第692話 彼女は石扉の奥へと進む
第692話 彼女は石扉の奥へと進む
「この部屋には特に罠や隠し扉のようなものは無さそうです」
「そう。ありがとう。では、扉を開けて進みましょうか」
調査を終えた茶目栗毛の言葉を聞き、人狼へ先を促すように彼女は声をかける。
「このデカ物どうするのよ」
「どうもしないわ。すべて焼き殺すには場所が良くないでしょう」
焼き殺すのが良い手段であるとはいえ、地下の密閉空間で焚火をする勇気はない。鉱山などの地中深くでも同じなのだから、ここでも息ができなくなる可能性がある。
「魔法袋に頭だけでも収納してみてはどうでしょう」
死体であれば『物』扱いで収容できるはずである。頭を魔法袋に入れることができた。一先ず、そう簡単に再生することは無さそうである。
人狼は自分の手首をナイフで切裂き、その血液を石扉の中央にあるくぼみへと流し込んだ。すると、何やら文様が浮き出て、扉が明滅し始める。
『魔法の扉。精霊の加護結界か』
『魔剣』曰く、一見普通の石扉に見えて、魔導具の類なのだろうという。王国には残っていないようだが、古の精霊魔術師が用いた物理的な結界の一種であるとか。勿論、解錠の手段以外の魔術もはねのけるし、破壊する物理的方法も受け付けないのだとか。
明滅が終わると、扉は消え去る。岩を素掘りしただけの簡素な通路がやがて現れる。
「行きましょう」
「今度は二列でも問題なさそうね」
最初の通路の三倍ほどの幅がある。先行するのは『狼』と『猫』。そして、彼女と伯姪、リリアルの騎士二人、最後尾は人狼である。
GWOOOOOO……
腹に響く重く力強い咆哮が通路に響き渡る。素掘りの通路はL字型に曲がっており先を見通す事は出来ない。しかし、その奥から聞こえる咆哮は複数の存在を感じさせる。
「行きましょう!」
「ええ」
彼女と伯姪が勢いよく駈出す。そして、通路の先には再び高い天井の空間が現れる。正面にはやや高い祭壇のようなもの。淡く輝いているのは精霊の力だろうか。そして、その正面には……
「嘘でしょう」
伯姪の呟き、そして牽制と周辺の光源とする為の『小火球』を再び彼女は天井近くへと送り出す。それぞれの頭が、その光源に向け視線を向ける。そこにいたのは、『三頭の獲哢』であった。先ほどの獲哢よりさらに大きく、腕は六本ある。
『亜神か』
『魔剣』が呟く。生物が魔物となり、さらに信仰心を集めて精霊・神と呼ばれる存在になることもある。ワスティンの森の湖に潜む『ガルギエム』も、元は年老いた蛇が魔物化し、やがてそれが精霊の力を得て人に崇められる存在となった経緯がある。自己申告だが。
これもその類。入江の民が帯同した戦闘用の従魔の類が幾たびかの戦勝を得て守護神とされ、戦の無い時代となり宝の守護者として地下墳墓に封印された。地上に置いておいても、戦の無い時代には無用であるからだろう。
崇め奉り封印するのは、人間の常套手段とも言える。
その後、この精霊化した三頭六腕の獲哢を使役できる術者がいなくなり、守護神を守護神足りえ無くしたのは、この地にいた入江の民の部族の怠慢であろうか。
「いいえ、魔神よ」
既に崇め奉る存在がいなくなり数百年の時が経っている。
ガルギエムが狂気に至らなかった理由は、正面から司教に説得され、自ら『魔』に陥る前に、王都となるルテシアの地を去り隠遁したからである。それまで、精霊として信仰されてきた存在が御神子教徒となった住民から『悪魔』であるとか『神に敵対する存在』『信仰を惑わす者』といった悪感情を注がれ、あるいはそれまで聖地であるとされた自らの住処を破壊され、あるいはこれ見よがしに礼拝所や教会を建てられ追い立てられれば怒りに己を失い『魔』となることも理解できる。
とはいえ、この三頭獲哢は力こそ往時の『神』の如き能力を有している可能性はあるが、狂気にまでは至っていない。むしろ、委ねられた役割を護る「精霊」としての契約通りに振舞おうとしているのではないだろうか。
この地を護る、あるいはこの空間を護るといった術者と精霊との契約がある。
