっており、近代的な防御施設も順次整えられていくことになると思われる。
「綺麗な宮殿に、綺麗な街並み。でも、あの領都の廃城塞とは全然違いますね!!」
「趣があっていい」
「街並みは参考になるじゃない? 城塞は守りが固い方が良いから、宮殿である必要はないと思う」
赤毛娘、意外と御姫様に憧れでもあるのだろうか。白亜の宮殿に住んで見栄を張る必要はリリアルには無い。そもそも、学院自体が『白亜の離宮』であるのを忘れていないかい。
通りは井桁型に配置されており、北と南に外へと出る橋と城門楼が設置されているようだ。そこは馬車で入場する際に見ているので、内部の街並みを確認したい。
「教会堂に行きましょう」
大聖堂がある場所は『司教区』のある場所なのだが、ナシスはメスの司教区にあるため、これまで大聖堂がなかった。メスが王国領となったこともあり、レーヌには未だ司教座も大聖堂もなく、司教座獲得運動中だという。
教会堂は立派ではあるが、王都の聖母教会等を見ているリリアル勢からすると「普通」というコメントが口から出ている。とても不敬。
大聖堂にしろ礼拝堂・教会にしろ、その場所は街の象徴的な場所であり、他の街と競争となる事も少なくない。塔の高さを競って、途中で崩落して大事故を起こす事も百年戦争以前にはしばしばあったという。
現在はそのような巨大な大聖堂を建てるブームも過ぎ去り、自由石工たちも仕事が減って、職人たちをもてあましているという話も聞く。
「ブレリアの教会堂も、やっぱ防御力高めなんでしょうか!!」
確かに、人造岩石で躯体を作れば、相当の強度になるだろう。その昔、入江の民の襲撃を受けていた時代、街のすべてを石造に出来ない故に、教会堂を石造にして街の住民が立てこもり、また、食糧庫などとして活用したこともあったという。なので、防御力高めの教会堂もありと言えばあり。
因みに、街歩きの際は駆け出し冒険者風の草木染に革鎧、腰にサクスという軽装スタイルで歩いている。ここの冒険者ギルドは帝国なのか王国なのかも若干気になるが、依頼を受けることはないだろうからどちらでも構わない。
街壁沿いにぐるりと一周し、やはり何箇所か公園や果樹園があることを確認する。
「そういえば、教会堂と宮殿の間くらいに、噴水広場がありましたね。ブレリアは作らないんですか?」
「水路だらけの街だから、必要ない気もするわね」
「蛙の泉が必要」
「ああ、あのルミリの精霊ね。確かに、領都内に泉があるとブレリア様への信仰心も高まるかも知れませんね」
なるほど、と彼女は考える。『金蛙』はともかく、守護精霊であるブレリアに対する感謝の念を持たせることは良いだろう。
「教会堂の一角に泉を設けましょう。そこにブレリア様を祀るということでどうかしら」
「街の守護聖人という役割ですね」
「蛙も同居させる?」
「どちらかというと居候ね」
『失礼なのだわぁ!!』と怒りそうな気もするが、大精霊の前では平身低頭なので恐らく問題はない。
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王都の下町と比べればはるかに整備された街並み。街路も綺麗な石畳が敷かれており、その昔『尊厳王』が、糞尿が乾燥し粉塵となって舞い上がる王都に閉口して馬車道を整備したという逸話を思い出す。
「ブレリアの街路はどうするんですか?」
「一先ず、土魔術の『硬化』で路面を固める予定ね。石畳でも良いのだけれど、メンテナンスする職人を育てる所からはじめなければならないでしょう? 領都の整備に間に合わないのよ」
「なるほど。中等孤児院じゃ教えられなさそうな内容ですもんね」
「石工は専門職。難しい」
「そうなんだ。ああ、大聖堂とか城館も沢山の職人集団で建てるんだもんね。そりゃ、石畳だけってわけにはいかないか」
『自由石工』というのは、世の中の権威権力からの自由であって、石工自身はその組合から自由になれないのである。
そんな話をしつつレーヌ公宮そばの馬上試合会場近くに到着する。どうやらこの一角は貴族街のようで、王都の子爵邸周辺のようなものだと思われる。
彼女達が、ジョスト会場と思わしき衝立のある一角を見ていると、なにやらそこの住民らしき若い男とその従者らしき男に見咎められた。
「おい、貴様ら。平民が貴族の邸宅に近付いて、泥棒だと思われて叩きのめされても文句はいえんのだぞ!!」
何やら耳打ちされた従者らしき男が、彼女達に大声で譴責する。
「これは大変失礼いたしました。私たちは旅の冒険者。この街に立ち寄り、いろいろ見て回っておりましたが、『ナンス』の街の中に平民が立ち入ってはイケナイ場所があるとは存じませんでした」
わざわざ慇懃に彼女は答える。街によっては街区が区切られ、門などで立ち入れないように分かれている場所もあるだろうが、王都も含め貴族の邸宅の敷地に立ち入るのならともかく、街路を歩いている程度で問責されることはない。
恫喝にも似た声を掛けたにもかかわらず、平然と言葉を返した彼女らに従者は一瞬たじろぐ。が、冒険者と聞き、また身なりも粗末であることからタカをくくった様だ。
「ふん、その姿からすれば大した実力もない冒険者なのだろう。いいから立ち去れ!! 目障りだ」
「ふふ、さようでございますか。では失礼いたします」
彼女は少し前だが、マインツの大司教猊下の前で『決闘』を行い、名を上げた「リ・アトリエ」の冒険者アリーである。メインツ周辺からトラスブル辺りであれば、ギルド関係者や冒険者も名前を知っている程度には有名になっているのだ。なので、鼻で笑ってみせたのだが、それは宜しくなかったようである。
