第699話 彼女はポンスタインに到着する
第699話 彼女はポンスタインに到着する
ポンスタインは、タイ川の橋を意味する地名である。その名に恥じない立派な石橋が架かっている。
「リンデの橋のように、家が立ち並んでいるわけではないのね」
「土地が沢山あれば、あの場所に住む必要もないでしょう」
「それもそうね」
タイ川を通じた物流の中継点として、あるいは北部からの侵攻を止める前線基地として、かなり立派な街壁を有している。街の周囲は長さ3㎞、高さ8mの石壁で防御されている要塞都市である。加えて、六つの楼門と十七の塔を有し、街壁の外側は幅10m、深さ5mの濠を備えている。
「狩猟ギルドに向かって、あとは教会の巡礼宿ね」
ダントンで預かったポンスタインの狩猟ギルド気付の手紙の配送。そして、この先の街の情報を得られるかもしれないのである。
ポンスタインの狩猟ギルドに到着。臨時会員であること、依頼された手紙の配達で訪問したことを伝え手紙を渡す。依頼達成と幾ばくかの報酬を得る。
「この後、ウィックまでいくのですが、手紙等あれば預かります」
「そう、ちょっと待っていて頂戴」
橋を渡りそのまま北西に行く大道のメインルートと、東に海に沿って北に向かうサブルートがある。賢者学院のあるデイズファン島は東岸だ。モースパス、ウィックと進み、あと三日もあれば目的に到着する。
受付嬢は幾つかの手紙を彼女に依頼する。
「これがモースパスあての手紙と荷物、それと、これはウィックね」
「ディズファイン島へはありませんでしょうか」
彼女の問いに受付嬢は「あの島にギルドは無いわ」と届け物がないことを伝える。必要な場合、手前のウィックのギルドを利用することになるという。
仕事を受け、ついでにこの先の情報を聞く。すると、受付嬢は不穏な言葉を口にする。
「ワームが目撃されたという噂があるから、川の近くを移動するときは
気を付けることね」
彼女は「ワームとは何でしょうか」と聞くと、「ワームはワーム、脚のない竜の一種よ。知らないの?」と怪訝そうな顔をされる。少なくとも、王国にはそんなものはいない……はずである。
『ワームな。水蛇の魔物だ』
『魔剣』曰く、大きさは竜程もあるだろうが、その実は巨大な水棲の蛇が魔物化したものだという。
「この辺じゃ、有名な奴だよ。知らんのか」
「ええ。リンデから巡礼で北に向かっているものですから」
ギルドにいた年配の職員らしき男性が言葉を継いで彼女に話しかけた。
彼女はこの辺りの出身ではないと言うと、男は成程といいつつ、『ダラムのワーム』
の話をしてくれた。
ダラムとは、ポンスタインより南にある小さな村で、川沿いにあるという。百年戦争の頃、その川にワームが現れ、釣り人を襲い、村の井戸に住み着き、数年の後大きくなると、家畜を襲い田畑を荒すようになったのだという。
百年戦争に出征していた当地の騎士が戻ると村は荒れ果てており、村人は毎日牛の乳を搾ってはそのワームに与え辛うじて生きながらえていたのだそうだ。
「騎士は討伐しなかったのでしょうか」
「……するにはしたが、大けがを負わせた後逃げられた」
騎士は大いに戦ったものの、槍では突き殺しきれず、メイスのようなもの
で叩いても打撃は吸収されてしまい、なんとか追い払う事は出来たが殺しきる
には至らなかったのだという。
「潜んで、機会をうかがっているのか、余所へ行ったのかはわからないんだが、もしかすると、回復してまた暴れる気なのかもしれんな」
二百年は前の討伐話なので、当の昔に傷は癒えているだろう。それにしては、今の今までどこに潜んでいたのだろうか。
連合王国は南も西も東も北も、至る所に竜の目撃譚や討伐譚が残されている。その多くは、修道士が御神子教を広める過程で、当地の先住民の信仰の対象である『水蛇』『亀』といった形を借りた水の精霊達を打ち払い、魔物扱いしたことが要因であると考えられる。
その後、精霊が魔物化して、実際『悪竜』となった可能性も否定できない。『ダラムのワーム』はその生き残りであると考えれば、どの程度の脅威かは推測できる。
「かなり危険だと思うわ」
「もしこの先であうのなら……面倒ね」
彼女は三たび『竜』と出会うことは遠慮したいと考えているのである。
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「それって、ヤツメウナギですかねぇ」
