第695話 彼女は野営を選択する
第695話 彼女は野営を選択する
先住民においては楢が神聖視されていたが、アルマン人あるいは入江の民の神話に出てくる『世界樹』は、神話に出てくる架空の樹木であるが、御神子教の布教以前、アルマン人の部族は大王の東征においては崇拝する大木を有していた。大王はこれを斬り倒し、邪教を廃したと記録されている。
その木はトネリコであるとか、後の世ではイチイがそれであるとされた。イチイは長弓の素材になる樹木であり、教会の敷地内に植樹されていることもある。
とはいえ、アルマン人も楢を神聖視していたようであり、その理由は今も同じだろう。採取するドングリを食すことができ、多くの生き物を育むのであるから、それが生い茂る場所を神聖と感じる理由はわからない
ことではない。
「棍棒。いらないわね」
「……神聖な木で作られているのだぞ」
「神聖な木で作られた呪具ね。冒涜的じゃない?」
彼女も伯姪も特にほしいとも思わない。生き返るかどうか、それに対してなにかしら対価なり反動が生じるのではないかと思うからだ。死は兎も角生は人間の関わる領域ではないだろう。
結局、その棍棒も『賢者学院』への土産とする事にした。なに、三本あるうちの一本を土産とし、一本は彼女が、一本は人狼が確保する。三分の二の権利の行使に過ぎない。
「あんなのどうするのよ」
「街にでも飾りましょうか。中央広場に台座でも作って、突き刺すのよ」
「聖剣じゃなかったのがよっぽど残念だったのですわねぇ」
そんなことはない。聖剣三本も出てきたら、それはそれで困った事である。
カタラックを経て次も街はダントンに到着する。その名は「ディノスの人」の住処という名称に起因する地名。古い教会を有する。あまり特徴のない河川交通の中継点の街。
明日には大聖堂を有するダンロムに至る。ダンロムはその昔、この地を有する伯爵から大司教が領地を買い取ったため、伯爵大司教・世俗の貴族と同等の権威・権力を有する。
つまり、独自の議会・軍・裁判所を持ち、独自の法律・税体系・鋳造権を有する。市場を開き、独自の許可証を発行し、鉱山・森林を管理する。
これは、北王国に対する防衛戦を維持する重要な領地であるから与えられた特権であるとされる。
ダントンの街からダンロム、そしてその次の街である|ポンスタイン《Ponstyne)までそれぞれ一日の行程となる。徒歩あるいは馬車で野営をせずに済む距離を丁度測ったかのように街壁を持つ街が存在する。
元は「北大道」という古帝国時代から続く主要街道。北王国との戦争が行われれば、その移動経路・兵站路となるのであるから、それなりに整備されている。
「何が問題なの」
「ダンロムの街は治外法権的な場所なのでしょう? あまり近寄りたくないわね」
ダンロムの大司教も経済的に困窮しているのだという。それは、ヨルヴィク同様、修道院が解散させられたことに起因する。治安も宜しくないであろうし、立ち寄るのはあまり気が進まない。
「大聖堂のある街の巡礼宿って微妙だもんね」
「そうですわね」
大きな街の巡礼宿は大概状態が良くない。小教区教会に付属している施療院と巡礼宿は、その村や街の住民が手をかけて貧しいなりに教会を保とうとしているのだが、それなりの都市が窮乏した場合、人口が流出したり思うように資金が集まらずに施設が荒れていることが少なくない。
「入るのもタダではありませんし」
街壁のある都市あるいは街は、入場税を取られることが少なくない。街の住民と余所者を区別するための措置であるし、都市を維持する為に住民が負担している様々な経費を、外部からの人間に一部負担させる意味もある。
「じゃあどうするんですかぁ」
「近くの野営地で野営しようと思うの」
「まあ、そうなるのですわねぇ」
毎日、街の宿あるいは教会の施設に宿泊しているのであるから、それはそれで構わない。
「けど、この街に狩猟ギルドがあるなら、情報を取りに行きましょう」
伯姪の提案。隣の街までの用事があれば受け、なければダントンからポンスタイン迄の道行きでなにか情報がないかどうか尋ねればよい。
