第722話 彼女はアンゼリカを指導する
第722話 彼女はアンゼリカを指導する
木組クラン寮生の中で、魔力量が最も多いのは紅一点アンゼリカである。最年少で女性、また、土の精霊の『祝福』を持つに過ぎない。つまり、精霊魔術師・賢者としての才能がない分、魔力量で補うタイプとなる。
言い換えれば、リリアル式の『魔術師』となる方が向いているとも言える。
「同じ年の頃の私くらいかしらね」
「そうかもしれないわ」
伯姪が彼女と出会った頃、年齢的には十代前半であり、アンゼリカの今の年齢よりも一つ二つ上であったかもしれないが、魔力量は今の半分ほどであっただろうか。
アンゼリカの魔力量は、灰目藍髪・碧目金髪並といったところだ。
リリアル水準ではかなり少ない。
「身体強化は継続してできるようになったのよね」
「うん、中抜けすれば、最初の二十分と最後の二十分は全力で戦えそう」
体に魔力を巡らせ、やがて魔力が満ちているように体に纏わりつく。身体強化ができており、装備が整えば魔力纏いまで至るだろう。賢者は独自の「気配隠蔽」の魔術を持っているので、それは精霊の加護を用いて気配を消す方が魔力の消費が抑えられるだろうから、そちらを選択する事を勧めている。
「では、試しに走ってみましょう。並んで走ってもらえるかしら」
「承知しました」
年齢的には五歳ほど年上になる灰目藍髪と、身体強化した状態でアンゼリカは砂浜を並走する。魔力量は対等かやや上回っていたとしても、魔力の操作精度、基礎体力・体格の違いで、恐らくはかなり苦戦するであろうことは明白なのだが、どんなことができるのかを目に見えて経験させることも大切なのだ。
ちなみに、他の寮生は諦めている。少なくとも、大会には間に合わないので、賢者の精霊魔術と普通の身体強化で二十分試合に参加できる程度になれば良しとしている。
まずは、最年少・女子が力を発揮して、変わることを優先とする。アンゼリカだけが変わっても良いし、それにあとから続くものが出てもそれはそれで喜ばしい事である。が、それは今回の訪問の目的でも、望む結果でもない。
「けっこう、喰いつくわね」
「ええ。こうした歩きにくい場所で走ることに慣れているのかもしれないわ」
彼女と伯姪に変わり、今は灰目藍髪と茶目栗毛が並走している。魔力量の近い者同士で競わせた方が、魔力操作の精度の違いを実感できるだろうか。
彼女も駆け出し冒険者の頃感じたことだが、森の中は走りにくいのだ。湿った落ち葉や木の根、あるいは地面の凹凸で思ったように足が前に出ない。狼などに出会えば、絶対に逃げ切れるものではない。結果、『気配隠蔽』『魔力走査』を身につけ、いち早く敵を見つけ姿を隠す事を心掛けた。それは、リリアル生にも求めるところでもある。
『賢者』という存在は、冒険者と似ている面もある。野外での活動に精通しているという点において。しかしながら、冒険者が魔力の有無にかかわらず、機動力を重視するのに対し、賢者の中でも土派の伝統的なそれは、自ら動くことより、精霊・鳥獣・樹木を手足として動かす為か、走力に最も劣っている。
『ラ・クロス』において最弱なのは当然であろうし、傭兵擬きの火派や、移動の補助に精霊魔術を駆使する風派、恐らく身体強化だけでなく疲労回復に水の精霊の加護・祝福を活用しているであろう水派に対しても後塵を拝するのは当然。
とはいえ、土派の落ちこぼれ=冒険者としての資質が高いという図式も成り立つ。豊穣の大地母神と見做される、土の大精霊の加護や祝福を受けているであろう土派の優秀な賢者は、押しなべて『肥満』しているのだから仕方がない。『豊穣神』の加護の象徴は肥満として現れるのである。
とはいえ、王国基準・リリアル水準でみると、耐えられない面もある。罵声が飛ぶ局面すらあるのだ。
「未開の美意識ですぅ」
「汗臭くてキモいですわぁ」
風呂完備リリアル生活に慣れてしまっている故に、賢者学院の生活はあまり宜しくない。特に異臭がする土派の学生に対して、彼女達の見る目は厳しい。アンゼリカを始め、チームメイトには領主館の風呂を振舞うので若干改善はされているのだが。
