第694話 彼女は謎の本を手にする
第694話 彼女は謎の本を手にする
王室の直轄地であった『カタラック』は城塞に兵を配置する要地であったが、内戦も終わり北王国の脅威が一段落した時点で、より重要な都市・城塞へと戦力が集約された結果、城塞は放棄された。にもかかわらず、新たに男爵領としこの地に城館を構えさせたのには相応の訳があると思われる。
「それが、あの廃城塞の場所にある『扉』ということね」
ロマンデ公が征服から支配を開始した時代、先住民の王国の各地にモット&ベイリー式と呼ばれる城塞が作られた。丘とその麓の部分を利用し、丘に城砦、麓に兵士が居住する宿舎や使用人の住居・鍛冶などの職人の工房を備えた初期の城塞都市を各地に設置し、統治をすすめたのである。
ノルヴィクの城塞も原型はそれであり、麓の街が巨大化したのがノルヴィクの市街と言うことになる。そして、ノルヴィクの城塞となった丘は先住民の時代における墳墓の地であったことは各地の城塞でも共通することになる。
叛乱を起こす先住民の民衆に対し、先祖の墳墓の地を攻撃するという行動から心理的な忌避感を持たせようとしたのかもしれない。彼女自身は逆効果ではないかと思うのだが。入江の民の発想は良くわからない。
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外れた石板の床をそろそろと外していく。中には長い年月を経て風化した貫頭衣のような衣装に包まれた遺骸が安置されていた。
「さて、何があるか」
人狼がその中を覗き込んでいる。とはいえ、この場所が先住民を追い出した入江の民の英雄ないし王の墳墓であるとするならば、先住民の精霊神官崩れの末裔である人狼に、中の宝を手にする権利はない。
「まあ、三分の二はこちらに権利があるのだし、先ずは中を改めてから考えましょうか」
「そうね。さすがに空気が悪いもの」
地下深い場所であり、通気も不十分であるため黴臭くもある。鼻の奥が少々痛くなってきた気もする。口元を魔装布で覆うと、幾分か呼吸が楽になる。顔を隠すようにするので、見た目確実に強盗の類である。
遺骸の側に剣の類は無く、宝飾品もあるにはあるが貴石であって宝石の類ではない。先住民は金細工を好み、その精緻な彫刻を施した指輪や腕輪あるいは髪飾りなどを作ったが、入江の民の場合、それを奪う事はあっても自ら作ったという話はあまり聞かない。
「これ、聖典かしら」
大きく厚手の革に閉鎖具をつけた大きめの鞄ほどもある四角い物体。恐らくは『聖典』の類だろう。とはいえ、墳墓に隠されるような聖典とは何かと彼女は怪訝に思う。
一先ず魔法袋へ収納し、隠された床下に何かないかと一通り見るが、他にめぼしい物は何もないと判断する。
「骨折り損のくたびれ儲けか」
「さあ。まだわからないわよ」
人狼ががっかりした様子を隠さないものの、彼女はさっさとこの地下墳墓を後にしようと考えていた。
地上へと帰還すると、教会へと急ぎ戻る。ほこりを払い水で体を清める。夜遅くで申し訳ないが、少々賑やかにしてしまう。
「お疲れ様でした」
「御茶の用意をしますわぁ」
留守番役二人もホッとした様子で、探索の結果を知ろうとソワソワしている。
お茶を飲み、一息ついたのち、彼女は探索結果について簡潔に述べた。
「獲哢と三頭の獲哢を討伐したわ」
「はい」
「そして、隠扉ならぬ隠床を見つけて解錠したわ」
「はい!!」
「お宝ザクザクですのぉ!!」
一呼吸おいて、彼女は告げる。
「かなり損壊の進んだ貫頭衣を身に着けた遺骸と、この大きな本が見つかったわ。成果はそれだけ」
「「え」」
「宝剣も宝箱も、宝飾品の類もなかったわ」
「「ええぇぇぇ……」」
がっかりする二人の横で、人狼もがっかりしている。そもそも、お前と入江の民は何の関係もないだろうが!!
