第771話 彼女は『バン・シー』と再会する
第771話 彼女は『バン・シー』と再会する
帰国してから数日、忙しい日々を送っている彼女だが、王都城塞詰めの『馳鴉隊』から手紙が届いた。
その内容は『王太子宮からバン・シーが来た』というものであった。
『大塔』の大掃除を行う前、『納骨堂』に潜む魔物のお片づけをした際、『バン・シー』と接触したのだ。
「そう言えば、王太子宮を本格的する為に『納骨堂』にある遺骨を新しい共同墓地に移葬して、あの場所にも城館を建設するんだそうよ」
伯姪が手紙を横目で見ながら、彼女に伝える。そう言えば、先日王太子宮に彼女が訪問した際、『納骨堂』の周りに囲いがされており、何か工事がなされているようであった。
補修工事かと思っていたのだが、解体工事の準備であったのかと理解する。現在の王太子宮は修道騎士団の王都管区長の城館を利用したものであり、内装こそ改められているものの三百年近く前の構造物である。使い勝手も近年の城館と異なりあまり良いものではない。
仮住まいと考えていた今までならともかく、成婚後、王子王女の誕生まで見据えると王太子夫妻に相応しい施設とは思えない。反面、王宮以上に堅牢な防御施設を有し、小都市に匹敵する敷地面積の中には畜産・農業を行うスペース迄存在する。また、護衛の部隊を駐屯させる場所に困る事もないので、再開発すると良いと判断したのだろうと彼女は考えた。
「つまり、家付き精霊の『家』がなくなったので、引っ越してきたというわけね」
「おそらくはね。あの子、他に知り合いいないでしょう? あなたの魔力が籠っているリリアルの城塞を訪ねてきたのだと思うわ」
あの城塞を構築する上で、彼女もそれなりに魔術を使っている。土魔術に用いられた彼女の魔力を辿って城塞に現れたという事だろう。
「悪さしないなら、別に構わないんじゃない?」
「そうね。精霊のいる屋敷は栄えるというから、無下にする事もないでしょうね」
彼女と伯姪はそう納得することにした。少なくとも、学院にはこれ以上精霊は来ないでもらいたいと思う。
王都城塞ならギリ赦せるのである。
とはいえ、納骨堂で対峙した際にいたバン・シーこと『エルス』は既に回収し、いまではリリアル学院の養殖池のほとりに植わっている榛の樹林の辺りに居座っているはずなのだ。
なんなら、昨日薬草畑に行く途中にも、クルクル回り踊る姿を見かけている。楽しそうで何より。
「普通、家精霊って一軒に一体何じゃないの? あの時他に見かけなかったし」
「さあね。もしかすると、どこかに封印されていたのが解体工事で封印が破壊されて逃げだしたのかもしれないじゃない」
もしかすると、最初にいたバン・シーを修道騎士団の司祭か魔術師が悪霊と判断して封印した後、空家だと思って『エルス』が棲みついた可能性もある。
「どんな子なのか見てみないと何とも言えないわね」
『悪霊なら、雷落とす気だろお前』
数日前、うっかり達磨吸血鬼一体を聖なる炎を纏った小雷球で浄化してしまっていたのである。悪霊であるなら、雷一発で浄化できるとは思うのである。
「あまり時間を置いても、城塞詰めの子たちが不安がるでしょうから、この後時間を見て行って来たらどう?」
「そうね。お言葉に甘えさせていただくわ。ついでに、エマも馭者の練習をさせようと思うの。連れて行くわね」
留学組も一週間ほどたち、学院生活の流れも徐々に身についてきた。簡単な王国語も話せるようになり、今は所謂『下女』の仕事を学びつつ、使用人としての常識を学んでいる。侍女は身分のある家の娘が務める近侍だが、そのままいきなり侍女にならない可能性もある。下級の使用人の仕事も一通り学んでおくことで、最悪、サンライズ商会で引き取ることも可能となるだろう。王国語のわかる使用人は働き口はそれなりにある。ネデルも海沿いの街は蛮国語に近い言葉だが、内陸部は王国語の方言に近い言葉を用いる。なので、王国語を学ぶことでネデルの両方の言葉を学ぶことが容易になる。
王国語と法国語は古帝国で用いられていた古代語を元とするので似ている言葉だ。王国語を通じ、二つの言語も学びやすくなるだろう。
エマは言葉を話せるだけでなく、読み書きも早く学びたいようだ。その先には、自分が学んだことを妹に教えることで、姉妹の時間を確保しつつ姉らしいことをできるかぎり妹レアにしたいという希望も含まれている。
馭者の仕事も同様になるだろう。留学組の長として良い心掛けだと言える。
