第769話 彼女は『ギュイス』について王太子と語らう
第769話 彼女は『ギュイス』について王太子と語らう
公女ルネ。王太子の婚約者で未来の王太子妃・王妃殿下である。その名は『再生』を意味する古代語に由来し、『月』の女神の名に通じるとされる。月は死と再生の神の象徴であり、月の満ち欠けがその背景には存在する。
「王国とレーヌ公国の再生。私とルネの役割りだね」
などと、微妙にのろけている。
「ギュイス家とはどういった関係になるのでしょう」
「上手く飼いならせるかどうかは五分五分。国王陛下の周辺では、叔父上の夫人にギュイスの令嬢を娶らせるという話も出ている。それが現実的であろうし、神国とギュイスを上手く絡め捕れる方策かも知れぬ」
『あの盆暗蛙王子じゃ、逆に利用されるんじゃねぇか』
『魔剣』の言葉に彼女も暗に頷く。
「何、心配ない。叔父上諸共処分するという案もある」
「……」
「子供が生まれたなら、私の養子にして公爵家を継がせる。その場合、ギュイス公爵家になるだろうな。なに、民は貴族の名前は知っていても誰がギュイス公かなど知りはしない。すり替えるのも手だと思う」
ギュイス公爵家は名門であり、地域への影響力も強い。根切するにしても、多少は血を残す必要がある。王太子の従弟妹に当たる者が王太子の養子となり家を継ぐのは悪くないのかもしれない。
「叔父上がそこまでとは思わないが、夫人は一族として処刑、その上で叔父上は王都で軟禁生活をしてもらう方が現実的かな」
「それなら、今と大して違いはありませんね」
「そうそう。気楽に王都で過ごしてもらえればと思うよ」
王弟殿下は神国の力を借りて王位を簒奪するほどの胆力はない。周りにも人を得ていないので、ネデル総督にでも捕らえられ軟禁される事態にでもならなければ問題ない。
「それよりも。レーヌ公国の近衛と護衛侍女の教育を進めたいのだ」
彼女は内心仕事が増えると恐怖する。
「レーヌの近衛騎士は、王国騎士団の精鋭を教官として送り込んで再教育するつもりだ。『タル』の騎士を交代で送り込むか、駐屯地に呼んで交代で鍛錬する形を考えている。装備も王国式に変更し、公国軍の徴募兵も同じ形で騎士団が指揮する形式に変更する。傭兵は使わない。遠征ならともかく、領土防衛戦で傭兵は当てにならないからね」
『タル』の魔導騎士中隊だけで、一万程度の軍であれば十分抑止できるだろう。傭兵にしても徴募兵にしても、動員には時間が掛かり、接近するにはさらに時間が掛かる。傭兵や徴募兵を中心とする軍の行軍速度は一日当たり十キロ前後と言われている。移動するだけで大変であるし、その途中で様々なトラブルに見舞われる。
補給も大変であるし、士気を維持するのも大変だ。その状態で、魔導騎士に昼夜襲撃され、休息も補給も不十分な状態では包囲を継続することも困難となる。寒さの厳しいレーヌ地方であれば、冬が来る前に退却する必要もある。
「護衛侍女は、既にルネ妃殿下の侍女として育てる依頼をいただいておりますので、難しいかと思われます」
「いや、レーヌの宮廷の分は、ルネの後で構わない。今は相手も手を出してこないだろうし、こちらも警戒している。成婚して正式な王太子妃となった後が怪しいと考えている」
摂政殿下なり、公太子殿下が暗殺でもされれば、庇護下に置いている王国の面子が潰れるだけでなく、王太子夫妻の関係も悪くなるだろう。ギュイス家はレーヌ周辺の貴族に影響力を持っており、貴族の子女がレーヌの宮廷に出仕する際に何か依頼する可能性もあるのだ。
「それで、タルの街とナシスの市街に『ルネサス学院』という孤児院を開くつもりでね。王太子妃となったルネが名目上の院長を務めるが、その実は、リリアルに似せた魔力持ちの孤児を集めた施設にするつもりだよ」
実際のリリアルよりは、三期生のいた『暗殺者養成施設』に似た施設になると思われる。基本的な読み書き計算を学ばせ、また貴族の使用人、騎士団の下働きとして採用できるように教育するのだという。
「貴族や商人の関係者は紐付きの可能性が高いからね。その点、孤児は紐付きではない。後々買収される可能性も無いではないが、それまでに忠誠心を感じさせる程度には手厚く育てるつもりだ。義母上も義弟殿も安心できる使用人というのは、必要だからね」
騎士の下働きの中で、魔力持ちや能力のある者は従卒・従騎士として戦力にカウントされる存在になるかも知れない。騎士団の情報保持のためにも、下手な地元民より教育された孤児の方が余程信用できる。
「護衛侍女の教育はルネの侍女の教育が終わってからでかまわない。それと、ルネサスの実際の運営者がそのうちリリアルに見学に行くと思うので、面倒かと思うが、相手をしてやってほしい」
「承知しました。できる限りお手伝いさせていただきます」
「うん。副伯ほどうまくやれるとは思えないけど、レーヌ公家に忠誠心を持つ者を責任者に選ぶことは決まっているから、その辺は安心して欲しい」
彼女の実家の子爵家のような存在が、レーヌ公国にも存在するのかもしれない。それなら、価値観が近いので話もしやすいだろう。そうではなく、無意味に矜持だけが高い可能性もあるのだが。
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当代のギュイス公には成人した娘が一人いる。公爵令嬢カトレアは彼女の二つ年下の十五歳。蛙殿下とは親子ほども違うのだが、政略結婚だから仕方がない。王弟殿下の人柄は悪くはない。夫にするには良いと思われる。王族の責任、なにそれ美味しいの?
