第781話 彼女は王太子宮に再び呼び出される
第781話 彼女は王太子宮に再び呼び出される
『従魔登録』とは、冒険者ギルドに登録された冒険者が『魔物』をテイムして使役する際、事前に登録し責任の所在を明確にする届け出である。
因みに、『魔猪』も王都の冒険者ギルドに従魔登録しており、癖毛が主であるとなっている。その際は、ギルドにお願いして職員をリリアル学院に派遣してもらった。『魔猪』を王都に入れることは難しいと判断したからだ。
メリッサについても同様の対応が必要となるだろう。
「サボアではどうしていたのかしら」
「帝国傭兵の契約だから、問題ない」
冒険者ではなく『傭兵契約』なので、軍馬や軍用犬等と同じ扱いであったということだろう。傭兵契約が終了したので、今は何の制約も課されていないということになる。言いがかりをつけられ討伐されても文句は言えないのだが、この巨大な『魔熊』を討伐するのであれば、騎士団が大規模に動員される必要があるだろう。
公爵伯爵の持つ騎士団程度では対応できない。故に安全……ということになる。王国の騎士団以外で考えればニースくらいしか対応できないと考えられる。
「一先ず、ワスティンの修練場に向かいましょう」
「ん、そうする」
修道騎士団の支部跡を改修するには人手と資材がいる。扉や窓を採寸し、必要な資材のチェックリストの作成を灰目藍髪に委ねる。赤毛娘は事務仕事は不得手。黒目黒髪の横で応援するだけである。
灰目藍髪が碧目金髪を助手にして、あちらこちらを採寸して回っている間に、彼女はメリッサと今後の希望について話をする事にした。
「傭兵契約も終わって、暫くはゆっくりしたいのかしら」
「今までもゆっくりしていた。けど、何もなかったのは不満。冒険者になって冒険したい」
難易度が高い話である。『魔熊使い』として活動してきたメリッサは、野営や野外活動の経験知識は十分であろうが、この巨大な魔熊を連れて冒険者活動をするというのは無理があるだろう。
そもそも、人里に『魔熊』が現れた時点で、大騒ぎになり依頼どころの話ではなくなる。王都? 門を潜る事すらできないだろう。
「希望は理解できるのだけれど、一緒には無理だと思うわ」
「む、暴れたりしない。私」
それはそうだろう。問題は、魔熊が暴れるかどうかではなく、周囲の人間がどう思うかだ。魔熊が護衛につけば一体で数パーティーに相当する戦力になるだろうし、山賊も襲おうとは思わないだろう。危険を察知する能力も並の冒険者より格段に優れている。だが、依頼人も含め、依頼したいかどうかという話になる。
国境警備の仕事は『魔熊』向きの仕事であった。山国・帝国との境界にある大山脈で活動することは、並の冒険者・兵士では相当困難だ。しかしながら、この辺りの冒険者の依頼は、素材採取・護衛・雑用・魔物の討伐程度であり、『魔熊』は過剰戦力なのだ。恐らく、餌代も稼げない。
「困った」
「そうね……暫く私たちの客分として滞在してはどうかしら」
「いいの?」
「ええ。歓迎するわ。今は、新しい子も沢山入っているから。あなた達をとても喜ぶと思うのよ」
「なら……そうする」
そういえば、と彼女は思い至る。『魔猪』と『魔熊』が出会った場合、縄張り争いからの怪獣大戦争になるのではないかと。その場合、ある程度の諍いは仕方がないだろう。互いに力を示さねば、周囲も納得しない。猪の群れを仕切る『魔猪』の立場を考えれば、その必要がある。
「先生!!」
赤毛娘が手を上げる。
「何かしら」
「模擬戦を所望します」
「却下で」
「なんでですかぁ!!」
折角の支部跡の建物を再利用しようと考えているのに、この場で模擬戦などされたら、建物が破壊されかねないからに決まっている。それに、メリッサ達はお客様扱いなのであり、もてなしもしないのにいきなり模擬戦などということは宜しくないのである。
それに、赤毛娘が多少強かろうと、模擬戦では恐らく『魔熊』には勝てない。殺し合い前提ならともかく、体格が大きく持久力耐久力に優れた魔物化した熊に勝てるはずがない。良くて時間切れ引き分け、恐らくは魔力・体力ギレで敗れるだろう。
