第757話 彼女は女王陛下と語らう
第757話 彼女は女王陛下と語らう
新王宮の中ではこじんまりとした食堂。ここは、気心の知れた者たちと食事を愉しむための女王の私的な空間。食事の内容も、料理人の腕を見せびらかす様な法国風の料理ではなく、女王が子供の頃に母親と楽しんだリンデの料理である。
そこに坐するのは彼女と伯姪とジジマッチョ。女王陛下側にはビル・セシルが同席している。ウォレス卿では格が合わないので今日は同席していない。
「初めて御意を得ます陛下。先代ニース辺境伯であります」
居住まいを正し、聖エゼル騎士団の装いで訪問したジジマッチョの挨拶に女王陛下も少々緊張気味である。女王陛下は壮年の騎士が好きなのだ。
「……遠路はるばるようこそ……この国へ公」
ニース辺境伯を名乗っているとはいえ、その実は公に匹敵する存在。敢えて女王は敬意を払い『公』と呼びかけたのである。
「わっはっは!! 何の何の、儂もニースの船乗りの端くれ。王国海峡など一跨ぎ。遠路も何もございますまい」
聖騎士にして海の男でもあるジジマッチョは朗らかに答える。
声の大きなご老体である。些か驚きに表情を硬くした女王陛下だが、その眼差しはとてもやさし気なものとなる。ジジマッチョは父王より若干若いが同世代と言えない事もない。
ここにもファザコン陛下がいたということである。
「さあ、今日は朝まで楽しもうではないか」
「おお、それは楽しみですな!!」
今日は徹夜で飲み会決定である。体力の有り余っているジジマッチョ、宵っ張り生活がデフォの女王陛下と比べ、早寝早起きの健全生活が身についている二人にはやや荷が重い……わけもなく、野営であれば交代で見張りをする事も当然。一晩の徹夜など、命懸けの長時間討伐と比べればなんということもないのである。
供される酒は、サンライズ商会経由で収めたニース産の白ワイン。暖かな内海の魚に会うワインなのだが、この国の魚介料理にも合わぬでもない。
日頃ボルデュ産の渋い赤ワインばかり口にしている女王陛下はスッキリとしていてほのかに甘い白ワインに大いに驚いたようだ。
「これは、シードル……ではないな」
「元々、古帝国時代のワインは甘いものが多かったそうです。ですが、修道院が葡萄畑を開墾するようになると、甘くない方が良いと……」
「ほう。何でも厳しくすれば修行になるというものではないだろうが。舌まで厳しく鍛えたとでも言うのだろうか」
渋みは防腐効果も高いので、保存性を選んだということもあるだろう。また、肉料理には赤いワインが合う。煮込むにも赤ワインの渋みは良い効果がある。肉を柔らかくし、臭みも消してくれるからだ。
だが、素材の良い料理なら、わざわざ渋いワインを合わせる必要もない。
ニース商会の扱うワインや、王国内の様々なワインについて話をしつつ、少しずつ距離を詰めていく。
「そう言えば、リリアルも商会をもっていると聞くが。何を扱っている?」
女王陛下の下問であるから、そこそこまともに扱わねばならない。
「今の商会は、冒険者活動を行う際に作ったもので、『百合工房』という魔導具づくりを主とするものになります。実体は、リリアル学院にある鍛冶師や薬師が作った商材を扱う商会になるでしょうか」
「なるほどな。そういえば、お前たちは薬師・錬金術師も務めているのであるか。騎士と冒険者だけでなく、いろいろ手を広げたのだな」
手を広げたのではなく、気が付けばいろいろな仕事を王家から投げられていただけの話なのだ。言いがかりも甚だしい。
「リリアル副伯領を賜りましたので、副伯家の商会を立ち上げる予定でもあります」
「なるほど。商人としても才覚があると言うことか。何でもできて羨ましいぞ」
確かに、彼女は次女としてどこかの商人へ嫁ぐ前提で様々なことを学んだ経緯がある。とはいえそれは器用貧乏と呼ばれるようなものであり、魔力量に恵まれていること以外は、素人の手慰みというべきものに過ぎない。
決して何でもできる等と本人は思っていない。
「そうじゃな。魔導船も手掛けておるしな」
「……ふむ、噂には聞いているが、魔力で船を動かすとか。櫂を人力でなく魔力で動かすようなものか」
女王陛下の頭の中には、魔力で『櫂』が動き船が進む絵が浮かんだようである。
「「「……」」」
彼女も伯姪もジジマッチョも女王陛下にどうこたえるか思案するのである。
「陛下。魔導船の推進力は、水車によります」
「む? 水車だと」
「はい。川であれば、水の流で水車を動かし、歯車を通じて動力に変換するのですが、その逆を魔力を用いて行うのです」