「そのうち、王都に来ると思うので、王妃殿下にまた呼ばれるかもしれないね」
「……」
「はは、叔父上と君は浅からぬ関係だから、未来の公爵夫人とも良い関係を築いてもらえると嬉しい」
「畏まりました殿下」
魔装馬車の製造をもう一台追加しなければならないだろう。公爵夫人専用魔装馬車である。
「それと、ルネの魔装馬車には王家の紋章と、レーヌ公家の紋章の両方をいれたいんだ。けど、ルネ用はちょっとデザインを変えようと思う」
レーヌ公国の紋章は黄色の盾に赤の左斜めの帯。その中に鷲が二羽描かれている。
「鷲の紋章を金の百合に差し替えてもらいたい。今後、レーヌの紋章はこれに変更させてもらう事になっている」
帝国の象徴である鷲から王国の象徴である百合への変更。レーヌの在り方を紋章に刻むという事だろう。
そして、リリアル領の経営についての話になぜかつながる。
「リンゴ畑ね。いいんじゃないかな。王都から近いし、運河も開通する。大消費地まで鮮度の良い重量のある果実が届けられるのは、良い事だ。王都で名物になりそうだね」
「そうなると良いのですが。実家の子爵家に林檎の苗木と栽培の経験がある年配の方を伝手を使って探してもらおうかと思っています」
「いや、王太子領で募集しよう。苗木と専門家。おそらく、その方が探しやすい」
王太子領は主に王国南部、南都から西の方角に当たる。暖かく、林檎の産地ではない。サボアやロマンデ、あるいはレンヌの方がいるだろう。
「ならば、レンヌで探していただけますでしょうか」
「そうか。確かに、レンヌに君は貸しがいくつかあるね。それは良い考えだ。私から手紙を書こう」
王女殿下の護衛として公太子を守り、人攫い組織を壊滅させ、実の大叔父であるソレハ伯の不正を暴き廃絶させる根拠を与えた。林檎の苗木くらいでは対価にならないというのが王太子殿下の見方である。それは、そうだろうと彼女も理解する。
「レンヌの林檎が王都でも楽しめるとなれば……」
「ふふ、ガレットの夢再びですね」
「ああ。あれは楽しかった。今度は林檎、いやシードルか。良い試みになると思う」
懸案の林檎の苗木問題に一応の決着がついた。しばらく時間はかかるだろうが、苗木とその専門家が揃うのであれば待つ価値がある。素人が余計なことをするよりずっと容易になるだろう。
「話は戻るが、副伯の方でも、ギュイス家と神国・ネデルの繋がりの件、心にとどめておいてほしい」
「承知しました。王国の安定を損なう試みは、もれなく対処する所存です」
「ああ。婚約披露から婚姻の間が何か仕掛けるのなら最適だろう。近衛も騎士団も警戒しているが、やはり最後は君たちが頼りだ。頼んだよ」
王太子殿下はいつもの調子で軽く言うのだが、この内容は責任重大であると彼女は思うのだ。加えて、副伯になるんじゃなかったと。
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リリアルに戻り、王太子から受けた下命と、レンヌに林檎の苗木を頼む話がまとまりそうだと彼女は伯姪に伝えた。
「そうなのね。レンヌは王女殿下の成婚を控えてまた盛上るでしょうね。ガレットも相変わらず人気だし」
「ええ。林檎の件はね」
「でも、誰かが一本苗木をワスティンで見つけて持って帰ってきたわよ」
「まあ一本くらいなら、試しに育ててみても面白いかもしれないわね」
「それがね……」
どうやら、ワスティンの林檎の苗木は、踊る草の側に植えられ、世話をされているらしい。大精霊は元は『草』。草に木は育てられるのか甚だ疑問である。
「実が生るまで四五年かかるようだから、先の長い話ね」
「そうそう。まあ、生徒たちが喜んでいるから良いわよ」
恐らく、林檎の実が生るのが五年先だとしらないのだろう。幸せなことである。
「レーヌ公国の護衛侍女と孤児院の件は時間差があるからなんとかなるでしょう」
「それははそうなのだけれど、それよりも」
「ギュイス公爵家。恐らく、王家が中立で両方に対して対等に扱っていることを面白く思わない教会関係者やそのシンパの貴族辺りを支持者にするための行動よね。神国から幾らか援助されているだろうし」
