第739話 彼女は水の精霊使いと対峙する
第739話 彼女は水の精霊使いと対峙する
「水の精霊魔術な。水を出す」
「試合会場がドロドロになるっす!」
それは今日の対戦でも見てとれた。とはいえ、相手の足元だけをぬかるませるわけではないのだから、条件は対等にしかならない。自分の球だけが水を吸うわけでもなく、泥で止まるわけでもないのだから。
「実際厄介なのは、あいつら試合の休息時間に『小治癒』をかけて体力と打撲なんかは回復させるんだ。骨折や大きな裂傷はむりだが、交代しながら選手を出してくる上に、試合開始の体力を維持できる点が厄介だ」
リリアルではこれまで、先ず怪我をほぼしないという点を差し引いた上で考えるに、回復は日々作り続けるポーションによって担われていた。
賢者学院において、巡回賢者は『薬師』『回復師』としての活動も兼ねているようで、土派は主に作成する薬類を用いた薬師として、水派は水の精霊の力に依拠する「治癒」の力で回復させているのだという。
ドルイドが御神子教の教会組織に入り込む際、この治癒の力を「神の奇蹟」として見せることで組織内の立場を堅固なものにしたといわれる。神の奇蹟を精霊の加護・祝福持ち以外でも使えるものがいないではないが、圧倒的に少数の特殊な魔力持ちに限られているという。少なくとも、王都の大聖堂にはそのような聖職者はいない。
「是非教えていただきたいものね」
「加護持ちなら『小治癒』の詠唱だけでつかえるはずっす」
「早速試してみましょう」
本日一番のお疲れである『アン』に「小治療」を掛けるよう、彼女はルミリに指示をする。おずおずと前に進み出るルミリ。
『わたしがついているんだから大丈夫なのだわ』
「……頑張るのですわぁ」
ルミリはおずおずと詠唱を行う。
「『小治癒』―――ですわぁ」
魔力が放たれるものの、擦り傷は消えない。
「きいてないっすよ! あー 多分詠唱がちがうっす。『小治癒』」
「『小治癒』―――ですわぁ」
「ああ、違うな。『小治癒』だ」
ルミリは蛮国語は商売に必要だと習っていたのだが、古代語は全くの手つかずであり、発音の違いがよくわからないのである。
「落ち着いて。『小治癒』」よ」
「「「あ」」」
彼女が詠唱を口にすると、『アン』の体を淡い光が包み、手足の擦り傷が綺麗になって消えていく。
「奇蹟だ」
「聖女様!!」
「……ただの水の精霊魔術でしょう。揶揄わないでちょうだい」
「ですよねぇ」
「……練習するのですわぁ」
今回、試合に全く関われていないルミリ。思うところがあるようである。自分が役に立てる場所ができたとばかりに、熱心に詠唱を繰り返し始めた。
「俺が相手をする。いいよな」
「お願いするのですわぁ」
エルムも『砦』役として頑張ったこともあり、それなりの手傷を負っている。動きに影響が出るほどではないが、痛いものは痛いのである。
「ポーション要らずになるわね」
「ふふ、教会や施療院では必要としていただいているのだから、応急手当に必要になるくらいでしょう」
「訓練で痛めた時などに使えば、今まで以上に鍛錬できます」
水魔馬から『加護』をもらった灰目藍髪であれば、魔力を気にせずにバンバン小治癒できるだろう。継続して戦う戦場において、ポーション以外の回復手段を持てることは大きなメリットになる。魔力切れと天秤にかけることになるだろうが。
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『小治癒』の話で盛り上がり、少々遠回りとなったが、本題は別である。
「でも、なんであなた達が水の精霊魔術の詠唱を知っているのよ」
「ああ、そりゃ土精霊の加護と水の精霊の祝福を持っている奴が偶にいるんだよ」
複数の精霊の祝福あるいは加護と祝福を持つ者のうち、加護があるのであれば、その精霊の加護を生かす事を考える。土の加護、水の祝福を持つ者がいるのだろう。『小治癒』を使える者が身近にいて、頻繁に耳にすれば、詠唱も覚えるだろう。
「水の精霊魔術の中に、水上を歩くような魔術はあるのかしら」
「聞いたこと無いっす。あるとすれば、風じゃないっすかね」
『空遊歩』という、空中を歩く風の精霊魔術があるというが、あくまでも「歩く」速度に限られる。
「水の精霊魔術は、水の流れのコントロールや、空中に水の塊を形成してぶつけたり、生物の体内の水分を増やしたり減らしたりするような術が多いな」
「直接、相手選手を傷つける術は使えないし、水流も鍛錬場には存在しないからこれも関係ない。川や池の水位を増減させたりもできるけど、これも関係ないな」
