第780話 彼女は知り合いと再会する
第780話 彼女は知り合いと再会する
彼女の周りをうろつく黒い猫はリリアル生には知られており、『妖精騎士の使い魔』などと胡乱な言い方をされているらしい。とはいえ、探索や遠征には姿を現し、先導者のように先を進む姿も時折見せるので、『使い魔』と呼ばれてもおかしくはない。その昔、半精霊化した存在なのだが。ケット・シーと呼ばれる猫の半妖である。
『猫』が示す建物……廃墟まで道なき草原を進む。水魔馬は戦馬並の馬格であり、一頭で荷馬車を引くのに何の問題もない。魔装荷馬車なので、実際は何も引いていないに等しいのだが。
どうやらこの場所は、元は内海から外海に至る『修道騎士団街道』が走っていた跡のようである。聖征の時代、ロマンデから旧都を経てヌーベを通り内海迄南北に街道が整備されていた。その理由は、聖都までの人と物を安全に運ぶための街道を修道騎士団の支部で固めていたことによる。
数キロごとに支部を置き、第一線を退いたベテランと、これから聖地を目指す駆け出しの修道士・聖騎士を鍛錬する場所としても機能していた。巡礼や商人は安全を手に入れ、修道騎士団は勢力を確保する大義名分を得た。
聖征の終了、騎士団の解散により街道は廃れ、今では旧道、廃道として細々と利用されているに過ぎない。
人も通らないので、当然、盗賊の類もいなくて安全である。
川から離れる事2㎞程だろうか。周囲にぽつりぽつりと農家らしき建物は建っているが、街らしいものは存在しない。川沿いにはギュイエへの中継点として発達した河川港『コーヌ』が存在するが、郊外というほど近くはない。
因みに、『コーヌ』の街はヌーベ領であり、正に領境に相当する。
「これは、『ヴィルモア』ね。記録ではワスティンの一部、ヌーベではなくリリアル領になっているわ」
「やったあ!! 前線基地ゲットですね!!」
「……戦争するとまだ決まったわけではありませんよ」
「縁起でもねぇ……もうこりごりなんですよぉ」
連合王国では様々な魔物と戦い、既に心が病み気味の碧目金髪。ここは、あまりにヌーベに近いとはいうものの、監視拠点としては有用そうだ。
「先ずは中を確認しましょう」
『先行します、主』
『猫』が馭者台から飛び降り、丈の高い草の間を消えるように駆け抜けていく。
「ゆっくり進みましょう。一応、敵地だと思って」
「がってん!!」
赤毛娘、嬉しそうである。
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どうやら、礼拝堂を破壊することは厭われたようであり、それと対となる修道院兼騎士団支部と思われるL字型二階建ての城館だけを残し、周囲の城壁や倉庫、あるいは馬房など、石材を用いて建てられたであろう城塞の設備は解体されどこかへと持ち出されたようである。
推測に過ぎないが、ヌーベ公領内の防御施設に転用されたものだと思われる。
「寂しい限りね」
「なら、いっちょやりますか、先生!!」
いや、赤毛娘は特に『土』の精霊魔術は使えない。やるのは「先生」と呼ばれる彼女である。この場合「先生、お願いします」といってもらいたい。
「ふぅ、勝手に使われないように加工の必要はあるかも知れないわね。けれども、それより、建物の中を調べましょう」
「宝探しですね!!」
「いいえ。不審な者が潜んでいないかどうかの確認よ」
礼拝堂の地下など、何か潜んでいてもおかしくはない。元は修道騎士団の一支部とはいえ、何もないとは限らないのだ。とはいえ、王都管区本部であった現在の王太子宮のような大きな仕掛けはないと思うのだが、境界の跡地に、何か罠でも仕掛けていないとも限らない。
『主、一通り確認したのですが、特に気になる仕掛けは有りませんでした』
「そう。なら、それほど警戒しなくていいかもしれないわね」
そう言いつつ、灰目藍髪と碧目金髪は周囲の警戒に残す事にする。敵地の面前で、何もないとは限らないからだ。
「さて、最初は礼拝堂ですね」
