第706話 彼女は賢者学院をぶらつく
第706話 彼女は賢者学院をぶらつく
迎賓館を出て領主館に滞在したいという願いを、学院長は当初驚きの目で見ていたが、『リリアル学院』での生活を説明し、貴族とその従者のように扱われるのは苦手であると伝えると、「領主館を整える時間をいただければ対応しまずぞ」とおおむね了承してもらう事ができた。
この監視生活もあとしばらくの我慢である。
「領主館にうつるんやけどか」
「ええ。ブラウニーたちには申し訳ないのだけれど、彼らを追い出すわけにはいかないので、私たちが出ていくことにするのよ」
「ほりゃあまっことはやしわけない」
あるがままにさせてやらねばブラウニーが拗ねてしまうのだ。それが過ぎれば出ていくか悪い妖精になりかねない。そもそも、本来の館を出てここに辿り着いた者たちばかりなのだから、こちらが気を使うのは当然なのだと彼女は思っている。
「妖精相手に気を使うのはこの国の人でも珍しいけんど」
「客だからと言って、妖精をないがしろにするつもりはないのよ」
彼女と伯姪の言葉に、「おんしさんたちのような人ばかりならしょうまっことしょうえいけんど」と常の愛想笑いとは異なる破顔で答える。ダンも不埒な客の妖精・ブラウニーに対する扱いに思うところがあったのだろう。
リリアルは精霊・妖精と相応に接して来ている。討伐することもあれば、仲間に引き入れることもある。魔物や不死者の類であったとしても、利害が一致すれば協力関係を築くこともいとわない。こちらの世話をする気満々の妖精に悪意を持つつもりはない。悪意を持つのは妖精を使役している者に対してだけである。
「オイラにも優しさを!!」
「……野良妖精には厳しいのよ」
「ですわぁ」
「山羊頭キモイぃ」
そう、あくまで利害の一致している妖精に対してのみである。
朝食を済ませたころに現れたダンと、本日のスケジュールについて確認する。
「今日は、風派のメンバーと夕食会をする予定やき」
明日は学院理事会や幹部との正式な晩餐を予定しているのだが、準備も必要な為、今日はその前の軽い顔合わせの夕食会となる。主な『風派』と呼ばれる風の精霊魔術師・賢者のグループとである。
「ダンの御仲間なのよね」
ダンは頷き、彼らは女王陛下とその側近・リンデの商人と懇意なメンバーなので、今回の滞在中は彼らとの交流が主になると説明する。
「他の精霊魔術師とはどうなのよ」
「まあ、土派はそれなりに可能ろうけんど、火と水派は……」
「難しいのね」
ダンは無言でうなずく。可能であるとすれば、『ラ・クロス』の対抗戦であろうという。仲悪同士の試合、良い意味ではないだろう。
「代理戦争のような場なのでしょうか」
「表立って争うよりは鍛錬場でってことね」
『ラ・クロス』自体が、元々新大陸の原住民の間で行われている部族間の平和的闘争の模倣なのだという。その場合、試合場は部族の集落の間全てであり、ゴールは各集落ということになる。要は、お宝を持ち帰る側と阻止する側に別れて争うということなのだろう。
「そう言えば、戦争で落とした首を蹴って遊ぶという遊戯もあるわよね」
「……そうなのね。蛮族の考えはよくわからないわ」
ロマンデ公の征服以前の先住民の時代、敗北した将軍の首を刎ね、その頭部を蹴って遊んだという。うーん、蛮族。
「ラ・クロスとその『頭蹴』を混ぜた街の対抗戦がなんちゃらっちゅう街ではやっとお」
「「「全員蛮族」」」
それも、御神子教の祝日の祭りで催されているのだという。確実に、異端審問ものだろう。審問官さーん、異端者がいまーす!!というところだ。
「死人は出ないが、怪我くらいは良くあるちや」
「なるほど、楽しそうね!!」
「楽しくないですぅ!!」
「ですわぁ」
交流戦程度なら親睦を兼ねて参加するのも吝かではないのだが、どうやら血を見るのが前提のようだ。ドルイドは、生贄を捧げる習慣もあったようで、流血沙汰には忌避感がないのか、あるいは当然と考えているのかもしれない。うん蛮族。
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元々大きな修道院の大聖堂であった場所を、そのまま礼拝堂としている。故に、賢者学院にはどうかと思うほど大きな礼拝堂である。もっとも、各地の修道院が解散させられ、大修道院と呼ばれた場所はそのまま神学校・大学へと吸収された場所も少なくない。
