第758話 彼女は『王公論』について女王と語らう
第758話 彼女は『王公論』について女王と語らう
『王公論』とは、華都国の外交官であったニコル・マ=カバリエという人物が、政争にまきこまれ失脚した後、隠遁中に自らの統治者についての考えを書簡に示し、それを纏めた著作の通称である。ニコルの友人であり元上司であった華都国の貴族がニコルの死後、編纂し出版したものであり、その書簡は生前、華都国の次期公王に向けて書かれたものであるとされる。
その内容は幾つかに別れており、太古の君主・英雄・政治家の伝承や記録を参考に化体し描かれる。凡そ『国家と君主』『軍』『君主と民衆』『法国の政治情勢』といった内容で構成されている。
書かれた時期は今から五十年は前であり、ニコルが外交官として活動していた時期は法国戦争の真っただ中の時代。巨人王がミランに攻め寄せ王国軍と帝国軍が教皇を挟んで半世紀にわたり断続的に戦っていたその最中である。
故に、ニコルの死後出版されたこの書簡集は、当時の空気を色濃く反映していること、教会関係者や学者ではなく実務家である外交官、それも貴族ではない男が記した政治に関する入門書・手引書として認識され、皇帝・国王を初め、本来目にする事の無かった諸国の王侯貴族の愛読書として広まることになる。
ニコルは残念ながら、生前より死後、著名人となったのである。
その中には、神国国王の父である帝国皇帝も含まれており、気に入った書簡部分に関しては、暗唱するほどであったと伝えられる。
女王陛下の父親もその一人であり、その影響で女王本人も良く読んでいる。王国においても同様であり、彼女は姉からその書をプレゼントされていた。「妹ちゃん、面白い本があるよ」と。
姉の場合、この書簡の内容に大いに共感することがあるのも理解できる。そもそも、行動がそのものなのだから扱いに困る。大いに困る。
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「例えば、世襲の君主についての見解。どう思われますかジジ様」
「そうだな。儂が若くしてニース領を継いだ時、法国戦争の影響で領境の村や街が盗賊や魔物に襲われてだな……」
ニースを訪問したその昔、彼女も聞いた覚えがあった。法国の兵士が盗賊の振りをしてニース領を襲撃し、それを撃退するのが大変であったというむかし話だ。
「その時、代々ニース領を治めてきた一族であるからこそ、民は儂等を信頼し、また、襲撃の被害にも耐えてくれたということを実感した。あれは、儂個人や今の領主一族に対してのものだけではなく、何世代にもわたり先祖が恩徳を民に施してくれていた結果なのだと……そう思ったのだ」
王家と王都の関係も似たものがある。本来の王家に仕え、王都を守るルテシア伯に過ぎなかった今の王家の先祖が、入江の民や諸外国・異教徒と戦い民を守ることで信頼を得て王家が代を重ねてきたという信用。その信用は、例え王都を失おうと、国王が虜囚となろうと、王家の人間を摂政とし王国を維持することは全く困難ではなかった。
駄目な王が現れたとしても、一代限りであればさほど影響はなかった。それは、信頼と慣れという部分があるだろう。
「ニコルはこう語っている。『世襲の君主は慣習を変えず、問題は生じた場合も慎重に扱いさえすれば、国を維持することは容易である』と。だが、この国は、そうではない」
王家は内乱を経て、分家の分家のような今の王家が王位についた。祖父王はそれでも内戦を勝ち抜いた優秀な政治家であり軍人であった。その息子である父王は、兄王太子が早世したため急遽王太子となり、王位についたが、数十年続いた内乱の結果、今まで通りがどこからどこまでなのか分からない状態となった。
自分を支持する国内の有力者を増やす為、父王は、教皇庁と距離を置き、修道院を解散させその財産を自分の権力を高める為に使う事にした。
国内の領地の三分の一を有していると目された修道院から財産と権力を取り上げ、その資産を自分の支持者にばら撒いた。結果、貧しかった王家の財産は増え、国内の支持も得られるようになった。
とはいえ、これは『慣習を変えず慎重に扱う』という姿勢と真逆であり、また、同じ血統とはいえ長く内戦を続けた仮初の王家に過ぎないのであるから、世襲の王家とも言い難いのである。
これが正嫡の男子であれば、また話は違ったであろう。父王の死後、王位にまずついたのは、二人の女王の弟である十歳そこそこの王太子であった。少年王は父親の政策をそのまま踏襲し、尚且つ、少年らしい純粋さで周囲の父の側近たちの話をそのまま採用し、御神子教徒に厳しい政策を行った。
それでも、数年の王位の間、目だった反乱は起こらなかった。
