第777話 彼女は聖ブレリアと再会する
第777話 彼女は聖ブレリアと再会する
狼は慎重な動物だと言われる。成人した人間や、数人でいる人間を襲うという事はあまりないとされる。が、全くないわけではない。
「あちらは水魔馬がいるから、こちらに向かってきたというところね」
『魔力は感じられなくとも、あのヤバイ馬の形をした魔物の殺気は伝わるだろうからな』
狼は灰目藍髪達を避け、彼女の方に向かう事にしたようだ。数も少なく、水魔馬もいない。そして、彼女は魔力を隠しているので、その恐ろしさは全く伝わっていない。全体としてみれば、魔力も大して持っていないかよわい女児の集団に見えている事だろう。
「皆、杖を構えなさい。先端を狼の頭に向けて目を合わせなさい」
「「「!!!」」」
それなりに鍛錬しているヴェルはそれなりに緊張しつつも対応できているものの、リンデの下町と救貧院以外知らない少女たちにとって、低い唸り声を上げ乍ら鋭い犬歯をむき出しにして迫ってくる狼の姿は相当に怖ろしく感じている。
「大丈夫。狼は鋭い爪も無ければ、巨大な尾もないわ。空も飛べないし、毒を吐くわけでもない。噛みつくだけしか攻撃方法はないの。だから、頭さえ押さえてしまえば、なんとかなるのよ」
「な、なんとかなる」
「なんとかなれ!!」
「なんとかなるかも!!」
活用している場合ではない。ジリジリと三頭の狼が距離を詰めており、杖の先を先頭のリーダーらしき狼の顔面に据えているヴェルを包囲するように迫りつつある。
「い、いきましょう。頭数だけでも揃えないと。二人で一頭、私も一頭。押さえるわ。頑張りましょう」
「う、うん」
半泣きになりながら、エマとイリス、シャルロットが杖を構え前に出る。
「大丈夫、その革手袋は簡単に狼には引き裂かれないし、飛び掛かられるタイミングで頭を突きなさい。よく見て、冷静に」
「「「!!ひっ!!」」」
リリアルはスパルタなのである。誰でも最初は怖い、無我夢中にならざるをえない。怖い事ものは怖いのだ。それを経験し、乗り越えなければならない。いつかの未来、最後は、暗殺者から女王を守らねばならないのだ。
狼なんかに負けている場合ではない。
狼の襲撃は、多数を少数で囲むところから始まる。四つ足の動物相手なら、前面・頭部で牽制し襲撃する役と、隙を見て後ろ足に噛みつき、相手の逃げ足を潰す役割をランダムに熟していく。目標となった動物は、代わる代わる頭と後ろ脚を攻撃され、避けながらも傷つけられ、やがて致命の一撃を首筋に受けて倒され殺されるに至る。
これは人間相手にも同じこと。下半身への攻撃、首回りへの飛び掛かりに注意する必要がある。特に、十歳に満たない子どもは狼にとって容易に倒せる相手。嵩に掛かって飛び掛かってくる。
GWAA!!
もっとも小柄なイリスに狙いを定め、飛び掛かる一体の狼。だが、そのモーションを捕らえ、鋭い突きが飛び掛かる狼に向け放たれる。
「こいつ!! 叩けイリス!!」
「はいぃぃぃ!!!」
叩き伏せ、身体強化を使っているのか、女児とは思えない勢いで狼の首元を地面に杖が撓むほどの勢いで押付ける。
「替わって」
ヴェルが声をかけ、シャルロットが狼への牽制を引き受け位置を代わる。
GANN……
押さえつけられたままの狼の首筋にバゼラードが突き立てられ、下へと引き斬り落とされる。
首から勢いよく血を流し、やがて力なく倒れ伏す狼。
GAU!!
GYAUGYAU !!