『あ、でも、わるくないわさぁ』
赤毛のルミリに寄生……寄食……憑いている『金蛙』が彼女に向かって話しかける。
『院長先生は英雄から「大英雄」になったし、そのケル子の主人は今まで何もなかったけど「英雄」の称号が付いているわ』
どうやら『亜神』を討伐した結果、『英雄』の称号? が生えたらしい。彼女の場合、竜=亜神二体に、『巨人殺し』が加わり「大英雄」となったようである。伯姪と茶目栗毛も、後一度、巨大な存在を倒せば「大英雄」の称号を得られるかもしれないとのことである。ケル子……
「何の意味があるのでしょうか?」
『意味? あるわよ。精霊に好かれ、悪霊や魔物に対して畏怖させる効果があるのよ。敵対する人間に恐怖を無意識に感じさせるとかよ……確か』
その昔、神話の時代の英雄には、神に与えられた試練を乗り越えるという通過儀礼的何かが存在する。同じ行動をとると、同じ結果が生まれる。彼女達が討伐した三頭六腕の獲哢が、その『試練』に相当する『亜神』であったと神が判断したのだろう。
「効果はともかく、それがお宝と言うことね」
「大切なものを盗んでいきました、あなたの心です的な?」
「まあ、やったことは墓泥棒ですから、おなじようなものですよぉ」
確かに。いや、違う。ロマンデ公の征服以前から残されていた不死身の獲哢を討伐したのだから、それなりに誇ってよいだろう。男爵領にしてそこはかとなく監視していたのだから、討伐して感謝されこそすれ墓泥棒呼ばわりされる事は……多分ない。無いと良いな。
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翌朝、明るくなったところで早々に『カタラック』を離れる。城塞の隠し扉を確認したが、外見上戻して違和感のない状況であった。あの扉が動いていないのであれば、監視する側も特に問題視しないだろう。
その昔、彼女の姉が頂き物の箱の中身だけしっかり食べてしまい、側だけ綺麗に戻して知らんぷりをしていたことを思い出す。持てばわかる頂き物であればともかく、地下墳墓はそうではない。獲哢の不在に気が付いたとしても、奥の扉を開けるには人狼の血が必要となる。
その事に気が付かなければ、あの場所は永遠に開けられず秘密のままとなる。故に、墓泥棒ではない。無くなった事に気が付かないのだから。
そう考えると、人狼の血を提供したルシウスの役割りはそれなりに重要であった気もする。
馬車の中で昨晩手に入れた『本』を手にする。古い黴臭い革の装丁、羊皮紙が湿気を含んで膨らむ事を前提とした帯留めの金具。そこには鍵穴などなく、丁番で止められている。
「この丁番、亜鉛の合金かしら」
その昔、『偽金』であるとか、『オリハルコン』なと呼ばれていた亜鉛の合金は、青銅より硬く錆びずに良く切れる物が存在した。鋼の無い時代においては鉄を凌ぐ性能を持つ物もあり、「神具」と処される事もあったとされる。それ故、重要な本の装丁にも使用されたのであろうか。
『魔力を帯びているからな。魔鉛も混ざってるだろうぜ』
『魔剣』の指摘になるほどと納得する。この書を手にしてよいものは、魔力持ちであるそれなりの社会的地位を持つ者であろうという前提か。
留め具を廻し、掛け金を外す。表紙に書かれている文字は薄っすらと輝いていたが、彼女は読めなかった。中身は……
「これは」
「何、なんなんなの」
「宝物の地図とかですかぁ!!」
そんなものではない。断じてない。
「読めん」
人狼が拍子抜けしたように口にする。何やら線と線とを組み合わせた文様めいた文字であるとしか言いようがない。種類は……凡そ十六文字。彼女の知る文字はそれより十前後種類が多い。
「期待していたものとは違っていたようね」
「……そうだ」
人狼が探していたものとは何なのだろうかは凡そ想像できる。
『オーム文字』 あるいは 『精霊文字』は先住民が用いた文字で、目の前の書物、恐らくは魔導書・魔術書と同じような目的で作られた文字である。
その文字ごとに象徴する樹木を充てていたので『木のアルファベット』とも呼ばれる。