「あー 好き嫌いある食材ですわぁ」
王国でもヤツメウナギのパイやシチューは作られる。確か、カトリナが好物であった。ボルデュではワイン煮などが定番らしい。
「孤児院でも出たことあります」
「私は少々苦手です」
「それは私もね」
灰目藍髪はあの食感が苦手らしい。内臓肉っぽい弾力感が。ニース育ちの伯姪からすれば、わざわざウナギの出来損ないみたいな魚を食べる理由も必然もない。他にもおいしい魚が沢山あるのだ。
彼女も敢えて口にする事はないが苦手である。特に見た目が……
「どのくらいの大きさなんでしょうね」
「さあ。でも、かなり昔からいるみたいなので、2-30mはあるのではないかしらね」
「それってガル様より大きいんじゃないですかぁ!!」
「「「……」」」
ガル様あるいはガルちゃんとリリアル生に呼ばれている、元ルテシアの守護精霊であるガルギエムである。ガルギエムは手足のある胴長な竜であるが、彼女に討伐されたタラスクスらのように忘我・狂化した状態に至らず、自我を維持していた大精霊であるから問題なかった。
それまで、『守護精霊』『神』として崇められてきた存在が、崇敬を失うことで、精霊から魔物へと変化してしまった存在がいる。
「よそはよその精神で関わらない事よね」
「そもそも、討伐失敗しているのですもの。この地を治める貴族なり、国が責任を持つべきでしょう。当然のことでしょう」
リリアル生は全員内心ほっとする。さすがの彼女も、異国の地でわざわざ竜討伐をするつもりはないということである。戦力的にも、彼女と伯姪、茶目栗毛だけで討伐するのに近い。ラ・マンの悪竜は地の利を得て尚且つカトリナ主従を加えた四人で討伐したのだが、カトリナは魔力量は王族であり、戦う技術も相応であった。恐らく、それよりも強力な竜であろうし、水辺で戦うのは元水の大精霊であろう竜に対しては悪手以外の何物でもない。
この場にいない山羊頭からも情報を聞き出せるかもしれない。山羊頭と遭遇した場所は『ダラム』からさほど離れていないからだ。
巡礼宿へと戻り、『山羊頭』を呼びつける。微妙な外見は、巡礼らしく見えるフード付きマントを着せて誤魔化す事にした。
「お、ようやくオイラの真実の愛を認めて……」
「いるわけない」
「ですわぁ」
碧目金髪、赤目のルミリは不細工に当りがきつい。面食いなので仕方ない。
「呼んだのは理由があるの。『ダラムのワーム』って知ってるわよね」
「この辺じゃ有名な性悪ウナギだろ。そりゃ知ってるさ」
「最近、この辺りをうろついているという噂を耳にしたのだけれど、何か知らないかしら」
山羊男は思案気な顔をする。
「情報はタダじゃねぇんだよぉ」
「じゃ、ここでサヨナラぁ!!」
「ですわぁ!!」
いい笑顔でサムズアップする面食い二人。山羊男はその心からの満面の笑みにたじろぎつつ、いじけ始める。毛むくじゃらのオッサンがいじけても可愛くない。
「なんだよぉ、俺だってイケメン顔になれるんだよぉ」
「そういうの、雰囲気イケメンとか言うんだよねぇ」
「あとは、イケメン詐欺ですわぁ」
髪形だけイケメンというのもある。鬘で複雑に作り込んだ髪形を作るというのも女王陛下中心に流行り始めている。あの頸の周りのひだひだと同じく、金をかけるところ間違っていると思うのであるが、流行りというのは、その最中では中々異を唱え辛い。女王陛下の次の代になれば、一気に廃れる流行なのだろうが。
「そんな事より、ワームのこと。何も知らないの!!」
「し、知ってることっていやぁ、あいつ、ウナギみたいにヌメヌメしているし、剣や槍で刺してもすぐ回復しちゃうし、毒吐くし、山は無理だけど丘くらいは登って来るし、あと、牛とか羊とか良く喰うし……」
目新しい情報は無いような気がしてきた。粗方聞いたと判断した彼女がもういいわと言おうと思ったところで、山羊頭は初めて聞く情報を話し始めた。
「あいつ、竜の骨で作った笛の音で操られてるんだよな」
「「「……え!!」」」
「もう少し詳しく説明してもらえるかしら」
「お、おう。かまわねぇよぉ」
山羊男は初めて彼女に『お願い』されたので、一気にテンションが上がる。
竜の骨の笛は魔力がこもりやすい、人間の世界における「魔導具」のような扱いなのだという。
「その笛を作ったのは誰」
「さあな。けど、人間じゃねぇ。人間にゃあ扱えるようなもんじゃねぇからな」
「じゃ、笛を吹いているのは人間じゃないってこと?」
