第775話 彼女は魔導外輪船の元を示す
第775話 彼女は魔導外輪船の元を示す
吸血鬼の在庫処分を終えると、彼女は一人で老土夫の工房へと足を運んだ。魔導外輪船の二番艦について相談する為であった。
既に一番艦は、何度もガルギエムのいる湖で試走させており、外輪の不具合や船体の問題などの細かな修正を加え、実戦に耐えられる程度の仕上がりになっていた。問題は、帆に魔装布を用いるほどの魔装糸が用意できない程度であろうか。
魔装綱は、魔装糸ではなく魔装ワイヤーと麻縄をより合わせる事で何とか対応する事が出来そうだと聞いている。魔装糸は手間がかかり、鍍金で何とかなる金属縄ほど簡単ではないのだ。
「待っておったぞ」
老土夫には帰国の挨拶をしたきり、魔導船についての相談をするつもりがのびのびとなっていた。それと、もう一つ装備の相談をしたいと考えていたこともある。
彼女は先に、装備の相談を済ませることにした。
「魔装ビスチェを一期生の女性分用意する。それはできそうだが、それに魔法袋を外ポケットとして作る……か。儂の伝手でどうなるかわからんが。依頼はかけるが、必ず作ってもらえるかどうかはわからん。儂以上に……難しい御仁に依頼するからな」
老土夫は魔装・魔導具の鍛冶師として王国のみならず近隣で著名な鍛冶師であり武具師であった。とはいえ、今は後進に道を譲り『癖毛』という最後の弟子の育成をしつつ、リリアルで老後を過ごしている身である。それ以前は王都やルーンに工房を構え、気に入った依頼のみ受けるという王様商売をしていた。それでも、何年も待って武具を依頼したいという貴族・王族も少なくなかった。
近年は、武具が量産化されあるいは各国の王立工房などで作成されるものを身につけるようになったが、魔力持ちが扱う武具はやはり土夫の職人が作るものに敵わないのである。
その高名な武具師が「難しい」というほどの人物はどのような存在なのか気にならないではない。
「もし必要であれば、ご挨拶とお願いに私が伺いましょうか」
「いや、お前さんが行けば一応名のある貴族の当主ということで、粗略にはされないだろうが、だからといって身分で行動を左右するものではない。だが、機会があれば顔合わせくらいはしてもよいだろう。少々離れてはいるが、お前たちの移動速度なら、そう遠いわけではないからな」
依頼自体は手紙を先に出すが、機会があれば挨拶に行くと良いと、老土夫は紹介状を書き、その方面に行く予定があれば事前に知らせて貰えれば先触れの手紙を出すと言ってくれた。
「どの辺りなのでしょうか」
「レーヌとデンヌの間くらいにある村だ。救国の聖女の故郷だと聞いた記憶がある。今は王国領になっているか」
帝国とネデル、王国のはざまにある場所は、所属が変わることが少なくない。どの国に属する方が得かという事で立場を変えるのである。一時ランドルが王国の領域に加わったものの、国王に良いところを見せようと派遣された代官が『塩税』を大幅に引き上げた結果、ランドル諸都市が離反し、戦争となった結果が『コルトの戦い』である。
結果、ランドルは長い間王国ではなく、連合王国と同盟し、ブルグント公領の保護下に入り、その後、帝国に所属していた時期があった。王国領となったのは比較的最近なのだ。
「その方は、どのような人となりなのでしょう」
「儂もそれほど詳しいわけではないが、儂の師匠が若い頃から、すでに高名な錬金術師で魔術師であった。失われた古帝国時代の魔術を扱えるという噂でな。魔法袋はその技術で作成するのだと聞いている」
「魔法袋を今の時代でも作れるというのですか」
「ああ。じゃなければ、ビスチェのポケットサイズの魔法袋の依頼などだせようもない」
魔法袋の原理については彼女も全く知らない範疇の内容であり、伝手や機会があれば入手をためらわない事にしているのだ。新作が未だに作れるというのはそれだけで大きな価値がある。
けれど。オンリーワンな存在は、それだけ仕事を選べる。老土夫が頼んでみるができるかどうかはわからないという理由はその辺りなのだろう。
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「魔導外輪船の二番艦。それも、同型ではなく別物か」
リリアルの一番艦『聖ブレリア』は既に何隻か同型がニースや王家に納められている。聖エゼル海軍に二隻(うち一隻は建造中)、王家には王弟殿下の御座船が習熟航海中で、『カ・レ』に配備される。その辺りもあって、親善大使の旅程でも相応に滞在し、顔を繋ぐ必要があった。街の有力者に力を示し、連合王国や神国に手を貸せば、魔導船で攻撃する……といった脅しも含めての示威行動である。
現在、王太子の御座船『聖ルネレーヌ号』が建造中で、一年程度で完成の予定と聞く。この船は同型というより、その拡大型である。