水車を魔力で動かし、水を掻いて前に進むのが魔導外輪である。しかし、良く考えれば、川の無いところでも水車を動かす事が出来ると考えれば、魔力だけで様々なものを動かす事が出来そうである。
鍛冶に用いる鞴、あるいは排水用の揚水機。鉱山では地下水の排水がとても重要であり、深く掘れば掘るほど揚水が必要となる。今は奴隷や使役動物により揚水機を動かしているが、魔力で動かせるようになれば大きく生産性も改善できるだろう。
彼女は帰国後行う仕事の中にこれを加えた。
「なるほど。その技術……」
「お譲りする事は出来ません。国王陛下の裁可でもございませんと」
「であるか」
女王陛下は大変残念そうである。しかしながら、魔導船は王国海軍でも未だ少数しか提供していない戦略兵器。王弟殿下・王太子殿下の旗艦と一部の小型軍船に装備し、国内の機動・輸送用に生かそうと考えている段階だ。
これが連合王国となれば「私掠船」に転用することは目に見えている。
海賊船が優速を保ち、風の影響を受けずに自由自在に移動し襲撃してくるとなれば、王国の商船にも大きな被害が出るだろう。
まして、女王陛下の威光は私掠船の船長たちに行き届いているとは思えない。王国に対して使うなと命じたとしても、目先の利益のために無視をすることは目に見えている。ならば最初から断るのが最善という者だ。
「いずれ、小型のものであれば……献上することも可能かもしれません。行幸用にお使いいただける程度の川船になるでしょうが」
「そうか。王国と我が国は末永く友邦であることを望むぞ!」
ある程度魔導船が王国で建造されれば、ミニチュアサイズの魔導船を一隻建造することは難しくないだろう。動力源を作るのは老土夫ほどの技量を持つ魔導鍛冶師でなければならないし、連合王国内にそのような鍛冶師がいると言うことは寡聞にして聞かない。
後発の国は、その船を作るだけでなく運用方法も新しく学ばなければならない。そのノウハウを王国は提供することは無いので、仮に劣化コピーを作ったとしても、習熟には時間も費用も必要となるだろう。
潜在敵とはいえ『絶対無理』等と口にして関係を悪化させる必要はない。嘘ではなく方便というものだ。
未来は不確定だ。だから、可能性がゼロでなければ嘘とは言えない。
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「ほう、これは……蛸か」
「正確には蛸型クラーケンの触腕になります。賢者学院を襲った一体から得たものを今回、王宮の料理人に調理させました」
女王の問いに、給仕役の侍女が伝える。目の前で侍女が毒見をし、女王はそれを確認し自らも口に入れる。
「む……固い……いやこれは……」
「魔力が多いのでしょう。こうした魔物の肉は、魔力を高める効果があり、魔力を体に循環させることで疲労を軽減させることができますぞ」
「なるほど。魔力持ちの騎士や傭兵が魔物を好む理由が理解できた」
ジジマッチョがモリモリと食すのを見て、女王は深く頷く。既に食べ飽きている彼女と伯姪だが、女王陛下の料理人の腕前を楽しみに口にする。
「……これも……あのソースね」
「紫蘇とレモンが加えてあるのでしょう。少し、違うわね」
『あのソース』とはご存知「ミントソース」である。蜂蜜を加え若干甘酸っぱい風味に、胡椒が隠し味でピリリとしている。さっぱりとしていて悪くない。
「白ワインに合うように仕上げたとのことです」
「うむ、確かに。もう少し、柔らかく仕上げても良かったがな」
硬い肉なら、もう少し包丁を入れて筋を切っておいた方が良かったのかもしれない。蛸に筋があるのかどうかはわからないが。
砂糖好きの女王陛下は、虫歯が多く歯が悪い。砂糖で磨いてすらいるのだが、何故塩を使わないのか疑問ではある。
甘いもの好きすぎではないでしょうか? 砂糖は高価であり、それを存分に使えるというのは、金持ち的ではあるのだが。
「しかし、クラーケンとはどのくらいの大きさのものであったのだ」
ふと興味本位で女王は彼女達にクラーケンの大きさを質問する。
「たしか、頭の部分が10m、足が10mほどで、足の太さが……」
「直径で1mくらいはあったわね。斬り落とした断面が」
「……1mの太さ。まるで巨木ではないか」
直径数mの樹齢が何年になるかわからない木も存在するが、直径1mの樹木は十分巨木と呼んでよいだろう。
「そのような巨大なクラーケンをどのように倒したか、参考までにお聞きしたい」
今まで聞き役に徹していたビル・セシル卿が珍しく口を開く。