二頭は数的不利を悟ったのか、死体となった仲間を残し、森の奥へと走り去っていく。
「お疲れ様」
「……はい……」
「うう、もうやだぁ」
「死ぬかと思い……ました」
エマは脱力したように地面へとへたり込み、イリスは半泣きから大泣きへと変わる。そして、シャルロットは言葉とは裏腹に「やってやりました」とばかりに
若干誇らしげである。
「さて、一旦狼を持って修練場に戻りましょう。本来ならこの場で解体なりするのだけれど、他の子や見習の子たちにも見せたいのよ」
狼の死体を一旦近くの木につるし上げ、頭を下にして首の血管をさらに開いて血抜きをする。毛皮は後日テントの素材になるだろう。彼女ができないではないが、こういった仕事は今回のメンバーならば狩人・赤目銀髪の見せ場となるだろう。
無口な赤目銀髪だが、必要なことを的確に教えるのなら問題ない。解体の見本は、その手捌きこそ重要なのだ。
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血抜きした狼の死体を麻袋に入れ、魔法袋へと収納する。帰りながら薪を拾い、狼の肉料理の添え物になるキノコや、臭みを消す薬草の類を採取しつつ鍛錬場へと戻っていく。
何もせずにいるよりは、素材採取の作業をしている方が感情は落ち着きやすい。余計なことを考えずに済むからだ。
「先生、おかえりなさい」
「狼に出会って一頭倒したの。ここで、解体と肉の処理についてあなたが教えてくれないかしら」
「いいとも。夕食が豪華になった」
無表情ながら若干顔がほころんでいる気がする赤目銀髪。狼の肉は若干臭みがあるので、臭い消しとなる薬草を薬草畑から調達するようだ。
「ワインを使ってもいい?」
『駄目だ駄目だ!! ワインを料理に使うなど、勿体ない!!』
「……不死者が何を言っているの。色付きの水でも飲んでいなさい」
『……いやだ……、あ、姉上に言いつけてやるぅ!!』
姉上、厳しくガルムをしつけておいてください。本当にお願いします。
異国の少女たちに呆れた目を向けられながら、ガルムは去っていく。とはいえ、先ほどまでの半泣き・全泣きからガルムのお陰で立ち直ったようだ。
「私、まともな大人になる」
「そうだね。姉上もいないし。自分で頑張らないと」
イリスとシャルロットは拳を握りしめながら自らの在り方を戒めている。孤児は早く大人にならねばならない。
ガルム? 不死者なので、これ以上成長しようがありません。
エマたちが狼と対峙し、一頭を倒したことを聞き同じ留学組のマゴットたちは多いに驚き、また実際森には危険な動物や魔物がいることを実感したようだ。
それは、王都から来た駆け出し冒険者らも同様。今ではすっかり見かけなくなったが、その昔、百年戦争の時代には王都の城壁が破壊され、王都の中に狼が入り込み住み着いたこともある。その時は、王都民が狼に街中で襲われ何人もの被害が出ている。
最後に大聖堂付きの騎士・兵士らが追い込み、大聖堂前の広場で群れごと皆殺しにしたと記録されている。当時、王国は一時的に王都を失っており、連合王国の統治下にあったからとも言える。徴税すれども統治せず。そんな状態であったとか。
「狼の解体、お願いするわ」
「まかせて」
赤目銀髪は夕食に肉がつくと思いテンションが上がったようだ。動物の解体も最近はあまりしていないということもある。
大きな鹿等であれば吊るしたまま解体という方法をとるが、狼はさほど大きくないので、地面に据えて解体を始める。初めて見るだろう留学組はやや遠巻きにしているが、実際王都で肉の解体の下働きなどギルドの依頼で請け負う可能性のある駆け出し組は砂被りで真剣に見ている。
「最初に、肛門から……」
解体用のナイフは片刃で両刃のダガーよりも切れ味重視のやや薄い刃の専用のものを用意するようにと言われる。それと、革の解体用手袋も必須となる。
「死体より暖かい生身の人間にダニが集ってくる。本当は、川に半日から一日漬けて温度を下げておく方が良いけど、今日はこのまま進める」
首元から刃を入れ内臓を傷つけないように、皮と脂肪の部分を切裂いていく。喉から腹下まで刃を入れ、内臓を傷つけないように慎重に斬り分けていく。
「切れ味の悪い刃を使うと、この辺りでうっかり内臓を切裂いて、中身をぶちまけてしまう。糞尿まみれの肉は臭いし危険。食べられなくなる。なので、解体は慎重に、刃物は安物でもいいからよく研いで切れる物を使う。力任せは駄目」