ズンズンと先を進む赤毛娘。最近、学院にずっといたことから少々ストレスが溜まっているようである。その為、黒目黒髪が余計に消耗しているのではないかと伯姪にも言われていた。今日は、その辺りも踏まえて同行させている。
入口扉は朽ち果てたのかポッカリ穴が開いている。中は暗いが、ステンドグラスが嵌っていたであろう高窓も同様に穴となっている。古代式のシンプルな礼拝堂であり、大きな街の大聖堂がごてごてと石材を刻んで聖典の意匠を散りばめ、周囲の都市と競うように高い塔を建てる姿とは大いに異なる古き良き礼拝堂のように見て取れる。
『この前は、丸太で組んだ礼拝堂の時代だからな』
複雑な石材を組み合わせられない石工の未熟な時代であるとも言えるが、何百年も掛けて倒壊を繰り返しながら建て直される大聖堂はどうなのかと思うところはある。
「丸太の礼拝堂も良いと思うわ。素朴で」
『ブレリアの泉にでも立ててやればいいだろ。あと、林檎の木も植えてやれ』
『魔剣』にしては珍しく良いことを言う。ガルギエム? 植えた林檎の木ごと喰いそうなので植えません。
一通り見て回り、床や壁を杖で叩き、おかしな空洞がないかどうかなど確認してみるが特になし。
「出ましょうか」
「はい!!」
二人はやや埃と黴の臭いがする礼拝堂を後にする。
「いかがでしたか」
「特に何もないわ。けれど、手を入れたいわね」
「冒険者に依頼しましょう。簡易宿舎と食料を用意すれば、問題なく対応できるのではないでしょうか」
「えー 死んじゃわない? この先ヌーベだよ。小鬼とか醜鬼とか一杯いるんでしょ多分」
灰目藍髪の考えは肯定したいが、碧目金髪の危惧は当然だろう。
「今のところ、リリアルでこの場所に人を配置する余裕はないわね。騎士団の駐屯地として提供することも吝かではないのだけれど、王家がどう判断するかね」
余計な刺激をするなと考えるか、この機会にヌーベ公の腹のうちを探る為に仕掛けることを良しとするか。騎士団なら小隊規模だろうか。修道騎士団の騎士・従騎士・兵士であれば、一つの支部に二十人ほどが配置されていたと記憶している。そのうち騎士がニ三名で、同数かやや多い従騎士、それに兵士が十人前後といったところだろう。ある程度の規模の小領主の常用戦力ならその程度でおかしくはない。
L字の支部城館も確認したが、目につく場所には何もなく、本当に躯体だけの建物であった。L字型の結節点にある塔は『階段塔』であり、防衛施設ではない。中庭に向いている塔なので当然なのだろうが。
「ここ、宿舎になりそうですね」
「井戸を掘り直して、台所とトイレ。それと馬房が最低限必要ね」
躯体はそのまま使えるので、中を掃除し、新しい寝具や机と椅子を備え付ければ、問題ない。それと、窓は空きっぱなしなので、鎧戸と窓は必要だろう。
「補修は、土魔術でなんとかなるでしょう。セバスを呼んで手伝わせるわ」
「ああ、最近セバスオジサン暇そうですもんね」
親善訪問組が帰国後、茶目栗毛と伯姪が仕事に戻った事もあり、セバスの仕事はかなり減っているのである。
一階も二階も土埃に塗れている。掃除するのも大変そうであり、水の精霊魔術で簡単に綺麗にならないかと考える。『金蛙』か水魔馬に心当たりを聞いてみるのもよいだろう。流石に守護精霊には聞けない。ガルギエム? あんな長物に何かできるはずもない。水浸しになるか、あるいは倒壊させる程の勢いで水を叩きつける可能性すらある。
少々埃塗れとなり中庭へと戻ると、気色ばんだ顔の碧目金髪から魔物がこちらに向かってきているという報告を聞き、気を引き締める。
「それで、方向と数は」
「南の方から、三体の小さな魔物と、その後方から大きな魔物一体が向かってきています」
既に、灰目藍髪は水魔馬に騎乗し小鬼と思われる三体を討伐に向かったとのこと。その後方の大型の魔物、可能性としては食人鬼、あるいは獲哢の可能性があるだろうか。小鬼の上位種ではなさそうだ。
彼女も魔力走査を行う。東西南北のうち、南以外には魔物らしき魔力を感知できないので、問題ないだろう。
「私たちも向かいましょう」
「はい!!」
「留守番でも……いえ、向かいますぅ!!」