「ええ。北王国の王女の母親の実家であることも後押ししているわ。王家の庶流のそのまた分家程度だけれど、王太子殿下が子を為さなければ自分たちが神国と北王国の援助を受けて王家に成れるとでも思っているのでしょうね」
ギュイエ公本人、あるいは息子が夢想しているのか、あるいは、神国や北王国にそそのかされているのか。
「北王国の女王は連合王国に亡命しているから、暫くは影響が無くなるのではないかしら」
「その息子の王子からすると大叔父にあたるんでしょ? 今の公爵。影響力は薄まるでしょうけど、親戚であることは変わらないからね」
北王国にとっては外戚扱いになるのだろうか。神国にとっても北王国・王国に干渉する為に、ギュイス公爵家は良い駒になると言えるだろう。
「どんな奴か直接会って人物を見たいわね」
「そのうち、婚約披露の場で見かけるでしょう。そんなものに今関わっている暇はないわ」
「それもそうね。機会があれば、ってやつね」
学院の状況を数日確認し、留守の間にたまった仕事を片付けた後は、ワスティンの修練場と領都ブレリア予定地に足を運ぶ必要がある。ブレリア周辺で泉の森以外で、林檎畑に出来そうな山の斜面などを探し、地図を作っておく必要もあるだろう。
それに、ヌーベ領の動向。領境も確認し、監視拠点も置く必要があるかもしれない。簡易な監視用の城塞で、ニ三人で監視できるような物で問題ない。リリアル生を当てるより、ブレリアの冒険者ギルドに依頼を出すようにすれば、冒険者の仕事も増えるというもの。魔物を見つけ、安全に離脱し報告する程度の仕事である。いざとなれば、城塞に立て籠もり救援を待つという手段も取ることができるだろう。
聖ブレリア様には、水魔馬と金蛙を紹介し挨拶させる。古くからその地を守る大精霊に、新参者の大精霊(仮)が挨拶するのは至極当然だと思われる。住み分けをする必要もあるだろうか。
ガルギエム? 知らない竜ですね。
彼女が林檎の苗木を見に行くと、その途中で養殖池に半身を浸すマリーヌと浅い岸近くを泳いでいるフローチェを目にする。
『きれいな水なのだわぁ。気持ちいいのだわぁ』
何やら蛙泳ぎを延々と繰り返している。それは良かった。
『この池の水に、魔力水がながれこんでいるからなのよぉ~』
ふと声の方をみると、クネクネ踊っているアルラウネの『アリエンヌ』がいた。
『あら、久しぶりねぇ~ 元気なようでなによりだわぁ~』
「少し旅に出ていたので学院を開けていました」
『そうなのねぇ~ その旅先で拾ってきたのが蛙ちゃんと馬ちゃんなのねぇ~』
こう見えても、ブレリア様ほどではないがまともな『草』の大精霊であるライア=イリス。彼女が二体の精霊について確認すると『悪い子ではなさそうねぇ~』と相も変わらずクネクネしていた。
その横には、彼女の胸ほどの高さに育った林檎の若木が生えていた。
「苗木と聞いていたのだけれども、若木なのね」
踊る草は『違うわよぉ~』と彼女の見解を否定する。
「何が違うのかしら」
『林檎はね、接ぎ木して育てるの。種から育てると実の成り方がブレるのよ。大昔から、台となる木に、既に実をつけている木を探してその枝を継ぐの。だから、この木はそうやって作ったのよ~』
彼女の記憶の片隅に、そのような知識が眠っているのを思い出した。
「でも、かなり育っているわよね。若木に接ぎ木したのかしら」
『いいえぇ~ みんなが面白がって濃い魔力水を掛けたから、いきなりにょきにょきそだったのよぉ~』
おい!! 魔力の籠った水を大量に草ではなく『木』に注いだら、魔物化する可能性があるのではないだろうかと彼女は危惧する。尋常ではない成長に嫌な予感がする。
「この木、魔物にならないでしょうね」
『うーん。林檎エントちゃんになりかかっているわぁ。あ、でも、みんなの愛情を注がれているからぁ、普通のエントのように人を襲わないと思うぁ。むしろ、他の林檎の木の世話をしてくれると思うのよぉ~』
まさかの使役される林檎エントとなるとは……魔猪の親分以来、久しぶりにお手伝い魔物が学院に現れそうである。
エントは魔物として比較的強い存在だ。ゴブリンや魔狼程度なら容易に撃退できる。そう考えると、林檎畑村の『守護精霊』として、祀り上げる事もありではないかと思うのである。