「聞くのはただだし」
「ええ。そうね」
折角、ロッドの街で作った『臨時会員証』がある。少なくとも、再び審査される際、細かな審査は免れるだろうと彼女は考えていた。
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ダントンの街の狩猟ギルドでわずかな時間で審査を終える。弓銃を提示するだけで問題なく終了。人狼は正規の会員だが、所属している街から離れて一体何をしているのかと疑問に思われない為に顔を出させず馬車で待機させている。
「正規のギルド員なのだが」
「かえって迷惑?」
「ですわぁ」
彼女が馬車へと戻ると、馭者台の二人に弄られているオッサンがそこにはいた。
「出ましょうか」
残りのメンバーが馬車に乗りダントンの街を出る。ポンスタインの狩猟ギルドまで手紙を幾つか預かる。それを届ける依頼を受けたのだ。
「ダンロムは街というよりも城と行政の為の施設しかないのね」
「そうなんですかぁ」
街というより城塞に近い。ノルド公領であれば、ノルヴィクではなくフラム城のような場所なのだ。
これは、北王国に対する防衛戦を維持する重要な領地であり、伯爵相当の特権と軍役を与えられているからである。街というより、司教がいる駐屯地といったところだろう。
「ある意味、リリアル領の参考になるかも知れないわね」
「王都の近郊で、そんな城塞必要かしら」
「住むのは気が進みません」
リリアル領の未来の領都『ブレリア』はもう少し長閑な場所だと信じている。
狩猟ギルドで聞いた噂の中には、いくつか怪しげなものがあった。
「幽霊の軍団……」
「略して霊軍」
「なんか強そうじゃない?」
一軍より上な気がする。この地ではロマンデ公の征服以前も以降も幾度となく戦場となっている。古の帝国と先住民、先住民と入江の民、あるいは先住民の王国同士、先住民とロマンデ公、北王国と蛮王国、そして内戦。
内戦の時代、北王国に支援を求めた白軍は、その支援の対価として略奪を要求した。百年戦争で王国内で行われた出来事が、内戦の時期にはこの地で行われたと言うことである。
各地で拠点を防衛していた騎士達は、この略奪に抵抗。農民を糾合し、抵抗したが衆寡敵せず殺戮されるに至った。
「その時の幽霊が彷徨っているという噂ね」
「ひいぃぃぃ!!」
「そ、それは子供を寝かしつける為の大人の手口ですわぁ」
悪い子のところに夜中やって来るのは悪い幽霊と相場は決まっている。夜更かしを窘める大人の戯言と思えるならそれでもかまわない。
ミアンでは大量のスケルトンが湧き出たが、これは周辺の古戦場から湧き出たものが集結したのであって、同じ事がこの辺りでも起こっているのだろうか。
「それで、この辺りは一日毎に街壁のある街があるのかもね」
「そんなところで生活できませんよぉ」
何か遭遇する条件があるのかもしれない。それに、ミアンに集結したアンデッドの軍勢は死霊術師が関わったものであろう。ある程度濠や柵で覆われた場所であれば問題なく住民は生活できるのだろう。
「この辺、一軒家をみかけないのはそういうことかも知れません」
ある程度集住しておかなければ、良くない事が起こるのだろう。
「気にしすぎではないか」
「そっち側から見ればそうかもしれないけど、普通の人間からすれば問題なんですぅ!!」
「ですわぁ」
人狼は精霊の祝福か加護の状態異常みたいなものなので、魔物ではない。
多分ない。
「一人で森で野営していても、亡霊やら幽霊とはであった事はないがな」
とはいえ、狩人のルシウスはドゥンの街周辺から離れた事が無いはずである。そこには、幽霊は出ないが『醜鬼』『歪人』は出ていた。どっちが悪いのだろう。
「因みに、亡霊と出会うとどうなるんですかぁ」
「ゾッとするわね」
「夏はひんやりして宜しいですわぁ」
多分そういう事ではない。狩猟ギルドの噂では、意識を失い朝までその場で昏倒しているといったことになるという。
「それって」
「不寝番で寝落ちしたいわけじゃないわよね」
「……ないですよね!!」
碧目金髪は寝落ちしたことが有る!!