ボッチのところを奇襲される危険性に思い至り、彼女と赤毛娘の後を魔装槍銃を肩に担いで慌てて追いかける碧目金髪。その足取りはやや重い。つかず離されずを心掛けている模様。
水魔馬から下馬し、三体の小鬼を既に倒している灰目藍髪に、彼女はようやく追いつく。
「やっぱ瞬殺かぁ」
「当然です。それから、あれは……」
人の背丈ほどある草叢の中から背中を出して灰色がかった毛並みの何かが近づいてくる。
『魔猪か。でけぇな』
「いえ、まさか……けれど……あるいは……」
近づくそれは小山のように見え、灰色ではなく白銀色であることがわかる。
「先生!! 行きます!!」
「え、え、い、いかないよぉ。後退!!」
「……」
三者三様。彼女は何か、見覚えのあるその色を思い出そうとしている。
「一旦、先ほどの場所まで後退。殿は、貴女にお願いするわ」
「承知しました。警戒しつつ後退します」
「えー」
「えー じゃないよぉ!!」
灰目藍髪を最後尾に、修道騎士団支部跡までいったん後退する。少なくとも、あの場所であれば草で姿が見えないという事はない。相手はこちらの存在に気が付いているだろうが、襲い掛かってくる気配はなかったことを考えると、何か忘れている気がする。彼女はそう考える。
敷地で待ち構えていると、そこに現れたのは魔猪ではなく『魔熊』であった。白銀色の毛を持つそれは、サボアで見たものであったことを彼女は漸く思い出す。
「なぜここに」
立ち上がることもなく、じっとこちらを見ている魔熊。その後方から、見覚えのある顔が姿を現す。
その装いは旅人あるいは羊飼いのような分厚い毛織物のマントを纏い、杖を突き大きな背負い袋を装備している。
「なんでここにいるの?」
「……それはこちらのセリフよ『メリッサ』。久しぶりね」
「ん。三年経ったから、会いに来た」
彼女は思い出した。サボア公との契約が終了した三年後、リリアルに来ればよいとメリッサを誘ったことを。
「あ、お久しぶりですメリッサさん!!」
「うん。ちょっと大きくなった?」
「ちょっとじゃなく、結構です。相変わらずの美人さんです!!」
無表情に近いメリッサだが、金髪碧眼のクール・ビューティである。
サボア遠征時は『薬師娘』として馭者役を務めた二人はあまり面識がないのだが、白銀色の毛をもつ『魔熊』については覚えがある。
「お茶にしましょう。このまま立ち話もどうかと思うの」
「わかった」
「直ぐに用意しますね!!」
なお、用意するのは碧目金髪である模様。赤毛娘? 勢いでなんとなかるものではないのでご遠慮願いたい。
契約終了し、魔熊以外をサボアと山国の国境辺りに一時放ち群を解散して、一人と一頭で移動してきたのだという。サボアから南都、ブルグントの辺りまでは街道沿いを夜間に移動。目立たないように心がけ、ブルグントから進路を西に取り、人の行き来の少ないヌーベ領の外周を掠めるように進み、ロアレ川に沿って北上しワスティンの森を抜けてってリリアルに向かうつもりで移動してきたのだという。
「途中魔物に合わなかったかしら」
「会っても、相手が逃げる」
「「「あー」」」
オーガを遥かにしのぐ膂力を持つ『魔熊』である。立ち上がれば5mを越えるほどであり、体重は恐らく1tを越えるだろう。そして、魔力による身体強化、体毛に纏わせた魔力で魔術を弾くこともできる。既に『竜』に匹敵する能力を持っていると言える。魔物の方が裸足で逃げるという奴である。
「でも急ね」
「冒険者ギルドに手紙を出した」
彼女ははっとする。あの頃は、リリアル生も少なく冒険者として経験を詰ませる為に自身が引率して冒険者活動をしていたこと。いつのまにか王宮からの依頼が増え、あるいは騎士学校に通う間にその辺りの関わりが希薄になってしまい、今では足を運ぶこともまれである。
「王都のギルドに向かえば、きっと手紙が届いているのね」
「ん」
『魔熊』の従魔登録を王都でする必要もあるだろう。彼女は久しぶりに王都の冒険者ギルドに足を運ぼうと考える。そして、メリッサが書いたであろう手紙を読みたいと、先の楽しみにするのであった。