第770話 彼女は林檎エントを観察する
『踊る草』の話を、彼女は夕食の時間にリリアル生に伝えると、二期生三期生を中心に、大いに盛り上がり始める。恐らく、彼らが主導して魔力水を与えたのだろう。
共犯であろうか赤毛娘は「にしし」と笑っており、事前に事情を知っていた黒目黒髪は「まずいよまずいよ」とあわあわしている。
留学組はドン引きである。
「そういえば、なんか風もないのに林檎の苗木揺れてたね」
「ゆれてたゆれてた」
「不思議だとおもってたけど、エントだったからだね」
「でも、エントの赤ちゃん」
「まだまだ、あんよはお上手ではなさそう」
薬師組女子や二期生は変化に気が付いていたようだ。
おかしなことが起こっても受け入れるのがリリアル流。三期生も少しづつ慣れ始めているが、留学組からは「え、え」「なんなの」という呟きが聞こえてくる。習うより慣れよう。
やがて、食後の自由時間、食堂に残った面々の話題は、林檎エントにどのような名前をつけるかということに移っている。言い出しっぺは赤毛娘。
「やっぱ、林檎エントだってわかる名前がいいよね」
「じゃ、林檎ちゃん!!」
「うーん、林檎って普通に呼ぶから、もうすこし名前ッポイほうがいいよね」
喧々諤々である。
「どんな名前がいいと思う?」
「え、私!! そ、そうだね。林檎の聖人様の名前とかないかな」
「聞いたことないよそんなの」
赤毛娘にいきなり振られた黒目黒髪は、苦し紛れに答える。だがしかし、林檎の聖人……聞かない人ですね。
「ふふ、『聖ドロテア』様かしらね。園芸の守護者、花屋や庭師、ビールの醸造業者の守護者でもあるわ」
「流石先生……」
適当に言っても拾ってくれる彼女に、黒目黒髪は感謝するが……
「じゃ、ドロシーちゃんで!!」
「えー ポム太がいいよぉ」
「ポム太もあるね」
『ポム』は王国語で林檎のことである。なので、林檎ちゃんと大差はない。
「じゃあ、名前はドロシー、愛称はポム太にすればいいんじゃない?」
「……女の子なのにポム太なのね」
「いいじゃない、林檎の木は雄雌無いわよ」
樹木によっては雄株雌株が分かれてるものがあるが、林檎の木はそうではない……はず。なので、男女どちらの名前でも愛称でもかまわないと言えば構わないだろう。
「じゃ、それで決まりね」
「「「「ドロシーちゃん~♡」」」」
「「「ポム太!!」」」
赤毛娘を除く女子はドロシーと呼び、赤毛娘と男子はポム太と呼ぶことになりそうだ。エントに耳があるかどうかはわからないが、呼ばれたらならば反応してもらえるだろうか。
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翌日午後、薬草畑に植わっている林檎エントの苗木を観察しに向かう。
「何か少し大きくなっていないかしら」
『植物は一日で大きくなるものよ~』
「……貴女より大きくなっているじゃない。一日でよ。おかしくないのかしら」
『ないわ~』
昨日見た時、林檎エントは1m程の苗木であった。今日見ると、『踊る草』の丈を越え2mほどにもなっている気がする。それに加えて。
「少し動いている気がするわ」
『そうそう、ちょっとずつね~ まだまだ自由に動き回れないけれどぉ~少しずつ練習しているみたいよ~』
どうやら、『ハイハイレベル』でちょこっと動いたらしく、森に向かって1mほど移動しているように思える。
「そのうち森に入るつもりかしら」
『そうじゃないと思うけどぉ~ あんまり日差しが強いのが好きじゃないみたいよぉ』
エントは森の守護者であると考えている。人の作った畑よりも、森の中の方が好ましい環境なのだろうか。
『林檎畑を作れば~ 多分、問題なくなるわよぉ~』
林檎の木を植えた畑は、森ではないが林程度の密度になるだろう。そうであれば、今ほど居心地が悪くないかもしれない。
『あとは~ 人間との慣れの問題もあるわぁ~』
魔力を与えられエントとなってまだ間もない。周囲の環境に馴染むより本能的に森に向かっているのではないかという話だ。
