第766話 彼女は王都城塞へと帰還する
第766話 彼女は王都城塞へと帰還する
日が沈むころ。リリアル親善副使団一行は、王都の船着き場へと到着した。船着き場の幹部の何人かは、『ルテシア子爵令嬢』である彼女の顔をよく存じていた。何故なら、先代子爵である祖母の若いころそっくりであったからである。
故に、何事もなく上陸。ぞろぞろと平民女児を連れた彼女を遠巻きに見つつ「また何か始めるのか」と早々王都の噂になるのである。
「あの建物よ」
「……建物……岩の塊……」
「そう見えるでしょ? あれ、人造なのよ。不思議でしょ!!」
エマが灰色の岩の塊に見えている者が本日の宿泊先であると知らされ、思わず素直な感想を口にすると、伯姪が自慢げに答えた。
背後の留学組が「牢屋みたい」とか「救貧院より怖い」などと不穏な呟きを蛮国語で呟いている。彼女は理解できるが、聞きとがめる事もなくそのまま足を進める。確かに、城門楼などは刑務所や留置施設として利用されることも多く、リンデにもそうした古い城塞を利用した収監施設は多数存在している。
とはいえ、王都城塞の背後には、王国迎賓館が建設中であり、おそらくそろそろ本館は完成していると推測される。こけら落しは王太子殿下の婚約披露の祝宴のはずである。王弟殿下の帰国後、大々的に行う予定だと王宮からは伝えられている。
当然、会場警備にリリアルは協力することになる。護衛侍女役として。
門前で声を掛けようとすると、そこには赤目銀髪の姿があった。
「おかえりなさい」
「久しぶりね、元気にしてたかしら」
「うん。皆元気」
「お役目ご苦労様。今日はここに滞在するので、中に入れてちょうだい」
「わかった。今準備させる」
中へと一行を案内し、跳ね橋をあげる。鎖が音を立てながら捲きあがっていく。人力ではなく恐らく魔導外輪の技術の応用であろう。
中庭に入ると、そこには不思議な光景が目の前に広がっていた。
薬草畑の世話をする三期生。これは解る。午後の仕事の一つだ。その横の中庭で、兎馬車ほどの大きさのある大岩を抱え体の周りで持ち上げ、背に乗せ、頭に乗せ、なにやら鍛錬めいたことをしている二期生サボア組の三人。
留学組の七人は、それを見て固まっている。まさか、こんなことをやらせるつもりではないだろうかと危惧してである。
「先生たちが帰国した。今日はここに泊まるので、部屋の準備と夕食の追加が必要」
「あ!! おかえりなさい!!」
「あー ようやく日常が戻ってくるのだー」
「くるのです!!」
『岩回し』は日常の一部になっているのではないのだろうか。
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王都の防衛拠点の一つ。迎賓館を守り、あるいは王宮の外郭防御拠点として設計・建設されたリリアル王都城塞は、相応の人員が宿泊できるようになっている。戦闘員としてのリリアル生の生活スペースのほか、救助・収容したVIP用の居住空間が確保されている。むしろ、迎賓館を脱出した貴賓を保護収容することを前提としている。
中庭には井戸と薬草畑の他に馬房もあり、また、一階には救護施設としての機能を持たせた療養所も確保されている。ということで、留学組はお試し貴賓室の中でも、従者・使用人用に案内されている。とはいえ、国賓客の従者は貴族の子弟が多いので、相応のレベルの内装と調度ではある。
貴賓用は、他国の王家や高位貴族の当主でも問題ないレベルなので、彼女や伯姪でも少々落ち着かないレベルに仕上がる予定である。未だ、調度品は作成依頼中ではあるのだが。
夕食はリリアル防衛隊用の大食堂を利用。留学組と、今回リリアル城塞の見張当番である赤目銀髪を班長とする『馳鴉隊』との顔合わせを兼ねている。
メンバーは班長の『赤目銀髪』の他二期 女剣士風の『碧目銀髪』とサボア組『灰目黒髪』『茶目灰髪』『村長孫娘』、これに今回は三期魔力無女子が所属している。
「四班に分かれているのね」
「そう。学院には本部役の『灰被隊』と今は『水瓶隊』がいる。修練場には『隼鷹隊』がいて、一月ごとにローテーションしている」
「三期生は固定なのかしら」
「一回り毎にずらしていく。三ケ月でズレていって、一年で一周する」
