第712話 彼女は決闘の舞台に立つ
第712話 彼女は決闘の舞台に立つ
「見事に見学者はびしょ濡れね」
「灰被りならぬ、水被りだわ」
幾度となく水蒸気が周りに飛び散り、見学者のローブは既にしっとりしている。洗濯物を仕舞い忘れて朝露で濡れたような雰囲気だと思えばよろしい。
「くそぉ!! さらなる高みに参るとしようぅ!!」
数発の火炎弾を放ったイデーだが、その効果が無かったことから、更に強力な火の精霊魔術を行使することを決意する。
素焼きの容器を新しく三つ投擲し、一段と大きな炎が縦に並ぶように
燃え上がる。
「いくぞぉ!!」
『魔術の行使ってのは、タイミングを秘匿するもんだぜ』
一々掛け声をかけるイデーに『魔剣』がぼそりと呟く。『魔剣』が用いた魔術、彼女に教えた魔術はそういうものだからだ。
しかしそれは仕方ないのかもしれない。足元に火種を投げつけ、燃え上がると同時に何かしらの詠唱を開始。その目の前の中空には、樽ほどの大きさの炎が陽光の如ききらめきを纏いつつパシパシと音をさせている。
『雷火!!!』
一閃の輝き、そして水の膜が弾け飛ぶ。それまでの、目で見て追える速度の火球とは異なる速度と威力。今日の朝、彼女が灰目藍髪に向けて放ったそれに似ている。
「ふっ、どうだぁ!!」
はじけ飛んだ水の膜が掻き消えると、そこには、誰もいなかった。
気が付くと、灰目藍髪はイデーの数m手前にまで接近していた。
「くそっ」
気が付き距離を取ろうとするイデーに向け、灰目藍髪はスティレットを振るい魔力を叩きつける。
『飛燕』『乱舞』
魔力の少ない故の工夫。スティレット程度の大きさの刃では僅かな威力しか発揮できない。ならば、その分、数で圧倒する。
「イデェ!! イデェ!!!」
ローブを突き抜け、杖で防げぬ魔力の『針』が次々とイデーの体を捕らえる。
「これでも喰らえ!!」
目を護り、視界を制限されたイデーは魔力を感じる方向に「火投擲」を次々と放つ。威力も精度も不十分だが、近寄らせぬためであれば十分なはずであった。
「そんなところにはいないわ」
リリアルの基本は気配隠蔽と魔力飛ばし、そして身体強化。魔力の針を放っては移動する。そして、その間、気配を飛ばし、自らの居場所は隠蔽している。つまり、常に後手後手の対応となるのだ。
「もういい加減にやめればいいのに」
伯姪のボヤキも当然。何しろローブはボロボロになっているのだ。イデーは穴だらけのローブを身に纏いながらも、必死に火球を放っている。詠唱と触媒を必要とする強力な魔術を捨て、手数で対応している。それは灰目藍髪も同様。
「うー 泥仕合ですぅ」
「ですわぁ」
決め手を欠くように見えたその時、灰目藍髪が詠唱を始める。
「水の精霊にして我に加護を与えしマリーヌよ、我が働きかけに応え、の『水』の刃で敵を撃ち砕け……『水魔刃』」
いつのまにか後方に現れた水魔馬が、イデーに向け水の刃の弾幕を放つ。
「イデぇ!! イデェ!!!!!」
ローブは穿たれるのではなく切裂かれ、既に体の大半を覆えなくなっている。その下の皮膚は、釘で突き刺されたように何箇所も穴が開き、血が流れている。つまり……
「しょ、勝負あり!!」
決闘同様、どちらかが降参するか血が流れれば勝敗が決する。この場合、イデーの意思表示がなくとも、出血をもって敗北と見做されたのである。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
姉の大好きな『火』系統の魔術は、やはり使いでが良くない。派手な花火と思えば問題ないのだが、散々、錬金術で炎を強化したとしても、さほどの威力にならない。加えて、集団戦や少数による奇襲であれば効果があったのだろうが、一対一で相手が確認できている状態では無駄が多くなる。
「お疲れ様じゃ」
「よおやった」
世話役二人が伯姪と灰目藍髪を労う。
「意外と呆気ないわね」
「決闘では違うのではないでしょうか」
既に出番の終えた二人は気楽なものである。
「あの人たちは、巡回賢者で何をしているのでしょうか」