賢者学院もその延長で立派な施設が整備されたという経緯もあるだろう。
「大聖堂って何が違うんですかぁ」
碧目金髪の質問に、彼女は掻い摘んで答える。
「司教座のある場所にある礼拝堂を大聖堂にする事ができるのよ」
「司教座?」
いまでこそ教皇庁を中心に中央集権化されている御神子教会だが、その昔は、各地で教会や修道院が在地の貴族の寄進などで次々に建てられ、私設の物が大多数を占めていた。
「司祭や修道院長もその土地の有力者が在家のまま就任してね。第二の領主のようにふるまっていたのよ」
それを取り締まる為に、各地に司教を配置し、司教が任じたものだけを正式な司祭とすることになった。とはいえ、地元の有力者の縁者を優遇したり、代々司教を輩出する家柄が存在したりはするのだが。
「その地における、御神子教会の中心地という意味が強いのでしょうね」
「なるほど」
この場所にあった司教座は、ダンロムへと移されている。入江の民の襲撃云々の話の流れで移されている。とはいえ、大聖堂として建てられた格式はそのまま残っているのである。
人狼は「島の中を歩いてくる」と朝別れたので、今は六人とダンで移動中。礼拝堂はかなり古い建築様式であり、古帝国時代の集会場を模したものである。王都やミアンにある大聖堂とは大いに異なっている。
「歴史を感じるわね」
「こっちのほうが落ち着くわ。王都の大聖堂は、装飾過多なのよね」
「王都のリリアル城塞もこんな感じですよねぇ」
シンプルかつ重厚という意味では似ているかもしれない。あれは攻城砲の直撃にも微動だにしない人造岩石のせいなのだが。構造や装飾が複雑になれば強度が下がるのでスッキリしているのだ。
「地味ですわぁ」
「色々、地元の聖人などが祀られるとその伝記などをタペストリーにして飾ったりしますから。そういうものがないのからでしょうね」
『おらが街の聖人』の礼拝堂が大聖堂内にあることは珍しくない。その場合、物語の挿絵風に有名な場面を模した大きなタペストリーが壁に吊るされ、どのような奇蹟をもたらしたのかを分かりやすく説明しているのだ。
「リリアルの礼拝堂にも、先生の偉業をタペストリーに『絶対やめてちょうだい』
……ですよねぇ」
「ですわぁ」
既に絵物語に芝居に、吟遊詩人の語りに『妖精騎士』は王国中心に大人気である。さらにそんなものを作成したならば……学院の礼拝堂が観光地として盛り上がってしまいかねない。姉に悟られないようにしなければならない。姉ならば、喜んでタペストリーを超特急で作成依頼し、リリアル饅頭やリリアルクッキーなどを作成し、お土産として売り出すに違いない。巨大な宿も建築しかねない。
「あら、いいじゃない。領都ブレリアの礼拝堂はそういう風に整えたら」
「それは良い考えではないでしょうか」
「饅頭、クッキーに……」
「シードルも出来そうですわぁ。口当たり甘くてピリリと後味スッキリですわ!!」
妖精騎士の物語は後味スッキリを目指しているので問題ない。
連合王国ではシードル=サイダーと呼ばれている。先住民の王国時代には既に作られており、健康と幸運をもたらす飲み物とされていた。その中でも「ワセイル」と呼ばれる、ハーブを加えたシードルに香辛料を添加して味を整えた独特の飲み物がある。
因みに、エールとワインの他に「ワセイル」も賢者学院では人気の飲み物であるという。蜂蜜酒の一種として扱われているらしい。
「ワインもエールも素材の味が一番大事やが、ワセイルは調合の腕が大事やけ、賢者どもには人気やが」
ダンの説明に人気の理由も納得できる。自分なりのこだわりを添加して
オリジナルの飲み物にしているのだろう。
ワインやエールでも、古くなりアジの悪くなったものはそうして味を整えることはあるので、その理由は分からないでもない。
「お酒なんてどこで手に入れるのかしら」
「賢者も酒くらいは飲む。エールとワセイルは学院の一角で作っちゅう」
迎賓館の対面にある『研究棟』の一角で製造されているのだという。一部は「賢者酒」として狩猟ギルド経由で外にも販売されているのだそうだ。
「シナモンやオレンジピール、クローブなんかを加えると体が温まるが」
