第69話 彼女は猪狩りを考える
第九幕『猪狩』
学院生を冒険者登録し、素材採取だけでなく討伐依頼も受けるよう考えている彼女のもとに、学院の隣村から『猪討伐』の依頼がなされる。
第69話 彼女は猪狩りを考える
猪の肉は豚肉に似ているが、体脂肪が少ないのでバラ肉が減り、その分、肩ロースのような部位が多くなる。余り育たない方が肉の臭みも少なく、固くない。30㎏くらいの若い雌が柔らかく美味しい。
「猪ね。いいじゃない。子供たちの成長には肉が必要よ」
「それに、獣脂も多いのよね。油球用に集めたいわね」
「あの、山賊退治で使った馬車を採取用にしましょうか。運ぶのが大変だ」
頭の中が猪肉祭りになりつつある、学院のメンバーである。
胴体の背中側『ロース』の部分は串焼きかステーキ、『モモ』は薄くスライスしてスープに入れる。もしくは、ジャーキーにするのも良い。『バラ』の部分はベーコン、『スネ』は煮込んでスープにする。
一頭の猪から採れる肉の量は、体重の四割ほどとなる。毛皮を剥ぐと、皮の裏側に皮下脂肪がたくさんついているので、それをナイフで削り落とす必要がある。猪の毛皮は鹿などと比べると需要が少ないので、売り物にはならないが、学院の生徒が敷物として使用する分にはあっても良いだろう。
「猪の情報を集めましょうか」
伯姪曰く、ニースでは越境する法国兵対策の傍ら、害獣駆除も訓練がてら行っていたらしいのだ。
「害獣ですか……」
「辺境伯領の騎士団は、訓練かねてよく狩りをしてたわね。あいつら、村に弓や槍が使える兵役慣れしたものがいないと、中々捕まえられないのよね」
勿論、罠で捕まえることはできるのだが、きれいに仕留めるにも暴れる相手に槍で止めを刺すのは難しいのだそうだ。
「頭は大きいじゃない。正対すると頭蓋骨が『盾』になるのよね。目も小さいし口も下向き。牙もあるし雑食だから子羊辺りは噛み殺されることもあるのよね」
狼も天敵とはいえないほど、成獣は強力なのだ。さらに、人間の拾うドングリのような硬い木の実を食べてしまうので、農村で小麦で不足する食料を補う森の恵みを奪ってしまう。
「腕達者な狩人がいればいいんだけど、なかなかね」
「それで、王国内ではゴブリンや狼より、それらの被害が大きいというわけですね」
「肉は固いしね。売れるわけじゃないから積極的に狩りをする人がいないし、そのくせ食べる量はかなりのものだから森が荒れるのよね」
豚肉に似たものであるので、食材としては値段が付かないか安いというところだろうか。とはいえ、貴重な肉なので、只で手に入るなら、それはそれで有難いのである。
「あなた、猪狩りを経験したことあるかしら?」
「おじい様と一緒に見学したことならね。犬をけしかけて待ち伏せしたところに皆で囲い込んで誘導する感じで、仕留めるのよね」
『主、私が勢子の役をいたしましょう。あとは、仕留める者を決めておけばよろしいかと思います』
猫に追い込んでもらうなら、少し体は大きくしてもらう方が良いだろう。身体強化して、周りで追い込んで、最後に仕留める役を決めておいてそこまで追い込めばよいだろうか。
「あの、僕、仕留めたことあります」
「ぉとうさんと、狩りに行ったことあるよ。その時はね、槍で仕留めた……」
茶目栗毛と赤目銀髪はそれぞれ槍で仕留めたこと(お父さん含め)があるそうだ。
「では、二人で仕留める役をお願いしようかしらね」
その前に、後ろ足を少し削っておいてもらうことを、彼女は猫にお願いしておこうと思うのだ。
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猪狩りは、古の帝国時代から記録が残る狩りの一つで、ある意味猛獣狩りの要素がある。それは……
『猪ね、あれはヤバいだろ。子供が狩りをする対象じゃないな』
「確かに、只の子供ならね」
まずは、道具を整える事から始めることにする。弓と槍、魔力で威力を底上げ出来るミスリル合金の鏃が欲しい。弓も誂えたいところだ。
『今、ある武器で使えるものは使い倒した方が良いだろうな』
『幸い、山賊の城塞で集めた槍がございますので、それを勢子は装備するのでどうでしょうか』
ヌーベ領の城塞を焼き払う前に、使えそうな槍や弓のような装備は回収して魔法袋に納めておいたので、それなりの数、学院には槍と弓は揃っている。
とはいえ、狩りをする前に祖母と子供たちの関係をある程度慣れさせないと、狩りに行くこともままならない。道具をそろえる必要もある。ミスリル合金の穂先の槍で止めを刺せるのが一番だろう。
翌日、祖母には午前中子供たちの勉強に立ち会ってもらい、進捗状況などを説明する。