「野営している人が意識不明で発見される事件が多いと言うことよ」
「では、幽霊ではなく妖精の類かもしれませんね」
『精霊』の中でも、人に悪さをする類のものを『妖精』という。『妖しい』『精霊』ということだ。水魔馬などは、完全に妖精である。
「幽霊なんて珍しくないじゃない」
「確かに。吸血鬼にワイト、スペクターにファントム、それなりに出会っているわね」
「それ」
「先生だけですわぁ」
かもしれない。とにかく、幽霊の類は、魔銀装備でどうとでもなるので、彼女は特に気にする必要性を感じない。
「魔銀の剣、あるはメイスかフレイルがあれば、実体があっても無くても問題ないわ」
「魔銀布のローブも装備して不寝番をするようにすれば、不意打ちもさほど影響ないわよ」
「その間、魔力纏いっぱなしですよねぇ」
「ええ、勿論よ」
魔力を纏っていなければ、魔装布も普通の布にしかならない。
「荷馬車で寝る分には問題ないのだから、土魔術で周りを囲んで見張は無しでもいいかもしれないわね」
「それですぅ!!」
魔力量に自信の無い碧目金髪が勢いよく反応する。彼女がいるのであれば、魔装馬車全体に終夜魔力を流し続けるというのは何も問題ない。なんなら、魔力壁六面でも問題ないくらいなのだから。
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ダンロムは大聖堂と『司教宮』がほとんどの街であり、川の屈曲点の丘の上に築かれた『城塞』である。その名の語源が「丘の砦」であることも納得の立地だ。街並みは街道沿いに並んで建っているのはリンダムに少し似ている。
「やっぱり巡礼宿はありませんね」
馬車で街を通過しつつ、碧目金髪がぼそりと呟く。狩猟ギルドも一般的な宿も見当たらないのは、この街に泊まりに来るものが少ないことを示している。周辺の司教領の住民なら日帰りで用事を済ますか、知人宅にでも泊めてもらうのだろうか。
「余所者お断りって感じかもね」
「あまり雰囲気の良い街ではない」
馬車に並んであるく人狼は珍しく独り言をつぶやいている。余程感じるのだろう。
「ここも聖地なんですよね」
「聖人の墓所が元になっているそうね」
千年ほど前、先住民の王国の時代の御神子教に改宗した修道士『キャスバル』の遺骸を、その弟子たちが葬った礼拝所に端を発する。
「地域的には聖地巡礼の場所に当たるんでしょ?」
「だが、寄りません」
「ませんわぁ」
少々陰鬱な雰囲気なのは、景気の問題か。あるいは……
「北王国の背後には神国・神子会の陰があるわ。この地も、その影響を受けているのでしょうね」
神国をスポンサーとして立ち上げられた修道会が『神子会』と呼ばれる組織である。積極的に連合王国・北王国のみならず、王国もギュイエを中心に修道士を派遣している。
教皇庁の忠実な戦士であり、原神子信徒たちに対する急先鋒を自認している。その活動の中心は熱心な布教活動であり、当然、原神子信徒のみならず、『聖王会』に対しても酷く反発している。教皇より国王を主体として認めているのは明らかなる異端だからだ。
つまり、原神子における『厳信徒』と同じように、御神子教徒の中での『神子会』修道士たちは他者を許容する幅が狭い。さらに「異端審問」という武器を持っているのであるから、行動は激しくなる。
とはいえ、世界各地に学校を開校し古代語・哲学・修辞学・文学を教えている。布教だけでなく、弁護士あるいは官吏となる人材を育成し、教皇庁と各国王侯に影響力を行使しようと考えているともいう。
北王国とその周辺には、反聖王会・原神子の論客として地域の宗教関係者と交流を深めているとも伝わっている。
「街に入らない方が良いというのはそういうことね」
「単なる巡礼と思われないかもしれないもの」
|ポンスタイン《Ponstyne)は古くからある河川港街であるから、滞在するのも容易である。狩猟ギルドもあるのだから、特に問題なく先の情報を得ることができる。この地をわざわざ訪れることは無いと、彼女達一行は先に進むのである。