第744話 彼女は巨大蛸と対峙する
第744話 彼女は巨大蛸と対峙する
巨大蛸型クラーケンの体高は恐らく10mほど。領主館の半ばほどであろうか。とはいえ、蛸は腕がかなり長い。腕を伸ばせば、賢者学院の防護壁は勿論、領主館の最上部にも届くだろう。
『ありゃ、そのまま防護壁に圧し掛かられたら』
「壁が崩壊して、半魚人を引き連れて中になだれ込むでしょうね」
そうなれば、リリアル勢は魔導船で逃走するのみ。
鞭のように振り回す腕が彼女にあたる直前で見えない壁に弾き飛ばされる。十分な魔力を込めた全身を覆うほどの大きさの魔力壁の盾。並の大きさならば魔力壁ごと叩き潰された可能性がある。
『竜とどっちがすげぇんだ』
「どっちもどっちよ。けれど、蛸の心臓ってどこにあるのかしら」
『ニース人は詳しいんじゃねぇの。蛸食べるだろ』
内海では蛸を食べる習慣がある。御神子教では「悪魔の魚」等といい忌避されたりするが、あれは美味いからに違いない。
二度三度と振り回される腕を回避し、彼女はころあいかと振り回された腕にむけバルディッシュを振り切った。
BISHU!!!
魔力を纏った刃が薄っすらと輝き、筋肉の塊のような吸盤のある腕を
ばさりと斬り落とす。恐らく太さは1mほどのあるだろうか。
「意外と斬れるものね」
『自信なかったのかよ』
地面にどさりと落ちた腕が、それだけで別の生き物のように踊りくねる。トカゲのしっぽの様に動いて関心をひくための動作なのかもしれない。
痺れ薬が多少効いたのか、賢者学院へと向かう動きが若干鈍く成る。
一旦仕切り直しとばかりに、再び魔力壁で足場を作り、領主館の屋上へと駆け上がる。
彼女の攻撃を見ていたリリアル勢は、バルディッシュにより斬り落とされた腕を見て何とかなりそうだと若干士気が上がっている。防護壁の上では歓声を上げる賢者たちが見て取れる。
「流石親善副大使ね」
「蛸の心臓ってどの辺りかしら」
「ああ、わかりにくいわよね。あの頭に見える部分に内臓が全部収まっているのよ。真ん中より少し上のあたりね。小さいわよかなり」
全長が20mはありそうな巨大蛸であるから、心臓も1mくらいあるかもしれない。でも相対的には小さい。
「斬れていますね」
「太いから、剣だとかなりきびしいかもしれないわね。頭の部分を切裂く方が良いでしょう」
「痺れ薬が……あっ、腕が再生しました」
「うそでしょぉ」
彼女が今さっき斬り落としたはずの腕の断面から、急速に新しい腕が生えたのだ。なにやら魔力で強制的に生やしたようである。
「魔石持ちね」
「心臓同様、頭の中のどこかにそれがありそうね」
役割分担。彼女が極力腕をバルディシュで落とし、伯姪・茶目栗毛が『頭』を切り刻み、ダメージを与える。灰目藍髪は防護壁へと殺到する半魚人に銃撃を加え続ける。
「急ぎましょう。もう、防護壁がもたなさそうだわ」
半魚人は攻城兵器など持たないのだが、船の甲板によじ登る際に見せる一体の肩に別の一体が乗り、それ積み重ねる形で背中を駆け上がり城壁を乗り越える作戦に出ている。
王都の城壁などと比べれば賢者学院の防護壁は相当低い。四五人の半魚人が重なれば、壁を乗り越えることができそうなのだ。
防護壁上の賢者たちからは、火球が放たれあるいは風で吹き飛ばされる半魚人が見て取れるが、その数よりも背を駆け上る半魚人の数が上回り始めている。
なにやら悲鳴めいた声が聞こえ始めた。まるで、終わりの始まりかのようにである。
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彼女が先頭に、彼女の作った魔力壁の足場を伯姪と茶目栗毛が追走する。
彼女の接近に気が付いたクラーケンは、再び腕を鞭のように振り回し攻撃し始める。
『学習しねぇな』
腕を巻きつけ締め上げる事が得意な蛸だが、自分よりはるかに小さな存在を捕らえることは苦手なようだ。気配隠蔽を掛けた伯姪が、足と頭の中間にある『目』に刺突を与える。
GBORAAAA!!!