当初は、冒険者の前衛・遊撃・後衛と薬師でメンバーを分け班を編成したのだが、どうしても教える事やできる仕事が偏ってしまうという事で、部隊名はそのままで、構成員を冒険者組・薬師組・二期生で均等になるように配分して、三期生は男女魔力有無で四つに分けて、それぞれの班と組ませるようにしたのだという。
「上手くいっているのでしょうか」
「今のところ。同じ人間で固定すると、どうしても好き嫌いや合う合わないが出る。それに、教え方が全員上手なわけでもない」
その辺り、彼女か伯姪が残っていたこれまでのリリアルならば、見て調整する人間がいたため問題なかったのだが、その二人が抜けている状態では、誰もが決定的な判断を下せなかった。結果、機会の平等でバランスをとるという判断に至ったようだ。
「仕事は滞っていないですかぁ」
「院長判断が必要な仕事以外は順調。日常の仕事は問題ない」
「ほんとうですかぁ」
「本部のことは解らない。現場では特に問題ない」
「ですわぁ」
上の仕事は下からは解りにくいもの。祖母と黒目黒髪が事務処理は進めてくれているだろうが、すべてが処理できるわけではない。なので、話が彼女の帰国まで保留されている事も多数あるだろう。その辺の仕事を先に処理することが明日からの彼女の仕事の最優先となる。
『パンが美味しいです』
『そうだね。ふすまッポイかさましがないもんね』
製粉が雑であったり、取り除くべきものが残ったままパンを作ると、嵩は増えるが味は大いに落ちることになる。小麦の保管状況も当然関わるであろうし、大原国から時間を掛けて輸入したり、連合王国の質の悪い小麦で作ったパンと比べれば、王国の小麦で普通に焼いたパンでも相当味が異なるだろう。
『毎日がこのパン』
『王国最高ですか』
人はパンと水のみに生きるにあらずとは言うものの、パンが大切でないわけではない。美味しいパンが食べられるというだけで、留学組の士気は大いに上がるのである。
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夜のうちに、先行して灰目藍髪にリリアルへの先触れを依頼した。水魔馬ならひとっ走りの距離である。また、迎えの馬車を依頼したいという事もあった。魔装馬車で向かうにしても、二台は必要だからだ。
「馬車ですか」
「すごい立派」
「に、荷馬車じゃない!!」
リリアルの箱馬車は黒塗りにリリアルの紋章が入っているだけの地味なもの。とはいえ、魔装馬車として最低限の格式は備えている。いわゆる貴族の乗り物だ。
城塞の中庭には二台の箱馬車。そのうち一台は、留学組が乗車する。全員中に座れないので、班長・副長は馭者台に座ってもらうことにする。
「そのうち、馬車や騎乗の訓練もするから」
「「「「「え!!」」」」」
「当然でしょう。馭者が殺され、自分たちで馬車や馬を操って脱出することも考えられるだから。護衛なら必須よ。あと、泳ぐのもね」
「「「「「!!!!!」」」」」
実際、護衛の仕事は冒険者の鍛錬に近い。護衛の仕事も冒険者の以来の中で多くを占めるからだ。単に戦うだけでなく、待伏せを予見したり、あるいは罠を見抜くことだって必要となる。
本来は、護衛騎士の役割りなのだが、騎士擬きの『護衛隊』では、そんな事を期待することは出来そうにもない。女王の命を守ることは、翻って自身の命を守ることにもつながる。生き残る為には、魔力だけでなく様々な技術を身につける必要がある。
リリアルの日常ではそういった事を当たり前のように要求されるので、習うより慣れてもらおうというところだ。
「さて、行きましょう」
「大丈夫、最初は兎馬車で慣れてからだから。いきなり大きな馬車の馭者はさせないから安心しなさい」
留学組はホッとした顔になる。兎馬車も荷馬車も箱馬車も扱いは大して変わらない。四頭立ての馬車であろうと、御する馬はリーダー格の一頭であり、四頭同時に扱うわけではない。馬は群れで走る本能を持つので、先を走る馬に追従する性格がある。それを利用して、一頭を御することで四頭を統べるのである。
魔装馬車の中の留学組は大興奮である。すごい速さで走っているのに、全然揺れない。それが大いに驚きに変わる。
馭者台のエマとマルゴもそれは同様なのだが。
「目が開けられないくらい凄い風」
「魔力で目の前に風よけを作るといいのですが。鍛錬するのみです」
「……普通に風よけの眼鏡をかける方が良いですよね」