「うーん、精霊術師っての? ドルイドとかそういう精霊とつながりを持つ人間の魔力が必要なんだろうな。オイラも直接知っている奴が笛を吹いているわけじゃないし、また聞きとか妖精の間の噂みたいなもんなんだよ」
どうやら、元々素性の良くない精霊であったようで、人に迷惑をかけないように、精霊術師に頼まれた大精霊が与えた使役用の笛であるという。治めたり、あるいは気を高ぶらせるといった行動をある程度操作することを目的としているようなのである。
「じゃあ、その昔、暴れた時はどうだったのよ」
「あれか。確か、芝居とかになってるんだろ? あの時の話がよぉ。けど、そりゃけっこうホントの話と違うんだよぉ」
山羊頭曰く、あれは騎士が戦ったという事実はあるものの、実際は、精霊使いも国を離れ戦争へ行ってしまい、管理者不在となった間にワームが好き勝手した結果なのだという。表向き、騎士が戦い追い払ったということになっているが、それは場所を移動させることと、精霊使いの笛を忘れてしまっていたワームに思い出させる刺激であったという。
「騎士が居座っているワームを攻撃し、多少の手傷を負わせたんだよ。その後、精霊使いが笛を吹いてダラムからワームを人里離れた森の奥へ移動させたんだよ。そんで、散々好き勝手やったワームを少々懲らしめてやったんだ。しばらく動けなくなるくらいにだな」
そこでしばらく大人しくすることになったらしい。
「でも、最近この辺で見かけるらしいのよ。なんでかしらね」
「さあ。精霊使いの気が替わったんだよぉきっと」
あるいは、笛の持ち主が何か意図をもってワームを動かしているのか。
ポンスタインを流れる川は、最近石炭の採掘で大きな役割を果たすようになってきている。製鉄に木炭ではなく石炭を使うようになり始めており、川の上流には石炭鉱山があり、掘り出した石炭を船で川を下り海を使って連合王国南部へ運んでいる。
その石炭の採掘場所が、これまでのワームの潜伏先であったのかもしれない。ワームを動かさねば、人と争いかねないと精霊術師が考えたのであれば、人に見られる可能性はある。
骨の笛はどんな音がするのかと彼女が聞く。すると、山羊男は耳に手を当て何かを聞こうとする姿勢を取る。
「ちょうど、今聞こえているような高い笛の音だよぉ」
彼女も伯姪も驚いた顔をする。今まさに、竜使いの笛の音がポンスタインの街に聞こえているのだという。
「……何も聞こえないわ」
伯姪の答えに、他のリリアル生も同意する。が、人狼はそれを否定する。
「いや、かなり高い音だが確かにしている」
『主、人の耳には聞こえない範囲の音でしょう』
彼女はなるほどと理解する。獣の中には、人間の聞こえない範囲の音を聞き取り、反応する種類のものがいる。『竜骨笛』も、その類の物なのだろう。
『確かよ、ドルイドってのは、動物に化けたり、動物を使役することも得意だったと記憶してるぜ』
『賢者』と称されたドルイド達は、政治家であり司祭であり、あるいは学者でもあった。蛮族が暴れていたころの王国において、貴族や王族が大して纏まっていなかった時代、各地の司教は教区の教会・教区民を指導し、貴族のように民を護ることもあった。『賢者』とはそのような祈るだけではなく、導くものという存在でもあったのだろう。
精霊魔術=魔法を使う賢者の中には、動物と意思疎通をし、その力を借りる者もいた。また、姿を同じくし、動物の力、例えば熊の腕力、馬の脚力、鳥の視力を借り受ける術もあったという。
『竜くらい使役できるってことかも知れねぇ』
「竜くらい……ね」
精霊としての意識を保っている竜であれば、『協力』してもらう事は可能かもしれない。ワスティンの森の湖に棲む『ガルギエム』も、リリアルの危機には力を貸してくれるかもしれない。
しかしながら、『使役』というと、牛馬のように扱えると言うことになる。荷物を運ばせたり、あるいは畑を耕す、船を曳くなどであろうか。水に棲む竜であれば、船を曳かせるのはなかなか良いかもしれない。それは水魔馬でも十分なのだが。
「まだ聞こえるが、少し遠ざかっているな」
「そう。まあ、明日にはこの街も出るから、関係ないわよ」
人狼の耳にはまだ笛が聞こえているものの、明日には橋を渡り街を去る彼女達にとってどうでも良い事であろう。
そんな事を気にしながら、いよいよ賢者学院へと到着するかと思うと、彼女は少々期待に胸が高まるのである。
【第七部 了】