「……意外と皆、きちんとできているね。若干例外もいるようだけど」
例外=癖毛なのは言うまでもない。癖毛は大雑把だし丁寧さに欠けるので、覚えも悪く態度も良いとは言えない。多分、祖母にとっては厳しくする対象になるだろう。
「どの程度まで、進めるつもりだい」
「薬師・魔術師として一般的なレベルまで育てたいと考えています」
「……では、数年はここで学ぶ前提だね」
「能力的に問題がなければ、騎士団や宮廷魔導士にも……」
「騎士団はともかく、宮廷は難しいだろうね。基本は貴族の子弟、実力より家柄の方が大事な部分もある」
王宮内で仕事をするには、出自が重要視される。家柄はある意味、何代も問題を起こさなかったという保証であり、問題を起こした場合連帯責任をとらされる一族がいることが、抑止になると考えるため重要だと考えられる。
孤児にはしがらみがない分、能力があったとしても信用の重さが貴族とは異なると祖母は言いたいのだろう。
「とはいえ、貴族として恥ずかしくない見た目の能力……貴族としての能力だね、揃っていれば王妃様から養子のお声もかかるやもしれないね」
孤児そのままであれば問題だろうが、王妃様の後ろ盾で貴族の養子になれば、その出自はある程度保障される。何より、王妃様自身が傍に置く事を求めたという事であるのだから、問題とはならない。
「王妃様が仲を取り持って下さるほどの能力を身に着けるのは、中々難しいでしょうか」
「可能性的にはあり得る程度だろうさ。まずは今の子たちを一人前の魔術師にするのがお前の仕事だろう。先のことはその時考えればいいさ」
今日の課題に取り組む姿を見ながら、彼女と祖母はそんな話をしていた。
祖母にお願いすることは、読み書き計算の勉強を見ること以外にも勿論ある。その場合、各班別に、午後のお茶の時間を祖母と過ごすことから始まることになる。日曜日以外の週六日、それぞれ一つの班が祖母とお茶会を行うのだ。
目的はいくつかあるが、一つはお茶を入れるということができるように。それはお客様に出せるレベルでのお茶でなければならない。そして、その場でのテーブルマナー。席どりから自己紹介、相手の立場に合わせた挨拶、そして、会話をすること。これが難しい事になるだろう。
貴族的な会話、商人的な会話というのは、率直に物事を言わずに、お互いに腹を探り合うことがほとんどだ。不意に時間を聞いてきたら「いい加減帰れ」という意味であったり、唐突な話題が暗黙のメッセージを示していることも多い。それを、言葉の上だけでなく相手の腹を読むという前提で、会話をする必要性を学ぶ場が必要なのだ。
――― 何も、喉が渇いたからお茶を飲むわけではない。
『これ、メンドクセエな』
魔剣がこぼすのは、夕食の時間の会話に「お茶会テキスト」が盛り込まれているのが流行っているからである。
「はい、あなた手が届かないでしょうから。どうぞ」(珍竹林だからなお前)
「あら、ありがとう。どうも、最近、前が苦しくてね」(お前と違って胸があるから、届かねえんだよ)
会話に副音声のように嫌味の応酬が聞こえるようなのだ。汚れちまった悲しみに……である。
「まあほら、社交ってそういうところ大事だから」
「確かに、姉さんの会話って全般的に副音声しか聞こえないもの」
「……それはどうかと思うけど、あなたのお姉さんは大概よね」
伯姪、よく気が付いたねと彼女は心の中で称賛したい。商人の妻として、ある程度相手が意図することを読み解く能力は彼女にもあるのだが、それを同じように返すのではなく、ズバッと切り返す方が彼女の好みだ。
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猪狩りの準備に、彼女は王都に一度行くことにした。武器屋でミスリルの槍と赤目銀髪用の複合弓を調達するつもりだからである。因みに、赤目銀髪も数えでは十二歳となる十歳なので、冒険者登録もねじ込もうかと思っている。
冒険者ギルドに先に立ち寄り、ギルマス承認の上、冒険者登録を行う。弓の腕を見せたところ……
「ん、お前の認めるだけのことはある。腕だけなら薄黄並だろう。体と経験が足らないから、大事に育てるんだぞ」
と言われ、冒険者登録は無事行うことができた。
依頼の掲示を確認していると、やはり、常時依頼として『猪駆除』がある。あの頃は王都の近いところでの素材採取しか見ていなかったので気が付いていなかったが、王都近郊の村からの依頼もそれなりにあるようだ。報酬が少ないため、随分と紙が変色している気がする。