外輪の大きさを拡大し、排水量は三倍の600トンとされる。これでも神国の大型艦とくらべればまだ精々中型程度だが、速度が数倍、そして風向きはさほど関係なく移動できることを考えると、中隊規模の戦力を迅速に移動させることができる。魔騎士あるいは、魔導騎士小隊を積載するのであれば、今までの防衛戦力が一気に戦略攻撃兵器となる可能性を秘めている。魔導騎士の整備工房を船内に搭載することで、港湾への強襲攻撃なども容易となる。
使うつもりはないというものの、神国からすれば私掠船など比較にならない攻撃兵器となることはいうまでもない。
「キャラベル船ではなくホイス船か。河川も利用でき、積載量もそれなりだが、その分魔装外輪は旧式の小型に戻すか」
「はい。速度は帆船並で十分ですし、それでも5ノットは出ますので。風を利用すれば、更に速度は上げられます」
「そうだな。速度が遅い分魔装も減らせるだろうし、運用コストも魔力も少なくて済む。魔力量の少ない奴らにとっては、使いでが良いかもしれん」
魔導船の試作であった『10m級魔装クナール船』は、魔力小のメンバーであっても何人か交代で操舵手を務める事で、継続して外輪を動かす事ができる。
しかしながら、大型の外輪を積む『30m級魔導キャラベル船』・『聖ブレリア』号の場合、魔力量が大でなければ操舵手を務めることは難しい。そうなると、リリアルでは彼女か黒目黒髪・癖毛が担うしかない。運用も制限されると考えて良い。まして、同型二隻は手に余る。
魔装で外板の内張を行い、外輪を動かし、魔装布で帆を張り防壁替わりにも活用できるとなれば、魔力量がどれほど必要か想像できるだろう。
これに対して、『18m級魔導ホイス船』は、外輪と船体の主要部、喫水から上だけを魔装布で覆い、帆布は普通の麻を用いる。なので、そこまで魔力を使わないし、船体への魔力纏いは速度が遅いこともあり戦闘時だけ接続するよう操舵に切り替えを用いることにする。
簡単に言えば、操舵手を二つ作り、外輪専用と外輪・魔装両用の切り替えを行うものとする。
彼女の提案を聞き、老土夫は「なるほど」と納得する。
「それと」
「なんだ、まだあるのか」
「拿捕した船を改装することをお願いします。既に、ホイス船は確保済み。外輪は喫水上は見えないように工夫をお願いします」
「……わかった。その方が水の抵抗も減るであろうし、横波を受けても影響を受けにくいだろうからな。まあ、試行錯誤は必要だが……」
老土夫は船が既に用意されていると聞き、彼女に船を出すようにと外へと出るのである。
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『ホイス船』を工房近くの平地に出すのだが、その前に、船渠を土魔術で形成し船を固定できるようにした準備をする。
「……見事だな」
「恐れ入ります」
『土』魔術は老土夫も相応に使いこなす事が出来る。土夫や歩人は土の精霊の加護や祝福を受けた種族であり、精霊魔術の適性が高いのだ。彼女は『雷』の精霊の加護、『水』の大精霊の祝福を受けているが、『土』は自身の魔力だけで発動している。
加護・祝福の存在がないにもかかわらず、祝福持ちに近い術の発動を見せる彼女の魔力量・精度・練度に老土夫は敬意を払ったのである。
「これがホイス船か。ネデル辺りでは、これが主流になりつつあると聞いてはいたが、現物を見るのは初めてだ」
船大工に知り合いはいるし、相応に造船の知識もある老土夫だが、常に進歩している分野でもあり、新しい船型に関しては知らない部分も少なくない。
「軍船ではなく、近海での輸送と人の移動に便利な船型だと聞いています」
「そうだな。幅広で速度はさほど出る必要はなく、尚且つ喫水が浅いので河川や浅瀬迄寄せることができる。帆は二本柱で、三角帆は船首に張ることで、ある程度向かい風・横風にも対応できるか」
古い『コグ』といった船型は、積載量こそ優れているものの、三角帆を持たず追い風でなければ移動することが難しい。追い風向かい風横風どの方向でも風を利用して移動できる三角帆の存在は、時代遅れの船種にしている。
西大洋を新大陸迄向かうには小さく、積載量も少ないが、川や湖・運河を移動するなら丁度良い大きさだと言える。
「これに、外輪をつける」
「はい。船倉は縮小すると思いますが、この位置に最初の魔導船に付けたサイズの小さなものを外から見えないように配置したいのです」
「なるほど……魔力の節約・速度はさほど重視せず、偽装か」
「はい。リリアルの場合、そういう役割を求められることもあるでしょうから」
如何にも『魔導外輪船』だと一目でわかる特徴はリリアルの任務上、あまり宜しくない。警戒される事もあるし、また、敵から破壊工作を受ける可能性もある。
「それに、魔力と財布に優しい装備も必要ですから」