ところが、姉王が王位を継ぐと、神国王太子と結婚し、教皇庁に従順な政策に切り替え、さらに神国に付き従う外交・軍事の姿勢を示した。王国との戦争にも神国に追従し、結果、先頭での勝利を得たものの、尻すぼみとなり『カ・レ』を王国に返還し和議を結ばざるを得なくなった。
原神子信徒の有力者は、こぞって国外に脱出し、国内の政治は大いに
混乱もした。
姉王が死んで誰よりも喜んだのは、父王時代に力をつけたリンデの商人とその利害関係者である郷紳層・王宮に出仕していた者たちである。元に戻そう、神国とは距離を置こう、ネデルと商売に精を出そう……そう考え、御神子教徒ではなく原神子信徒の王女をわざわざ女王に選んだのだ。
この経緯からして、とても世襲の安定した国とは言えないのが連合王国だ。ニース辺境伯領や王国・神国とは全く異なると言える。
「世襲の王家であると民に信じさせる必要があるのでしょう」
「ははは、そうだ。その通りだ。だがな、民という者は中々に頑迷で思い込みが激しい。未だにこの国の王が女であると知らないものが沢山いるのだ。おかしかろう?」
二代続いて女王が統治している。姉王の時代から二十年近く女王が統治しているのだ。だが、それを民は知らない。
「個人崇拝は好むところではないのだが、女王の肖像画を下賜してでも、姿形を広めねばならぬのだよ」
「恥ずかしいから止めてほしいのよビル」
「……これも国の為。お諦め下さい陛下」
ビル・セシルは悪戯っぽい笑顔を浮かべ女王を見る。女王は口では恥ずかしいといいながらも、満更でもなさそうなのは自己顕示欲故か。彼女の場合、舞台役者と比べられ「なんか違う」と本物なのにダメ出しされるのが地味に効くので姿は知られたくない派である。
思わぬ苦労に彼女は若干の同情を感じる。
王太子殿下は、少なくともその姿形をたたえられ、自ら南都に赴き、王太子領を直接自分の手で運営し、その中で「次代の国王」として、王国南部の民の支持と信用を得る努力を重ねてきた。
また、ミアン攻防戦では、自ら近衛連隊を率い後詰を行いミアン市民ばかりでなく、王都周辺の民に対しても「戦う王太子」という印象を与える事に成功している。竜殺しの一人であるということも大いに貢献している。
それと比べると、姉王時代には幽閉同然で、父王時代には親子である事を一時否定された「庶子」の王女である女王陛下は、何もないところから身の位階を始めたことになり、難易度が格段に高いのだと理解する。
祝宴を開き、頻繁に王宮に人を集めるのも女王の権威を高める為。贅沢三昧に思える主義嗜好もその一環。ということにしておこう。子供の頃の貧乏の反動ではない!! 多少はあるかも知れないが。
「おほん、陛下そろそろ……」
「そうだな。場所を変えよう」
食事の時間を終え、女王は自らのサロンに彼女達を誘う事にした。ちなみにビル・セシルは新王宮内に居室を賜っており、このまま帰宅する必要はない。
「まだまだ語りたいのだ。付き合ってもらえるか、アリー、メイ、ジジ様」
「無論。若者の話を聞くのは年寄りの楽しみですからな」
「若者……」
アラサーの女王陛下も、ジジマッチョからすれば『若者』の範囲だ。
「案内してもらってくれ。着替えてから向かうのでな」
着道楽で有名な女王陛下は、頻繁に着替えをする。晩餐用のドレスでは寛げないと言うことだろう。
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様々なデコルテのついた『衣装』から、簡素とも言える衣服に着替えた女王。彼女らも用意されていた衣服へと着替える。
「ふむ、思っていた通りに合う。どうだ、明日から侍女として仕えぬか」
「残念ですが、既に仕える主を得ております」
「同じく」
「それは、それは」
はははと快活に笑う女王。本来は、こうした性格であるようだ。貴婦人というよりは男勝りとでも言えば良いのだろうか。
「遠乗りも共にしてみたかったな。妖精騎士殿」
「では、次の機会に」
「そうか。次があるのか」
リリアルにとって王都とリンデは船なら二日程度の距離。帝国遠征に比べてもさほど苦になることはない。海上は天候さえ問題なければ、周囲に気を使う必要も少なく、夜通し交代で進めばあっという間でもある。
問題は、簡単に入国できるかどうかということであるのだが。
「そうだ。こんなものを用意した」
「……これは」
何やら女王陛下の印章の入った羊皮紙である。彼女は押し頂くと断って中身を確認する。
「名誉……『聖蒼帯騎士団』に任ずる」
「え」
「お二人の分も用意してある。これに」
ビロードの敷物に乗せられた二つの羊皮紙。彼女だけではなく、伯姪とジジマッチョの分も用意されていた。