「待て!! 今、私を笑ったな」
従者の背後にいた貴族らしき若者が彼女を咎め始めた。
「そうでしょうか。そのようなつもりはございませんが、気になるようでしたら謝罪いたしますわ」
「いや、赦さん。お前たち、冒険者なら剣は扱えるのであろう? ならば、剣を取って決闘しろ。お前が勝てば不問にする。私が勝利したならば……」
何やら胡乱なことを考えているようだが……。
「四人とも、犯罪奴隷とする」
「……ふふ、こちらは犯罪奴隷、そちらは只赦すだけとは」
「平民と貴族ならその差は当然だろう」
「誰が平民だと言いましたか?」
彼女は思わせぶりに言い放つ。
「何、どこからどう見ても……」
「ねえ、ちょっと公宮に行って、摂政殿下の侍従を誰か呼んできて頂戴。リリアル副伯が変な貴族に絡まれているとね」
「分かった」
「行ってきますね!!」
風のように駆け抜けていく赤目銀髪と赤目蒼髪。
「り、リリアル副伯……はっ、そんなわけ……」
彼女はおもむろに、冒険者証を提示する。今回は星三ではなく、王国の冒険者証。薄紫色のカードである。
「どうぞ、ご覧になって構いませんよ。アリーと記載されているでしょう? 薄紫等級の冒険者。王国では上から二番目に相当します」
「「……は……」」
冒険者証を十分に見せた後、彼女は「決闘、お引き受けします」と答えた。
「今日の昼餐の余興にでもしましょう。折角、ナンスの有力者の方達と会食なのですから」
「か、会食。昼餐……」
「ええ。是非、決闘いたしましょう。流血は問題なので、木剣でお相手いたします」
ジリジリと逃げ出そうとする主従を背後に回った赤毛娘が牽制する。
「ほら、喧嘩売ったんだから売り逃げは駄目だよ」
「何だと貴様ぁ!!」
「あたし、こう見えてもリリアルの騎士。国王陛下から直接叙任されてるんだよ。ねえ、その身分より上なの、あんたら?」
「「!!!」」
貴族の当主でもなければ、精々帝国騎士程度の身分であろうか。帝国騎士は貴族の子弟なら誰でもなれる騎士身分である。国王から直接叙任された騎士と比べるべくもない。
そこに、年配の侍従と数人の騎士が駆け寄ってくる。
「閣下、いかがなされましたでしょうか」
伊達やはったりではなく、真実リリアル副伯であると確定し、主従の顔色は土気色から白に変わっていく。
「先ほどから街を散策しておりましたが、貴族街に足を運んだところ、平民は立ち入るな無礼だとこの方に言われて難儀しておりました」
「ほう、ああ、顔は存じております。家名も……ですな」
「「ひっ!!」」
流石ベテランの家令なのだろう。この街に住む貴族・有力者の顔と名前は諳んじているのだろう。
「それで、無礼をとがめだてされたくないのであれば決闘をして、勝てば不問、負ければ連れの三人共々犯罪奴隷にすると申されたのです」
「ほうほう、そのようなことを、閣下に……ですか……」
家令の眼が剣呑なものとなる。騎士が半包囲するように家令の左右に広がり今にも飛び掛かろうとするように見て取れる。
「ですので、身分を明かしたうえで、昼餐の余興に是非、決闘をいたしましょうとお願いした次第です」
「……余興……でございますか」
家令はあまりの物言いに衝撃を受けたのか硬直する。公女ルネからは彼女の活躍をそれとなく聞かされているのであるが、十代半ばほどの華奢な少女が『物語』のような活躍をするとは、話半分だと理解していた。
「ええ。レーヌの皆さまにもリリアルが如何なるものか、知っておいて頂くのは良い事ではないかと思います」
王太子妃となる公女ルネは、王室と近しい関係にある彼女と属する子爵家が何かあれば動くという事を知らしめることで、帝国回帰を目指す勢力に釘を刺そうという事なのだと家令は理解する。
少なくとも、目の前の主従は王国派ではなく帝国派であろう。貴族か否かで相手を推し量るような真似を王国の貴族はあまり行わない。王家の代官となれば、平民でも騎士・子爵となることが十分あり得るのだ。
身分などというのは、作り出せるものであり、能力のある者に与えられる権威の一部に過ぎない。リリアルもその象徴の一つであり、小娘が面倒な領地を与えられた理由も、それが為せる存在だからということに尽きる。
「承知いたしました。摂政殿下の御承認頂けましたなら、副伯閣下のお計らいという事で余興に加えさせていただきたく存じます」
「お手数ですがお願いいたします。それと」
「はい、この二人は拘束し、連行いたします」
弱い者いじめをするつもりであった木っ端貴族主従は、反対にいいようにリリアルとレーヌ公家に利用されそうである。
「また決闘」
「ふふ、御免なさいね」
「先生!! あたしがでたいです!!」
「いいえ。今回はリリアルの看板に偽りなしとする為に私がでます。それに、この馬上槍試合の会場も……使えるといいわね」
レーヌは百年戦争の頃から馬上槍試合の大会を開催することで有名な土地柄であった。今はなきブルグント大公が、武勇を好む人柄であり、簡単に言えば、父王や先代巨人王と似た系譜の人物であったと言えばいいだろうか。
なので、この地では馬上槍試合や決闘で名を上げるのは公に認められた手段であると言えるだろうか。
赤毛娘は「学院から呼びましょうか?」と、連合王国の御前試合で名を知られた灰目藍髪を呼び出す提案をするが、今回はこの四人で対応できると考えていた。