第697話 彼女はワイルド・チェイスと対峙する
第697話 彼女はワイルド・チェイスと対峙する
「悪魔出たぁ!!」
「ですわぁ!!!」
悪魔は人の恐怖を糧にする面があるので、あまり騒がないでもらいたい。思うつぼである。
『野良狩団』は王国・帝国でも見られる亡者の集団だ。ゴーストやその姿が怪しくなったファントム。ワイトやスケルトンといった実体のある亡霊・死霊も含まれる。
出会った場合、気が付かれないように隠れるくらいしか、普通の旅人や猟師には手立てがない。
アルマン人の太古神『ヴォーダン』が関係しているとも言われるが、魔犬の群の場合もある。夜間の嵐あるいは強風などを伴い出現し、その行軍にであった人間を取り込んでどこかへと消えていくという。
『この壁のせいで風に気が付かなかったか』
河原と森の間に挟まれた野原に、土壁を築いて野営しているのだが、確かに、吹き込むほどの風ではなかったのだろう。あるいは、壁を築いた彼女の魔力が、野良狩団の影響を打ち払った可能性もある。
冬至の時期に出会うと事が多いと聞くが、今だそのような時期ではない。「死出の旅」と称される事もあり、これは風の強い冬の夜に凍死したものが多かったことから『野良狩団』に連れ去られたと解釈された者なのかもしれない。
数は凡そ百。その多くが、薄ぼんやりとした首無し……いや、刎ねられたであろう自らの首を手に持ち、あるいは首に乗せたり外したり、思わず取りこぼして追いかけたりしている不思議な集団に見える。
中央の白猪王らしき凶相の男だけは、じっと剣を片手にこちらを見据えている。
『あの剣、ちょっと何かあるな』
「……そう。確かに、魔力を纏っているかもしれないわ」
彼女の魔力走査に強く反応している。他の『ギャリー ベガー』という亡霊たちは、ミアンのスケルトンほどの魔力しか感じないが、白猪王こと『ライネック』には、貴種の吸血鬼ほどの魔力を感じる。それは、妖魔単体ではなく、あの剣の力が加わっての事なのだろう。
スケルトンも、並の兵士・冒険者にとってはそれなりの脅威となる。首を刎ね飛ばすだけの力量が無い場合、決して小さくない怪我を負う。ゴブリンより体も大きく、それなりに武器を装備していれば、生身の人間より脅威となる。また、数も多いのだ。普通に考えれば。
「どうするの?」
伯姪が単刀直入に彼女に則す。
「私がやるわ」
「一人で?」
「そうね。あなたちの力を借りたいのはやまやまなのだけれど、どの程度の亡霊かわからないので、今回は武器で戦うのは止めようと思うの」
「ああ、距離もありますし、銃弾だとこの風でかなり逸れますもんね」
実体のない亡霊に魔装銃の魔鉛弾が効果あるかどうかも怪しい。使ったことが無いのもあるが、弾丸が風で逸れるのでは効果も期待できない。それに、あのライネックという妖魔もどのような力を持つか分からない。
例えば、伯姪が出た場合、魅了なり体を奪われて彼女を攻撃してくる
可能性もある。魔力量と加護から考えて彼女が妖魔に支配される可能性はこの中で最も低い。
「流石聖女様ですぅ」
「ですわぁ」
「……はっ聖女か」
人狼を一睨みし、彼女は土壁を飛び越え、魔銀のバルディッシュを片手に月明かりの野原を静々と歩を進めるのである。
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首無しの亡霊の『壁』。数が少なければ、魔力を纏った武器で切り付け、効果があるかどうか確認しようと彼女は考えていた。しかしこれでは、切り捨てる間に囲まれかねない。触られる事で、麻痺や意識の混濁など起す死霊も存在することを考えれば、一人で百の亡霊に武具で立ち向かうのはよろしくない。
『さて、始めるか』
「ええ。これでいきましょう」
まずは試しに魔鉛弾に彼女の魔力を込めて魔装拳銃で発砲。着弾?した一体が掻き消えるが、その後方の亡霊を通過した弾丸はそのまま森へと吸い込まれていった。どうやら、魔鉛弾に込めた魔力では一体が限度のようだ。これは効率が悪い。土塁からの魔装銃での射撃は止めて良かった。
さらに彼女は魔力壁で囲う事を考えたが、大きさと密度を魔力だけで作成するのは不可能ではないが、魔力の消費量を多く使うと考え、別の事を行うことにした。
最近、使う機会のめっきり減った『ポーション』である。これは、彼女の魔力を含んでいる。そして、最近、大精霊の祝福を頂いた結果、かなり魔力量を節約しても展開可能となった『水』の精霊魔術を組合せる。
――― 『水煙壁』
ポーションの容器の口から水煙が立ち上り、やがて目で見える霧の壁が形成される。彼女の前面から左右と上の三方向に延びてゆき、やがてぐるりと森の際に陣取る『野良狩団』を水煙の壁あるいは幕の中に囲い込んでしまった。
半ば透明の亡霊たちの姿がさらに見えにくくなる。霧の中に閉じ込められたように見えるだろう。
『これで終いってわけじゃねぇんだろ』
「勿論よ」
壁は徐々に大きさを縮めていく。左右の壁が狭まっていき、亡者同士が重なるようになっていく。そして
――― PANN!!