シナモンもクローブも高価な香辛料だ。賢者、見た目通りの貧者ではない。むしろ金持っているようである。その辺り気が付いたのか、碧目金髪は分かりやすく相好を崩す。女は現金である。
「ダンも飲むのかしら」
「いんや、あしは金持ちじゃーないがで。エールか何も加えないワセイルやが」
「ちぇっ!!」
ちぇ!!ではない。三等賢者は従騎士、二等賢者が騎士、一等賢者が準男爵=紋章騎士ほどの身分であるらしい。従騎士では未だ身分的には半人前である。
「二等になるのにどのくらいかかるのよ」
「まあ、巡回賢者で十年務めて、しっかと経験と実績を積むこと。それと、弟子を取らんと二等にゃなれん」
腕前を見なければ分からないところもあるが、平民出身の騎士と同じ程度の期間がかかると思えばよいだろうか。神学生が卒業に掛かる年次が八年ほどであったと彼女は記憶している。同じではないだろうが、やはりその程度の期間を必要としているのだろうか。
司祭は身分で成れる時期がかなり左右される。王族や高位貴族の子弟、あるいは高位聖職者の身内の場合、十代で司教や枢機卿になることもあるので、何とも言えない。
が、精霊魔術師としての鍛錬期間がそのくらいなのだろう。
「そういえば、賢者学院は何年制なんでしょう」
「六年。十二歳以上で入学して六年以上かかる」
卒業は最低六年。その間に精霊魔術の適性を磨くということになる。冒険者ギルドの見習とほぼ同時期にあたる。成人は十五歳前後なのでそれよりは早いが、小姓が騎士見習になる時期に似ているかもしれない。
「精霊の加護や祝福持ちの子やが、ちくっと小柄やが。それでも、プライドだけは一人前やきめんどうだ」
魔力持ちの貴族の子供にみられる驕りに似たようなものだろうか。孤児院で魔力持ちなのに養子の貰い手の無かった子供は、「ハズレ」扱いで屈折しているものが少なくない。特に男児。毛深いとなおさらである。
卑屈でひねくれているのも面倒だが、身の程知らずの子供もやはり面倒な気がする。
「そういうのって」
「おお、火と水に多い」
「「「やっぱり」」」
数が少なく攻撃に適していると考えられる『火』、精霊の加護を上手く使えば相手を翻弄することも容易な『水』の精霊。地味で数も多い『土』や直接的な攻撃手段になりにくい『風』と比べれば、強い自負を持つこともわからないではない。
「魔術は使いようでしょう」
「子供にゃそれがわからんがやき」
魔力量の多寡が戦力の差ではないと最も魔力量の多い彼女が考えているのがリリアルである。使い所、使い方さえ工夫すれば、少ない魔力・ささやかな加護・祝福でも戦いようはある。
「勉強させてもらいましょう」
「いや、怖いから、あなたが言うと」
「ですわぁ」
彼女は悪い意味の『良い笑顔』をすると、伯姪が寒気を感じたのか身震いしルミリもそれに同調する。
「手の内を見せて良いのでしょうか」
「それで何か変わるかも知れないじゃない」
「悪くありません。我々は積極的な防御を唱えていますから」
灰目藍髪の疑問に、伯姪と茶目栗毛が答える。積極的な防御とはリリアルの抑止力を公にしていく戦略だ。王国内の敵勢力を駆逐するだけでなく、その策略を考えるものに直接恐怖を与え抑止する戦略。ネデル遠征も親善副使行も目的は同じである。
ノルド公の件でリンデ・王宮と、厳信徒には威を示せたのであるから、次は神国・北王国とそれに連なる者に脅威を示すことになるだろう。
リリアル侮りがたし、王国に触れるべからずと。
「加減しとおせ」
ダンは彼女と同じく悪い笑みで答えたのである。
ダンと礼拝堂を出て研究棟へ向かう。各研究棟の研究室への立ち入りは明日の晩餐会で紹介をされてからの事となるのだが、今日は先ほど出た酒保・酒蔵の見学をするために向かっている。
すると、研究棟の正面から肩で風切る様に歩いてくる集団が現れた。
「おいダン! そいつらか、王国から来たって奴らは」
「なんだ、女ばかりではないか」
「「「わはははは」」」
精霊魔術においては、男尊女卑の発想はない。むしろ、精霊との親和性は女性の方が良い場合も少なくない。泉の女神や乙女という存在は古くから広く知られている。
ダンは「嫌な奴にあってしまった」というような顔をし、彼女たちにぺこりと頭を下げたのだが。
「ふふ、賢者学院にも愚者は事欠かないのね。思っていた通りだわ」
彼女は正面から喧嘩を買う事にしたのである。