彼女は思わず口に出してしまった。あのように雑な火の魔術を用いて一体何を為すというのだろうか。例えば、多くの森林は王室もしくは貴族の所有財産かあるいは、街や村の共有財産である。魔物討伐の際に、火の精霊魔術では火災の危険もある。魔物は討伐されたが、森は火災になりましたでは役に立つより損害が上回りかねない。
「あいと奴らは傭兵の真似事をしちゅう」
ダンの話で腑に落ちる。国内では内戦の際に参加し、それ以外においては恐らくネデルの傭兵隊にでも参加しているのだろう。腕を磨く、あるいはスポンサー探しと資金稼ぎを余所でしているというわけだ。
海賊に参加するのは少々難しい。戦争ならともかく、船と積み荷が財産となるのだから、燃やされたらたまらない。歩兵の密集隊形の間から戦列を崩す火球を放って敵を混乱させ、あるいは勢いをそぐという使われ方をするのだろう。それでも、雨の日でも火薬に気を使わなくて済むことから、それなりに重宝されているのかもしれない。
「水や土と違って、攻撃に向いとるんじゃ」
形状が固定される土、水を動かし暫くその場にとどめることもできる水の精霊魔術は防御に向いていると言える。風や火は、瞬間的には威力を発揮するものの形としては残りにくい。風は……その勢いで破壊したものはそのまま残るが、そうそう巨大なものを風だけで破壊することも難しい。
向いているというより、それ以外にできないといったところか。ドルイドの魔術としては後発であり限定的なものなのだろう。但し、傭兵向きではある。
「もしかすると、そこで繋がりができたのかもね」
言うまでもないのだろう。ネデルでひと稼ぎしたので、今度はネデルの傭兵団を呼び込んで、こっちでもうひと稼ぎということなのだろう。
それが吸血鬼の軍団だったと気が付いていたのかどうかは、今後調べる必要があるだろう。
思わぬ敗北、それも火派の火種を用いての上位魔術を事もあろうに、『女』『水』精霊使いが破ったのだ。最初の伯姪に敗れたドイネアンは学生・見習からようやく一人前になった程度の賢者だが、イデーは賢者となってすでに数年が経っており、外での『経験』もそれなりにあった。少なくとも一勝一敗でここまで来ているはずが、まさかの連敗。
その上での決闘となる。改めて追加の『準備』が必要だと判断したペイニア師とアナムブアは、研究室に私財を取りに向かわせていた。その間、少々の待ち時間が生まれていた。
『主、助力が必要でしょうか』
「いいえ。問題ないわ」
『猫』は水魔馬のような能力は持たない。彼女の魔力を高める加護を与えていると思われるが、それ自体に特別な能力を持っているわけではない。故に、直接的な戦い、特に魔術を用いる前提では助力の余地がない。それでも、心配して助力すると進み出たのだろう。
「それよりも、火派も含めた賢者学院の関係者で、吸血鬼と結びついている者の存在確認を優先してちょうだい」
『畏まりました』
彼女達と賢者学院に到着した『猫』だが、当初から別行動をしていた。島の中の偵察、そして吸血鬼の存在と、その協力者を探し出す事に注力していた。
とはいえ、海の中にある島に吸血鬼が容易に立ち入ることができるとも思えない。密かに『棺』に入って船で運び込む事も、この島では困難である。その『棺』の保管場所も、学院の地下墳墓などありはしないので、隠せるものでもない。
恐らくは、間に北部の貴族なり商人が仲介し、連絡を行っているのだろうと思われるが、狩猟ギルドが仲介するはずもなく、主な連絡手段が狩猟ギルドであることから考えると、どうやって外部とやり取りをしているのか簡単には分からないと言うことになる。
『とりあえず、俺達がここにいある間は問題が起こらねぇんじゃねぇの』
「だといいのだけれど」
吸血鬼の協力者の有無も、賢者学院で確認すべき事の一つとなる。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
「おおイデーよ!! 負けてしまうとは情けないぃ!!」
『ドイネアン』の事も忘れないでください。どうやら、ペイニア師とアナムブアは口々に罵り、憤懣やるかたないと言ったところか。
