第754話 彼女は女王陛下の書状を受け取る
第754話 彼女は女王陛下の書状を受け取る
女王からの書状。表向きは「リンデに戻ったのであれば、王宮に顔を見せにこい」といった内容であった。こちらもそのつもりであったのだが、向こうから呼んでくれるのであればお伺いを立てずに済むので面倒が無くて良い。
「リリアル閣下。既に、神国の東方公ジロラモ閣下はご帰国されました」
「それは……」
「おそらく、北部諸侯の反乱を事前に知らされていたものだと思われます。今頃は王国海峡を抜け、南下しているころでしょう」
王国海峡とは、白亜島と王国の間にある海域のことである。ジロラモを載せた神国軍船は既にレンヌの沖辺りを航行しているのだろうという。
「王弟殿下はそれで王宮に残されていると」
「然様です閣下。おそらく、王弟殿下の身柄を質に、自らの亡命を認めさせる腹積もりだと思われます」
既に北部諸侯の反乱は半ば瓦解している。実働部隊の指揮官を彼女達が皆殺しにしたからだ。リンデ迄押しとおる心算で編成された軍である。戦場経験も豊富で、指揮能力に優れた将軍とその側近たちであったろう。
それを一斉に処されたのであるから、現場の残存兵たちは一目散に敗走したであろう。敗走というのは、只負けたというだけではない。兵は戦わずとも消耗するし、装備や資材の類も放棄されることがほとんどだ。
人だけ戻ってきたとしても、失った装備や資材は一朝一夕に再度整える事は出来ない。
一年二年ではなく、五年十年かかるかもしれない。反乱を起こした諸侯にはそれなりの処罰が為さるであろうし、再軍備するにも相応のペナルティが生じるだろう。そもそも、甲冑武具を自給できるも思えない。その供給は中部から南部にかけての都市が多くを担っている。商売とはいえ、金さえ払えば幾らでも納品するとはならないだろう。
「亡命はともかく、北部での戦況については私たちの知る範囲で最新の情報をお伝えできるでしょう」
「おお、それは女王陛下も喜ばれるでしょう。ポンスタインは未だ陥落しておりませんか」
「ええ。攻めあぐねた末に、恐らくは撤退することになるでしょう」
「ならば、暫くリンデも安心でしょう。私も、今晩は久しぶりに熟睡できそうです」
「なら、良い寝酒を土産にいたしましょう」
彼女はニース商会謹製の蒸留酒を一瓶、大使に持たせることにした。
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翌朝、『新王宮』へ向かう事をリリアル勢に伝える。
「全員で行くわけではないわよね」
「私とあなたは行くわ。それと……」
茶目栗毛と灰目藍髪を同行させる。碧目金髪とルミリは城館でお休みとすることにした。賢者学院での滞在もそうだが、その往復行も相当の負担があった。ルミリは相当の負担であったろうし、姉貴分の碧目金髪もそれなりに負荷を受けていただろう。なので、今回は留守居とする。
「しっかり休養しますぅ」
「お気遣い感謝いたしますわ」
「私たちも王宮から下がったらゆっくりしましょう」
ホッとする二人を横目に、伯姪も休みを所望する。が、既に親善大使が滞在する必要性は希薄になりつつある。事は生じている。神国と王国の王子が滞在することで反乱を抑制するという目的は既に消失した。つまり、もう、用済みなのだ。いつまでも滞在していては別の問題が生じる。
「その後は、王国へ戻る準備ね」
「王弟殿下は……よろしいのでしょうか?」
「よろしくないわ。でも、今回の話がうまくいけば、女王陛下も王弟殿下を手放して下さるでしょう」
王国と連合王国が友邦となることはない。少なくとも、聖王会が存在している間は教皇庁側に立つ王国とは相いれないことになる。王配となる為、王弟殿下が棄教するのであれば、王国は教皇庁に対して如何に申し開きをするかということになる。
神国を刺激し、ネデルの戦力を王国に向ける可能性すら生じる。
「そろそろ潮時でしょうか」
「ええ。それを、王弟殿下が認識しているとは思えない。なので、お迎えに伺うと言うことよ」
王弟殿下には「北部諸侯の軍がリンデに侵攻する可能性」を示唆し、既に、ジロラモ閣下が帰国したことを伝えれば、王弟もその側近たちも退避することを拒否しないだろう。
帰りは、聖エゼル海軍の魔導外輪船で送ると伝えれば、喜んで戻ることだろう。カ・レまでであれば、リンデから半日で到着できる。王弟殿下一行は帰り道で帰国を祝う貴族たちの歓待を受けつつ王都へ戻ることになるだろう。当然、彼女達はさっさと帰る。ルーンの手前で自前の魔導船に乗り換え、二日も有れば王都に戻ることは可能であろう。