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修練場はパニック状態となった。『魔熊』の体格からすれば、ワスティンの修練場の外壁から頭が覗くのだ。
「ひゃあああ!!!」
「ま!ま!ま!魔物だあぁぁぁ!!!!」
「助けてぇ!!」
駈出し冒険者は卒倒。トラウマ物の恐怖を感じたようだ。そもそも、熊は古の帝国時代ならともかく、森の開拓が進んだ今日、大山脈近辺とデンヌの森に少数がいるていどで、王国では西の大山脈と山国周辺でしか見ることはないのだ。
王都暮らしで熊を見るのは、祭りの見世物くらいだろう。それも、大人より一回り大きい程度の熊である。何故なら、巨大な熊なら馬車に乗せる檻に乗らない。目の前の魔熊は……どう考えても二階建ての馬小屋ほどの大きさが無ければ入り様がない。馬車に乗せても動かせないだろう。むしろ、車輪や車軸が折れるまでありえる。
「だ、大丈夫よ。これは従魔契約されている魔物なの」
「落ち着いてください」
「大丈夫!! 暴れたらあたしが戦うから!!」
彼女は珍しく慌てており、動揺が隠し切れない。そして、赤毛娘ぇは欲望が駄々洩れである。
「あ、魔熊」
「……驚かせてしまったようね」
「大丈夫。驚くことも鍛錬のうち」
赤目銀髪はいたって冷静。
「それに、そろそろ王都に来ると思って楽しみにしていた」
「そう……三年ですものね」
「三年……待っていた」
どうやら、サボアでの出来事は赤目銀髪にとって楽しい思い出であるようだ。
駆け出し冒険者たちを落ち着かせ、彼女はメリッサ達のことを紹介する。最初は恐る恐るであった二期生と駆け出し冒険者らであったが、意外と大人しくメリッサに従っていることから徐々に警戒を解くに至る。
二期生サボア組は故郷の話題でメリッサに話しかけ盛り上がっていた。メリッサは只聞いているだけのようだが、サボアの話が楽しいようで、なによりだ。
『これが、サボアの魔熊か。想像以上に巨大だな。む……美人がいる……』
騒ぎを聞きつけ中庭に現れたガルムは、最初にお座り中の『魔熊』に驚き、そして、側にいる金髪碧眼の美女『メリッサ』に気が付き驚く。
『私はガルムという。名前を聞いても宜しいか』
「メリッサ」
『メリッサ……貴女に相応しい美しい名前だ……』
「ありがと」
薄っすらとほほ笑んだように見えるメリッサに、ガルムは感無量とばかりに高揚している。だが、ノインテーター。
『おお、これは珍しい。熊……いえ、魔熊でしょうか』
外のざわめきと悲鳴を聞きつけ、工房奥から珍しくシャリブルも中庭に姿を現した。
「メリッサ」
『おお、メリッサさんですか。私はシャリブル、故あってこの修練場の工房で武具の作成や修理を担っております。以後お見知りおきを』
黙ってコクリと頷く。
『シャリブルぅ!! 今、メリッサ嬢は僕と話していたのだぁ!!』
『落ち着いてくださいガルム。挨拶しただけではありませんか』
嫉妬醜い。
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突然『魔熊』をリリアルに連れていけば、修練場と同じ事が起こると判断した彼女。街道沿いでもあり、隣地には騎士団の分駐所もあり何事もなくとはいかない。事前に知らせておく必要もあるし、出来れば先に冒険者ギルドで出張従魔登録の手配をしたいのだ。
なので、数日、この修練場で過ごしてもらう事をメリッサに頼み了承される。野営用の敷地以外にも、宿坊が存在するので、生活することに問題はない。サボアから野営続きであった事もあり、メリッサは表情はあまり変わらないようだが、嬉しそうに見えた。
「では少し時間をちょうだい」
「待ってる」
彼女は魔装荷馬車に乗り、リリアルに戻るのである。
学院に戻り、メリッサと再会したことを伝えると、伯姪と一期生らは思い出したようで、どこか懐かしそうな表情となっていた。
「もう三年ですか。三十年くらい前な気もします」
「はは、いくらなんでもそんなわけないよね!!」
「うう、そのくらい最近大変だったって事だよぉ……」
黒目黒髪、まだ心が病み上がり中。