「最初に、土の魔術で拠点である領主館の外側を覆い、簡易の城塞に仕立て上げ、屋上に陣取りました」
「……は……」
元々領主館や礼拝堂と言った石造の施設は、簡易の城塞としての機能を持たせているので、その構造上、砦として防御拠点にするのは理解できる。だが、それを更に土魔術で補強するとは思わなかった。
「で、では事前にそのように変更していたの……」
「いえ」
「戦闘が始まるほんの少し前よね? いつものことですもの」
「そうね。私たちはいつも少数で多数に対峙する事が多いのだから、こういう防御施設を作ることはかなり上手です」
「私たちというより、主にあなたよね」
「ふふ、否定はしないわ」
癖毛やセバスも遠征時には即席の防御拠点を作るために土魔術を行使させられることがあるが、あの二人は共に『土』の精霊の『加護持ち』である。その二人が、ふうふう言いながら仕上げる簡易城塞を、涼しい顔で瞬時に仕立てるのは、彼女にとって慣れた仕事の範囲だ。
「そう言えば……」
「それは口外しないでちょうだい」
ポンスタインで北部諸侯軍の幹部を殲滅した際も、同じことを行っている。野営地を襲撃することも、リリアルではいつもの仕事の範囲だ。幹部を狙い撃ちにして処すこと含めて。
伯姪のポロリに彼女は釘をさす。視線で謝罪する伯姪。
「そ、それでクラーケンをどのように」
「失礼。領主館を素通りしてクラーケンは賢者学院の外壁へと迫りました。そこで、私が『聖雷炎』を放って動きを止め……」
「ま、まて、待たれよ。『聖雷炎』とは……なんだろうか副伯閣下」
「聖なる炎を纏った雷の球のことです、セシル卿」
彼女をよく知る伯姪とジジマッチョは澄ました顔だが、女王とその臣下の者たちは、給仕役の侍女、あるいは警護役の衛士含めて息をのむのである。
「……聖なる炎……か」
「そう呼んでおります。不死者にも良く効く魔術ですので、とても役に立つのです」
リリアルが魔物、特に不死者討伐において王国内で功績を立てつづけているという話はリンデの王宮でも聞かれる噂話の一つである。ミアン攻防戦、聖都周辺に現れた不死者、あるいは、王都地下墳墓に現れた不死者の討伐。それは、少なからず舞台化されたり物語として流布されている内容だ。
「それで……クラーケンは……」
「大変大きな魔物ですので、聖雷炎で動きを止め、その上ですべての触腕を斬り落とし、最後にこう……魔力で延長した刃で上から切り伏せました」
「はぁ」
セシル卿か再び固まった。たしか、10mはある巨大な蛸であったはずだ。つまり、10mの高さより上から魔力で巨大化させた刃を振り下ろし、真っ二つに切裂いたと目の前の少女は語ったのだ。
「俄かには信じられん。だが、恐らく、賢者学院から同様の報告が……
なされるのであろうな」
「そうかもしれません」
「であるか」
「でありますな」
賢者学院防衛戦に参加していたジジマッチョは「間違いない」とばかりにいい笑顔で頷く。その顔を見て、女王陛下も納得したようだ。ジジイに対する信頼度が高すぎる!!
ビル・セシル卿は父王時代の末頃には王宮に出仕していた生え抜き。姉王時代を除き、王宮に長くその影響を与えている存在。これも同じファザコン枠かと彼女と伯姪は納得する。常に側に控え、セシル卿の城館に滞在することもしばしばとか。
そして、若い男は……父親の若い頃を彷彿とさせるヤンチャな騎士かぶれの男を好む。重度のファザコンと彼女は判断した。
蛸話をしばらくした後、多少知的な話へと移行する。食事が終わり、食後のデザートとお茶の時間である。
「そうだな。リリアル副伯、ニース卿、それに、ニース公。今後、公の場の他では『リザ』と呼んでもらいたい。私も、アリー、メイ、ジジ様と呼ばせてもらおう」
「へ、陛下」
「ビル卿、畏まっていては深い話は出来ぬ。それは、卿もわかるであろう」
「ですが、女王である者として」
「女王である前に一人の人間であるな。人と人とが真に語ろうとするのであれば、地位や肩書は不要。断頭台の前では、貴族も平民も関係ない。
そういう話をしたいのだ」
ビル・セシルはしばらく沈黙ののち、「承知しました」と答える。
「さて、ジジ様」
「ん、なんじゃリザ」
ジジマッチョに名を呼ばれ、アラサー女王は感極まったような顔をしている。久しく愛称を呼ばれることはなかったのだろう。まして……自分の父のような存在に。
「ジジ様は、ニコル書簡について読まれたことはありますでしょうか」
「ふむ。あるな」
ジジマッチョの答えに、女王は嬉しそうに微笑んだのである。