体を捻り、腕を目くらめっぽう振り回す巨大蛸。その腕の一つを選んで茶目栗毛が魔力を込めた刃で斬り飛ばそうとするが、半ばまでで刃が止まり中途半端に折れた木の枝のように腕を振り回す際にブラブラと揺れて回る。
「斬り飛ばせなかったわね」
「申し訳ありません」
その中途半端な腕を、彼女がバルディッシュで斬り飛ばす。
『おい、あいつが再生させてるみたいだぞ』
『魔剣』の指摘に背後の海面を見ると、青みがかった長髪の美女が上半身だけ水面から出して、なにやらクラーケンに向けて魔術を放っている。
その魔術のお陰でだろう。斬り落とされた『腕』が見る間に再生されている。
「クラーケンが不死身なのではなく、あの女性の魔術によるものなのね」
『女の姿をした魔物の可能性が高いけどな』
海から上半身だけを出しているように見えるところがそもそも怪しい。半魚人同様、海から上陸してクラーケンと共に移動した方が良いだろうに。
「どうする?」
「クラーケンは私が抑えるから、二人は、あの海面にいる女魔術師を先に倒して。再生させているのは、あれみたい」
「了解よ!」
「倒してまいります」
クラーケンと比べればずっと並の魔物に近い『女魔術師』である。リリアル精鋭二名にかかれば、さほどかからず倒せるだろう。それからクラーケンを始末しても十分間にあう。
『主、露払いいたします』
「お願いするわ」
『猫』が彼女の着地位置を狙って殺到する半魚人の集団を一掃する。魔力を爪に纏わせ、一閃するたびにニ三体のサハギンが倒され、重なっていく。大きさは大型犬ほどになっており、『猫』どころか『豹』ほどもあるだろうか。
『猫』は半魚人を蹴散らし踏み潰し、彼女は海に半身を隠した魔物女の元迄、魔力壁を足場に水上を駆け抜ける。
時折、半魚人がつかみかかってくるが、金属で補強された半長靴で蹴り砕き一気に先へと進む。
『スキュラか』
『魔剣』の呟きを彼女が拾う。
「王国にはいない魔物よね」
『内海にいるが、メッサーラ海峡にいるって話だ』
メッサーラ海峡とは、法国のある半島と内海に浮かぶ『キシリア島』の間にある海峡。マレス島に向かう際は通過することになる。
『メッサーラ海峡は海流の関係で渦を巻く。そこに潜むと言われる魔物……いや魔物にされた古い精霊だな』
本来は水の大精霊であり、精霊巫女といった位置づけだったが、海神を名乗る大精霊に見初められた挙句、その『海神』に横恋慕する女精霊の魔術で魔物にされたという伝承がある。
不死身の魔物とされ、内海の船乗りには恐れられているのだという。
『俺より、お前の相方の方が詳しいぞ多分』
伯姪ならニース周辺の海生魔物に関して相応に知っているだろう。
不死身であるという点から察するに、水の大精霊として身につけた回復の魔術を駆使して、クラーケンの傷を回復させているのだろう。元々再性能力を有する魔物であることに加え、魔術でその能力を加速させているものと推測できる。
「つまり。あの魔術が大蛸に届かないようにすればいいのよね」
『だが、どうやんだよ』
彼女の考えは明確であった。
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伯姪と茶目栗毛のクラーケンに対する攻撃は牽制程度にしかならなかったが、最初にばら撒いた『痺れ薬』の効果が表れ始めたようである。体表が白く変色し振り回す腕の動きも鈍化している。
「ねえ、そこのあなた。スキュラなのかしら」
『……』
魔力壁に乗り、頭の上から彼女はスキュラに話しかけるが、相手は無視をしている。
「あのクラーケンを回復させ続けるのは辞めてもらえない?」
『断る』