既に、『狼』は獲哢の足に襲い掛かっており、迷い込んだ獣がじゃれついていると思ったのか、うっとしげに足を振り払い、あるいは手に持つ巨大な棍棒で蠅を払うようにブンブンと飛び掛かる『狼』を払っている。
その為、彼女達の存在にあまり関心が無いように見て取れる。
「無視されていますね」
『ウォヲヲン、ヲウヲウゥゥ』
「煩い! 何言ってんのか全然わからないから、黙ってなさい!!」
どうやら、獲哢はその護るべき対象に近寄らなければ、襲い掛かってこないと人狼は言いたいようだ。最初の獲哢も、石扉から離れ通路へと逃げれば追いかけてこなかったのだろう。前回はそれで逃げおおせたということだ。
「あの祭壇、何かありますね」
「そうね。ぼんやりと輝いて見えるのは、何かしらね」
碧目金髪ならずばり「宝箱」と言いそうであるが、いままでの経験からすると『レイス』あたりが出てくる可能性が高い。ワイトの場合、黄色っぽい怪しげな輝きなので、恐らくはさほど悪意のない精霊かもしれない。
「地下墳墓だとしたら、英雄かもしれないわね」
「聖剣という可能性も」
過去のこの地に住んだ英雄の得た力を彼女たちが手に入れてどうなるとも思えない。王国の祖先である英雄であればともかく、この地を手にした者たちは入江の民の祖先であろうから、彼女は多分関係ない。
呪われこそすれ、力を貸してもらえるとも思えない。そもそも、過ぎたる加護は呪のようなもの。彼女にもリリアルにも必要ない。
『このまま逃げてもケルピー殿軍すりゃ、無事脱出できるだろ。あんま意味なさそうだから帰ろうぜ』
『魔剣』の主張はもっともなのだが、先住民の祭壇を調べてみたいという気持ちもある。決して墓荒らしではない。研究・探求心のなせる業だ。
「せっかくなので、三人で首一つ頭で二本、担当しましょうか」
『ウォウォヲン!!』
「だから煩い!!」
人狼、どうやら仲間外れらしい。何が言いたいのかわからないし、連携も取りにくいので無視である。
『主、牽制に参加すればよろしいでしょうか』
「ええ。視線を下に向けさせ続けて。そうね、ルシウスも一緒に囮になりなさい。三体で三つの頭をそれぞれ牽制してちょうだい」
『ウォン!!』
仲間外れ脱出で嬉しそうな人狼である。
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三体に攻撃を受けた異形の獲哢は、想定通り三つの頭がそれぞれ二本の腕で目標を追い出した。
「で、どうする?」
「三人で三体を同時に討伐すると思えば問題ないわ」
「同時に二本の腕と首を斬り飛ばすのでしょうか」
彼女の答えに茶目栗毛が難しい顔をする。小さな目標を倒すならともかく、腕は一抱えもある大木ほどもある。彼女のバルディッシュなら兎も角、二人の片手剣で斬るのは相当難儀だろう。
「あ、あの私は」
指示を求める灰目藍髪に、彼女は少し様子を見るように待機の指示をする。
「さっきみたいに、一人でちゃちゃっと仕留められるんじゃない?」
「無理よ。試してみましょうか」
身体強化からの加速、そして、魔力壁を足場に一気に駆け上がり、腕を一本、二本、そして首を一つ刎ねる。がしかし、その斬りおとされた腕を、首を拾い上げ、残りの四本のうち、三本が次々に拾い上げ載せ直してしまう。載せた先から接ぎ直され、瞬く間に元に戻ってしまった。
「うわぁ」
「予想以上の再生力ですね」
戻ってきた彼女が肩をすくめる。見ての通りだとばかりにだ。
「少なくとも、斬りおとした部位を継ぎなおせないようにする必要があるわ。
その工夫の算段をしないと」
「腕をあなたが二本、私たちで二本、斬りおとせば、間に合わなくなるかしら」
「それと……動きをとどめる工夫が必要でしょうか」
茶目栗毛が自問するように口にする。
背後では、『狼』『猫』『人狼』が噛みつき、ひっかき、殴りつけられ、躱し、あるいは弾き飛ばされつつ動きを牽制し続けている。いつまでこのペースで続けられるか。異形の獲哢は微塵も疲れを見せていない。
「あれの魔力が尽きるまであるいは再生が止まるまで攻め続けるとか」