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初めての馭者。それも二輪馬車である。馬は、年齢は経ているものの人慣れした素直な馬を選んだ。なので、指示さえすれば何となく思い通りに進んでくれるのだ。
「の、乗り心地が悪いです……」
「ふふ、魔装馬車は魔力を送り込まないと性能を発揮しないのよ。あなたが魔力を送り込みながら馭者を務めないと、ずっとこのままよ」
「……は、はい。頑張ります……」
寝ている間も無意識に魔力を纏う鍛錬を行っている彼女は基準とならないが、リリアル生も起きている間は魔力纏いや身体強化を無意識レベルで行えるまで鍛錬している。
練習の時間と意識を区切って魔力の鍛錬をしている段階の留学組・新人は元の魔力量が少ないという事もあり、なかなか鍛錬は進まない。魔力量が少なければ直ぐ魔力切れになり、練習も一苦労なのだ。
馬は本能的に前へと歩を進めるので御しやすい動物であると言える。これが兎馬であったりすると、気まぐれなところや短気な所があるのでやや面倒がある。とはいえ、リリアルの場合、魔力を纏って威圧するのでそれなりに素直に従う。お願いするのではなく命令するのだ。いいからやれ。
「馭者もそうなのだけれど、馬に乗る練習もするのよ」
「え」
「当然でしょう。陛下の近侍があなた達しかいなくなり、伝令を誰かが務める可能性もあるのよ。その場合、当然一人で馬に乗って走ることになるでしょう。
それも、敵中を突破してね」
「え」
「護衛や侍女というのは、そういうお仕事よ」
多分それは、リリアルだけの設定だと思う。あるいは、女王陛下の現状の側回りが使えないので、そういう役割を『護衛侍女』が担わねばならない。
「魔力による身体強化ができるようになったら、次は護身術ね」
「護身?」
「騎士や護衛隊なら帯剣できるのだけれど、侍女にはそれは無理でしょう」
「はい」
「素手、もしくは扇や棒のような得物とは言えない道具を用いて相手を制する必要があるのよ」
暗器の類は用いることも可能だろうが、あくまで不意打ちの手段。剣を持って襲ってくる相手を制するのに、手に持つ扇やスタッフを用いて相手を抑え込める技を身につけておく必要もある。
「スタッフは有効よ。馭者台の下に置いておくこともできるし、部屋に立てかけてあってもおかしくないでしょう」
「はぁ。あんまりみませんけど」
「……そうね。でも、危険なものではないわ。棒ですもの」
スタッフを用いた自衛の技は護身として身につけられるなら身につけてもらいたい。剣を素手で制するより、長柄に近いスタッフで抑える方が安全度は高く、心理的にも容易であろう。
「先ずは魔力量を増やして、魔力操作、身体強化を身につけましょう。大丈夫、魔力はあるのだから、時間の問題よ」
「が、がんばりま……あっ!!」
魔装馬車なら本来起こりえない路面の凹みに車輪を取られての反動。彼女は澄ました顔でいるが、内心かなり驚いていた。とはいえ、初心に帰ったようで少々楽しくもある。
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手紙を送って即日彼女が現れたのに、『馳鴉隊』の面々は赤目銀髪を除き驚いていた。
「うん、予想通り」
「それは期待に応えられて嬉しいわ」
赤目銀髪は、彼女の性格を考えて直ぐ現れると思っていた。この班には一期生が赤目銀髪しかおらず、彼女の性格をよく知る一期生なら恐らく同じ判断をしただろう。
「それで、『バン・シー』はどこかしら」
「そこ、井戸の側」
そこには、ブルネットの髪を腰まで伸ばした修道女のような濃灰色の地味なワンピースを着た十歳くらいの少女が座り込んでいた。
「……あれはバンシーなんですか」
「そうみたいね。確かに……魔力が反応するわ」
魔力走査で確認すると、人間の魔力持ちではなく魔物の魔力を感じる。彼女はエマにこの場に留まるようにと言い、一人で井戸端へと進んでいく。
「こんにちは。あなたは、どこからきたのかしら」
『……』
バン・シーと思われる少女は顔を下に向けたまま、王太子宮の方角を
指さす。
「そう。それで、何故ここに来たのか教えてもらえる?」
しばらくの沈黙ののち、少女は聞き取りにくい声で語り始めた。
『ココハ……シナナイ……カラ』