両刃のダガーで代用しようとしていた駆け出しが「駄目なんだ」とボヤく。
「肉切り包丁は片刃の曲剣。その方が切れ味が良いから。武器としての短剣は解体道具とは違う。なので、両方必要」
「お、おう」
対して自分と年齢が変わらない『リリアルの騎士』に言われ、たじろぐ駆け出し。赤目銀髪は十三歳だが、重ねてきた経験の密度は駆け出しとは大きく異なる。
「慣れるまでは時間をかけて慎重に。刃物を扱うことを安易に考えない。一寸した傷が原因で人は死ぬ」
誤って手を斬り、動物の内臓の糞尿から黴菌が入って傷口が化膿し、大事になることだってある。それが原因で寝込んだり、依頼に失敗すれば即、詰んでしまうのが駆け出し冒険者。
「機会があれば、兎で練習。毛皮も肉も売れる。あとで罠の仕掛け方を教えてやる」
「「「お願いします!!」」」
罠を仕掛けるのは安全で確実な方法。討伐依頼や採取依頼も罠を使えばより安全に確実に行う事が出来る事もある。兎の肉、美味しい。
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修練場で野営の練習をした翌日。慣れない夜番を交代で行い、やや疲れている顔を見せる留学組。とはいえ、ここしばらくがまともな食事、暖かな寝床と恵まれ過ぎていた反動でもある。
今日は修練場を離れ、ブレリアへと向かう。最初に泉へ向かい、泉の女神である大精霊にご挨拶する。その後、今は廃墟でしかない領都ブレリアにを見学し、暗くなる前に修練場へと戻ることになる予定だ。
二台の兎馬車と水魔馬に乗った灰目藍髪。以前と比べ、小鬼の姿も気配もすっかりなくなったように見える。
「ゴブリンはいなさそうね。この辺りでも姿を消したのかしら」
「「「え、ゴブリン!!」」」
「そうよ。数年前までは王都の周辺でも結構見かけたのよ。この森で繁殖したゴブリンが王都の辺りまで移動してきたのだと思うわ」
『元を断たれて増えねぇのかもな。まあ、なによりってこった』
駈出し冒険者の討伐と言えば小鬼。その小鬼も、なかなか希少な存在となってしまったようだ。
ブレリアを見下ろす後背の丘。その中に、精霊の泉は存在する。丘の手前で兎馬車を降り、灰目藍髪は水魔馬から下馬し一行と共に丘を登っていく。
『なんだかいい雰囲気なのだわぁ』
「女神様のお陰ですわぁ」
今回は、『金蛙』フローチェもご挨拶させる。余所者とはいえリリアル生が加護を得ている大精霊(仮)。挨拶もしないとなれば、不興をかう可能性もある。蛙のせいで女神様に外方を向かれるのは不本意でしかない。
「挨拶は大事よ。特に、精霊のように原理原則に厳しい存在には、人間の都合を押付ければ、必ず関係がこじれるわね」
「先生は経験あるんですか?」
「今のところは大丈夫ね。けれど、結果最悪となることもあるわ」
彼女は、『悪竜』と呼ばれる存在がその昔、近隣で「大精霊」「神様」と崇められていた存在であることを説明する。
「ある日突然、人間に無視されるようになった精霊たちが何を始めたか。御神子教の布教の過程で殉教した聖人は沢山いるのだけれど、同じように、精霊が悪竜・悪魔となって宣教師を攻撃する話もあるの。何がその原因か、考えればよくわかるわよね」
突然、その地に住む人間から無視されるようになった大精霊。その中で、心を病み、あるいは人から突然「悪魔」「汚らわしい」等と貶められれば、当然、反撃なり攻撃をすることがあってもおかしくはない。
「精霊も聖典の神様も共にあっておかしくないと思えば、なにも難しくないことなのにと思うわ」
「きょ、教会では言えませんよね?」
「ふふ、王都の教会なら大丈夫よ。けれど、神国やネデル、連合王国の教会は、自分の信じる神様以外を全て敵対者として攻撃するような考えの者も少なくないから。他人の信仰に口を出すものではないでしょうね」
印刷された聖典の中に書かれている昔ばなしの神様よりも、目に見えて加護や祝福を与えてくれる精霊に感謝と信仰の念を持つのは当然だろう。魔力もなく、加護も祝福も縁遠い街に住む住民の多くに「原神子信徒」が多いという事も理解できる。
「さて、ついたわよ。皆さん、並んでご挨拶しましょう」
彼女が泉の前に立ちリリアル生を並ばせると、泉の中から古の時代の長衣をまとった麗しい女性が現れた。
『お久しぶりでありんす』
泉の中央が沸き上がるように盛り上がると、中から若く美しい女性が姿を現す。泉の女神・大精霊ブレリアが姿を現したのである。