千年またはそれ以前に発生したと考えられ、古帝国末に盛んに用いられた。横線を基準としてその上下に刻んだ、縦または斜めの直線1-5本ほどで構成され、直線的で比較的単純な形をしており、線の数で音の違いを表現するなどの特徴がある。一種のアルファベットであることから、古代語文字をもとにして作られたという考えが有力で、先住民の社会に古帝国の影響を受けた時代に成立した頃、ここで古代語文字の影響を受けて成立したともいわれる。
碑文は土地の所有者などについて記したものが多い。またドルイドによって神聖視され、祭祀に用いられたともいわれる。
「俺が知らない文字がいくつかあるかと思っていたが、全くわからないし読めない」
古代語と相対する文字がかなりある為、読み方や文章は文字の置き換えさえすれば基本的には読めるのだという。
「この、なんか模様みたいなのは何なんでしょうね」
「怪しい護符のようですぅ」
「怖いですわぁ」
文字のような線と線の組合せを複数放射線状に配置した文様が見て取れる。
「これも、貴族の紋章みたいなものなのかしらね」
「図象ではなく記号でと言うことね」
子供が地面に木の棒で描く線画のようにも見える。
「考え方は同じなんだろうな。木の幹を削った面や木の板に刻むのに適している縦線と斜め線の組合せか……横線がない」
縦線に左右にあるいは真横に横線を描く文字があるのだそうだが、横線が一切ないので、精霊文字ではないことが確定。別のルールで作成された文字だと言うことがわかる。
ここで、『魔剣』がぼそりと呟く。
『悪いがそりゃドルイドの文字じゃねぇ。入江の民が持ち込んだもんだし、獲哢も一緒に持ち込んだ魔物だ』
『魔剣』の言葉を人狼に伝えると、人狼はがっくりと膝を折る。人狼の血が必要なのは戦勝の供物としであったのだろう。勝って血を捧げた上で扉の奥に進めと言うことだ。
つまり、この扉の奥にある宝に、先住民の末裔である人狼に何の権利も本来はない。とはいえ約束は約束、、扉の開き賃として1/3の権利は認める。
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何やら本当に骨折り損のくたびれ儲けであったのかと、獲哢退治に参加したメンバーが肩を落とす。だがしかし、忘れてはならない。
「そういえば、棍棒を持ち帰ったわよね。三本」
他に手に入れたものは何もない。三つの頭と胴体は回収した。これも賢者学院への土産になるかどうかは怪しいのだが。
「獲哢の頭はぜーったいみませんよぉ」
「ですわぁ」
馭者台で賑やかしい居残り組の二人。灰目銀髪はその背後で疲れが残っているのかうたた寝中である。めずらしい。
「この棍棒……」
「ちょ、大きすぎないこの場で出すには!!」
魔法袋から取り出した棍棒は、長さは3mはあるだろうか。しかしながら、太さはハルバードやスピアの数十倍太い。人の胴程の太さがある。
「これ、薪木くらいなるかしらね」
『あ、これ魔導具……魔呪具の類だな』
不穏な名前が『魔剣』から告げられる。『呪具』というからには、なにやら良くない効果を与える魔導具と言うことになるのだろうか。
「いやまて、この木は……楢からできている。オークの棍棒の魔呪具といえば……なんだ、あれだ」
何やら喉元迄言葉が出かかっているようだが、出てこないらしい。
『先住民の伝承に出てくる大神の棍棒か。ダグザとか言ったか』
『魔剣』の朧げな記憶に出てくる、先住民の伝承には、神々の父が持つ生死を司る棍棒があったという。
『片面で打てば相手は死に、片面で打てば蘇るらしいな。まあ、どっちがどっちなのかわからねぇな。この棍棒じゃあ』
片面だけトゲトゲがついているということもない。左右対称の棍棒なのだが。彼女は、『ダグザの棍棒』の名前とその性質を皆に伝える。
「おお、それだ。けどよ、どうやったら真贋がわかるんだ」
「片方で思い切り叩く。死んだら、その反対で叩けば蘇るぅ」
「ですわぁ」
「いやちょっと待ておかしいだろ!!」
仮に、生き返る側を先に叩けば何も起こらない。そして、先に死ぬ方で叩いて死んだ場合、生き返らない可能性もゼロではない。たぶん生き返らない。
「まあ、これあんたの物って事で良いから。黙って殴られなさい」
伯姪は人狼にそう言い放ったのである。