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演習場では他のチームの目もあるということもあり……彼女たちは少し離れた城塞の先にある演習場を借りている。守備隊長に挨拶をし、若干の差し入れという名の賄賂を渡したところ、即座に許可をもらえた。姉の押付けた蒸留酒とシャンパーワイン様様である。
模擬試合の型式。十分を一区切りとし、ルミリをタイムキーパーに据えて行っている。ルミリは『十分計』の砂時計を使って、その時間を計っている。ニ十分の場合、一度ひっくり返して使う事になる。
「始め!」
「「「おう!!」」」
最初は、リリアルの五人とクラン寮の十人で対戦していたのだが、リリアルの素早い動きとパスワーク、それに加えて魔術の活用についてこれず、早々に改めることになった。
今は、攻撃側に彼女とクラン寮の攻撃手、防御側にリリアルのニ三人が加わり、残りがクラン寮生という形で試合を行っている。
「走りなさい!」
彼女のパスはとんでもない方向に出されるが、中空に『魔力壁』を形成し、後ろから走り込む味方の中で、最も周りに敵のいない選手に向けて球を弾き飛ばし、前に落とすのである。あるいは、『杖』を立てておけば、そこに放り込んでくれる。
「まるで魔法だな」
『そのまんまじゃねぇか』
この程度の事を魔力を用いて行えなければ、賢者だ魔術師だと名のって試合をすることなどできるはずはない。まるで生き物のように、ポンポンと敵を躱して自分の意思でもあるかのように、彼女の放った球は前へと進んでいく。
「自分で投げて、そのまま門の中に叩き込めばいいのに」
「それでは、盛り上がりに欠けるのではないかしら」
「いや、そうかもしれないけど。ねぇ」
この試合も、力の差を見せすぎないようにリリアル勢は調整している。十分だけでも身体強化で全力を出せないのが、今の寮生のチームメイトの大半なのである。
「仕上がってきた者もいるのは確かです」
灰目藍髪の視線は、アンゼリカと、元から身体を鍛えていたであろう寮長のエルムに向けられている。
これまでの試合においても、エルムに球を集めて何とか前に進もうとする作戦で戦ってきたのだというのだが、エルムに球が集まるのであれば、そこにマークがつくのは当然。一人だけ四十分戦えるはずもなく、力尽きた後は、いいように得点されることになる。
唯一、効果があったのはエルムを『門衛』に配置して、極力失点を防ぐという戦い方だけであったため、何年か前からエルムは門衛専門になっていたらしい。
故に、今回のリリアル参加で門衛以外のポジションで参加できるエルムは、目に見えて嬉しそうなのである。ごついけど。
火派と風派は身体強化か精霊魔術かの差はあれども、速度と力で押し込んでくることは分かっているので、その「仮想敵」をリリアルが担うのはさほど問題ではない。
いつもの自分たちの活動を、そのまま『ラ・クロス』に投影すればいい。しかしながら、速度と力で劣っていても、護り方を考えれば、遅く弱い力でも、相応に対応できる工夫もある。
『門』の正面から攻撃されることが失点につながると言うことは明白なのであるから、防御手は門衛から指示を受けて、球を持っている選手、あるいはその球を受ける選手から門を守る位置に最初から移動しておけば良い。つまり『伏撃』である。
「おい! もッと右に移動しろよぉ!! 常に、門と自分と敵の位置を頭に入れとけよこらぁ!!」
「ですわぁ!!」
『門衛』専従となっている碧目金髪、指示出しが自然と厳しくなっている。
「あと、汗くせぇから、あんま下がんなよぉ!!」
「……ひでぇ。そりゃ確かに臭いけど」
「オイラ、汗臭くねぇよスウィーティー!!」
山羊男は確かに臭いはしない。精霊であるから。だが、顔はモジャ系である。つるッとした顔の好きな碧目金髪の好みではない!!