ここは死なないから―――そう言ったように聞こえる。『バン・シー』は長く家に住む家精霊であり、家人の死を告げると言われている。『泣き女』と言われる事もあり、家の前で泣く姿が見られると数日後、家を離れていた家人の死が伝えられるという。
このせいで、『バン・シー』は死を告げる不吉な存在であるとか、死神などと同一視する見方を持つ輩がいるが、その視点は本末転倒であると言える。泣いたから死ぬのではなく、死んだから泣いているのである。
離れた場所にいる家人の死を、その瞬間に知り、泣いている姿を家の者にみられる。数日後、死の報告が家に伝わる時間差があるのは当然だろう。そこにいる者が死んだとしてもおそらく泣いているのだろうが、家人も共に悲しんでいるのでその姿を見かけても訝しむ者はいない。ああ、誰かが泣いていると思うだけなのだろう。
『バン・シー』は家を守る精霊であり、その精霊が家を出ていくと屋敷が寂れる・家運が傾くなどとも言われる。
「そうね。私の目の届く範囲で……誰も死なせるつもりはないわ。だから、貴女も泣かなくていいと思うわ」
『ウン……ソウダト……ウレシイ』
もしかすると、この『シー』は修道騎士団と共にあった存在なのかもしれない。騎士団の解散後は王家の管理となっていたが、その間、何かに積極的に使われたわけではない。『大塔』は王家の金庫として利用されていたが、それ以外は放置されていたと思われる。
修道騎士団の騎士達が捕らえられ、拷問され、あるいは処刑されていく中、『シー』は大いに悲しんだのであろう。その姿を怖ろしく感じた当時の王家かあるいは王都の教会が封印したのかもしれない。
「私たちは処刑されたりしないわ」
『……』
処刑されるかどうかはわからない。修道騎士団とて、聖地巡礼の人々を守るための活動をしていた最初期においては、何ら怪しい組織ではなかったのだから。
聖王都を陥落させてしまい、あるいはサラセンとの度重なる戦いで多くの総長・幹部・騎士達が戦死していく中で、異教徒との戦いに勝利するために手段を択ばなくなっていった。
ある者は蓄財に励み、世俗の諸侯を上回る権力を手に入れようと試み、ある者たちは不死の力を得て永遠に聖征を続けようとした。
彼女の死後、あるいは今のリリアル生が大人になり、それなりの力を振るうようになった時、どう変わっていくかは何とも言いきれないのだ。
『俺の目の黒いうちは、大丈夫だ』
ちなみに『魔剣』に目はない。彼女は自身の不安をかき消すように、同じ言葉を繰り返す。
「私たちは処刑されたりしないわ」
『ウン……ワカッタ……ココニイテモイイ?』
「もちろんよ。この子たちを一緒に守っていきましょう」
『イッショニ?』
「そうよ。あなたも一緒に、リリアルを守ってちょうだい」
うつむいたままであった少女は顔を上げる。前髪はぼさぼさで、目は隠れているが、口元はニコリとほほ笑んでいた。
「ねえ、一つ提案があるのだけれど」
彼女は赤目金髪に『はさみ』を持ってくるように伝える。
「髪の毛をきりましょう。可愛い顔が見えないのは勿体ないわ」
ぼさぼさ頭では亡霊と見間違えられかねない。この城塞なら貴賓と出会う可能性もあるのだ。髪形を整え、衣装も少々新しいものに変えた方がいいだろうが、今日は出来ることを優先にしようと思う。
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『バン・シー』は涼し気な目元の可愛らしい少女であった。前髪は顔が見える長さに整えられ、後ろの髪もボリュームを落として肩甲骨の辺りまでで揃えた。
「どう? 感想は」
『アタマ……カルイ』
恐らく、悲しい顔を隠すのであれば前髪が長い方が良かったのだろう。だが、これからは只の家精霊としてここにいてくれればよい。できれば、この城塞に入り込む悪さを試みる人間を追い出したり、迷わせたり、捕獲してくれると大変ありがたい。
「みんなはどう思う」
顔が見えるようになった『バン・シー』を皆がきゃいきゃいと見て声を掛け合っている。
「かわいい」
「妹にしたい」
「一緒に遊ぼね!!」
その言葉を聞いた『シー』は嬉しそうに笑っている。
「そうね。名前を付けましょう。あなたの名前は『リリス』よ。リリアルの『リリス』」
『リリスの名前はリリス』
そういうと、今まで浅黒かった肌が透き通るような白色に変わり、衣装も濃灰色から、空色のワンピースへと変わっていく。その姿を見てリリアル生は『リリス可愛い』と一層目じりを下げるのであった。