「なら、もっと世話をさせましょうか」
『そうそう、この調子なら、半年くらいで実をつけることになるわよぉ~♡』
一昼夜で1mから2mになったのだから、その可能性は十分にある。林檎の木は5mから10mほどに成長する。林檎の大木というのも存在するのだが、林檎畑にはそんな大きくなるまで育てることはない。
そもそも、そんな高い場所の林檎の実を獲るのは大変だからだ。
「林檎の実は一本でどのくらい生るのかしらね」
『さあね。わざと小さく育てたのは百個くらいみたいだけれど、10mくらいの高さまで育てると、五百個くらいになるわよぉ~。でも、わたしは草だからよくわからないわぁ~♡』
確かに。小麦とか野菜なら詳しいだろう。木ならドライアドに聞かなければ。アルラウネではない。
とはいえ、普通の林檎の木は五十から百年くらいの寿命だという。人間とさほど変わらない。もっとも、林檎エントはそれ以上の寿命だろうが。
しばらくすると、それぞれの役割を終えたリリアル生たちが三々五々ドロシーの周りに集まり始める。
皆気が付いたようで「おおきくなってる!!」「うそ、動いてない?」と彼女と同じように驚いている。
「まだまだハイハイレベルだそうよ。でも、森に向かって動いているみたいね」「じゃ、いっぱい話しかけて、仲良くなってリリアルにいたくなるようにしよう!!ポム太よろしくね!! 林檎の実いっぱいつけてよね!!」
赤毛娘ぇ……仲良くなって林檎の実をたくさんもらう事が目的らしい。
「ドロシーちゃんだよね」
「そう。ドロシー。無理しないで急いで大きくならなくっていいんだよ」
「そうそう。あんまり早く実をつけると、長生きできなくなるかもしれないから。ゆっくりでいいからね」
薬師組女子はやさしい。ワイワイ言いながら、二期生三期生の女子たちが集まってきている。
『あんまり木の根元を歩くと、土が固まってよくないのよぉ。離れてあげてねぇ~』
「「「「あ……」」」」
木の根元を踏むと根が傷むだけでなく、土が固まって保水や空気を含んだ柔らかい土でなくなるのだ。木の周りを踏みつける事で、木が枯れることもあるのだ。それはエントでも大差はない。他の樹木と同じように、根から栄養を得ているのだ。
それを横目に、伯姪と茶目栗毛、灰目藍髪が引率して、留学組を敷地の奥の射撃練習場へと連れて行く姿が見える。彼女もドロシーの周りの皆に断り、その後を追う事にした。
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リリアルの射撃練習場には、特殊な『的』が存在する。その的は、手足を斬り落とされ杭に固定された『吸血鬼』の成れの果てである。リリアルだけでなく、連合王国にも吸血鬼は入り込んでいることは解っている。女王陛下の護衛として、吸血鬼の存在を知り、適切に対応できることもまた要求されるだろう。
また、簡単に死なない生きた? 試し切り要員としても今後は活用する
つもりである。
「あ、あの」
「これ、吸血鬼。ネデルや王国で捕まえて回収してきたの。知っている情報を吐き出させた後は、こうして射撃練習の的や剣や槍の練習台として再利用しているのよ」
「「「「……再利用……」」」」
なんとなくエコな感じがする。リサイクル大切。
「吸血鬼って本当にいるんですね」
「いるわよ。強い吸血鬼ほど人間と変わらないように見えるし、貴族や富豪になっているわ。だから、護衛として対峙することも十分あるわね」
ネデルや帝国、あるいは神国の高位貴族・軍人などの中に吸血鬼が潜んでいないとも限らない。その中で女王が面会することもあると考えれば、吸血鬼討伐の鍛錬も最終的には必要となる。
「で、でも、私たちじゃ……」
「そうね。今の段階では無理ね。例えば……」
大概の吸血鬼は『魅了』を扱えるので、目を潰してある個体が多い。今回は、その『魅了』を体験してもらうつもりなのだ。
