第747話 彼女は水の賢者を追い詰める
第747話 彼女は水の賢者を追い詰める
賢者学院の教授館の一室。学院長をはじめ、各精霊派の幹部教授たちが集まり、今後の話し合いをしている。
そこに、学院を退去する挨拶にリリアル副伯が伺うと言うことで、一先ず全員が彼女の挨拶を受けることに賛同した。
「皆様、このようなご多忙な時期に訪問したこと、心苦しく思っております」
「いいえ。こちらこそ、魔物の襲撃などという予期せぬ出来事の対応にご協力いただき、感謝の念もありません」
学長の返答に、火派・風派の防衛戦を主に戦った教授たちから感謝の言葉と賛辞が重ねて贈られる。
「特に、副伯殿があのクラーケンをほぼ単独で討伐されたとか。いやはや、聞きしに勝る武威でありますな」
火派の教授は、スポンサーであるノルド公を潰したのが彼女であることを知ってか知らずか、もろ手を挙げて賛美する。単なる脳筋賢者なのかもしれないが。
「いいえ、然程のことではありません。クラーケンとはいえ元は蛸の魔物。亀や鰐のような強固な外皮を持つものから変化した竜種と比較すれば、大きさと腕力以外、特に見るべきところはありません」
「た、確かに竜種と比較すれば素の外皮の硬度は低いかもしれんが、魔力を纏った巨大な肉体は、魔術を弾き、強力な再生能力を持っている分、倒しにくいのではないか!!」
恐らく水派の幹部賢者であろう。苦々しげな表情で彼女に反論する。
「そうですね。とはいえ、相手が纏う魔力以上に強い魔力を纏わせた装備で叩き切れば、相殺され破断させることは問題ありません。それが出来うるだけの修練をするかどうかでしょうか」
「「「「……」」」」
力のリリアルに技の賢者は勝てないようだ。本質的に、魔術師ではなく、魔力を纏う戦士なのであるから、話が噛み合うはずもない。ひとしきりクラーケン討伐の話をしたのち、彼女は話しを変える。
「実は、皆様にお知らせしなければならない重要な事柄があります」
彼女は神妙な表情を作り、話しを続ける。
「あのクラーケンは、北王国の海浜部から半魚人を伴いこの島を目指してやってきたのだと言うことです。そして、そのクラーケンを操っていた別の存在がいることがわかりました」
彼女はさりげなく水派の賢者、アマダイン師らの顔色をうかがう。師は流石に顔色一つ変えないが、若手のファンソラス辺りは挙動不審となっている。
「ほう、それは興味深い」
「なにか証拠でも出ましたか」
彼女の真意を伺うように、幹部賢者たちが話の先を進める。
「クラーケンは別の『魔物』……いえ、精霊に操られていました。その精霊は私たちが捕らえているのです」
「「「「はあっ」」」」
魔物を操る精霊を捕らえた――― あまりにも予想外であったのか、賢者らしからぬ声が幾人からか零れ出る。声に出さなくとも、大半の出席者は驚きを隠せない。それは、水派も同じである。恐らく理由は全く異なるだろうが。
「精霊を捕らえる。それは何の精霊でしょうか。人間との会話は可能なのですか」
同じようなことを口にしようとした何人かの参加者。
「いや、そもそも、リリアル閣下は精霊とのコミュニケーションができるのですか」
若手の幹部から揶揄するような口調で質問が為された。
『アリーはリリの友達。それに、臭いおじさんたちより、ずーっとすきー』
突然目の前に現れたピクシーの姿に驚く幾人かの賢者。事前にその気配を掴んでいた者からすれば、件の質問者などは「賢者の風上にも置けない」と内心馬鹿にされていたことだろう。
「リリは、つい最近、この近くで知り合った妖精で。元はインプの姿にされていたのです。ご存知でしょうか、ボアロード城の麓には先住民の戦士・貴族の墓所があるのです。そこで助け出しました」
ボアロード城の名前を聞いて、顔色の変わる幾人かの水派の賢者。半魚人の襲撃の話の際は上手く隠せたようだが、この話は不意打ちであったようで表情を作れなかったようだ。
複数の魔物を利用した侵攻時の支援作戦も、当然関係する者たちには知らされていたことだろう。知らずに派遣されていたのなら、並の賢者や賢者見習では鍪殺されていたに違いない。協力者は、最初からリスクを避けられるように情報共有させていたのだろう。
「そうですか。是非、その精霊? ですか。見てみたいものですな」
「そのつもりです。いま、呼びに行かせておりますので、少々お待ちください」
彼女がそう話すと、別の参加者から質問が飛んできた。