「確かにな。船の大きさが倍になれば、コストは十倍にもなる。10m級の魔導外輪なら、何隻か作っても、一番艦の一隻分にもなるまい」
小さな外輪はコスト・魔力消費が少ないことも魅力だが、壊れにくいという特徴もある。小さなものは大きなものより部材に対する負荷も少なく、壊れた場合の交換も容易である。
軍船は大きさで他を威圧することや、ある程度の戦力を積載できる大きさが必要であるが、その分、外輪を大きくすれば部材の負荷も増え消耗も激しくなる。その欠点は踏まえておく必要があるだろう。
「それと……」
「わかっておる。この船がある程度形になったのなら、同じものを何隻か作ることになるのであろう?」
彼女は黙って頷く。少なくとも、王妃殿下、王女殿下(レンヌ公妃)、カトリナ(サボア公妃)、そしてニース商会(姉専用)の御座船が必要となる。最優先は姉と王妃殿下。次点で二人の公妃となるだろうか。
レンヌに一隻ある事で、レンヌの防衛力を高め王家と公家の親密度も高めることができる。また、ヌーベから旧都を経てレンヌ・西外海へと流れる『ロアレ川』流域に対するプレゼンスも確立できるだろう。
また、サボアに関しても同様である。ミラン公国との対立の際、河川を使って戦力や補給を高速で展開できるのは良い事である。例え、百人程度の戦力でも、魔騎士や魔力持ちの傭兵などであれば、三個中隊千二百人程度と十分渡り合える。施設さえよければ、連隊規模でも阻止できる可能性がある。
行軍速度が一日20㎞程度の歩兵と比べ、魔導外輪船ならその距離を一時間で移動可能であり、消耗もほぼなくて済む。移動時間が短くて済むということは、糧秣も少なくて済むので、さらに行動が容易となる。
「魔力量に恵まれているものを揃えるのは難しいな。ようは水手だからな。海都国の者は昔ながらの戦士と兼任の市民兵だが、一般に艪をこぐのは奴隷か下層民の労役。無駄にプライドの高い魔術師などが務めるわけもない」
船員、とくに漕ぎ手の扱いは非常に悪いといえる。狭い船内に座りっぱなしで寝起きもその場所で固定され、まともに食事も与えられないこともある。ガレー船の漕ぎ手は鉱山労働者並の厳しさであり、船乗り全般の中でもさらに良く死ぬ。余命半年などと揶揄される事もあるが、それはおおむね正しい。
「ガレー船なら全速で機動できる時間は精々三十分。速度も、風をはらんだ速度の半分程度。精々五ノット。出力は弱いと言えども、魔導外輪船なら、その倍ほどはでるか」
「同じ程度でも、継戦時間が違いますから。魔力持ちが交代で操舵手を務めれば、魔導外輪が故障する迄、いつまでも動かせるでしょう」
「わっはっは!! 面白い。三日三晩程度では故障すらせんように仕上げよう」
「よろしくお願いします」
既に、小型の魔装外輪は試作品他、幾つか作り置きがあるとのことで、船大工を手配して、このまま船渠にて改装工事を始めるということになったのである。
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「交代の日」
「お疲れ様。明日は、ワスティンへ移動かしら」
「そう。私たちが行くことになる」
『馳鴉隊』がリリアルに戻ってきた。明日は、王都に冒険者を迎えに行き、青目蒼髪が隊長を務める『隼鷹隊』が帰還する。既に、赤目蒼髪が隊長を務める『水瓶隊』が王都城塞で『馳鴉隊』と交代して駐留している。
「中々大変な状況ね」
「そうでもないです!! 院長先生方が戻られて、溜まっていた仕事も……ううぅ」
「片付いてきたからね!! でも、ワスティン関係の仕事が始まるよ!!」
「そ、そうだよね。新しく街を作ったり、村や畑も開拓しなきゃだし。それから……」
すっかり事務官の仕事で先のことを見通す癖がついてしまった黒目黒髪。まだ見ぬ仕事を想像し恐怖が顔に浮かぶ。
「ふふ、大丈夫よ。ブレリアに副伯領の領都を据えたなら、王都から何人か文官を採用して副伯領の官吏にするから。それに開拓移民も近隣の村から募集して、基本は麦と、林檎の栽培と……鶏の飼育かしらね」
ワスティンの卵。ブランド化できるかもしれない。王都から近く、鶏肉も提供できるだろう。
「高齢の指導者層と、未熟な若者の組合せで募集することになるでしょう。林檎栽培はレンヌに打診しているので、その返答待ちになるわ。麦に関しては王都近郊で子爵家の代官を務めている村から募集する予定ね。既に家を通して顔見知りである人の方が安心できるでしょう」
「「「なるほど……」」」
リリアル生は領の開発まで自分たちの仕事になるのではないかと不安に思っていたが、彼女の実家が王都近郊の農村の代官を務めていることを思い出し内心ほっとしていた。
「それから、今回の修練場行き。私と留学組も同行するわ。ブレリア様に帰国のご挨拶もしなければならないのですもの」
今回のワスティンの森と領都ブレリア訪問は、その守護精霊である水の大精霊に会いに行くことが目的なのである。