もういい加減、リリアル学院へ戻りたいとリリアル勢の全員が思っていた。
「リリアルの食堂のご飯が食べたいですぅ」
「フィナンシェが欲しいですわぁ」
フィナンシェは、商会の菓子工房が失敗作をリリアルにくれるので、常に潤沢にある。一期生は既に食べ飽きているのだが、二期生、三期生の間ではまだまだ大人気である。子供は甘いものが好き。
「この国のエールも飽きたしね」
「水が美味しくありませんね」
帝国もであるが、連合王国も水の美味しい場所が少ない。リンデは特に古い大都市であり、人口も多く水の供給もあまりよろしくない。リンデ郊外のシャルト城館を宿としたのも、その辺りの問題があるのだ。自給自足前提の元修道院であるから、水源も確保されている。
「では、行ってくるわね」
姉とジジマッチョ団は、手持ちの商品をサンライズ商会経由で売り捌くため、朝からリンデの市街へと向かっている。留守居である碧目金髪と赤毛のルミリに帰国準備を任せ、彼女ら四人は女王陛下のお迎えの馬車に乗り、新王宮へと向かうのであった。
馬車の車窓から見るリンデ周辺はやはり浮足立った空気が流れていた。北部諸侯の軍が**まで迫っているといった怪情報が流れているようで、身支度も早々にリンデを離れる富裕商人一家の馬車などが荷物を満載に東や南へと向かう様子が見て取れる。今日はリンデ橋も大混雑であろうか。
「ふふ、この後どうなるのかしらね」
「さあ? 姉さんたちは張り切っていたので、上手く混乱に乗じて一儲けしているのではないかしら」
既に売り渋り、買いだめが横行しており、日頃見かけるパイ売りやスープ売りの行商人の姿も見て取れない。貧しいものは住居にキッチンなどないので、基本は買い食い。それも、安い流しの売り子から購入する。その手の小商いの姿が見えないのだから、既に逃げ出しているか引きこもっているのだろう。
「戦争は商売にとって良い機会なのですね」
「そうね。もっとも、海の上では勝手に戦争始めて、商船襲う輩が沢山いるこの国では、日常に近いかもしれないわ」
リンデには、私掠行為で売り払う為の商品も集まってくる。出資者・船・船長と船員もリンデで集まる。リンデの下流域に父王時代に創立した造船所が幾つも存在するからだ。王の所有する軍船も、今では私掠船なのだから。王室を挙げての国営事業ですらある。
巨大な新王宮とその敷地。あちらこちらに、父王の作った小迎賓館が建てられており、往時は多くの愛妾やら一夜の相手を住まわせていたと言われる。今では、王宮に滞在する廷臣や外交使節の宿泊所となっているのだが、人の気配もまばらとなっている。
「既に神国の王弟閣下一行が旅立っているから、閑散とし始めているのかしらね」
「女王陛下の側近中の側近たち以外は、逃げ出しているのではないかしら」
宮廷をにぎわせていた諸国の大使や其の随行員、あるいは、女王陛下の歓心を得て出世の糸口としたいと考えていた下級貴族や郷紳層も、身の危険を感じ王宮から立ち去っているのであろう。
すると、一台の馬車が猛スピードで出口に向かい走って行くのが見て取れる。
「ちょ、あれ」
「……殿下の馬車ね」
王国の紋章をベースとする王弟殿下の紋章入りの馬車。魔装馬車であるので動きが軽妙である。こちらは女王陛下のよこした馬車なので、王弟殿下一行はこちらを見ていないだろう。ちらりと並走する護衛の騎士の顔がルイダンであると彼女も確認していた。
「間の悪いお方ですね」
「そうよね。どうせなら、最後まで女王陛下の側にいればいいのに」
「……それはそれで、陛下も王国も困ると思うわ」
王弟殿下がヘタレであることは間違いのない事であり、女王陛下の側に居座られても迷惑な話なのだが、傍から見れば「美談」であり、これで北部諸侯軍を撃退できるなら(ほぼ確実)、王配に相応しい勇気ある御仁と周囲から見なされ、そのまま婚姻へと進みかねない。
王弟殿下が聖王会に宗旨替えされるのも王国的には困るし、連合王国と神国・ネデルの対立に正面から巻き込まれかねない婚姻成立など、迷惑でしかない。
ジロラモ閣下の帰国より後まで王弟殿下が粘った程度で終わらせてもらう方が王国と女王陛下の為でもある。婚姻なんて面倒事しか起さない。
「王弟殿下の馬車とすれ違ったことは、見なかったことにしましょう」
「「「承知(しました)」」」
女王陛下に話を振られても、知らぬ存ぜぬで通そう。気が付いていたとしられれば、それはそれで気まずいのである。