「エマ、その吸血鬼の眼を見て。他の子たちは少し離れていてね」
伯姪は班長のエマを指名し、『魅了』の被験者とした。彼女は留学組の背後から様子を見ている。
『いきなりスパルタだな』
「でも、一度経験しておけば、吸血鬼の魅了も自己判断できるでしょう。
『魅了』を掛けられていると判断したなら、魔力を強く纏う事で対処できる
のですもの」
吸血鬼の『魅了』は精霊魔術に似たものであると考えられる。元はドライアドが人を錯誤させ洗脳し、樹木に人間を取り込んで養分とする手法の亜流なのだ。精霊は水魔馬なども水中に引き込む際に同じような錯誤をさせるし、人魚も同様である。魔力が強く、よく鍛錬できてるものにはそうした原初の魔術は影響を与えにくい。あるいは与えないのだ。
エマは木に括られ、首を固定された達磨吸血鬼と目を合わせる。一瞬ピクリと反応をしたのち、その表情が弛緩しなにやらいつもの気丈なエマとは全く異なる様子になる。
――― いうなれば恋する乙女の表情
「これは不味いかしら」
『孤児は恋に免疫がないからな。まあ、簡単に引っ掛かるだろうぜ』
孤児院は男女別々であることも少なくない。エマのいた救貧院はそうであった。十二歳ともなれば思春期の始まりであり、乙女心が暴走し始める年齢である。
そして、そうした恋愛感情を持つ経験のないエマが『魅了』により恋心を生じてしまった。要するに『一目ぼれ』と『初恋』が一遍に来たのだ。妹と自分を守ることで精いっぱいの生活から、何となく希望が持て衣食住の不安がない生活を手に入れたことで精神的に弛緩していたという事もあるだろう。
エマはそろそろと吸血鬼に近付いていく。魅了を仕掛けた吸血鬼はなにか小声で話しかけている。この枷を外せといった内容に聞こえる。
「エマ、待ちなさい」
伯姪が慌てて声を掛けるが、エマの足は止まらない。
『おい』
「わかっているわ」
彼女はおもむろに詠唱を始める
「雷の精霊タラニスよ我が働きかけに応え、我の欲する雷の姿に変えよ……『雷炎球』」
炎を纏う雷の小球。しかし、彼女の場合『聖なる力』を帯びている為、ただの雷火球ではない。
『ぎゃあああああああああああ……』
魅了を放っていた吸血鬼に青白い火球が命中すると、一瞬で炎の柱となり、あっという間に灰となり消えてしまう。未だ耳に叫び声は残っているものの、その姿は影も形もない。
並んでいる吸血鬼からくぐもった悲鳴や、何やら懺悔めいた小声が聞こえてくるが、既に神に見放された存在が何を言っているのだろうか。
エマは表情を戻し、なにが起こったのかわからないと一瞬呆けたが、『魅了』に掛かっていたのだと気が付き、表情が硬直する。
「エマ、どんな風に見えていたの?」
エマはどう話すべきか迷っていたが、意を決したかのように口を開く。
「最初は、不気味に思えていましたが、目が合うと途端に幸せな気持ちになり、何かしてあげたいという思いが……溢れました」
「因みに、どんな奴に見えてたの」
「……その、金髪碧眼の笑顔の爽やかな……美しい……王子様のような男性です……」
彼女は内心で胡散臭い笑顔の某王太子を思い浮かべていた。
「じゃ、他のみんな、どんな外見だったかエマに教えてあげて」
留学組は口々に説明し始める。
「中年のおっさん」
「色は浅黒くって、神国人っぽい感じ。髪は癖毛で褐色だった」
「顔はやや不細工だった気がする。鼻は胡坐をかいたような潰れ鼻だったし」
「そうね。吸血鬼にしては不細工だったわ。吸血鬼は、上位の吸血鬼に見初められて配下になるの。その時、主の吸血鬼から魂を分け与えられるのよ。だから、簡単に吸血鬼にはなれないし、大概生身の人間の時も美男美女で人気のある人が多いのよ」
ではなぜ他の吸血鬼は眼潰しされていて、不細工な吸血鬼だけが魅了を可能にしていたのか。
「ギャップがある方が、魅了の効果が良くわかるでしょう?」
『性格悪いよなお前等』
『魔剣』も相応に性格が悪いのだが、心に棚を設けましょうと昔の偉い人は言ったとか。