表向きの依頼は、王家の代官施設から書類で送られてくるが、かなり数は少ない。依頼内容は確認されるし、伝わるのには時間が掛かる。それに、表向きの依頼は貰いが少ない。貴族の依頼も同様だ。こちらは、依頼内容を賢者学院に漏れ伝わることを嫌う。
結論的に言えば、それぞれ対立する精霊の派閥内で区割りをされ、それぞれの地域の貴族が暗黙の後ろ盾となり密着した関係となる。仲の悪い派閥同士での情報交換は行われず、結果としてそれ以上の情報漏洩も起こらず、余計なとがめだても行われない。
東部貴族と火派、北部貴族と水派、宮廷・リンデと風派、そして、干渉を避ける西部南部とつながりの深い土派とで分断されているのだ。
『推測だろ?』
「そんなものよ。あと一週間もすれば、ノルド公の件が伝わり、火派はこんな決闘の結果なんて頭から消し飛ぶでしょう」
『だからって、ほどほどにしておけよ』
それは相手に伝えてもらいたい。鍛錬場は、島の中で一段高い場所を平坦に整えて作られている。爆風などが横に広がったとしても、周囲の建物より高い位置にある為に被害は及びにくい。加えて、高波などの際の避難場所にもなるのだろう。
「遅い!!」
「た、大変申し訳ありません」
四人の学生と思われる灰色ローブの男たちがアナムブアにどやされる。最初から準備していないお前が悪い。
「待たせたな」
「いいえ。待つのも仕事のうちですから」
そう、彼女は親善副大使として訪問している。意味不明な上から目線の発言など赦しては、王国の沽券にかかわる。
ここで気になるのは、ネデル総督府に協力する吸血鬼の一部が、ノルド公に協力する吸血鬼となっていたのだろう。あれらは、状況を利用し「戦乱」を起し続けることで、自らの『糧』が手に入る状況を作り出そうとしているだけである。
出来れば同じ戦場で吸血鬼同士が対峙するのはよろしくない。吸血鬼同士が争うからではなく、取り分が減るからだろう。
故に、ネデルでは総督府側で活動し、連合王国には原神子派側の吸血鬼が内乱に協力し『糧』を得る算段なのだと思われる。そのうち、先王の時代のように、神国・連合王国が揃って王国に戦争を仕掛けるかもしれない。
東部に協力する吸血鬼は潰したのだが、北部はわからない。ノルド公は経済的利益故にネデルと結びついていたが、北部はそうではない。神国の後ろ盾を持つ北王国王家あるいは、それを傀儡とする貴族集団と手を結び、女王に対抗しようと考えている。
女王陛下は、先立つものもないので戦争ではなく、政治闘争で片付けたいのだが、駆け引きですませられるかどうかはわからない。そこで、二人の王弟を自分の国賓として招いた。神国もネデルの統治が安定するまでは財布が寂しい。時間を稼ぎたいのは同じ思いだ。
けれど、ノルド公や北部の貴族はその思惑の外にいた。今既に困窮している北部は、時間を掛ければさらに困窮する。また、赤子の王太子のいる北王国からすれば、完全な傀儡の新王を擁立し、攻め込みたいということもある。戦意旺盛ながら、実力が足らない。ならば、外の力を借りる。出来高払いの傭兵ならば、成功報酬を多くすれば初期費用も少ない。自分たちの領地の外でなら、略奪することも認めるだろう。
故に、ノルド公を討伐しただけでは、安穏とできないのは風派と女王周辺の考えであり、火派を抑え込んだとしても、北部・北王国とのつながりの強い水派の影響力は強く残る。もしかすると、バランスを崩すかもしれない。
「でも、あれを放置していれば、どの道大乱になり、王国にも影響があったのではないかしら」
『だろうな。吸血鬼を尖兵に、海峡を渡ってロマンデやカ・レに軍が上陸して百年戦争再びになりかねねぇ』
レンヌやルーンでの協力者はかなり抑え込み、あるいは処刑されている。水先案内人になりかねない国内の不穏分子も粗方は押さえている。
「勝手に内乱を起こす分には構わないのだけれど、王国に関わる気が成らない程度に痛めつけておけばいいわね」
『だ・か・ら 親善忘れんなよ』
傭兵気取りで賢者として民を助ける役割を忘れた『もどき』には容赦してはならないと彼女は考える。
なにやら沢山の瓶や甕を並べ、腕を組み胸を張るアナムブアが前に進み出る。
「そろそろ始めよう」
あくびを噛み殺しながら、彼女は扇を片手に前に進み出るのである。