「と、ところで、昨日現れた緑十字を掲げた帆を持つ軍船はいかなる関係の船なのでしょうか。閣下の持ち船であられますか」
彼女は首を横に振りつつ、答える。
「あの船はニースの聖エゼル海軍にリリアルが提供する軍船のうちの一隻です。ですが、同型の先行試作船を有しています。実は、この国を訪問する際にも利用しようと考えたのですが、人数が少ないので、より小型のものを使用しました」
実は、今日の午前中、習熟訓練と称し、学院から見える湾内で魔導外輪船の試運転を行ったのである。前進と後退、その場での信地旋回と帆船はもちろん、ガレー船でも行ない機動性を示してみせた。
「あれは、土夫の技術を転用したもので、門外秘です。この学院にもありますよね」
彼女達は有用な賢者学院の技術を学ぶ機会は与えられなかった。故に、お前たちも聞くな……という意図を込めて言葉を選んでいる。当然のこと「賢者」故に、その意図は間違いなく伝わり相手は沈黙する。
「王国は魔導騎士のような強力な戦力を海上においても有したと言うことですね」
「ええ。先日も、女王陛下のお気に入りの海賊を拿捕して、カ・レに拘留しました。この国の私掠船が、いつまでも通用すると思わない事です」
この席にはリンデ王宮と繋がる勢力の賢者も存在する。海賊狩りなど頻繁に行う気はないが、王国との海峡の対岸の港街は、私掠船の母港となっている場所も多い。
いきなり、バンと扉が開き、姉と従僕の山羊助、そして、青みがかった長髪の女性が姿を現す。
「おまたせー」
「……姉さん。案内を受けなかったのかしら」
「ん? いやほら、今いいところだったから慌てて話に加わろうかなって思って。私掠船の母港を焼き討ちする話じゃないの?」
神国だけでなく、連合王国の港街でも、原因不明の火災旋風が吹き荒れる可能性が高い。この後すぐ!!
「閣下、こちらの女性は……」
「大変失礼しました。私の姉であり、ニースの聖エゼル海軍の関係者です」
「はーい。妹ちゃんの姉のアイネ。正確に言えば、聖エゼル海軍提督、
ギャラン・ドゥ・ニースの夫人である、アイネ・ドゥ・ニースです☆」
そして、しばらく考えてからこう付け加える。
「もうちょっとすると、ノーブル伯爵に叙爵されます。よろしくね!!」
王太子の王都復帰と成婚のタイミングで王都の代官職を父は引退、姉に爵位を継がせた後に陞爵し、ノーブル伯領を得ることになる。ちなみに、父親は南都及び王太子領の総代官職を務めることになる。
「お父さん、総督閣下になるみたいね」
「それは、凄いのかしら」
「すごいすごい。権限は公爵並みだから。まあ、安月給だけど」
公爵並みの総督は月給制ではない。身内で盛り上がる姉妹への
視線が厳しくなる。
「おほん。姉さん、ではそちらのお二人を紹介してもらえるかしら」
「勿論だよ!! えへん、そっちの濃いおっさんが山羊助」
「マッダームゥ、私の名は『カペル・アドユート』です」
「そうそう、だから山羊助」
「……」
そいつはどうでもいい。
もう一人の女性がおずおずと前に出る。彼女と同世代に見えるまだ少女と呼んでおかしくない外見。少々見慣れない、百年戦争の頃流行ったと言われる、滅んだ東の古帝国風の衣服を身につけている。
「この娘がスキュラちゃんです」
「「「!!」」」
彼女も一瞬驚く。先ほどまでの触腕で会った下半身が人間のカタチと変わらぬ足になっていたからだ。
「姉さん」
「なにかな、妹ちゃん」
「幻視を施しているのかしら」
視線でスキュラの足に目を向けると、姉に説明しろと促す。
「ちがうちがう!! この子も山羊助と同じだよ。私と精霊の契約? 祝福を与えた代わりに、私の魔力をぶち込んだら……こんなんなりました☆」
「マッダームゥ、私の名は『カペル・アドユート』です」
正直ドウデモヨイ。
スキュラは魔物ではないかであるとか、そもそもスキュラではないかもしれないなど、様々な会話が錯綜するが、本題はそこではない。
「重要なのは、彼女……『フェミーナちゃんです』……フェミーナがとある国によって使嗾され、この島を襲撃したということにあります」
再び会議室は凍り付いたように固まるのである。
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襲撃失敗で不安になっていた水派の若手幹部賢者たちは、彼女の話を聞いて動揺が隠せなくなり、口々に証拠がない、根拠を示せなどと詰問し始める。他国の親善副大使、特に副伯であり王国副元帥である彼女に失礼も甚だしい。幹部賢者とはいえ、所詮この国では郷紳層に数えられる存在に過ぎない。