『聖蒼帯騎士団』またはブルーリボンと呼ばれる連合王国における国王の側近集団を意味する騎士団。初代団長はあの『黒王子』である。今同席しているビル・セシル卿も女王の即位時から任ぜられているという。
百年戦争期に創設され、『悪意を抱く者に災いを』をモットーとする。所属人員は国王と王太子+定数24人、国王により任命される。第一位は王太子が務めることになる。これは、百年戦争期の『黒王子』が創設時の構成員であった事に起因する。また、王族男子、宰相もこれに加わる。
父王時代、女性には女王以外騎士団に所属させないと条文化されたのだが。
「今回のもろもろの功績に対する感謝の印だ」
「……なるほど」
ノルド公の反乱討伐、賢者学院の防衛、北部諸侯反乱鎮圧への助力。他国の貴族とはいえ、女王の治世への貢献は報いなければ君主としての沽券にかかわる。
「本来は、年金など与えるのだが、名誉だけで済まぬ」
「いえ。名誉だけで十分です」
「お心遣いに感謝いたします陛下」
「冥途の土産に良いものを戴いた。感謝するぞリズよ」
「……はい。ジジ様……」
ジジマッチョにだけは女王の反応が異なるのはもはやデフォ。
セシル卿から、どのような特典があるのかツラツラと述べられる。与えられる徽章を示す事で、事前の断わりなく女王との面会・謁見を優先することができる事。また、王宮への滞在の無限許可。
「身分としては聖蒼帯騎士に叙任された場合、騎士爵ではなく男爵位相当と見做される」
騎士が貴族と見做されないこの国において、郷紳層が『聖蒼帯騎士』に任ぜられることには意味がある。通常、終身の身分であるから『一代男爵』として扱われる事になるのだ。ジジマッチョも彼女もとくに必要としないのだが、紋章騎士である伯姪は、若干この国での扱いが良くなるかもしれない。
「こうしたものを勝手に受けても良いのでしょうか」
彼女はジジマッチョに確認する。仕える国は王国、その国王に騎士に任ぜられ今の彼女がある。
「二君にまみえるということではない。それに、他国の君主から評価される騎士を持つというのは君主としての誉れ。良い臣下を持ったと公に褒められるようなものだ。安心して受けるといい」
「そちらの国王には断りの手紙を送っている。承諾なしの事後にはなるがな」
女王陛下も今回の訪問でリリアルが為したことの感謝の報告と、『聖蒼帯騎士』に任じたことを伝えてくれるのだ。王宮へ帰国の挨拶をする際には、事前に手紙が届いていると助かるのだが。
因みに、このような名誉ある騎士団には今一つ『聖紅帯騎士団』・レッドリボンと称される存在があるが、こちらは戦功を示した郷紳層に与える騎士称号で、王の側近といった要素はない。
また、北王国もこれに対抗し『聖碧帯騎士団』騎士団・グリーンリボンという称号を創設したとも聞く。王国には星騎士団というものが過去存在したが……善愚王が『聖蒼帯』に対抗して作ったので即廃れた。当然か。
「ニコル書簡の中には、法国戦争のことも書かれているな。ジジ様は参戦されたのか」
ジジマッチョの現役時代の前半はまさに法国戦争真っ最中。とはいえ、巨人王の父親の時代に始まったミラン公国の相続をめぐる争いに端を発したものであった。
南都経由で数万の大軍を率いミランを占領した王国軍であったが、その後の統治に失敗している。何故なら、北法国の諸侯は教皇庁の勢力に対抗する為王国を盟主として選んだにもかかわらず、王国はその後教皇庁と手を結んでしまった。
これでは、北部の諸侯が王国に従う理由が無くなる。そこを帝国に突かれ、王国がミランと北部諸侯の支持を失う事となった。
その巻き返し策がサボア公国の親族化政策にあるということだ。祖父と父親のしりぬぐいを息子が二代に渡りおこなうという事になる。聖エゼル騎士団の復興もその一環であり、教皇庁との結びつきを軸に王国の直接影響下に帝国に付いた諸侯を切り崩すことになる。
今は落ち着いているものの、原神子信徒と教皇庁・教会の関係はいつ武力衝突に発展するかわからない。その期に、再び北部法国への浸透を拡大する為に、南都を中心とする王領の再編を進めたのだ。姉の代でノーブル伯領を与え、ニース領との関係を軸にサボアを支援する。さらに、『聖エゼル王国騎士団』をノーブル伯旗下で再建し、第二のリリアルとする計画も進行中であると聞く。
「あれは、王が悪い。戦略の失敗を戦術で補う事が出来ぬ」
「堂々の王家批判ねお爺様」
「無論だ。ニース辺境伯家は王の臣下ではあるが同盟者でもある。根っからの臣下にはできぬ苦言を呈するのもわが家の仕事の一つだ」
にかッと笑うジジマッチョ。長きにわたり戦場に、統治に尽力した辺境伯の苦言を無視することは王も王太子もできない。耳に痛いことを聞き入れないような王侯貴族はやがて周りから見捨てられるものなのだ。