従魔登録の出張手続き依頼に王都に向かいたいことを伝えると、伯姪は蝋封された手紙を彼女に渡してきた。
「王太子殿下からの呼び出しよ」
「……またなのね。王都に行くついでに、済ませてしまいましょう」
どちらかというと、王太子殿下の呼び出しのついでに冒険者ギルドに足を運ぶのではないだろうか。
王太子宮と冒険者ギルドに先触れを出し、翌日、彼女は王都へと向かった。
「今日は一日付き合わせて申し訳ないわね」
「いえ。その……学院から出るのは久しぶりで……机に座って仕事するのはもう……限界なんですぅ……」
ころろ病み上がり中の黒目黒髪を従者にして、彼女は魔装二輪馬車で王都へと向かう。ストレスMAXなのか手綱さばきも荒い黒目黒髪。
「どこか遠くへ行きたいです」
「同感ね。ブレリアに今度行きましょう。林檎の苗木を植えにね」
「いいですね。楽しみにしています」
先に楽しみがあると、案外人間は耐えられるものなのである。
先に冒険者ギルドに足を運ぶ。
「……アリー様。幾つかお手紙をお預かりしております」
「ありがとうございます。ギルド長をお願いします」
「はい。先触れを戴いた内容でございますね。こちらへどうぞ」
受付嬢に訪問を伝えると、手紙を渡され奥の応接室へと案内される。手紙の中にはやはりメリッサからのものがあった。
「こちらへどうぞ」
「ありがとう」
中にはギルド長と何やら専門職らしき男性がいる。
「副伯閣下、ご無沙汰しております」
「こちらこそギルド長。今日は、冒険者としてのお願いできています。どうかアリーとお呼びください」
「アリー様。では、先触れで頂いた件について進めさせていただきます」
要件は二点。
一点は、メリッサの冒険者としての移動、リリアル専属として登録すること。従魔である『魔熊』を登録し、識別章を発行すること。
もう一点は、ワスティンの修練場に『ギルド出張所』を設置し、専属の職員を一名配置してもらう事。これは、嘱託としてすでに退職した年配の経験者が好ましいことを伝えてある。
「メリッサ殿の専属登録と従魔登録は問題ありません。サボアでの活動実績と、大公家からの紹介状も頂いておりますので」
サボア公は、一度帝国の冒険者ギルドでメリッサを登録し、『冒険者』としての等級を星二まで上げてくれたのだという。帝国では傭兵としての実績も加味されるため、比較的容易に等級を上げることができる。
三年間の依頼で星三まで等級を上げたので、王国の冒険者ギルドへ移籍する際は『薄赤』の等級で登録となる。赤等級ともなれば、王国では貴族の私設騎士団から引き抜きがかかることもあり、また、騎士団の任務に駆り出された際も「騎士相当」として扱われる。
つまり、無理難題を言われた場合、強く拒否することができる程度の冒険者としての立場を得たという事になる。
「王国の冒険者登録で『魔熊』を従魔としたことは記録上ありません。
どのような形で、周知する予定でしょうか」
「動物ではなく魔物ですので、魔力を有しています。また、メリッサと従魔は人間同様に話が通じる関係ですので、知能は人間の十歳ほどはあります。魔力を込めて、この『退魔の鈴』を鳴らす事で周囲の人間には存在を示し、また、不死者に対しては退魔の効果を与えることができるかと思います」
「なるほど。では、その鈴の音が聞こえる事で、近くに従魔の『魔熊』がいることを知らせるという事ですね」
ワスティンの森周辺での活動が中心になるメリッサと従魔であるが、修練場の出張所をはじめ、近隣には告知物をリリアル副伯名で通達する予定である。ワスティンの森はリリアル副伯の領地であり、その中で活動するものを副伯が認めているのであるから、万が一勝手に攻撃する者がいれば、副伯の討伐対象となることも同時に知らしめるつもりだ。
「退魔の鈴ですか」
「形はカウベルのようなものになるかと思います。首に吊り下げ、カラカラと音が鳴るようにするのです」
水魔馬も装備して良いかもしれない。吸血鬼やそれらが率いる不死者たちにとっても、退魔の鈴の効果は相応に望めるだろう。
鈴づくりもしなければと、彼女は心に書き留めるのである。