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正面玄関で下車すると、正面には女王陛下の侍従と共に、前王国大使であったフランツ・ウォレス。今は、女王陛下の最側近であるビル・セシルの秘書官のような仕事をしている。宰相補佐的な役割だろうか。
「お元気そうで何よりですリリアル閣下。ニース卿も」
「おかげさまで」
「あなたはお疲れのようですねウォレス卿」
伯姪の切替しに、いつも薄っすら笑みを浮かべている男が一瞬顔を硬直させる。実際、目下には濃い隈ができており、睡眠不足と疲労の積み重なりが見て取れる。女王陛下の側近たちはこの数日、情報収集と分析を重ね続けており、不安と疲労から同じような状況になっているのだろうと推測できる。
それはおそらく、女王陛下も同様。明け方まで会議を行い、昼過ぎまで寝ている事が当然の女王陛下が、やや遅いとはいえ昼前に彼女達を呼び寄せるというのは、緊急事態であることが明らかである。
その事態は既に遠のきつつあるのだが、リンデには未だ伝わっていないということだろう。騎馬での伝令を重ねても、あと一両日はかかるはずだ。全力疾走の馬はかなり早いが、その速度を五分と維持することはできない。駅伝を活用するとしても相応に時間はかかる。
「賢者学院はいかがでしたでしょうか」
「……大変興味深い施設でした。賢者の皆様にも大変良くしていただきました。感謝しております」
「それは良かった。ですが、北部諸侯の反乱の影響はありませんでしたでしょうか」
ウォレス卿の聞きたかった本命はおそらくこの事だろう。リリアル勢が無事にリンデに帰還したという事は、賢者学院を含め北部諸侯の反乱の影響は未だ不十分であると良い話を聞きたいのだと推測する。
「ふふ、賢者学院は健在です」
「けど、巨大クラーケンが三千匹くらいの半魚人を引き連れて襲撃してきたわ。多分、北部諸侯とその後ろ盾の勢力が使役して送り込んだのでしょうね」
「……は……三千、クラーケン? 襲撃!!。ぶ、無事……」
三千匹の半魚人を率いたクラーケンの襲撃。ウォレス卿は発作を起こしそうな顔面蒼白となっている。気絶するのではないだろうかと彼女は一瞬気になる。
「多少外壁の損傷もありましたが、人的損害はほぼありませんでした」
「ほ、本当でしょうか」
「ほんとほんと!! なんなら、クラーケンの肉献上しましょうか?」
「ぜ、是非。陛下にもお話しください」
ウォレス卿は思い出したようだ。目の前にいる少女たちは、リンデの宮廷に現れる口先だけの武勇を誇る騎士擬きや貴族の子弟、あるいは女王の愛妾擬きではなく、本物の「竜殺し」であることを。
そして、ミアンの地で僅かの手勢を指揮し万余のアンデットから街を守り、救援が来るまで持ちこたえた生きた英雄であるということを。
今まで自分たちが仕掛けた嫌がらせや罠、あるいは王国民を毀損する行為に気が付いている事も、思い出したのである。
ウォレスはどこぞを縮みあげながら、こわばった表情を取り繕いもせず女王陛下の待つ一室へと彼女達を案内する。一転し、その間は沈黙を貫くのである。
通された部屋は謁見室でも会議室でも応接室でもなく、女王の恐らく私的なサロンであろうか。調度も落ち着いており、居心地の良い調度で整えられている部屋であった。
入室すると、まるで十年来の友人の様に笑顔で出迎えてくれる。本心からではないだろうが、いまここで彼女達に警戒心を持たれることは得策ではないと考えているからだろう。ネデルの原神子信徒の他、多少とも頼れるのは王国くらいのものなのだ。
「久しいな。急な呼び出しに良く答えてくれた」
「賢者学院より昨日帰還いたしました。陛下のご威光もあり、賢者学院では大変良くしていただき感謝しております」
「それは良かった。どうやら、あちらでもなにやらあったようで、賢者たちもそなたらに大変感謝をしていると手紙に記してあった。これこの通り、感謝するところだ」
居住まいを正すと、座ったままではあるが深々と頭を下げる女王陛下。周囲の側近や侍女たちが「おやめください」「陛下」等と声を掛けているが、女王は最敬礼を止めることは無かった。
「私たちはできることをしただけです。お気になさらずに」
「……ふぅ。できることか……羨ましい限りだ」
よくよく見ると、女王陛下の顔はいつも以上の厚塗り化粧である。恐らくはウォレス卿同様、いやそれ以上に顔色が悪いことを隠しているのだろう。
「そういえば、貴国の王弟殿下が先ほど出られたようだが、すれ違わなかったであろうか?」
やはり、と思うのであるが彼女は「いえ気が付きませんでした」とだけ答えるのである。