水上あるいは水辺であれば、それなりに使える術があると思われる。相手の体内の水を排出させるというのは、強引に脱水症状を起こさせるということなのだろうか。野営中に不意に仕掛けられたり、戦闘開始前に知らずに体調を崩させられたなら、これも有意な術となるかも知れないが、その場で試合をどうこうすることにはいたらない。
『なんか余計なことをされたなら、気が付くのだわ』
「安心なのですわぁ」
水の大精霊(仮)フローチェがこちらにいるので、精霊魔術を掛けられた段階で知ることができるだろう。
「水派の脅威は、雹や雷を任意に落とす高位魔術や、水の精霊に関わる魔物の使役なんかにある。船乗りからすれば、マーマン辺りを嗾けられたりするのは致命的だからな」
マーマンというのは所謂『人魚』『半魚人』と呼ばれる水棲の人型魔物で、海のゴブリンと呼ばれる種も存在する。海豹人と呼ばれる、一見海豹なのだが、海豹に擬した妖精の一種とも交流があるのだという。これも、マーマン同様、人を襲う種が存在する。
「回復力とそれに裏付けられた持久力に注意すればいいのでしょうか」
「あとは、水を撒かれて足元がおぼつかなることくらいか。水をぶつけて球を逸らされることもあるから、その辺は曲者かもしれないな」
「まあほら、俺ら去年まで出れば負けだから、あんまりよく知らねぇんだよ」
「「「わはは」」」
笑い事ではない!! 相手の体力ギレを狙う作戦は通用せず、可能性としては、自身の体の水分を使って『水の幕』を展開する可能性が考えられる。あるいは、事前に水を試合場に捲いておいて、その水を『魔力壁』のように形成することも考えられる。
「水は使いでが良い精霊魔術かもしれないわね」
「泥水か清水かで反応が変わりますぅ」
確かに。止める力は泥水の方が高い気がする。汚れるのは嫌なのだが。
「リリアルのメンバーがいれば、回復? 持久力も問題ないだろう。守りを抜けるかどうかで、失点するかどうかの差がつくんだと思うぞ。その辺、どう考えるかだな」
ヘイゼルが話の方向を修正する。勝てば、最弱の木組の立場も改善される。リリアル滞在中が千載一遇の機会だと、今日の予選通過で前のめりになっていることがうかがえる。
「そりゃ、抜けるまで撃ち続けるのよ」
「そうね。跳ね返されても、拾ってまた放つ。何度でも、得点する迄ね」
「うわぁ」
「ですわぁ」
水の壁はその都度魔力を消耗する。自身の魔力で、その都度瞬間的に展開する『魔力壁』とくらべれば、水を集める・あるいは魔力で生成し『壁』として発現させることは、加護持ち・祝福持ちでも相応に魔力を消費する。
『小治癒』で回復するのは肉体の疲労やケガであり、魔力は回復しない。二十分間、休む暇なく攻撃し続ければ、チャンスは生まれる……などと考えているに違いない二人。
「加護持ちだって、そんなに多くはないんでしょ?」
「うちにはすでに二人おりますが」
「そのうちの一人ですわぁ」
『流浪の大精霊(仮)なのだわ』
祝福持ちが、加護持ちになる機会としては、『巡回』中に精霊や大精霊と出会い、加護を与えられるという目的もあるのだという。火派を除く『土』『水』『風』の各派は、その為に熱心に巡回する祝福持ちが少なくない。山野にいる火の精霊が非常に希少であるため、火の精霊の祝福持ちは最初から自身の魔力向上に力点を置き、「傭兵稼業」に精を出す選択を進められるようなのだ。
「俺達だって、いつか大精霊様に加護を戴くのが夢なんだぜ」
「まあ、その為には……」
「賢者学院を卒業して、旅に出るっすよ!!」
なるほど、賢者は人助けだけではなく、自身のためにも国を巡るのだと彼女は理解した。
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火派と水派の対策は基本的に近い。水の壁がない分、いくらか楽だと思える程度なのである。魔力量は各会派の中で最大であろうし、肉体の鍛錬度ももっとも高い。だが、それはリリアルとて同じこと。日々、鍛錬に余念はない……はず。
「それより、気になることが有るのよね」
伯姪はこの際だけどと断り、魔物や動物を使役する精霊魔術について気になっていると切り出す。『賢者』には、魔物や鳥獣を使役する魔術があるのは広く知られているからである。
「まあ、波長があう奴がたまにいるっす」
「そうだな。話しかけて、こちらに関心を持ってくれた奴に世話をしてやって関係を築く感じだな」