ガラスのレンズは高価だが、風よけ効果のあるゴーグルを作るには良い素材である。馭者用に用意する必要はあるかも知れない。魔力の少ない者たちには、魔力壁を用いた風よけということも困難だろう。
ビュービューと風を切り、一時間足らずでリリアル学院に到着。王都の城塞ににた塔が見えたので若干ざわめきがあったものの、手前には騎士団の駐屯地と小さな街があり、奥には宮殿が見えている。
中庭に入り馬車の扉があく前から、既にリリアル生が全員集合状態で並んで待ち構えていた。
彼女を先頭に親善副使一行が馬車を降りてくると、皆口々にお帰りなさいと挨拶を告げて来る。
「久しぶりねみんな」
「せ、先生。よ、よかったです……私……もう無理です……」
崩れ落ちるようにしくしく泣き始める黒目黒髪。横で赤毛娘が「頑張ったね」等とニコニコ笑っている。多分、実務にはあまり力になれなかったのだろう。私設応援団に徹していた模様。
「先生、あちらが留学組ですか」
「ええ。先に部屋に案内してもらえるかしら。まだ王国語はあいさつ程度しかわからないので、ルミリが世話係としてつくので、一緒に向かってもらえるかしら」
「承知しました。では後程、昼食の時にでも」
水瓶隊・班長の赤目蒼髪が何人かの班員と共に宿舎へと留学組を連れていく。四人部屋一つと三人部屋一つの組合せになるだろう。エマ・マルゴ・レアで一部屋、他の四人で一部屋といったところか。班長は事務仕事も多いので、副長と同室の方が仕事も進めやすいだろう。
「随分長くなったね。おかえり」
「……お婆様。お世話になりました」
「なに、子供の世話をするのは、ババアの仕事だよ。大したことはしちゃいない。だが、何通か帰国後についての連絡が来ている。取り急ぎ、明日は王妃様のところに行っておいで」
「承知しました」
王太子妃殿下のお披露目会の件であろうと彼女は見当をつける。
「しばらく引き継ぎも必要だろうからリリアルに顔を出すが、さすがに三ケ月王都の家を空けてあるからね。今日のところは一旦帰らせてもらうよ。お前も、ちょっとは落ち着きたいだろう」
「承知しました。送らせますね」
魔装馬車で王都までもう一往復。折角なので、水魔馬に馬車を曳かせ、灰目藍髪に送らせることにする。祖母はああみえて好奇心旺盛なのだ。水の精霊が馬車を曳くなんていうのは、絶対喜ぶ状況である。
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昼食時、在院生は留学組に興味津々であった。彼女の中では、留学組に王国語を教え、在院生は留学組から蛮国語を学ぶというのが理想の関係であると考えていた。
食事の後、全員が自己紹介。そして、留学組は三年間の間に『護衛侍女』として一通りの魔力の扱いを覚え女王陛下の侍女となるべく帰国する予定であることを説明した。
「『護衛侍女』ってかっこいいかも」
「でも、女王陛下の侍女って大変そう」
「わたしは無理」
「無理無理」
薬師組はそんなことを言っているが、明日は我が身である。
「しばらくは使用人コースの勉強をしつつ、魔力の扱いと王国語の研修を行うので、世話役ともども『灰被隊』所属になるわね。班長、よろしくね」
「……えー わかりました」
「手取り足取り教えまっす!!」
前者は黒目黒髪、後者は赤毛娘。大変わかりやすい。
「それで、私たちが学院を空けている間に起った問題や、問題だと思うことがある場合、明日迄で構わないので書面で報告してもらえるかしら」
「「「「ええ……」」」」
「口頭だとどうしても早く話したものがちになるでしょ? 内容を比較して優先順位をつけたいの。勿論、順番に話は詳しく聞くから、報告内容がわかる程度の簡単なもので良いのよ」
彼女も伯姪も難しいことを言うとリリアル生は思う。とはいえ、これからは領地経営にも関わることになり、書面でのやり取りも学んでもらわねばならない。孤児院長と孤児の関係ではなくなっていくのだ。人数も増え、外部との交流も増えていく。今まで通りの関係性ではいられないのは、爵位の上がる彼女だけではなく、周りのリリアル生も同様なのである。
「明日迄でなくとも構わないわ。早くに越したことはないのだけれど、相談は随時受け付けます。けれど、書面で先に報告することは今後のルールと
します」
リリアル生は少しずつ大人になるという事を体感するのであった。