いつもの顔なじみの受付嬢に話しかけてみる。
「猪討伐……冒険者としてはあまりうま味が無いことと、ランク的に上手く噛み合わないというのがありまして、滞留しているものが多いんです」
猪狩りの依頼は白等級から受けることができる。ゴブリンの常時討伐依頼と同じ扱いだ。ところが、ゴブリンと猪一頭では実際の難易度が段違いだ。
「ゴブリンは子供くらいの大きさの鬼ですから、力も弱いですし、油断と数で押し負けなければ問題ないのですけど、猪の場合、下位の魔狼クラスの力がありますので、薄黄程度の能力は欲しいんです」
猪は母親が子供を連れていることもあり、数頭の群れの場合もあるが、基本は単独が多い。とはいえ、白等級数人では猪に歯が立たないのだという。
「魔物なら騎士団も討伐に動きますけど、獣が増えたくらいでは動きませんし騎士団の仕事ではありませんから」
先代の国王の時代には、王の趣味が狩猟であったこともあり、定期的に巻狩りが王国の各地で領主たちがこぞって催したのだそうだ。大物の猪を狩れば、自慢ができたという。
今の国王陛下は狩りはあまりお好きではないので、その辺りも影響しているのだろうというのだ。戦争好き=演習代わりの狩りも好きということなのだろうか。辺境騎士団が狩りの手伝いに積極的なのは、その辺りもあるのだろう。
「討伐部位を提出すれば、冒険者としての評価は可能ですか」
「そうですね。討伐部位は『尾』です。まとめてお持ちいただいても構いません。できれば、依頼を出している村からお願いできますか」
「はい。今回、冒険者登録した子たちを中心に学院生で狩りをしますので、多少は依頼の滞留も緩和されると思います」
「ふふ、猪のお肉も馬鹿になりませんものね。いい考えですね」
猪狩りをしてくれる冒険者……それも濃黄等級の冒険者が参加すると聞き、受付嬢は心の重荷が取れたかのような表情になる。恐らく、王都に来た依頼の村人に都度責められることがあるのだと思われる。
猪くらい自分たちで狩れ! と言いたいのをぐっと我慢していたのだ。
ギルドを出た二人は、いつもの武具屋へ向かう。彼女の弓を誂えることと、ミスリルの鏃と槍の穂先を買いそろえる為である。
武具屋にはいつもの店員。前回の注文の品はまだ完成していないのだそうで、それはそうかと彼女も思う。最初に、彼女の弓の件を説明する。
「確かに、ロングボウは……引けそうにもないですね」
赤目銀髪は彼女よりさらに小柄である。ロングボウの方が大きいくらいだ。
「あまり、扱いが無いので……これくらいですかね」
出されたものは、蹄鉄のように曲がっている弓のようなモノ……これが弓の形にどうしてなるのだろうかと思う。
「ああ、複合弓って弦を外すとこんな感じなんです。そうしないと、弦も切れやすくなりますから」
店員は太ももに弓の先端を引っ掛けると、体を捻るようにして弓をまげて弦を掛ける。確かに、これなら彼女の見知った弓の形をしている。
「嬢ちゃんに弾けるか? 大男でもかなり厳しいんだぞこれ」
「それで、扱いがあまりないわけね」
「ええ。ボウガンならそれなりに需要があるんですがね。この手のものは元々サラセンの装備なんで。馬に乗りながら弓を射る為のものなんです」
確かに、馬に乗って自在に弓を射るという話は聞いたことがある。勿論、その弓を通さないように重装備の騎士が馬に鎧を装着して突撃するのだ。弓兵は懐に入られた場合、騎士にも兵士にも勝てない。軽装備の歩兵扱いだからだ。
赤目銀髪は弓を構え、自分のスタンスを作ると、弦を引き絞る。
「嘘だろ……」
「この子はお父様が狩人で、魔力もそこそこあるのよ。だから、身体強化で強い弓を引けるから、こういうものを探していたの」
「なら良かったです。こちらも不良在庫にならずに済んで助かりました」
営業スマイル以上の笑顔で返す店員である。
彼女は、追加の依頼として、ミスリルの鏃と槍の穂先の注文を出すことを店員に説明する。店員は、その件畏まりましたと言ったものの、何か口ごもっているようだ。
「何か不都合でもありましたか」
「……いえ。実はご相談があるのです」
店員曰く、ミスリルを扱える鍛冶屋が近く弟子に工房を譲り引退することになるのだそうで、弟子に関してはミスリルが扱えるかどうか不明なのだ。実際、魔力を使って攻撃する武具の需要は少ない。それに、失敗した場合、ミスリルの素材が駄目になるから、中々注文を受けにくいのだそうだ。
「それで、これは工房の主からの打診なんですが……」
店員は言葉を区切り、「学院で働かせてもらえないだろうか」と言われたというのである。彼女は……少々考えることにした。