「けど、少しすると忘れちまうんだよ獣ってのは。だから、頻繁に世話してやらないと、使役を続けるのは難しい。だから、学院では指導賢者が何人か持っているだけだな」
巡回賢者になると、兎馬や馬などを荷駄に使う為、動物を使役する方法は実地で身につくようになるという。魔力持ちは動物に好かれやすいということもあるようだ。
「そっちはケルピー飼ってるじゃないっすか」
「そうだよな。それって危険な妖精だろ? 大丈夫なのか」
「……勝手に着いてきたんです」
「憑いてきたのよ」
「「「え」」」
魔力量が最も少なく、また、水の精霊の祝福持ちであったこと、騎乗の能力が相応に高いと認められたことなどが気に入られる理由だろう。
『名付けしただろ? それも結びつきを強くする理由だ』
水魔馬はどれも妖精として存在するが、固有名を与えられた時点で特別な存在として世界でありようが確立するのだという。名前付きというのは、精霊にとっては大精霊に至る一つの通過点となる。名を呼ばれ、感謝を捧げられることで、その存在が確固としたものとなる。
『竜となる魔物も、そうした大精霊の成れの果てだな。ガルギエムはギリギリ魔物となる手前で立ち止まっているが、ありゃ、司教に説得されて存在が確固としたからだろうな』
「なるほど」
フローチェは最初から自分の名前を名乗っていたが、これは以前に精霊の時代に信仰する人たちが与えた名前なのだろう。水魔馬は数あれども、『マリーヌ』は只一体なのである。
もしかすると、名を忘れられ、自らも名を忘れた精霊が魔物と化すのかもしれない。世の中に正しく繋ぎ止められるには、名前が大切なのだということの裏返しと考えればおかしくない。
「高位の賢者の術には従魔覚醒というのがある」
見た目はタダのデブだが、本当に只のデブ。ハックベリィが珍しく会話に参加する。森の賢者としての資質は誰よりもあるのだが、学院のような環境ではその実力を示しにくい。複数の植物精霊の加護・祝福を持つのだと言われているので、精霊魔術に関してはおそらくこの寮で一番の知識人なのだといわれる。
「それは何なの?」
「人格っつーか、魔物を含めた動植物が自我を得る」
「マジですかぁ」
「マジだ」
確かに、大精霊であるガルギエムやフローチェには自我のようなものが明確にある。自然に生まれる場合もあるが、賢者が術で与えることができるとすれば、魔物も精霊の使役も容易にできることになるだろう。
最初から人の霊が精霊と結びついた物とは異なり、純然たる精霊は個が無いのだ。名前を付けることで個が生まれるのだが、赤子が育つ中で生まれる人格を、精霊・妖精も時間をかけて育っていく。
最近出会ったピクシーの『リリ』は、ニ三歳児程度の雰囲気である。悪戯・興味本位・移り気・容赦ないといった性格は、蟻を見つけて踏みつぶす幼児のようなものなのだろう。善意はないが、さりとて深く考えているわけでもないのである。
「自我を得て使役できるものの上限はあるのでしょうか」
「分からない。相手が高度な思考能力を持つ者ほど、必要な魔力も対価も膨大になる。人間を完全に使役することは不可能だと言われている」
人格を破壊するような薬物あるいは拷問などを施した後に、「従魔覚醒」で完全な支配下に置こうとする試みもなされたようだが、最初の人格破壊の時点で、その時点で持つ有用な能力も破壊されるため効果が無いのだと言われる。また、人間の場合、生きる活力を失う事に繋がり、ほどなくして死ぬとも。
「つまり、低能な生物ほど少ない魔力で『従魔覚醒』ができると言うことね」
「概ねそうだ。とはいえ、有能な従魔というのは限られている。犬や猫などは覚醒対象になりやすいな」
魔女と呼ばれるものが『黒猫』を従魔として従えるイメージが存在するのだが、これも女性の賢者が従者として『猫』を従魔覚醒させ知啓を与えたことによるものだとされる。同じ大きさの生物であれば、犬よりも猫の方が圧倒的に戦闘力が高い。膝に乗るほどの大きさの猫であったとしても、狼程度なら対抗できるほどにもなる。従魔となった個体であれば簡単な魔術も遣えるだろうから、更に戦力としては強化される。
「けど、院長レベルでもまだできないくらい高位の魔術だぞ」
「それは……容易ではないわね」
「精霊にお願いする方が、まだ現実的って奴だ」
家畜や愛玩動物ならばともかく、魔物に関しては殆ど無理だという。とはいえ、彼女が『猫』に頼んでいるようなことを従魔覚醒を行った動物がになってくれていれば、相当な力となるだろうが。