「お静かに。それでは、その根拠を示させていただきます。スキュラであるフェミーナさんが、そう証言したからです」
「何を馬鹿な」
「魔物が嘘をついているかもしれないではないか!!」
「そういうように仕込んだのではないか、誰とは言わぬが」
言いたい放題である。そもそも、神国と連合王国は姉王時代とうってかわって敵対している。宗派違いの問題に加え、ネデルの内乱において原神子派諸都市を連合王国の商人・貴族が支援していることもある。ネデルに向かう神国商船を攻撃し拿捕、その積荷を奪い、ネデルの市場で売却している。泥棒の上前を撥ねる泥棒と言えばいいだろうか。
それに対して、神国は表立って直接戦争をするのではなく、友邦である北王国とその影響を受けている北部諸侯を使嗾し、現在進行形で南進中と言われている。
そして、賢者学院の魔物による襲撃も、その作戦の一部であると考える方が、関係ないとするよりも余程信憑性が高い。
「フェミーナさん、では、あなたがここに至る経緯を、内海で捕らえられたところから簡単にお話しください」
『わかりました。只今ご紹介に預かりました、スキュラのフェミーナと申します』
彼女が昨日会話した時よりも、随分と人間らしい発音となったスキュラは、彼女に話したのと同じように説明をし始めたのである。
内海から連れてこられたスキュラは、北王国に棲みつく蛸型クラーケンとその配下である半魚人を率いて、賢者学院のあるディズファイン島を襲撃・占領して新たなる住処とすることを命じられたと説明する。
「し、しかし、我等と北王国は、そ、それなりに友好な関係を築いてきたではないか」
「然り!! 二つの国は長年争ってきたが、賢者はその仲立ちも務めてきたではないか」
とはいえ、国家に真の友人無しとも言う。利害が一致すれば協力するであろうし、そうでなければ敵対する。今は利害が一致していないというだけであろう。
「ですが、皆さんお忘れなのではないでしょうか」
「何がです? なにか我らが忘れていることがあるとでも」
彼女は小さく溜息をつき、言葉を続ける。
「精霊は都合の悪いことを黙っている事はありますが、嘘を言う事はできません。つまり、フェミーナさんのお話は、彼女にとって事実なのです。彼女は魔物でも妖精でもなく、太古に呪いを掛けられた精霊巫女の一人。幸い、姉との関係により魔物である面は封じられているのでしょう」
「そうそう。お姉ちゃんの妹愛は魔物化した精霊巫女も癒すんだよ!!」
姉、ただ単に妹愛を語りたいだけだと思われる。とはいえ、亜神とも称される古の魔女の力を上書きする姉の魔力。愛が重たすぎる。
「それでも、賢者を滅ぼすなど……」
「滅びませんよ。四つの精霊派のうち、水以外が皆殺しとなるだけです。水の精霊の加護ないし祝福がある者は、スキュラであったとしても半ば水の精霊巫女であるフェミーナさんは殺せませんから」
使役されているクラーケンもその配下の半魚人も、フェミーナの眷属であり、水の精霊の感覚を共有している。水の精霊の影響下にある賢者は、敵と認識されない。
「それなら、私たちも襲われなかったんじゃない?」
「だから斬り込んでも問題なかったの。攻撃されて初めて敵と認識されたのよ」
ワスティンの森の中にある泉に潜む水の大精霊『ブレリア』から、リリアル勢は『祝福』を受けている。また、赤毛のルミリと灰目藍髪もそれぞれ、水の精霊の加護持ちである。
「思い切り斬り込めばよかったですね」
「魔力が持ちませんよ我々の場合」
従者の二人が小声で確認するかのように会話する。
彼女の話を聞き、会議室の空気が一変する。水派とそれ以外の派閥の賢者たち。水派の賢者たちを他の派閥の者が責めるような視線を向け始める。
「では、今の話を聞いて、どのように思うか忌憚のない意見を交わすことにするのですぞ」
ほっほっほっと取ってつけたような笑い声と、攻めるような視線を水派賢者の席に向ける学院長グシンティ総師。独り言のような質問が、次々と土派・風派・火派の賢者たちから次々と水派の賢者たちに放たれる。
「まて、誤解だ」
「うがった見方をするでない!!」
席を立ち詰め寄る者まで現れ、幹部賢者の話し合いは混とんとするのである。