「その前に、私たちの魔力が尽きるんじゃない」
魔力量からすれば、灰目藍髪が最も先に尽きるだろう。さらに言えば、装備の質からして、魔力で断ち切る魔銀の剣を彼女と伯姪以外は『鍍金』仕上げを装備している。これは、並の魔力持ち相手なら魔力を表面に薄く纏う鍍金仕上げの方が魔力の使用効率を上げることができ有効だ。
全魔銀であれば、武具全体に魔力を行き渡すだけの魔力を込める必要がある。表面だけの鍍金の何倍も魔力を必要とする。その代わり、斬りながら魔力を多く対象物に叩きつけられる分、大物を断つには効果がある。斬りながら消費していく魔力が多いほど、魔銀の持つ執拗とそこに保持する魔力量が必要となるからだ。
これまでなら、彼女の全魔銀の大刃を持つバルディッシュを切り札に、削っていけばよかった。
今回は、切裂いている間に接がれてしまう。伯姪の片手剣は格段にそれより落ちる魔力量であるし、茶目栗毛と灰目藍髪の鍍金仕上げではさらに表面を削る程度の魔力しか送り込めない。魔力を込めなければ、切断もできないだろう。
「頑張るしかない?」
「それではジリ貧でしょうか」
「何か、良い代案があるかしら」
一つは、動きを止める為の攻撃、今一つは、斬りおとした首や腕を接がせない工夫。まさか持って逃げるということもままならない。大木のような腕をもってこの限られた空間を逃げることは難しい。
「斬る端から魔力袋に入れるとか」
「入らないかもしれないわ。本体が生きているのであれば」
試してみる。入らない。
「うん、普通の獲哢より格段に難易度が高いわ」
伯姪の呟きに三人が頷く。
『ウォウォヲン!!』
手を貸せ、とばかりに吠える人狼に向けて、ハンドサインで『いのちだいじに』と送り、頑張れと指示をする。もうちょっと時間を稼いでもらいたい。
戦い始めて数分、動きも鈍くなることはない。このままいけば、何もせず一旦退却するしかないのではないかとすら思えてくる。
灰目藍髪が一つの提案を思いつく。
「マリーヌの拘束する魔術で二本の腕を殺します。その間に、三人で首と残りの腕を斬り落とすというのはどうでしょうか」
できるかもしれない。要は接がせなければ良いのだ。二人で二本の腕を斬り落とし、彼女は腕二本を斬り落としたのち、首を刈っていけばよい。
「どのくらい拘束できるか、試してもらえるかしら」
彼女の確認に、灰目藍髪は頷き、水魔馬もとい『狼』の牽制の役割りを茶目栗毛が替わる。
戻って来た『狼』に、灰目藍髪が拘束してもらいたいという指示を出し、『狼』は『馬』の形に変化し、水草の縄で二本の腕を縛り上げようと伸ばす。しかしながら、その縄のようなものを異業の獲哢は二本の腕で掴み上げ、引き摺ろうとするので、水魔馬は慌てて縄を切り離した。
「魔力量の差かしら」
「二本しか出せないの?」
「難しいようです。増やせば一本当たりの強度がその分低下するそうです」
異形の獲哢の動きは悪くない。水魔馬が斬りおとした腕を引き上げるより、その腕を残りの腕で取り返す方が恐らく早い。
「万策尽きたのかしら」
「万策というほどの策ではないわよ」
茶目栗毛も牽制に専念しているので何とかしのいでいるが、今のままでは十分と凌げないだろう。常時身体強化と魔力壁を使った空中機動は魔力量の少ない者にとっては激し消耗を伴う。
彼女は四人と再び段取りを確認する。
斬り落とせるのは彼女だけ。そして、三本の首と四本の腕を立て続けに斬り落とさねばならない。
その間に、伯姪と茶目栗毛はそれぞれ一本の腕を斬り落とし、ケルピーは拾い繋ごうとする腕をわずかの間でも拘束し、彼女が斬り落とす間の時間を稼がねばならない。
そこで一人の余剰が生まれる。
「先生、私の役割りは何もないのでしょうか」
自らの力不足に、悔しさを滲ませいつもは少しの動揺も表情に出さないらしくない姿を灰目藍髪は彼女に見せる。騎士らしくない、そういうことはしないはずなのだが。
「いいえ。あなたには、大切な役割があります。仕掛けの起点となる大切な役割りが」
彼女はその言葉と共に、大物討伐にかつて彼女自身が用いた装備を託すのであった。