『『『 WOOOO 』』』
魔力を含んだ霧の壁に触れた亡者の一体が破裂音と共に消し飛んだ。浄化され天に召されたような消失の仕方ではない。板氷に熱湯をかけた時に聞こえるような一瞬で破滅する『音』であった。その音の意味に気が付き、亡者共は恐れおののいている。
『貴様ぁ!! 騎士の情けはないのかぁ!!』
「あるわけないでしょう。散々王国を荒した賊の分際で」
『いや、此奴らの祖父の代とかだろ』
「子孫も同罪よ」
親の罪に連座しないというのは軽微な犯罪においてであって、王国を蹂躙し多くの街や村を破壊し、民を殺し財貨を奪い辱めた罪は何一つ償われていない。まして、王国の貴族である彼女が、この国の亡霊に掛ける情けなどあるわけがない。
「さあ、さっさと消滅しなさい」
PANN!! PANN!! と壁が縮められていくたびに亡者が滅される音が続き、呻き声とも泣き言ともとれる低い声が林間に鳴り響く。
『赦さんぞぉ!!』
「そっくりお返しするわ。さっさと地獄に行きなさい」
白猪王らしき亡霊は、魔力の籠った剣を振りあげ、振り回し、水幕の壁に剣を叩きつけるが、ジュジュと一瞬壁を崩せそうになるが、あっというまにその崩した部分が別の水煙でかき消されてしまう。
明滅しつつ、はじけるように消えていく亡者の数はもう三分の一も残っていない。
「さっさと終わらせましょう」
『そうだな。夜更かしは体に悪りぃからな』
魔力を『水煙壁』に流しつつ、壁を縮めていく。最初は50m四方もあっただろうか亡者の隊列は、いつの間にか馬車ほどの大きさほどになっていたのである。
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白猪王は決して王として無能ではなかった。少なくとも、決戦が行える程の戦力を糾合し、最後まで従う諸侯もいたのである。例えば……
『初代ノルド公か』
初老の騎士姿の亡霊。これは、北王国などで名高い首無し騎士に相当するだろうか。初代ノルド公は、白猪王と同じ戦場で戦死している。そして、ノルド公爵家は祖父王に取潰されているのである。息子が臣従を誓い、二代目ノルド公あるいは、新生ノルド公として家門を再興した。
彼女は数少ない残りの亡霊に向かい、魔銀のスクラマサクスに自らの魔力を纏わせ前に出る。
全身鎧に右手に剣、左手に自らの頭を乗せた騎士と彼女は刃を交わす。
――― GINN !!