やや低いものの若い女性の声である。とはいえ、少し響きが人のそれとは異なっている。何か、声に魔力を乗せているのかもしれない。
「なら仕方ないわね」
『殺されたいのか』
「いいえ。先ずは……あの大蛸を倒すのが優先よ」
彼女はスキュラの周りに正三角形の壁を三枚、そしてその三枚の底面を魔力壁で結んだ。魔力による『聖四面体』が完成する。
『何だこれは』
「解るでしょう? 私の魔力であなたのまわりを囲んだのよ」
手で触れればそこには魔力の壁があると分かる。殴りつけようが、下半身を形成する触腕で殴りつけようが、あるいは押し広げようとしても、その魔力の『檻』はビクともしない。
『こんなもので私を捕らえられると思っているのか』
「思っていないわ。しばらく、あの大蛸が倒される迄、そのなかで大人しくしていて欲しいだけなのよ」
彼女の意図を理解し、スキュラは険しい表情に変わる。すなわち、スキュラの放つ回復を促進する魔術は、彼女の魔力で形成された壁の檻を通すことは
できない。あるいは、透過することができたとしても大いに効果は減退する。スキュラの魔力と彼女の形成する魔力壁の魔力が相殺されるからである。そして、魔力壁の強度を高める為、最も面数の少ない多面体で檻を形成したのだ。
『持つのかあの檻』
「さあ。けれども、五分も有れば、蛸の輪切りにしてやるわ」
魔力壁を維持しつつ、距離をとるのはかなりの魔力消費となるが……彼女であれば問題ない。再び中空を魔力壁の足場を蹴り、砂浜から賢者学院の防護壁に向かうクラーケンの跡を追う。
クラーケンを牽制しつつ、まとわりつく半魚人を三々五々、斬り倒す伯姪と茶目栗毛に、灰目藍髪が加わっていた。
「お待たせ」
「遅いわよ!!」
憎まれ口を叩く伯姪に、彼女は苦笑する。
「一旦引いて」
「承知しました」
「先生、ご武運を」
三人が自身で作り出した中空の足場を蹴り、領主館の屋上へと戻るのを確認し、動きの鈍く成ったクラーケンと彼女は対峙した。
もうあと数歩で防護壁へと達するだろう位置にいるクラーケン、その周辺は焼かれ切り刻まれ、斬り倒された半魚人の死体と、それをものともせずに前進する半魚人たちの群れである。
既に、幾本かの『人梯子』が完成しており、防護壁の上で半魚人と賢者見習の戦いが始まっているのが見て取れる。内部にも相応の数、侵入されていることだろう。
『急げよ』
「任せておきなさい」
彼女は一つ、大技を放つことにする。
―――「雷の精霊タラニスよ我が働きかけに応え、我の欲する雷の姿に変えよ……『聖雷炎』
聖なる魔力を込めた雷を纏う炎の球。それが幾十もクラーケンの周囲に放たれ着弾する。クラーケンとそれに侍う半魚人どもに、次々と雷炎が命中し、半魚人は硬直し燃え上がり倒れ伏す。
GYAAAAAAAAA!!!!!!!
大蛸の腕は雷の威力で筋肉が収縮し、痺れ薬の効果を越える筋肉の硬直と痛み、そして体表を焼けこがす炎。
「なんだか、ルーンの街のクラーケン祭りを思い出すわ」
『確かに、あのクラーケン肉が焼けた臭いがするな』
今回も、賢者学院とその周辺では『クラーケン祭り』が行われるに違いない。その時は、狩猟ギルド経由で近隣の村や街にも売り込もうと彼女は考える。ただの討伐では勿体ない。などと、副伯とは思えない庶民臭い彼女なのである。
「これで、終わりにしましょう」
魔力を纏ったバルディッシュの刃に『魔刃』を顕現させ、不足する刃渡りを補う。
「はああぁぁぁ!!」
一閃、二閃、地に足をつけ再び跳躍、三、四、五。腕を次々に斬り落とし、頭の部分だけとなる。そして、一際魔刃を伸ばすと、天高く飛び上がり、蛸頭を縦に一刀両断したのである。