今まで、試合以外で身体強化を継続する相手と戦った経験の乏しい木組選手たちだが、短い時間でも身体強化を使いながら追いかけ、あるいは、素早く移動し攻撃しにくい場所で待ち構えるという動きを意識する練習は、疲労と引き換えに確かな経験として積み重ねられつつあった。
特に、最初から「出れば負け」という意識は消え去り、「もしかしたら」いや「絶対優勝できる」という気持ちにまで……高めさせられつつある。リリアル矯正の効果とえ言えばいいだろうか。
『ちょっと痩せたんじゃねぇのかあいつら』
「というよりは、皮下脂肪の下に筋肉がついて固太りになったのではないかしら」
『そういえばそうかもな』
『魔剣』の呟きを彼女は訂正してみせた。土派は精霊任せで自ら動かないぽっちゃり賢者の宝庫であるのだが、身体強化と総力を高める鍛錬を続けた結果、年齢的なものもあるだろうが、体は引き締まってきた者が多い。
身体能力の改善は、身体強化を用いた時に相乗効果を生む。底上げする起点が高ければ、より効果は発揮されるのだから当然である。
「ほれ、ツチボコ!」
「転ぶかよぉ!!」
地面が凹み、足を取られつつもそのまま一瞬姿勢を沈めてから、前へと駈出すぽっちゃり賢者たち。歩幅を走りながら変化させ、『ツチボコ』され難い対策も行っている。それが、いい意味でフェイントになりつつあるのだ。真直ぐ走るよりも速度は落ちるが、相手はその動きを読みにくくなる。駆けっこではないので、それでよいのだ。
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「悪いな」
「そう思うなら、自分たちでポーションくらいは作り置きしておくべきでしょう」
「違いない。けど、作るのホント上手いな」
リリアルの魔力鍛錬の基本は、「ポーション作り」が含まれている。彼女を筆頭に、元薬師娘二人は当然のこと、伯姪と茶目栗毛も魔力量の底上げのために魔力を消費しポーション作りは日課のうちであった。
領主館に長期滞在することになり、持ち込んでいる素材と道具で新しいポーションも作る為に、古いポーションを使える時に使っているというだけのことでもある。
『ラ・クロス』の練習で怪我や疲労を回復させる為にポーションを消費するのは合理的でもある。そもそも、リリアル勢は最近、ポーションを自家消費することがほとんどないので、在庫は積み増される一方である。
「でも、土の精霊魔術師は、薬草とかに詳しいでしょう? ポーションとか造ればいいじゃない。薬草畑だってあるでしょ」
伯姪の素朴な疑問。とはいえ、彼らは精霊魔術のうちで「回復」に相当する者を持っているので、火派や風派のようにポーションを作成する必要を感じないのだという。
「自分で直せばいいじゃないですかぁ」
「ですわぁ」
「いや、身体強化で魔力がすっからかんだから。俺達」
「貧弱ですぅ」
「ですわぁ」
とはいえ、『回復』のできる精霊魔術は是非知りたいところ。唯一、魔力に余力のあったアンゼリカが見せてくれるという。
「自分自身には?」
「残念だけど使えない」
『小治癒』
擦り傷切り傷のできていた、痛そうな仲間の足がきれいな肌へと戻っていく。とはいえ、デブ脚なのだが。正直言ってあまりきれいではない。
「見事ですね」
「これは、いかなる精霊の加護祝福でも可能なのかしら」
彼女の質問に、アンゼリカではなくエルムが答える。
「水と土の精霊だけだ。火・風は使えないはずだ。もしかすると、別の魔術で回復が可能かもしれないがな」
自身の加護・祝福のある土の精霊魔術以外に関しては、知り得ないのだという。他の精霊の加護持ちも、土の精霊魔術に関しては余程有名なもの以外はしらないのだそうだ。
「これって……」
「私たちも使えると思います」
「ですよねぇ」
「ですわぁ」
灰目藍髪と赤毛のルミリは精霊の加護持ち、他のリリアル勢も水の大精霊から『祝福』を得ている。それに……
「あの捻くれオジサンすっとぼけてましたねぇ、これはぁ」
「お仕置きが必要ですわぁ」
「そうね。覚えておきましょう」
ヒネクレ歩人おじさんセバスは、恐らく、この魔術を使えるはずなのである。土の精霊の加護を持つオリヴィも当然使える。
「なんだか、初めて賢者学院に来た気がするわね」
「ほんとうに」
「「「「えええぇぇぇ……」」」」
いや、本当にである。
門外秘であろうからか、賢者の基礎教養のような講義の聴講は許されたものの、より専門的な内容に関してはやんわりと各会派から断られている。精々一週間程度の滞在のところが国賓としての滞在のはずなのだが、彼女は腰を落ち着けてしまっている。
これが自由市相当の学院内であれば、様々な干渉・監視が行えるのであろうが、彼女はさっさと「領主館」へ移動してしまっている。ここは、ウイック領の管理であり、学院の敷地の外は女王陛下の権限が優先される。国賓である彼らに、賢者たちが干渉できる余地はない。
その中で、『最弱』とはいえ、正統派の土の賢者見習と交流をしてることは悪くない状況だと彼女は考えていた。
【第三章 了】
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