一合交わすたびに、彼女の魔力が首無し騎士を削っていく。
『ぐぅぅぅ』
「あなた達の時代はもう百年前に終わっているの。彷徨い出るものではないわ」
その手ごたえは徐々に弱まり、やがて掻き消えるように姿を失っていく。
残ったのは、白猪王の遺骸に取り付いた『ライネック』と、山羊頭の魔物の二体。山羊頭は、下半身も山羊で顔と上半身が歩人に似ている。つまり、毛深いのである。
『武器が戦斧でないのが残念だ』
白猪王は、最後の戦いで自ら戦斧を振るって戦ったと伝わる。全身板金鎧で馬上で戦うのであれば、剣より斧の方が効果的であったのだろう。とはいえ、遺骸の頭は酷くひしゃげており、死因となったであろう王の頭部への打撃も斧であったのかもしれない。
『なんか今は真面だな』
「妖魔の影響が弱まっているのかもしれないわね」
凶悪な妖精・妖魔と呼ばれるライネックだが、既に亡者共は蹴散らされてしまい、彼女の魔力の影響なのか白猪王の魂も捕らえ続けることが困難になりつつあるのかもしれない。
遺骸ではなく、何か文様の刻まれた剣に彼女の剣を打ち付ける。魔力を纏い、ライネックの依り代となっているのではないかと彼女は推測する。
二度三度と魔力を纏わせ、剣を打ち付け、バインドを繰り返す。魔力が伝わり、剣が明滅する。何やら苦しんでいるようにも見てとれる。
遺骸からは先ほどまでの凶悪な表情も失われ、穏やかな表情に見えたその刹那。
『何と! 聖女に真実が語れるのか? あるのは空虚な妄想だけではないのかぁ?』
顔を怒りでどす黒く変え、妖魔が表に出てきた。あるいは、生前既に白猪王はこの妖魔に取り込まれていたのかもしれない。
『いや、やったことを思い出すくらいなら、薄ぼんやり我を忘れているほうがいい』
『ジャマヲスルナ、ちゃーるず、オレハセンソウヲシテイルノダ』
『馬鹿め、私の戦争はとうに終わっている。思い出した、私は負けたのだ。死んだのだ。それでおしまい』
『ナニヲイウ!! マダ』
一人の中に二つの存在。思い出した白猪王の魂は、既にライネックの支配を受けなくなっている。
「まだという時は、もう手遅れなのよ」
彼女は魔力を更に込め、剣を思い切り叩きつけた。
――― BAKKKKI
Woooooonnnnnn……
剣が折れると、そこから黒い霧のようなものが噴き出し、やがて彼女の魔力の籠った水煙の中で掻き消えていくのである。
操る者を失った遺骸は、どさりと地面に倒れ込む。そして、残るは山羊頭の魔人。
「さて、最後の一体ね」
『こりゃ、なんだ。魔物か、妖精か、妖魔か』
白猪王の遺骸が力を失い倒れ込むと同時に、山羊頭も膝をつく。すると、背後に伯姪が近づいてくる気配がする。
「終わったわね」
「そうでもないわ。まだ一体残っているのよ」
振り返らず剣を構えて、彼女は伯姪に言葉を返す。伯姪も、自らの剣を抜き、いつでも切りつけられるように彼女に並んで立つ。
「この山羊男はなんなのかしらね」
「さあ。まあ、首を斬り落とせば、妖魔であろうが魔物であろうが、多分死ぬから問題ないわ」
「問題あるだろうがよぉ。オイラ悪い妖精じゃねぇんだよぉ!!」
どうやら、山羊頭は妖精であるらしい(自称)。
「どうする?」
彼女は思案する。会話のできるのであれば、先ほどの集団が自然に生まれた者なのか、あるいは死霊術で生み出され操られていたのか、その仕掛けを行った者が誰なのか確認したいという気はする。
「お前は誰」
「オイラは、陽気な森の妖精プカさぁ!!」
何やらステップを踏んで決めポーズをしているのだが、出来の悪い宮廷道化師のようにしか見えない。因みに、王国の宮廷にはその手の存在は今は置いていない。
『道化師』とは、罰せられることなく自由に話し、嘲笑する能力と権利を有している。これは、法で認められた特権であり、それを示す帽子と錫杖を持ち、自らの存在を明示する。これは、王の王冠と王杓と重ね合わせた存在であり、臣下から苦言を呈されることを受け入れる姿勢を示すものと考えられる。
私的な顧問、あるいは諮問官といったところであろうか。
因みに、女王陛下には幾人かの宮廷道化師が仕えている。あまりにもその言い回しが攻めているので、時に怒りをかって鞭打ちされていると聞く。そういう関係なのかもしれないのだが。
「鞭打てば何かわかるかも知れないわね。道化ですもの」
「いやいやいや、オイラ道化じゃねぇよぉ!! 風の妖精さんだよぉ」
確かに帽子の代わりに角が生えているし、錫杖は持っていない。脚は山羊そのものである。
そこに、碧目金髪と赤目のルミリがやって来た。どうやら、いつまでも戻らない二人の様子を見に来たと言ったところだろう。
「あれれ、何か変な生き物がいるじゃないですかぁ」
「ほんとですわぁ。山羊人間ですわぁ」
「オイラ山羊人間……おおぉぉぉおおおお!!!」
突然騒ぎ出した山羊頭の視線は碧目金髪に釘付けとなった。その挙動の怪しさから、彼女は面倒なことになるのではないかと危惧するのである。